01 帰れない人 中編

「…な、なぁ、本当にやるのか?大丈夫なのかよぉ…」


 茂る木陰の中、怯えた情けない声音と表情は、背の小さい黄土髪。


「いっつまでビビッてやがんだ、乗用竜ったってただの大型爬虫類の家畜だろうが!火ぃ噴く訳でも無ぇモンにお前は!」


 最も暗い所から、潜めた怒号を飛ばすのは、ひょろりとした赤毛。


「腹ぁ括れヨ、チビでトンマのお前だけじゃア心許無ぇかラ、俺も手伝ってやるってんだロ。」


 片言の皮肉げな響きで、冷静な目をやるのは、青黒く剃られた丸頭。


 三者三様、信号色(シグナルカラー)のような男達がぼそぼそと身を潜めて話し込んでいるのは何故か、天空(スカイブルー)通りの路地裏、それなりに高さのある塀の上だ。
 しかも身を隠すように、境に植え込まれた木の枝葉に埋もれながらである。

 彼らが狙う目線の先は斜め下。とある宿の裏手で、街路樹の根元で呑気にあくびをしてまどろんでいるのは。

 やはりというか。

 翠と黄銅のまだら模様が光る、羽の生えた美しい竜だ。

「盗むったってよ…角も牙も、あんなん食らったらひとたまりも…」

「んなモンよリ、羽が少々厄介だがナ。2人がかりデ尾っぽにぶら下がってリャ流石に飛べやしねぇだロ、首も押さえちまえバ問題ねェ。手綱と尾を引いテ…後はなだめながラ、向こうの廃墟まデ引きずっちまえバ誰にも分かりゃしねぇサ。」

「ひっひ、空飛ぶ生き物ごとき、この街で見ないたぁ言わねぇが…あんな立派な竜、ここいらでも中々お目にかかれた試しはねぇぞ…!チャンス到来ってなぁ…!」

 おどおどする黄信号を無視して、青信号はへりに足をかけ、赤信号は首を回す。

「いいか?せーのでお前らが尻尾に、俺が奴の背に飛び乗る。行くぞ!」
「おおヨ。おら、腰引けヤ。」
「あ、わ、」

 それまで騒がしくも潜め続けていたダミ声を合わせ、身を乗り出した三色の


「「「せー のっ!」」」


 三つの影が、大きな野良猫のように飛び出し

 どさぁっ

 と、勢いの良い音がしたのも、束の間の事。



『―――クェエーッ!』


 衝撃を受けて竜は、一鳴きと共に身を振るわせると、ガクリと大きく全身を沈ませた。すぐさま身体を振り回すと、まず突如として尾に下がった二つの重い異物を引きずり。隣の木に勢いよく叩きつけた。

「ぎあっ!!!!」

 鈍い衝突音と共にその威力に叫び声を上げたのは、一歩遅れて地に足が着ききらず、身を思い切り挟まれた気弱の黄色だ。ずる、と両腕が抜ける。

「馬鹿やロ、離す ん じゃあああああアアアッ!!?」

 怒号を上げようとした青頭も、半分軽くなった下半身の力であっという間に、反対側に放り投げられた。その間もずっと、背にしがみついている赤毛を一番うっとおしそうに、振り落とそうと竜は尾と反比例の動きで上下前後に首を振り回し揺さぶり続けている。

「の お、 ぉおおぉおぉおっとなしくしやが、れぇえぇ!!」

 だが、首根にがっちりと両腕を回して鞍に乗り、翼の間後ろを取った身軽な男は中々振り落ちない。とうとう揺れる手綱をなんとか掴んで、無理矢理に竜の頭を制御しに掛かった。全体重をかけて引かれた手綱で、暴れる長首がつんのめる。

「何してんだ、お前らもっぺん飛び掛れぇ!押さえつけろ!どぉどぉ!」
「あだっだっ…ん、な、んな事言ったってぇえぇえ…」
「ギ…おイ、早ク立てェ!!何ボサッとしてやがル!!!」

 叫びに応じ、吹き飛ばされた二人が再度向かって行こうとした、その動きを。

 竜の瞳が舐めるように睨んで、ぬらりと光った。

『グ、ル…』

 そして僅かに翼を広げ、筋の開いた腹がごぼり、と蠢めいた瞬間。

『 ゥギャオァアァッ!! 』

 咆哮と轟音の入り混じったような威嚇が正面めがけて放たれた。

 途端、

 何かが輝いて正面の石畳で明々と爆散する。


「「「ひぃいいぃっ!!?」」」

 熱が吹き上がり、発生した風に煽られてまた尻餅をつきかけた二名の間で、白い炎が地を黒く焦がした。燻った音と共にそれは煙に変わる。
 竜の口元でも銀の銜が、炙られてチリチリと似たような音を立てていた。それにすくんだ赤毛が、バランスを崩して手を緩めた隙を逃さず、竜は前のめりに全身を傾けると胴体の力で彼を正面に思い切り放り投げる。

