第2話 不肖の弟子3

 「おはよう」
 朝一でレオが新しい師の扉を打つと、クォールはとうに起きていた。窓を大きく開けて朝の風を浴びながら机に向かって書き物をしている。
 「お早うございます」
 「朝の風は本当に気持ちいい。風を浴びながらが一番仕事が進むんだ。書類がたまに飛ぶのが欠点だけど……おっと」
 言ってる傍から浮き上がった紙を指をかざして机の上に着陸させる。
 「ラザロさんへの手紙を取りに来たんだね。ちょっと待ってて、今書きあげる。そこに座って」
 「はい」
 「居場所はわかるの?」
 「はい。蜜月裏通りに住んでいるらしいですから」
 運河の上の変人の噂は数日を経ずして塔まで及んでいた。後は未来を見ながら探せばきっとたどりつく。
 師の部屋のソファーを借りながら改めて部屋を見回す。書棚と机の並ぶ、導師の部屋としては平凡な配置の室内には塔きっての武闘派の印象はまるでない。
 「退屈な部屋だろう?」
 「いえっ……はい。何かこう、もっと」
 「訓練道具でも置いていると思った?武器とか重りとかひたすらパンチを繰り出す人形とか」
 「はい」
 人形は考えてなかったと思いながらレオは首肯する。
 「レオ君。私の研究していることは『戦闘』ではないんだ。相手と同じ次元で勝負するようなことは私はしない。私がするのは自分だけが力を行使できる状況を作って無力な相手を叩く、両手両足を縛ってから心臓を刺すような『殺し』だ。正々堂々とか名誉とか戦闘の高揚とか、そんな物は私は知らない。だから戦闘用の訓練なんかしない。相手と戦闘するようではその時点で私のコンセプトは破綻しているんだよ」
 自分の専攻を淡々と評して見せる“土地殺し”。本人の口から塔で忌み嫌われている理由の一端が軽く語られ、暗にそれでもいいのか?と問いかけられているようでレオは幾度も頷いた。
 「それでも、ってことか。難儀なことだね」
 それ以上は言わずにこりこりと鉄のペンを走らせる。筆圧強そうだなとレオは見ながら思う。ふと思い付いたことを口にする。
 「ラザロ先生は」
 「うん?」
 「どんな人に見えましたか?」
 「どんな人ですか、ではなく?質問自体に自分は答えを知っているという意味を含んでいる気がするね」
 「あ、すみません。決して試すつもりでは」
 「うん。実際私よりも君の方がよく知ってるだろうけど。ラザロさんか。傲慢な人だ。自分の力を知っていて、傲慢さに忠実だからこの塔の中でも成功していたのだと思う。それ以上は知らないな、あまり親しくもなかったし」
 「悪い人だと思いますか?」
 「禁呪に手を出すような人に見えたか、て意味かい?」
 その問い返しに少しだけ目を伏せるレオ。
 「いえ。もっと……大きな悲劇を引き起こすような。炎と屍の地獄じみた災害の中心で一人笑うような」
 「えらく曖昧なようで具体的な比喩だけど」
 ひょいと肩をすくめるクォール。
「エゴというか業なら誰しもある。かといってそういう人を悪人だと非難する気はないよ。私がそんなことをしてたら……ホラ書けた。これを持って行って」
 クォールは書きあげた手紙に蝋と指輪の印章で封印を施す。
 「はい」
 差し出す師の手紙を受け取るレオ。その腕をクォールは掴む。とらえどころのない表情のまま、警告。
 「レオ君。苦しむな。苦しみゆえの義務感は君を切り刻む。そこに救いはない」
 妙に沈鬱に語る師。未来、何時間も人のいない部屋で黙考する師の姿が“見え”、それが普段のクォールの姿なのだとレオは知る。なぜかレオにはそれが頼もしく思える。
 「ここ以外に続く道があるなら僕はそれだけで救われます」
 「そうか」
 一抹の不機嫌と共にクォールは弟子の手を放す。
 「行きなさい。何日かけても良いけれど、戻ってきたら勉強してもらうことはたくさんある」
 「はい」
