01-法の怪物

人が集まれば街が出来る。
街が出来れば法が出来る。
法が出来れば無法が生まれ、揉め事が生まれ、その処理を押し付けられる者が必要になる。
どんな国も、どんな街も例外ではない。
誰かがゴミ処理をしないと、街は成り立たない。
アルコ・イリス市役所”地域安全課”は、そのための場所である。

…但し、普通でない街と同じく、ゴミ処理係が普通でなければ、話は少し違ってくる―



「んぎゃああ?!」

座っていた椅子ごと、中年の男は後方に倒れこんだ。

明日を夢見て訪れた街で、明日の食事にも窮し、駆け込んだ役所の応接室。
だが、ドアを開けて顕れ出たそれは、あらゆる意味で、普通の市役所員ではなかった。


体長、およそ3m50。

全身を覆う漆黒の法衣に見えたそれは、近くで見れば、そいつの肉体そのものだ。

天井にぶつからぬよう、体を曲げる度、軋んだ音が漏れてくる。

ゴーレムの様に無機的で、同時に生命を感じさせる、矛盾した冷たい『命』の存在感。

金属の光沢を放ちながら、昆虫の外殻を思わせる細身の体は幾つもの『仕切り』に分かれ、それらは積み木を注意深く重ねた様な危ういバランスで、人間らしき輪郭を保っている。

頭部には何の冗談か、髑髏を模した面が宛てがわれ、眼窩の奥で燐光が明滅している。

それは、悪夢から這い出てきた怪物だった。


「な…ば、ばっばっ、バケモ…!」

「―おはようございます」


「小生、本件担当に配されました、職員のデュールと申します。公平中立、誠意を持って市民の皆様のお役に立ちます。どうぞ宜しく」

「…………は…?」

怪物が口をきいた。
口らしき器官は無く、頭部の何処も動いた形跡は無かったが。
異様にくぐもった声は、奇妙な反響を伴って、頭に流れ込んでくる。
と、思考停止した男目掛け、積み木の体が前に倒れこんでくる。
「!!?」

悲鳴を上げるより早く、崩落はぴたり90度の角度で停止。
直角にお辞儀をしたまま差し出された手―どうやら握手らしい。

「……あ、はぁ…プレジと申します…。や、役所の方、ですか…?」
ひんやりした手は、骨に似た感触だった。
「階級は室長付一等準騎士勤務衛視であります。本件解決に全力を尽くす所存であります」
瞬時に体勢を立て直し最敬礼―大音響と共に、怪物の頭が天井にめり込み、建材がテーブルに落下した。



「…購入した土地が、ゴブリン族の狩場だったと言う事ですね」
書類に目から赤い光を当てて確認しているのを、なるべく見ないようにしていたプレジは、慌てて頷く。

他の街と違うと聞いていたが、市役所員まで人外とは…エルフやドワーフならまだしも、何だコレは…長すぎる脚を折り曲げて椅子に座っている様は、まるでバッタ…ゴーレムか、真逆、伝説のデーモンの類か。

帰ろうと思ったが、地域安全課の課長だと言うエルフが
「見た目通りバケモノだが、ウチの職員に間違いない。それなりに出来る奴だ」
と言うので、仕方無く席についている。

「他より随分安いと思ったんですが…故郷に比べりゃ雲の上の値段は同じですし、相場に疎くて…」
「現地の下見は?」
「商会の人と護衛付きで…その時は何も出ませんでしたけど、考えてみりゃ、ゴブリンは夜出てくる奴等ですし…キャンプ張って、明日から家建てようと考えてた矢先に」

「土は良かったし、村から持ってきた種や苗に自信は有ります。お役人さんには、たかが野菜かも知れませんが、この街通すだけで、良い値付くんです」
「勿論、抗議に行きましたけど…ゴブリンは何処でも湧く、運悪かったなと門前払いで…冒険者を雇うお金も無くて、ここなら何とかしてくれるって…」
「…種と苗だけは持ち出せましたが、生活費や食料は全部…これじゃ、芽が出るより先に餓死です。ハハ…」

「…了解しました。質問を終わります」
ゆらりと立ち上がる周囲が陽炎の様に揺らめいて見えたのは、何かの魔法だろうか。

「…これって、後でお金要るんでしょうか?冒険者の危険手当みたいな…」
「必要有りません。本件は小生一人で担当致します。小生には既に皆様の税金より、定められた額の給金が支払われております」
「あ…お給料、出てるんですか…」
「無論です。大法典は、働く者の義務と権利を定めておりますれば」
金を何に使うのか、おぞましい想像しか浮かばなかったので、プレジは考えるのを止めた。