「へ、ぎゃっ!!」 

 そしてとうとう、地に並べ落とされた三人の元へ、押さえ切れない唸りを喉奥で転がしながら―――牙を剥いた獣はゆるりと迫る。

「…ひ…ひひ火、火ぃ…噴いたじゃねぇか、よぉ…」

 勢いのまま後ろに転がっていった赤と、怯えるように後退した青に放置され。立ち尽くしたまま呟いたのは黄土髪だ。
 獣の、細長い瞳孔が見開かれて同時。一足を踏み込んて、大きく伸びた竜の長首が斜め下から、角を突き上げて襲い掛かる―――




「伏せろ!」


 そこに、かかった叫び声は彼らの斜め後ろから飛び込んできた。

 第三者の声に驚き身をすくませた彼らの間を、腰を抜かした黄色めがけて滑り込んできた人影は、伸ばした片腕を彼の首にほとんど叩きつけるように巻きつける。そのまま地面に押さえ込むような形で、一息で竜の眼前から彼を退けた。
 そしてもう片方の腕は、あろうことか向かってきた竜の角を横からガッチリと掴んで、その頭部を自らの眼前に留めている。

 何が起こったのかよく分からず、呆然とする男達を無視してその人は―――竜の「主人」は相棒を、静かに真っ直ぐ、睨み付けた。


「落ち着け。俺が許さぬ限り、街で人に怪我をさせるなとあれほど教えた筈だ。」


 するとまるで、落ち着いた声音と眼差しに諭されたよう、今まで牙を剥き喉を唸らせていた獣がその唸りを静め、ゆっくりと引っ込めていく。
 彼、ウィドは溜息をつくと押さえ込んだままだった小男と、ペルシェの角とをあっさり離した。自由になって長首を震わせる相棒を横目、ゲホゴホむせた息を吐いて突っ伏す黄色と、その後ろで目を瞬かせる赤青二人を振り返って、彼は呆れた声を吐く。

「全く、無茶をする…後一歩遅ければ腹が抉れていた所だ。―――お前もお前だペルシェ!まさか火弾まで吐くとは…ただの人間相手にあしらい方も忘れたか?ん?」

 先程まで牙を剥いていた竜相手に、ぺしぺし首を叩き、まるきり子供を叱るような体で眉根を潜め苦笑する。そんな彼を、男達がポカンと眺めていたのも僅かの間。

「それで。何が目的で、飛竜に手を出した?」

 やはり穏やかな、しかし何処か毅然とした響きの問いかけが投げられ、尋ねられた男達は思わずやや腰を引いた。

「お、俺たちゃぁ別に何も…はは…」

「とぼけても無駄だ。竜の許容しない者が鞍に触れれば、持ち主には分かる。あの鞍はそういう風に出来ている、単純なまじないだ。だから俺が来た。」

 鞍と同じ色の左耳の銀に触れながら、細めた暗緑色の眼が順に三人を眺める。

「ただ手を伸ばしただけの人間に易々と、鞍に触れる事をペルシェが許す筈もない。…少々、放ってはおけんな。」

 そして一歩を詰めた彼に対し―――最初に獲物を抜いたのは赤毛だった。

「う…る、せぇ、多勢に無勢だ!丸腰1人が3人相手に勝てると思うなよ、テメェさえ片付けっちまえば後は誰も邪魔しねぇ!」

 吹っ切れたように腰元からナイフを引き抜いた、その勢いに今まで立ち竦んでいた青頭も構えを直し、同じ獲物を取り出して構える。相変わらず怯えたままだった黄色も引きずられるようにして、震えながらも懐に手を伸ばした。

 臨戦態勢の彼らに対し、ウィドは頭を掻いて肩をすくめる。

「…そうか。そうくるというなら、まぁ…逃げるを負うよりは楽だが、なぁ。」

 困ったような、諦めたような。そんな一言を呟いた様子はまるきり人の良い顔のままで。




 ―――そこから先の容赦の無さとは雲泥の差だった。 



 まず、真っ先に刃を振りかぶって突っ込んできた、赤毛の一太刀が降りるより先に懐に入り込むと。その赤毛頭ごと顔面を鷲掴んで、全身を捻り。

 何の躊躇もなく、正確な動きのまま脇の煉瓦塀めがけ頭蓋を叩きつけた。

 鈍い、硬いものが砕けかけて軋む、嫌な音が響く。抗いようのない遠心力に引きずられて、傾いた赤毛の身体が、ずるりと地に滑って落ちた。
 それに怯えて思わずまた立ち竦んだのは、やはり黄色だったが。隙を逃すまいと、赤毛が撃を喰らう直前から、脇に飛び掛っていたのは青頭だ。
 その切っ先がウィドの肩口を狙って、突き刺さるかに見えた瞬間。
 彼は寸前で姿勢を落とし、刃をくぐると踏み込みと共に鳩尾めがけ、肘を抉り込んだ。
 そして、呻きが漏れ聞こえるより速く、そのまま相手の腕を掴むと足で土を払い。

