危険だろうがなんだろうが弟子にテストをさせるなどありえん、黙って見ていろ。ザナの申し出はラザロに一蹴された。仕方なしに地上で視界の広い場所を思い出して来てみれば、怪しい奴が先生見上げて何か唱えている。
振り向いた顔を見てザナは少しだけ驚いた。数日前に道に迷って泣いていたやつ。
考えてみれば思いいたる。めそめそしたチビ。師を狙う不肖の弟子。人探し。ああ、そういうことか。
「お前がレオか」
「名乗る前に言われちゃったね。自分から名乗ってお礼を言いたかったんだけど。君がラザロ先生と住んでいるの?えーと、ザナ、さんだっけ」
「礼なんかいらん。お前が先生を狙っていると知ってたら夢見通りで一番危険な場所に案内してやったのに」自分に舌打ちするザナ。「お前、先生を殺そうとしてたろ」
しばし逡巡する様子だったレオ。やがて「そうだよ。先生は危険なんだ。君は見えない、いや知らないだろうけど、」
「黙れ」
殺そう、とさらっとザナは決めた。夢に続く道。その師を狙われてザナは骨が燃えるような怒りを覚える。もちろんザナはそう決めてもめそめそ泣いたりしない。
泣くのはザナの流儀ではない。泣いてもここでは何も貰えない。
「二ヶ国語で命乞いしろ」
奮い立たせにそう呟いてナイフを構えにじり寄る。少しでも怪しい動きを見せたらダガーを心臓にぶち込んでやる……投げて的に当たったことなどあまりないが。
「ま、待って」
「まず一つ目か」
「違う!ラザロ先生に手紙を預かって来たんだ!まずこれを受け取って欲しい」
「手紙?」
何を言っているんだと思いつつ瓦礫の上で足場を探す。
「うん」
必死にレオが懐から紙の筒を掴みだす。
「塔のクォール導師から託された手紙だ!弟子なら師への手紙を受け取ってよ!魔術士から魔術士への手紙を血塗れにしたら、恐ろしい罰を受けるぞ!」
塔の学生の言葉には、魔術士の流儀を知らないザナを躊躇わせる力があった。
「……そこに置け。それから殺す」
「何それ!おかしい!取引にならないじゃないか!」
涙目でわめく敵、レオ。ザナの知ったことではない。
「取引などするか」
「…………わかった。ほら」
やや離れた、瓦礫の折り重なった所に師から預かった手紙を投げてやる。三歩ほど離れた地点。どうするか瞬き一つ分ザナは迷う。その迷いにレオの声がかぶさる。
「『制』ッ!」
とっさにダガーを投擲しようとしたザナは、目のくらむほどの衝撃を胸に受けて弾き飛ばされる。
「ぇがッ」
極度に簡略化された、だがそれだけに高度の集中を要する自衛魔術。汎用魔術に属するが、塔の外で使えば大抵の相手は不意を打たれる。見えざる大気の腕に一撃され軽々とザナの細い体は吹き飛び瓦礫の山に打ち付けられた。
激痛に目がくらむ。骨がどこか折れたのではないか。かすむ目でそれでもザナはレオの姿を捉えている。あいつは先生を落とす気だ。絶対にさせない、とその一念だけで腕を持ち上げる。幸いまだ手の中にダガーがある。放さなかった自分を褒めてやりたい。
「『不・許・動』!」
再びレオの声。巨人の足に踏まれたように、ザナの腕に破壊的な重圧がかかる。悲鳴を上げないのもそれまでと言うもので、ダガーを落としてザナは呻く。
吐き気がする。自分が人を傷つけて、その相手は苦痛に叫んでいる。しかもその相手は以前困っていた自分を助けてくれた。恩人でもあるし良い人だとも思う。しかし、全力で魔術を行使しないと危なかった。本物の殺意をレオは“見た”のだから。よほどラザロ先生に入れ込んでいるらしい。
「ごめん。本当にごめん」後から後から涙がこぼれる。「でも、必要なことなんだ。先生はたくさんの人を傷つけ殺す。もちろん君も含めて。僕は守らなきゃ。だから、しばらく我慢して。本当にごめん」
