青空にはいつもの虹、幻のように雲を照らしている。その下に広がる街路は空を映したように青い。陽気につられて出てきた家族連れや観光客が楽しげに屋台を眺めさんざめく。さわやかな風が街路をなでて、雑踏の楽しげなざわめきを伝えてくる。まったくもって何もかもぶち殺したい。
元導師
カーロウ・ラザロは腹を立てていた。不安だったし悲しかったり絶望したりもしていたが、ラザロは何よりも激しく怒っていた。怒りだけを頼りに大股で人ごみを押しのけて歩いて行く。
許さん。
塔のバカどもめ。
この俺を、比類なき魔術理論家の俺を。
いい加減な審理で俺が禁呪を試そうとしていたなどとぬかしおって。『ラザロ君。料簡したまえ、郷里に帰って農業でもすればいい』だと?お前の頭を耕してくれるわ。
鬼気迫る表情で
天空通りの子供や小動物をおびえさせながら、ラザロは一軒の店の前までやってきた。
『浮遊する魔術の店』とか書かれた赤い看板。ラザロがよく使っていた店だ。生徒の教材の購入先として指定してやったこともある。店主には二、三貸しがあるというものだ。今少しくらい返してもらったとてばちは当たるまい。
店主は相変わらずさまざまな怪しい物品が吊られた天井近くを漂っていた。子供ほどの翼竜の骨や作りものの燃える星の吊られた天井をかすめるように膨れた店主のシルエットがふわふわ頼りなく移動している。
銀色の風船状の被膜を背中に背負った中年の男。貧相な顔に口ひげだけを生やした情けない顔。ここの店主フレッドを下からラザロは見上げている。
北方の高山地帯に棲む浮遊族だ。羽根によらず背中の嚢状器官で空近くに暮らす連中。街に住んでいるのは彼くらいではないか。
「相変わらず見かけ倒しの店だ。なんだその骨は。鶏とオオトカゲの骨を接いで念動でも魔化したのか」
翼竜らしき形をした骨をラザロは指差す。今もぱたりぱたりと骨の翼を動かす骨格。まあ子供騙しの玩具だ。何度か似たようなものを作ってやったこともある。
「お察しの通りですよ。これを見て大した店だと思ってくれる人だっている。まあそれは良いです。別にラザロ先生に売ろうとは思いませんから。それよりお尋ねの件は済みませんが存じ上げませんな」
「知らぬ、か」
「そりゃそうですよ。消された魔力の回復法なんて、神様にでも頼むしかないですね。そうでなきゃ処罰にならないでしょう?第一治療法を導師のあなたが知らないなら、私が知るわけないじゃないですか」
他人事丸出しでフレッドはニコニコと揉み手をしながら言う。ラザロは不快そうに眉を寄せる。もとよりこんな男にそこまで期待していたわけではないが、やはり心臓に刺さるものがある。
「ならそれは良い。率直に言うが俺は今金がない」
「今のあなたにはお金は貸せませんよ。戻って来る当てがない」
「貸してくれとは言っておらん」
こんなジャリ銭商売の男にまで足元を見透かされる己を呪いながら、精一杯の自制心を持ってラザロは穏やかに話す。復讐を遂げるにもまずは街の中で生きていかねばいけない。塔の中でずっと生活していたラザロにはまずその次元での戦いが待っている。力を取り戻し塔の愚行を糺すために帰還するのはそうすぐにはいかないだろう。
「故郷に帰って十年会ってない兄の農場を手伝うなど冗談ではないからな。当座、この街で暮らすために……仕事を探したい」
「仕事ねぇ。どんな仕事が出来るんですか?」
さも興味なさげに風船男フレッドはひげをしごく。同じ男が占い用のクリスタルの売りこむときには地面近くを漂っていたものを。
「俺は魔術理論家だ。実践こそ今は出来ないが」
「今は?」
「今は、だ。いずれ何とかする。だが今でもたとえば魔術の基礎研究をしているところなどでは俺は役に立つはずだ。塔の中枢で研究していたのだからな。知識まで……奪われてはいない」
