03-影踏み 前編

…その日はティムにとって、それ程厄介な日でも、嘆くような日でもなかった。
その時は、まだ。



「地域安全課じゃ!禁制の ”黄金蟲” 密輸たぁ重罪じゃの。ぐるっと囲んどるぞ。…大人しゅう捕まるか、ワシの芸術品の味、試してみるかぁ?!」
踏み込んで来たのは、”虹星の叡知”と並んで、敵に回したくない組織。


「防げ!防ぐんぎゃぁあ?!」
「そんな紙屑の鎧で、ワシの芸術品が防げるかぁ!超振動メイス!」
「裏口も固められてます!門番も既ごぶあぁ?!」
「親玉だけは死なすなぁ!ガトリングフレイル!」
取材先でのアクシデント。しかし思考は極めて冷静に、対処法を考えていた。

突破―少なからぬ怪我人を出してしまう。後が厄介。却下。
降伏―どんな取り調べを受けるか分からない。却下。
…彼にしか使えない手段も、魔術的監視を警戒すれば、却下せざるを得ない。
万一、能力を視られては、厄介どころで済まない。


「えぇい往生際の悪い!チョロチョロ逃げんじゃないわぁ!」
「ひっ!ひいぃ!捕まって堪るかぁ!」
目前の追いかけっこに、ティムは決断した。

「僅かの間だけ保ってくれれば…さて、タイミング勝負ですね、っと」


「?ぬわげぇっ?!!」
「おわぁっ?!」

倒れ伏していた護衛の足が、地を刈った。
予想もしないタイミングで足を払われ、何の心得も無い商売人が反応出来る筈も無い。
目を剥いて宙を泳ぐ肥満体は、後方からドワーフに追突され、共に前方…階段へと押し出された。

「「ぉ…んぎゃあぁぁぁあ?!」」


転げ落ちる二つの肉塊を越え、階下へ―武器を構える捕手の前で、その姿は霞の如く消える。

役人の視線を鏡像に向け、逆方向…窓に肩からぶつかっていく。



「ふぅ危ない。万一に備えて、窓枠の捻子を外しておいたのが役に立つとはね…」

捕手側も、商人の密輸摘発にそこまで警戒は無かったか、どんより曇った寒空の下、映るものは瑠璃通りの、高級建材を用いた家々の屋根と、中央塔から伸びる虹蛇の導きくらいか。

二つ―三つ―屋根から屋根、そして路地へ―騒乱から平穏の世界を目指し、駆け抜ける。
警備兵の巡回ルートについても、先日の内に ”調査” 済みだ。

「…しかし、これを記事にすると、偉い人達の隠蔽が出来ない上に、僕が瑠璃通りに居たのが問題にされるかな?…さて、どう誤魔化したものか」


アルコ・イリスで最高の治安を誇る 『瑠璃 (ラピスラズリ) 通り』 は、各国の大使や街の名士、豪商が居を構える超高級住宅街と、彼らの密談の場で構成されている。
夜毎、いや昼日中から外交交渉、裏取引、談合と言った、あらゆるドロドロした活動が常に行われており、街の重要区域であると同時に、学院の深部に勝るとも劣らぬ、内情が外から伺えぬ区域である。

専属自警団 『菫青衛団』 には、他の地域全ての自警団の予算を合計したより、なお多い額が投入されているとの噂で、内部の犯罪や暗闘を”地域住民の複雑な立場と意向、他国とアルコ・イリスとの外交関係を考慮する”方針で徹底的に隠蔽する傍ら、通りの至る所に分署を設け四六時中巡回し、許可無くこの地域に侵入する者には容赦が無い。


ところがこの度、彼らの牙城に地域安全課が強襲を掛けた―強引な営業方針で知られる男で、地域から切り捨てられたのだろうが、この後、一悶着有るのは明らかだ。
『アルコ・イリス・クロニクル』 に記事が載れば、市内はおろか他国まで事件は知れ渡り―例えば密輸元辺りで、何かしら面倒事が起こる可能性は有る。

