号外『月虹博覧会』

アルコ・イリス クロニクル』 虹陰暦999年/11の月/第4巡り/青の日
来る12の月第4巡り赤の日から橙の日までの間、月虹祭開催!
今年はアルコ・イリス各所で虹陰暦1000年迎えることを記念する盛大なイベントが企画されている。残る1ヶ月間、当紙面でも月虹祭の情報を随時お伝えしていきます。


といった、記事を書いてからの1ヶ月、街全体がどこか浮き足立っているような印象すらあった。ティムにとっては関係各所を回り、紙面に載せる情報をかき集めるために走り回り、目も回る忙しさ。
しかし、月虹祭の当日は思った以上に忙しさはなく、とりあえず、催事がある市内各所を回り、主催者に取材する以外は自由に過ごしても良いものなのだ。仕事をさせれば、幾ら新聞記者とはいえ、市民であるのには変わりなく、ティムを含めた記者達にも不満も疲れも溜まるというものだ。その代わり、月虹祭が終わった翌日からは取材と編集作業に追われる日々が倍増して返ってくるのが例年のことなのだが、一人分かっていないものもいる。
ミケルは田舎から出てきて、月虹祭のような大きな祭りの経験も少なく、新聞社の年末にいたっては経験したことがない。
「ティムさん、月虹祭では屋台もフリーマーケットもあるんですよね?仮装も楽しみですし、虹の花嫁・花婿コンテストもあるし…。」
といった計画を1ヶ月も前から立てていたミケルは本当に嬉しそうで、ティムはいつか現実を知るであろうミケルが不憫でならなかった。

ティムにとっても楽しみがないわけでもなかった。
この月虹祭の間だけ、特別にアルコ・イリスに集う、世界各地の民族衣装と歴史や文化を展示する博覧会がある。仕事の一環ではあったが、世界中のありとあらゆる文化を楽しめる博覧会は1日中いても飽きることはない。無計画に市内の催しを見て回るよりは、よっぽど有意義な休暇になるからと、ミケルにも強く勧めたこともあるくらいだ。
ここだけの話、あまり会場が混むのも嫌だという自分の判断だけで、博覧会の紹介記事を小さいものに留めたこともある……そうでなくても博覧会は終日、大盛況である。
博覧会で大人気なのが、地方にある珍しい食材を扱っている市場に隣接していて、珍しい世界各地の名物料理が食べられる食堂『月虹(ムーン・ボウ)』。

普段の食事よりは少し値が張るものだが、『月虹(ムーン・ボウ)』の店内は昼時にもなれば長蛇の列ができ、小さな店がより狭く感じる。
その中にミケルの姿を見つけたティムは、椅子とテーブルの間に体を横に滑り込ませながら
「おや、ミケルも来ていたのか?どうだ、美味しいだろ?」
既に席につき注文した蓬莱餃子を頬張っていたミケルは、
「ヴぁい、フィムふぁんのいうとうるぃ、(んぐ、ゴックン)すごく美味しいですよ!」
と聞き取りづらい返事を慌てて返した。
ミケルと同じテーブルの同伴者を見てティムは少し驚いた表情を浮かべた。
「やぁ、ソルティレージュ嬢が珍しいというかイメージと違いますね、もっと優雅なレストランで食事をするものかと思っていました。」
「あら?新聞屋さんのティムさんでしたわね?それは貴方の大きな勘違いですわ、私は店の見た目や場所なども大切だとは考えていますが、料理の味を決める全てではないことくらい理解しています。料理に使う素材はもとより、料理人の情熱やサービス精神が如何に重要であるか、先入観なしに、美味しい料理は足を運んで食べてみたいと思うのは当然というものですわ。また、料理は誰と食べるかも非常に重要ですのよ?その点では、ここに私がいて不思議はないのです。」
と、倭国産牛肉のステーキを上品に切り分け、口に運び入れた。

「これは失礼、確かに十分な理由ですね。実は貴女には以前から取材を申し込もうかと思っていたのですが、ちゃんと御挨拶も出来ていませんでした。」

「私の取材?“夜の国”の吸血鬼だということだけで記事になるのでしたら、随分と退屈な記事になりそうですわね。」
ソルティレージュが自分の出自に興味を持っているであろう新聞記者に皮肉を言う。

「これは、手厳しい。まぁ、また正式に連絡しますので、気が向きましたらお時間をいただけませんか?」

「もちろん、購読者として魅力的な記事を楽しみにしていますから、そのお手伝いができるのであれば考えておきます。」

「ありがとうございます。では、友人とのお食事中、お邪魔しました。」と、ティムが軽くお辞儀をしてみせた。
黙々と食事を続けていたミケルは既に料理の大半を食べ終わる頃、店のメニューをもう一度隅々までチェックしていた。
「あ、ティムさんっ。この店には“夜の国”の料理はないんですか?あ…と。」と続けようとした言葉はミケルのもう一人の友人の故郷の味だった。

「夜の国?んー、残念ながらないよ。“夜の国”はアルコ・イリスと国交がほとんどないからね。もちろん、個人同士の付き合いはあるけど、“夜の国”の食材を大量輸入するのは難しいんだ。」とティムが答えるとミケルは
「ごめんね、ソルティレージュさん。せっかく付き合ってもらったのに……故郷の味が食べれると思ったのにね。」と落胆の色を隠せなかった。

「そう、残念だけど仕方がないですわ。貴方が謝ることではないですし、食材が少しでも手に入れば自分で作ることもできるし、良ければその時は御馳走しますわ。」
「それは楽しみだなぁ。此処の料理も美味しいし、もう一品頼もうかなぁ…あ、でもフィロさんが来てからにしようかな。」ミケルの隣には1つ席が空いていたのだが、もう一人友人が後から来るということなので、ミケル達から少し離れた席に座り、メニューを眺めた。

西の大国・ワローニア共和連合には小麦粉と水と卵と少しの塩を混ぜ合わせて生地を作り、焼き型に流しこみタコを入れて焼き、葱を散らしただし汁に付けて食べる「アークァッツィ」という食べ物がある。ティムのような仕事をしていると比較的、珍しい食べ物には詳しくなるし、舌も肥えてくるが、「アークァッツィ」を初めて食べたときの衝撃は忘れられない。ふわふわの蕩けるような生地とタコの歯ごたえ、だし汁の豊かな風味が合わさり、これが「幸せの味」なのかと思ったものだ。聞くところによると「アークァッツィ」とはワローニア共和連合の言葉でそういう意味らしい。
また、パッシェンデールは小さい国ながらも美味いものが幾つかある、名物といえるのは「小豆ジャム」である。小豆を砂糖で煮たものだが、パンに付けて食べると絶品もので、一度瓶の蓋を開けてしまうと日持ちがしないのが欠点ではあるが間違いのない代物だった。今年は何やらパッシェンデールのほうでゴタゴタがあったみたいで、輸入されたのは「小豆ジャム」だけということだ。


「アークァッツィを“ネギだく”で1人前と、デザートに小豆ジャムトーストを“生クリームたっぷり”で。」期間限定の店のはずなのに、常連のような注文をしても平然と出されるのも作るもののサービス精神の賜物だと感心できる。
テーブルの上に置かれた料理を噛みしめるように味わい、五感全てで楽しめるものである。1年間のご褒美である料理を食べ終えた後には、ティムは市場のほうに行き、「南方諸国のスパイス」を1袋と「小豆ジャム」の瓶を2つ、「蓬莱餃子」と「蓬莱饅頭」をお土産にするのも忘れていなかった。

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最終更新:2011年06月23日 09:59
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