屈辱と自負を混ぜながら言うラザロを、奇妙な物でも見るように見下ろしてフレッドはカウンターの上を指す。ラザロは置いてある一束の紙切れをつまみあげた。
「何だこれは」
「新聞ですよ。今朝のヤツです」
サン・アルコ・ナウ
昨夜遅く、魔術学院の深奥にて委員会による導師の査問が行われた。みだりに登録・詠唱・使用を禁じられている『遺跡呪文』を無許可で呪文書として編纂していたとして査問を受けたのは“親和の導師”カーロウ・ラザロ(37)。専門は魔術工学。弟子の魔術尋問を待って今夜中にも処分が下される予定だが、有罪の場合には魔力剥奪処分が有力視されている。
遺跡で発見される呪文には時として世界そのものを規定するほどの力があり、ラザロ氏の行為は自らの力を過信した暴挙と言うしかなく、世界の平穏のため、市民の安全のため厳正な処罰が望まれる。
以下、魔術学院関係者のインタビュー
「ラザロ先生っすか?いつかやると思ってたっす。いかにも悪の魔術士って感じで。夜中悪魔と酒盛りしてるって噂でしたし」
「あの人は呪い谷の出身ですから。この世を呪詛するために生きているのです。哀れな方」
「たまに街の子供が行方不明になるのはラザロ君が食べているからだって話があったね(笑)」
「学院の絨毯が赤いのは、ラザロ先生の犠牲者の血が染みついてるからだって。学院七不思議のひとつです」
追放処分になれば、かように危険な人物が魔力を剥奪されているとはいえ街に放たれるのだ。市民のみなさん、お子さんを外出させる際には気をつけた方がいい。
ラザロ氏は大柄な男性。髪は茶で強面、普段着は紺色のローブに導師の金の襟飾り。未確認情報ながら関係者の証言では自らの肉体を改造し腕が四本あり、また目から魔法消去光線を放ち体に金属を引き付け…………
「出鱈目をぬかすなッ!三流の売文屋がッ!」
怒りにまかせて新聞を引きちぎる。紙束はみるみる哀れな紙くずに姿を変える。
「ま、タブロイドの言うことですから。アルコイリス・クロニクルとは違います。しかしよくここまでたどりつけたと思いますよ。途中で善良な市民たちにリンチされなかったのが不思議で仕方ない。それにしてもですね、この記事が無くても禁忌に触れた人間を」
「触れておらぬ、禁忌になど」
不快感を隠そうともせず否定するラザロ。
「禁忌に触れたとされる人間を、これでいいですか?とにかくそういう人を雇おうなんてまともな術師は思いませんね。私の同業者だってそうです。雇うとしたらそういうことを気にしない犯罪組織。“鉛の虹”とか」
「冗談ではない、ドブネズミの手伝いなど出来るか」
「そういうことは言わない方がいいですよ。塔の中で暮らしてた人にはわからないでしょうけど、外ではあなたの言うネズミはどこにでもいますから。ま、彼等は極端に即物的ですから。迷宮の奥の黄金よりも迷宮の錠前を盗め、とは彼等の言い回しですが。実践が出来ない導師に無駄飯食わせるような迂遠なことはせんでしょう」
無駄飯と聞いてまた目付きが剣呑になる元塔の住人を、店主はラッコのような昼寝態勢で横見する。
「私だっていろいろお世話になりましたから、お力にはなりたいのですがねぇ。
確かにあなたにはいくらか義理もある。どうでしょう、研究職は無理ですが家庭教師くらいなら紹介できなくもない。子女の教育に元導師を雇っている、という箔をつけたがるような連中なら心当たりがないこともないのですが」
「家庭教師だと」ラザロは嫌悪もあらわに吐き捨てる。「大概にしてくれ。塔の学生どもでさえ教えていて時に片っ端から頭を破裂させてやりたくなる。風船みたいにな。まして塔にも入れないボンクラどもなど」