 男の腕を、曲がらない方向に曲げる形で、全体重をかけ地に落とす。


「…ッが…」


 今度は先の響きとは比にならぬ、確実に「砕けた」音が鳴った。更にその腕肩を、まだ躊躇無い捻りで無理矢理後ろに回されて青頭は、声にならない声と、一度壊れたものが再度抉れていく怪音と共に武器を取り落とした。

 乾いた音で転がるナイフを横に蹴り、ウィドが次に見据えたのは。
 震えている最後の一人。

「…ひ…っ」

 先の2人は、ただ一撃ずつのみ受けながら、既に立ち上がれる状態ではない。

 暴力の喧嘩や、獣による漫然とした乱暴な抵抗の恐ろしさとは、全く違う。
 加減があるとすればその容赦の無さが考慮の内であろう、正確に肉と骨を仕留めにくる、逃すつもりのない手練の恐ろしさがそこにあった。

 その確実さでもって、あっという間に目前で仲間を沈められた黄色が、逃れようと本能的に脚を引いた一瞬で。たちまち大股で迫ったウィドはまた相手の腕を掴みとり、素早く捻り上げる。

 すると、とうとう気弱の男は瞬時に態度を切り替えた。


「ま、ままま待て待ってくれぇえ!!わかっ、分かった、大人しくする!!大人しくするから勘弁してくれよぉぉ!!!!」

 結局、一度も振るえなかった刃を自ら手放し、既にあと一息で骨が逝くだろう角度まで腕を締め上げられた体勢のまま。小男は首を振って降参を叫んだ。

 それを聞いて、ピタリと動きを止めたウィドが、頷くと再度口を開く。

「俺もその方がありがたい。人に怪我をさせるなと言った目の前で、一度は助けた相手に怪我をさせていては本来の示しがつかん。」

 至極当然のように言って、後ろで黙って見ている相棒を一度、首だけで振り返るとまた、捕まえたままの黄色に顔を戻し。

「で。結局お前達、何をしようとしていた?正直に言ってみろ。」

「しょ、正直も何も…俺はただ、あい、アイツらの、良さそうな乗用竜が留まってるから盗んで売っ払っちまおう、って話に無理矢理…付き合わされただけで…まさか本当に火ぃ噴くなんて聞いてねぇしよぉおぉ…」

「…なに?」

 最早火炎を放たれた時点で気が竦みきっていたらしい、がくがく首を震わせてまくし立てた黄色の訴えに、ウィドは目を丸くして手を緩めた。

「それじゃ本当に、コイツがただの蜥蜴だと思って盗もうとしたのか?飛竜だとも知らず?…ちなみにどうやって…」

「しし知らねぇよぉそんなん!ただ、羽が生えててちょっと珍しいから、良い値が付くだろうって…へ、塀の上から飛び掛かって…」

 そこまで聞いて、ウィドは先程とは正反対の、いかにも渋い半眼で振り向く。

「……ペルシェ…さてはお前、こんな街中で…寝ぼけていたな…?」

 引きつった顔で睨んでくる主人を気にも留めず、竜はそっぽを向いて首を動かし、毛づくろう様な仕草で翼膜を掻いている。

「無視するな。こら。…冗談では済まんぞ、ただの街の小悪党相手に気配が分からんお前でも無いだろうが!空を飛ぶ種族が、頭上の蝿もかわせんほど気を抜いてどうする!?」


『 グェ ェ。 』


 返事は、知ったこっちゃない、とでも言いたげな。
 欠伸(あくび)である。

「…まぁ、いい。どちらにしろ全員、宿の主人にでも頼んで役人に突き出すぞ。どうせ他にも何かしらやってるんだろう…少なくともあの2人はな。お前だけは動きからして、どうやら素人以前の問題だが。」

 またアッサリ腕を離されて、解放された小男はその言葉に、昏倒している仲間2人を見返った。

「お、俺ぁアイツらと違って、せいぜいかっぱらい位しかした事ねぇ、よぉ…なのに…なのに食い扶ち減らされたくなかったら手伝えって…」

「かっぱらいも充分犯罪ではあるがな。…ふむ。

 という事はお前、足は速いか?」

「へ?」

 思ってもみない事を聞かれ、怯え顔のままの黄色は裏返った声でウィドを見る。

 そこには相変わらずの人好し風情で、相棒を指し、にぃ、と笑っている顔があった。


「これからちょっとアイツと一仕事あるんだが、どうだ、手伝わないか?協力してくれればお前は見逃してやってもいい。

 ―――なに、竜を捕まえるよりはよっぽど簡単だ。」

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最終更新:2011年06月13日 15:40
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