「争い事にはなりません。ご安心を。…それから。たかが野菜ではありません。小生も野菜は好んで食しております」
「あ…物、食べるんですか…」
「無論です」



…確かに、争い事にはならなかった。

月光に浮かぶ怪物の姿を見た途端、全てのゴブリンが動きを止めてしまったのだ。
異質過ぎる存在は、本能に強烈な打撃を見舞う。

「…アルコ・イリス市役所”ラグナ・ガーディアン”より警告致します」

「当区域は、大法典商取引法三条二項による手続きを経て、プレジ氏の所有となっております。直ちに略奪した物資の返還或いは賠償を行い、退去して下さい」


アルコ・イリス市役所地域安全課。

通称”泉の守り手(ラグナ・ガーディアン)”

構成種族と外部からの流入者が多すぎるアルコ・イリスに於いて、『アルコ・イリス大法典に基づく街の治安維持』を行う独立警察機構である。

ご近所の猫探しから重犯罪者の制圧殺害まで、設立当時の混乱を利用して無節操に拡大された捜査権限は、大法典以外の如何なる権力にも縛られる事は無く、必要な証拠さえ有れば、議員をその場で処刑可能と言われている。

そんな無茶苦茶な組織が独立を保っているのは、兎にも角にも、法律上認められた機関である事を第一に、”今の所表向きは”他の権力機構と衝突していない事。
冒険者や自警団との”自主性を重んじる協力体制”の下に、安全課自体は少人数低額の予算で、穏便に行動している事。
最後に、安全課職員が出動した場合の実績が、批判の声を封殺している事が理由である。


「…次に、貴方方の居住地域について、選択肢を提示致します」

共通語とゴブリン語の指向性同時会話と理解出来た者は皆無だったが、全員がぎょっとしたのは当然だった。

出て行け。嫌なら死ね。
誰もが当然、そのような命令を想像していただけに、誰もが阿呆の様に口を開けて聞くしか無かった。

「第一に、特区への移住を望む場合。市民登録を行った上で移住申請を提出し、許可が降り次第、速やかに移住して頂きます」

「第二に、市運営の遺跡探索・地域開発に一定期間従事する事で、先の罰則と等価と見なし、研究が終了した遺跡の一部に居住地域確保を申請致します。街の中心より遠く、他地域と隔絶されており、他に住民は無し。地上に通じる道も有り、貴方方に適正な地域と判断致します」

「第三。アルコ・イリス領有域からの永久退去―破壊・略奪行為の罰則として、都市圏よりの追放刑を課す形と致します。準備期間として半日を置き、明朝より開始して頂きます」


「―最後に、武力による当地の所有権の主張」

「貨幣経済による土地所有の概念を有さないゴブリン族と人族の土地所有紛争として、決闘法を適用致します。当方はプレジ氏の代理として、小生が出場致します。この解決法をお望みならば、本日只今、決闘を開始致します。代表者を一名、ご選出を」

月の光の下、朗々と妖魔に法を説く様は、暗黒の祝詞を詠う邪教の司祭に似ていたが、しかし、それは間違いなく法手続であった。


「ちょ、ちょっと!ゴブリンですよ?!ゴブリンに法律なんて…」
「シャーマン種は指示を理解しております。『チョット待ツ良イ。首領ト決メル』と仰っております」
「け、けど…殺さないんですか?一旦出て行っても、後で仕返しに来ません?ゴブリンですよ?」

「プレジ氏。解決を見た案件に対し、復讐心の満足を目的に襲撃を行うのは、ゴブリンより人間の方が26.5倍多く見られるケースであります。ゴブリンだから仕返しに来る、と言う判断は誤りであります」
「……は…はぁ…」
あり得ない法的手続きに対するプレジの抗議は、いやに具体的な数字の前に却下された。

「大法典を遵守する限り、如何なる種族、如何なる人種、如何なる階級の方も、等しく虹蛇の住まう泉の住人であります。大法典をご存じない方には、必ず一度警告を行い、街の法を説く事になっております」

「ご安心を。全員の容姿と真名は記録致します。同様の事案を意図的に再び起こした場合、大法典を破棄した悪質な再犯として、雌性種・赤子を含む一族を即座に完全殲滅致します」

ゴブリンが恐怖に身を竦めるのを、プレジの目は確かに捉えた。

こいつは―間違いなく、本当にやる。

今は穏やかと言える対応をしていても、この場での決まりを、こいつの言う『法』を踏みにじる者は、一切の躊躇も容赦も無く殺戮する。

そして、こいつは―ああ、その程度、何の苦労も無く、やってのけるのだろう。
だって今、初めて、言葉に微かな感情が―誰にも伝わる形で含まれたのだから。
『即座に』つまり『すぐ済むから』と―
そして、それがゴブリン側でなかったとしても、当然―


「但し―」
両足を揃えたまま180度回転すると、怪物は驚くほど穏やかな声で―相変わらず、不気味に反響してはいたが―宣言した。

「貴方方が大法典の遵守を誓い、平和な街の住人でありたいと望まれるのであれば―」
両手を広げた姿は、やはり邪教の高司祭か、いや魔神そのものでも、こんな怪しくないだろうと、その場の誰もが思った。