「あなた方魔術士は、自分だけが真の天才だと思い込んでいる。他の人間はみな自分になれなかった出来そこないだと。それはまあいいですが、彼等は今のあなたに無い物を持っています」
「魔力か」
絞り出すようにその言葉を言うラザロ。あっさりと空中で首を振るフレッド。
「お金です。ラザロ先生、学んでください。塔はどうだか知りませんがこの街を動かしているのはマナや呪文書ではありません。金や銀や銅です。あなたは無から魔術を生み出すことが出来た。今は出来ない。なら別のことをしないと。無から銅貨や銀貨を作り出すことなら市井の人間なら誰しもしていることですから」
同時刻、魔術学院。
教室の窓辺に頬杖をついてめそめそとレオは泣き続けていた。大きなレンズの眼鏡を乗せた頬に涙を伝わせて、小柄な肩を震わせてしゃくり上げる姿は見ているだけで痛々しい。他の生徒たちは同情の視線を送ったり鬱陶しそうに舌打ちしたりと、泣いている同級生への対応はそれぞれだ。
「元気だしなよ」
放っておけなくなったのか、一人の生徒が後ろからレオに心配げな声をかける。七芒星の縫いとりの制服を着たそばかすの残る少年、ミケル。
「ひっ……えっ……でも……」
導師には導師付きの弟子と言うものが数人づつ配置されている。レオは昨日追放されたラザロ付きだった。導師と直属の弟子との関係はやはり生徒と先生の関係よりも縁が濃い。
「毎日言っていたじゃないか、ラザロ先生はおっかないって。そりゃまあショックだとは思うけどさ」
「……うん。あんな人でも二年御世話になったから。僕のせいで追放されたみたいなものだし……」
あんな人と言われるあたりがラザロの仁徳と言える。レオ自身も査問会の調査対象になり、あまつさえ『導師ラザロが日常的に禁呪を私的に研究していた』という証言をしたのだった。それがラザロ追放に至る決定的な要素になったことを考えると、レオがラザロを追放したも同然だ。
「そんな風に考えるなよ。そうだ!みんなでこれから外に買い物に行くんだ。一緒に行こうよ!きっと気が晴れると思うよ」
「ありがとう。でも、先生の資料の整理もあるから……いい人だね。ミケルは。……そうだ。割れものは買わない方がいいよ、今日は」
「?そう?ありがとう」
少し不思議そうに首をかしげたミケル。結局クラスのみんなが楽しそうに出ていくのをレオはしゃくりあげながら見送った。ラザロの残したアイテムのために導師の私室に向かう。
「……僕が置いた禁呪の魔術書も元に戻さないと。二冊も見落とすんだから、査問会も思ったより気が抜けているね」
誰もいなくなってからつぶやいたレオ。虚ろに天井を見上げ、深いため息をつく。
「まだ燃えている。塔も、街も、人も。こんなに燃えているのに。僕が助けなくちゃ。先生、追い出しただけでは終わらないのですか?」
「うーん。言葉を選ばずに言いますと、付き合いきれませんなラザロ先生」
「何だあいつらは」
すっかり日も暮れた天空通り。今もって帰宅を急ぐ者や夕食を食べに出かける者などで活気はあるが、この風変わりな二人組の会話ははなはだ不景気なものだった。
「三件行ったら一件くらい即決するだろうと思ってましたが、いやぁ先生、わざと失敗する気でやってました?」
つくづく呆れた様子でフレッドは問う。
たとえば、一件目の面接。
「ほほう、元塔の導師ですか。では色々な魔法を習得していたことでしょう」
「無論だ」
柔らかなソファーにふんぞり返ってラザロはうなずく。目の前にはふっくらと肥えた身なりのいい商人と、その娘。始めから大した知性はなさそうだと見切ると娘などもうラザロの目に入ってもいない。