 部屋を辞すに際しレオは部屋に置かれた自分の私物を“見た”。無論今は部屋にある荷物で、つまり自分はこの師匠の下で学んでいくことが出来るのだと心強く思う。


 ラザロはおおむね翼を形にすると、仕上げを前に部屋に戻って弟子に教育を施す。教育と言っても所詮は文字の書きとり。書いた例文をなぞらせながら自分はまた特に興味のない本を読んでいる。
 「先生、その本は」
 「ん?ああ、お前の父親の本だ。教育に関するものだから読んでいたが。悪かったか?」
 「いえ。私に教えてくれる役に立つならどうぞ使って下さい」
 「ああ」
 ザナはまだ読めなかったが、ラザロの読んでいる本のタイトルには『鋼鉄平原式けだものの躾方――飴と鞭と鞭と鞭と蹴り』とあった。
 内容が荒っぽすぎるのでガレアスの役には立たんな、あいつは繊細だからとラザロはページを捲りながら思う。本人も言っていることだしザナの教育の方に応用するか。
策定されつつある剣呑な教育方針も知らず、ザナは目の前の黒板に向かう。そこにラザロの書いた例文が載っている。ザナが例文を書きうつすたび例文の単語が一つづつ消えて行き、それをまた書きなおす。一文全部消してそれでもまだザナの書いたものが残れば次に進む。それがラザロの何とか思い出した初等教育法だ。
 「あれはリンゴですか……いえ、愚か者の首です」
 「声に出さずに書け」
殺伐とした例文をザナはごりごりと文字に刻んでいく。上手い下手はともかくザナの書いた文字が一文を形作る。自分が書いた字をどこか誇らしげに撫でるザナ。
 「よし。目の前の文字を一呼吸覚えておくくらいはできるようだな」
 とラザロはおざなりに弟子を褒める。
 「はい。文字は覚えました。魔術を教えて下さい」
 一つ出来るたびに何かにつけて魔術を要求する弟子に、ラザロのため息。それは教えれば使えるだろうが、と弟子の忌まわしい資質と教育程度のアンバランスを嘆息する。
 「よしわかった。指を一本顔の前に立てろ」
 「はい」
 久々に本物の魔術を学ぶ機会に、ザナはうれしそうに指示に従う。
 「指先に周囲の空気を集めることを想像しろ。『間抜け、ひな鳥、風と軽石』」
 やや顔をそむけながら呪文を教えるラザロ。
 「『間抜け、ひな鳥、風と軽石』……おうわっ!?」
 激しい閃光と弾ける火花、硫黄の匂いのする黄色い煙。もろに自分の作った魔術を浴びて椅子から転げ落ちるザナ、それを見下ろすラザロ。
 「これからは知らぬ呪文を唱えるな。知識の付いてこない魔術が何かの役に立つと思ってるならドブで顔を洗ってこい」
 偉そうに訓育を施してやる。
 「目にしみるッ、前髪がッ」
 「しかし知らなくてもきっちり発動はするのだからタチが悪いな」
 片手に本を持ったまま感想を述べるラザロ。床でしばらくもだえてようやく卓の上に這い上るザナ。
 「なんということを。ぐぇ」
 「すまんがこういう教え方しか俺は知らん」
 黄色い息を吐きながら恨みがましく師を見上げていたザナ。やがて弱々しく前髪を撫でて「すみません。……続けてください」
 殊勝な弟子に無言で次の例文を書いてやる。「ガレアスは査問委員を狩りに塔に行く」構文をやや複雑なものにしてみる。文字と並行して速成で教育を進めないと、到底遅れを取り戻せない。
 知識と教養の伴わない”世界視”などラザロは世に送るつもりはない。
 例文を書き写しながら「レオって誰ですか」と師に尋ねる。ラザロのページをめくる手が止まる。
 「追剥との話を聞いていたのか。“未来視”のレオは俺の弟子だった。俺を狙う不肖の弟子と言ったところだな。一応お前の兄弟子だ……年は下かもしれんが」
 苦い思い。ろくな扱いをしなかったというならラザロに反論する気はないが、それが気に入らないなら単にラザロ付きの立場を返上して他の導師に付くなりすれば済む話だ。あいつが俺を陥れたのか?何故?