「我々は貴方方を市民と認め歓迎し、その生活を守るため、全力を尽くします」


―何だろう、これは―。

怪物そのもの―ゴブリンの方が遥かに人間らしく見える―なのに、お題目の筈の使命を大真面目に語り、その為に本気で行動している、これ―このヒトは一体何だろう。

「では―ご回答願います」

デュールが一歩を踏み出すより先に、ゴブリン達が膝を付き、祈る様な姿勢を取るのを、プレジは不思議な気持ちで眺めていた。


「…ありがとうございました…何か、私の村とは大違いですね…モンスターにも、その…権利を認めるなんて…」

荷物を纏めるゴブリンという珍しい光景を前に、頭を下げるプレジに、デュールは首を振った。

「一般的には、貴方の故郷が正常ですが、この街には数多の種族がひしめき、異種族間、或いは同族間でも、常に諍いが生じております。特定の存在を最初から敵と断じた法で治める事は不可能であります」

「故に大法典は種族による差別を禁じ、如何なる存在にも、如何なる社会的身分の方にも、行動によってのみ、罪を科すのであります。プレジ氏も今回の契約を遵守される、良き市民で有られます事を願います」
「そうします。貴方に逮捕されたくないですからね…教えて貰った通り、市役所行って、解決の手続きと生活補助申請しますよ。変わってるけど良い街なんですね、ここ」
「無論です。なればこそ我々も、任務に命を懸けるのであります」


「あ…最後に聞いて良いですか?デュール…さんは、ゴーレムですか…?」

「珪素生物です」

「小生とお会いした方は皆様、小生をゴーレムかとお尋ねになられますが」
「こちらに来て日が浅いもので、未だゴーレム氏にお会い出来ておりませんが、その方はそれ程、小生に似ておいでですか?」

「…けいそ…あ、えぇ…似てますね、あは、は…」

最初から最後まで理解の範疇を超えているが、法を守っている限り、このヒトは味方らしい。
なら、それで良いのだろう。日が昇れば、自分にはやるべき事が、幾らでも有るのだから。
そう考えて、プレジは笑って誤魔化す事にした。



「…で。ゴブリン23体を一旦、市の施設に収容か…相変わらず、ウチの金を盛大に使わせる奴だ」
「問題御座いましたでしょうか」
「…無い。アルコ・イリス大法典に『ゴブリンは殺せ』とは書いておらん。奴等の罪状は軽い傷害、仮設キャンプの破壊、食料の略奪…人間なら労役と都市追放で終わりで、初犯と大法典への理解不足が加わる。貴様の判断で良い。ゴブリンに狩場の範囲を順守するよう、伝えたな?」
「無論です」

一つ頷いて、指先の炎で葉巻に火を付けると、安全課課長は取調室に目を向けた。

「…で。土地を売った方を拘留しておるのは?」

「販売物の説明を意図的に怠った事による、商取引法違反であります。ゴブリンと共謀して略奪行為を働かせた可能性についても追求中であります」

「…それは無いだろう。見返りは少ない上に、バレたら只の死刑で済まん。持て余していた物件を無知な田舎者に押し付けただけだ」
「あらゆる可能性を考慮し捜査するのが、我々の任務であります」

音程の変わらぬ言葉に、エルフは勢いよく煙を吐き出し、白く鋭い歯を剥いた笑顔で応じた。
「貴様、実はサディストではないのか?容疑者はゴブリンの存在は知ってたと既に認めておるし、『土地代は返します。幾らでも払うから、あの化物の取調べは勘弁して下さい』と泣き叫んでおるぞ?」
「小生は常に公平中立。市民の皆様の暮らしを守るため、全力を尽くしております」

「それで良い。…時間だ。取り調べは己が引き継いでやる。貴様は精々、金を稼いでこい」


「は。では、本日の所定就業時間終わり。アルバイトの出勤時間であります」
「ゴブリンの食費を必要経費とお認め下さいませんでしたので、小生の給金では不足しております」
「下級妖魔の団体に特区移住許可が出るのに必要な時間と額を知っておるか?気張って遺跡掘り起こしてこい」

「無論です。新たな市民の方の生活を守るのも、地域安全課の使命であります。課長も容疑者を独断で処刑せぬよう、御願い致します」

「己に屑を殺すなと言うか。依頼人から野菜が実ったら送ると手紙が来とる。半分己によこすなら、手を打ってやる」
「承知致しました。デュール職員、アルバイトに出勤致します」

「気張って働け。貴様の担当案件、まだ76件残っとるぞ」


天井に頭をぶつけて破壊しながら、デュールは敬礼した。

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最終更新:2011年06月23日 10:17
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