「たとえば、どんなものがありますか。良いものがあればぜひ私の娘に教えてやってほしい。見本を見せて貰えないのは残念だが、それはその分給金を我慢してもらうとして。花や鳥を出すようなものが出来たら娘も喜ぶでしょうし、いい婿を見つける役にも立つ。何、
私は心の広い男です。過去の過ちの一つや二つ許して差し上げるので、娘の才能を伸ばしていただきたい」
「……うむ。人体爆散の術などどうだろうか。もともとは鉱山などで有用な、岩などの障害物の粉砕のために研究開発した魔法だが結果的には人間大の生物に一番効果的に作用することが分かってな、軍用魔術研の開発六課に研究が引き継がれてしまった。ま、そういう野蛮な目的に興味はないし代わりに予算は増えたから俺は構わなかったが。アレは効果は劇的で、しかも意外なことに魔術的には覚えやすく使いやすい。戦場の兵士にも使えるくらいだ。聞くところによると兵士は三つ以上の数も数えられん連中だということだから、おそらくお宅の娘にも使えるだろう。呪文を詠唱し敵に手をかざすと、内側からぼん!と吹きあがるように臓物や骨や血が当たりに飛び散ることだろう。その光景は周囲の敵の精神にまで重大な打撃を与えるというおまけ付きで、隣の兵士がペースト状に変わるのを見て即発狂するものが後を絶たないという。
どうだ」
「娘に誰かをペースト状にする魔法を覚えさせようとする親がいたら、官憲呼んだ方がいいですね。他にもっとこう何か無いのですか。先方が御希望なら花でも蝶でも出してやればいいじゃないですか」
「魔術はチープな手品や花婿探しの飾りではない。第一あんなボンクラ娘どもに教える事などあるものか。右耳から入った教えが利子付けて左耳から出ていくのが見えるようだ」
「先生から見ればボンクラでも、親にとっては世界一優秀で可愛い子供ですからね。しかもその親はカネを持っているのにすっかり怒らせてしまった。大損です。商売あがったりです。先生、もう借りは返しました。これ以上は知りません。この小市民のささやかな力では塔の住人のお守は無理です。勘弁願います。んではさよなら、魔力なしの導師先生」
言いたい放題言ったまま、手を振ってふわふわ消えていくフレッド。
「ふん。あんなものを当てにしてしまうとはな」
そう呟いてみたものの、今夜寝るところさえ無いという現実にかわりはない。
そろそろ季節の代わる涼しげな風がラザロをなでる。夜ともなれば肌寒い。屋台や酒場が旨そうなパンや炙った肉の匂いを漂わせているが、あいにくラザロには錆びた銅貨数枚程度の持ち合わせしかない。金のかからない塔の暮らしで蓄えは全て研究につぎ込んで来ていたせいで、追放時金はほとんど持ってなかった。
「仕方がないか」
ラザロは決断を下す。身につけている魔術品をいくつか売却しよう。それで数カ月暮らす程度の金は手に入るはずだ。その間に復讐を計画するなり魔力回復の手段を探すなりすればよい。何も下らない日銭稼ぎの手段を探すことなどない。
だがどこで売ろう。付き合いのある魔術品を取り扱う店はたった今店主と喧嘩別れしたばかり。今言って魔術品を売りたいと言えば向こうも商売、適価で引き取りはするだろうが。
「いや、」
ふざけるな。風船おもちゃに誰が頼むか。俺は“親和の”ラザロだ。この上何故無用な屈辱を受けねばならん。何もあいつだけがこの街の魔術商ではない。ラザロは身につけている銅の星型をかたどったアミュレットを撫でる。
酷く傷ついた矜持を守るため、ラザロは魔術品を引き取る店があると言う闇市の方に歩き出す。それがどれだけ不合理でリスクの高い決断が知りながら―――いや。
結局のところ、長年塔の中で暮らして来たラザロはリスクなど何も知ってはいなかった。
最終更新:2011年06月13日 17:50