圧倒的な力で地面に押さえつけられながらもザナは怒りに満ちた瞳でレオを射抜く。レオは目をそらす。ザナは苦痛の声を押し殺し、何か言おうとしている。レオは顔をそむける。
たとえわかってもらえなくても。それでもやらなければ。
もう一度息を整えて集中する。さっきよりも明らかに状況は難しい。“重圧”を維持したまま金属魔術を行使しなければいけない。幸いにしてラザロは同じようなところを飛んでいる。
「先生、恩知らずな弟子をどうか許して下さい」絶対許さないだろうな、とは思いつつも言わずにはいられない。
「『砂の都の道、鋼柱の君が離宮なる……』」
「…………」
魔術に踏みつけられた少女が何かを言う声。だがレオは聞かない。もう譲り合う余地なんかない。早く終わらせてザナを解放しないと、とは思いつつ集中して唱え続ける。
「『軋むは黒金、うつろうは水銀、老婆の髪を噛むがごと』」「…………『制』ッッ!」
「は?」と言う間も実際にはなく。大気の巨人は力ある言葉の主に従い今度はレオを殴りつける。
「!」
ザナがされたのと同じように、レオも吹き飛んで地面を転がる。枯れて折れた木の根元に当たってようやく止まる。威力のほどはさすがにレオのものよりははるかに軽い。
「………………?」
痛い。もちろん集中は途切れた。それ以上に何が起こったかレオには信じられない。
「君は、自衛魔術を?」
重圧の拘束を解かれ、ふらつきながら立ち上がるザナ。「…………そんなもん知るか」どうやらそれが限界だったようで、瓦礫に腰を落として座り込む。何度も震える手を延べて衝撃の言葉を作ろうとするがかすれた声しか出てこない。
「無理だよ」
痛々しさと讃嘆の目で見ながらレオは立ち上がる。
「どうやったんだか知らないけど、僕の魔術を聞いて即覚えた?」聞きながら自分でもそんなことがあるはずないとレオは信じられない。ザナは答えず、目で睨みながらももう力なく手を下げる。どんな天才だ、と奇妙なものならたくさん見たレオも満身創痍の少女に驚きを隠せない。
「自分に向いた魔術をいきなり使いこなす、とかなら塔にもいるだろうけど。他人の魔術を一度見て覚えるなんて尋常じゃない。何なんだ君は」
驚きながらも、レオは余裕を取り戻している。相手がどれだけの力を残しているか、それを見極めるのは魔術士の初歩の初歩。
「残念だけど、それでも僕を止められない」
もう少女には一つの魔術を作り出す力も残ってない。レオにはそれがよくわかる。
「止める。私には才能がある」
繰り言のように、少女は呟く。切れた口の端から血が垂れている。
「そうだね。本当に素晴らしい才能だよ。でも、僕は何年も塔で学んだんだ」
どんな才能だろうが覆せないものは覆せない。貧民窟の少女と本物の魔術学生。レオは確かに驚いたが、それだけだ。敵に決定的な打撃を与えるほどには少女の魔術は練れていない。
才能一つで覆されては、塔の教育の意味などまるでない。本質的に独尊の気質の魔術士があえて集まって運営する研鑽機関にはそれだけの重みがある。
単に使えるだけではダメで、原理まで十分に習得し目的を達する効率を得なくては実用とは言えない。そう思ってレオはそれがラザロの教えだったことを思い出す。そうだ、こうしてはいられない。ちらっと上を見るとまだ光点が飛んでいる。気に入ったらしい。アレで子供っぽいところもあるから良い工具を作ると何時間でも弄っている。
「ザナ、さん。君には眠ってもらう」