 最後まで内面のうかがい知れないガキだが、一度だけ妙なことを訊いてきたことがあったことを思い出す。なんだったか、『ラザロ先生、先生は自分が怪物になることがあると思いますか』だったか?俺は何と答えたか、覚えてない。
 「弟子だから、先生を狙うのですか」
 現弟子の問いに回想を断ち切られる。
 「俺の弟子に俺を狙う蓋然性があるような言い方だな。あいつが何を考えているかなど知るか。ボンクラどもの中ではそこそこマシで邪魔にならないから使っていた」
 「どんな人ですか。何が出来ますか。文字は読めますか」
 「めそめそしたチビだ。汎用中級魔術一通りと金属工学の初歩の初歩ができるな。何故だ」
 当然だが文字云々の愚問には回答する気もない。
 「先生を狙うのなら、私の敵ですから。いずれ戦うでしょうし。だから、私は早く魔術を覚えたいんです」
 ザナが言った途端、ラザロはもっていた本を激しく卓に打ち付ける。身をすくめるザナの前でラザロが荒々しく立ち上がる。
 「首吊りの木にも劣る愚か者がッ俺がレオと対決させるために魔術を教えてるとでも思ったか。分をわきまえろ!」
 「あ、あの、すみません。私はただ、先生に万一」
 「万が一も阿僧祇が一もない。余計なことを考えている間に単語の一つも覚えろ」
 言い捨てて出て行く。しばらく身をすくめているザナ。やがて外からまた金属魔具を作成する音が鳴り始め、ザナはため息をついてまた一人で書きとりを再開する。


 「怒られた」
 「何をやらかした」
 仕事終わりにしばしばザナはボロじいの部屋で酒をすする。売り物と違ってありきたりの安ワインだが、それだけに味は平凡な喜びを与えてくれる。机を挟んで向かい合った老エルフにかいつまんでいきさつを話す。
 「そりゃそうだわな。自分の身が危ないから弟子戦わせよう、とは普通は思わん。人並み外れて気位高いならなおさらだ。おいザナ、ナッツ食い過ぎだ」
 年じゅう赤い顔をより赤黒く染めてボロじいはがくがく首を縦に振る。気にせずぼりぼり木の実をかじりながら、「私はいいのに。先生が襲われたら私も困る」
 「ふん」
 杯を煽り、顎を伝う酒をぬぐう老エルフ。
 「何でそこまであの導師崩れに肩入れする。何の義理もねえだろうが」
 「魔術士になるため」
 あっさり言ってナッツを一つかみ口に放り込み一掃し、さらにボロじいの前のナッツを狙う。
 「変な上昇志向だな。貧乏人には向いてねぇ夢だ。貧乏人ならもっとわかりやすい目標が向いてるんじゃねぇか。商売で一発当てるとかの方が魔術士よりはずっと簡単だ……おい、わしのナッツ」
 「『間抜け、ひな鳥、風と軽石』」
 「ぐあっ」
 ナッツを守ろうとしたボロじいの手を硫黄火花で追い、老人のツマミをかっさらう。
 「……………………ひでぇガキだ」
 ザナは満足げにカリカリと強奪したナッツを砕きながら、程よく回った酔いに語る。
 「私は貧乏だ」
 「知ってるよ。日銭稼ぎがせいぜいだ」
 「私の母も貧乏だった」
 「だろうさ。金持ちの娘ならこんなところにいねぇだろう」
 「この辺でも特に、という意味でさ。ボロ布で作った人形とか木切れを組み合わせた車とか、近所の子は何かしら玩具を持ってたけど、私は何も貰えなかった。それで私は仲間はずれ」
 「ああ」
 いい加減普通の人間の一生分くらい貧民窟で過ごしているボロじいにはよくわかる。弱い者はより弱い者の匂いに敏感だ。少しでも自分より持たざる者、病んだ者、汚れた者、そういうものを躊躇なく叩く側に回ろうとする。目の前のくすんだ灰色の髪の娘なんかいかにもな小憎たらしいガキだったに違いない。