敬意をこめて、だが強く宣告する。レオはラザロの人脈に連なって一応実践派だ。実践派得意の眠りの呪文を用意する。抵抗も反撃も出来ないなら傷つけることもない。ラザロが落ちるところも見なくて済む。
かすれ声で魔術を唱えようとするザナは、今度は一度やって諦めた。座り込んだまま兄弟子に当たるレオを見上げる。
「先生は、私を笑うだろうか」
「先生は、倒れた者を笑うような人じゃない」
それは断言できる。傲慢で傲岸で不遜で不敬で狭量で癇癪持ちだけど、ただ人の不幸を嘲るような人じゃない。
「そうか。ならまあ、魔術では負けたけど許してくれるかな」ザナは明らかに全力で手を口元に持ってくる。何が出来る、といぶかしむレオの前で指を自分の口元に当てるザナ。
「なっ」
何を、とレオが止める間もない。ザナの口元から甲高い指笛が響く。妙に響く長い音がアルコ晴れの青空に飲まれていく。
「魔術で勝ちたかったなぁ」
ザナがいい終わるか終らないうちに、周囲の貧民窟から敵意に満ちたざわめきが立ち上る。
「何を」
言いながら、目の前の少女と会った瞬間にもまた指笛の音がしていたことを思い出す。
「ここをどこだと思っている、塔の学生。蜜月裏通りだぞ」
レオが何が起こるかとわけもわからず見を硬くする。寄せて来る波のように、害意と悪意の声がレオを囲み、じわじわと高まっていく。やがて最初の一人が角を曲がって空き地に姿を現す。つっかえ棒か何かをこん棒代わりに握り締めた、布地屋の男。すぐに続いてナイフを握った故買屋のじじい。さらにまたすぐに干し紐を持った洗濯屋の女。さらにさらに、とぞろぞろとむさくるしい男女がやって来る。
遠巻きに包囲され愕然とするレオの前に、やがてザナの酒売りに同行していた組織の男がやって来る。ぼろぼろのザナを一目見て、曖昧な顔に薄い笑いを浮かべた。
「塔の学生さんか。ここで暴れるとは大層ないたずらじゃないか」
これは怖い。未来など見るまでもない。レオの血の気が引く。惨状のビジョンとはまた別の、自分に向けられる暴力の予感。直接に骨格を圧迫する恐怖。
「お前が塔で学んでいる間、私はここで過ごしたんだ」ザナはそう、なぜか悔しそうに言う。ここでは組織の庇護なしに生活できない。そして組織の庇護を受け入れると、身の安全は保障される。
「やっぱり私はここの生まれか」ぼそっとレオにしか聞こえない声量で言ってから、組織の男に「お願いします」
「おう」と男が軽く言った次の瞬間から、レオの地獄じみた追いかけっこが始まった。
実に良い気分だ。空は良い、とラザロは工具に満足する。無くした感覚を幾許か取り戻せた気になれる。手っ取り早く言うと気がまぎれる。
空には何もない。鬱陶しい物も邪魔をする者も。魔力を失ってまだ一週程度、癒える傷も癒えぬうちにあまりに多くのことがあった。空の孤独はずいぶんと今のラザロに物優しい。
空から見ると叡智の塔は実に近い。このまま乗り込んだらどうなるか、と夢想をもてあそぶ。無論塔の有象無象がよってたかって襲いかかるに違いない。今はまだ、とラザロは思う。
上昇し下降し旋回する。自分の工具の具合を入念に確かめる。物が物なのでエラーは許されない。まあ“世界視”なら大丈夫だろうとそこだけは弟子を信用する。今のうちにたっぷり使っておこう。
下を何気なく見下ろすと、ゴミゴミした貧民窟で何か人が走り回っている。俺を見上げているのかと思うがそうでもなさそうだ。何かを追い掛けているようだが、牛でも逃げたか。
しばらく見ていると、鈍臭いやつが一人派手に転ぶ。
「はは!無様なヤツだ!」
倒れた人間を指差して笑ってラザロはくるりと宙返り。だいぶストレスがたまっていたようだ。
最終更新:2011年06月13日 18:18