 「ある時母さんに言ったんだ。何か欲しい、私には何か貰えないのかって」
 葡萄粕の浮かぶワインにずっとずっと前のみじめさを浮かべて、ザナは酒精をすする。
 「母さんは言ったんだ。お前はたくさん貰ってる。お前にはいずれ父さんのように大魔術士になる才能が眠っているんだって。玩具なんかよりもずっとずっと良い物を持っているって」
 「貧乏人の詭弁さな」
 辛辣に言いながらもボロじいはザナの杯に酒を継ぎ足してやる。
 「そうかもしれない。正直忘れかけていた。でも私の前に先生はやってきた」
 「芋袋みてぇに自警団に引きずられて、だったか?」
 「そこは重要じゃない」
 断固として否定するザナ。肩をすくめるボロじい。
 「先生は私に才能があると言ってくれた。母は正しかったんだ……私は豊かだ。私は屑じゃない」
 過去の何かを否定するように。忘れられぬ思いを思うように。鼻を鳴らすボロじいはせせら笑う。
 「夢物語だ」
 「夢でいい。他に何がある」
 鋭い問い返しにボロじいは酒を口に含む。
 「先生は鉄の翼を作ってる」
 ザナは黙ったボロじい相手に話題を変える。
 「ああ。昼噂を聞いたよ。運河の狂人ってな」
 「狂ってない、先生は」
 師を擁護しつつ、ザナは葡萄色の吐息。
 金属の翼で空を飛ぶ。それはそれはザナにとって鮮烈なイメージだった。自分の家の前に置かれた金属塊が空に浮かぶところを想像しようとして……まったく出来なかった。
 「先生が言うには、時に鉄は鳥よりも高く飛ぶんだって」
 翼を動かすための魔術も書いている。
 「ああ」
 長生きした分だけボロじいは色々な物を見てきている。そういうこともあるだろう、と老人にしかできない鷹揚な態度で頷く。
 「先生は翼なんか作ってどうするんだろう。翼でどこに飛んでいくんだろう。私なら」
 私なら。こんなところはとっとと出て行く。当たり前だ。そのために私は魔術士になる。だが本物の魔術士であった先生は、直接翼を作る。そういう発想ができるのだ。
 「見放されるってか、ザナっ子。ありそうな話だ。お前はどぶ川の魚、塔の住人は鳥だ。地に落ちたって鳥は魚にはならねぇ」
 何事か考え込むザナ。
 「私はこの街の住人だ。ここで上手くやっている」
 「そうだな。ガキの割にはこの裏通りの市民としてうまく立ち回っている」
 市には市の法と法の保護があるように、その一部である蜜月裏通りもまた独自の掟とその保護がある。
 「悪いことは言わん、ここで暮せ。堅実にカネをためて適当な男とくっつけば、そのうち自前の店でも持てるかもしれん。一気に高みを目指して転げ落ちたら背骨折っちまうぞ」
 幾多の人間の人生を見てきたボロじいが諭す。
 「……なんだかんだいってここも悪くないよ。組織に顔をつないでおけば安全は守ってもらえるし掟を守っていたら食いっぱぐれもない。でもさ」
 目を伏せるザナ。虹の街に生まれて、虹を目指すことさえ許されない連中がいる。この街で人生の大半を過ごしたボロじいには馴染んだ表情を浮かべている。自分だけは例外だと、自分の手は金鉱を掘り当てるためにあるのだと信じている幾多の人間の、深淵をのぞきこむような表情。
 「先生が飛んでいくなら私も付いていく。先生は私を置き去りにしない」
 ザナの祈りじみた断言が机の上を漂う。

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最終更新:2011年06月13日 18:17
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