「―ま、そこは記者の腕の見せ所、かな」

首を捻る所作は何処か芝居じみて、深刻な様子は伺えない。
この程度の難儀はいつもの事、とでも言う様で―

「こんばんは」
「――っ」


道の端で、影が嫌な音を立てて起き上がった。
動きを目で追おうとして、違和感に視線を切ると、若者―ティムは怪物と正面から相対した。


「…何方ですか?押し売りなら間に合ってますよ。愛の告白でしたら、また今度に」
戯けた言葉。しかし瞳の奥は決して笑わず、剣の柄に手が伸びている。
慣れた構えは、心の対応速度の証か。

「 『アルコ・イリス・クロニクル』 記者のティム・ベッテンドルフ氏ですね」
「っ…ええ」
秀麗に舗装された地面を、靴が擦る音。
身元が割れている。逃走の選択肢を潰され、それは闇夜に空しく消えた。


「地域安全課のデュールバインと申します。お疲れの所申し訳有りませんが、ご同行頂けますか」
月の無い闇から見下ろす鬼火を眺め、ティムは両手を広げた。
「 『頂けますか』 って事は任意ですね…分かりました。でも先に理由を聞かせて下さい。…それから、飼い犬の世話を、友人に頼んでおきたいのですが?」
「了解致しました。ベッテンドルフ氏には、連続婦女殺人事件の参考人として、事情をお伺いしたくあります」

(そっちですか…)

微かな表情の強張りは、闇が隠してくれた―鼻のきく猟犬が居たのだろうか。
首を振りつつ、わざとらしくカツラを取って見せる。


柔和な笑み、手入れされた髪、撫で肩の曲線。どれも一つ一つを見れば、そう高級なものではない。
にも関わらず、一つの完成品としての仕上がりが見事なのは、それらが不思議な程に…あたかも計算された造形品の様に、調和して配されているからだろう。


「…それにしても、よく私がティムだって分かりましたね。 ”変装” には自信有ったんですけど」

気付かれては居ない―恐らくは。

瑠璃通りも、学院や特区と異なる意味で 『危険区域』 だ。魔術に長けた者も居る。
倉庫の隅で埃を被っていた、胡散臭い変装道具。
「懐かしいなぁ」と目を細める編集長から、保険の為に借りてきたのが偽装になってくれた。
…わざとらしく変装したり解いたりは初めてで、苦笑いを止められなかったが。

「現場を離れて、何をしてらっしゃるんですの」
デュールが何か言うより早く、この場に似つかわしくない声が、通りに響いた。



「回収して来ましたわよ。重要協力者をこんな所まで歩かせないで下さいます?」
「お疲れ様であります。ソルティレージュ・アン・アトガルド・エトナシア嬢。小生も別任務で、こちらのティム氏と接触中であります」


夜の暗さが似合う女だった。
月の金色に対する様な銀の髪は、曇天にあって己こそ夜の化身と輝いている。
白く透ける肌から病や死を連想させないのは、瞳に点った明確な意志の光故だろう。

幽玄な姿をしばし見詰めていたティムはしかし、一つ首を傾げると、手を打った。
「おや、ソルティレージュさんじゃないですか。毎度、ご購読ありがとうございます」

「…あら。確か貴方、新聞勧誘…じゃなくて記者のティムさんでしたか?…可哀想に。何をしたか存じませんが、捕まった相手が最悪でしたわね。あの世に行ってもごきげんよう」
夜空を振り仰いだまま、真顔で首を振られ、ティムも引きつった顔で否定する。
「い、いえいえ。ちょっとした事情聴取ですよ、ちょっと色々有りまして…貴方は確か、安全課の人じゃなかったですよね。臨時雇いですか…?」
「…まぁ、私の方も色々有りましたの。…色々と、ね」

興味深気な表情は、大作の題材を見出した文学家より、子犬を眺める幼児に似ていたが、気付いたか否か、ソルティレージュも両手を広げて質問をかわす。


細い指が留め具を外し、右の手に乗せた宝石箱から現れた、微かに蠢く甲虫―奇妙につるりとした、足ばかり多く長い一匹の虫に、その場の視線が集まる。

「…それが黄金蟲ですか」
「はい。製造販売・輸出入・生物への投与全て、大法典の定める重罪となります」
「生物に寄生し、体液や排泄物、やがて血肉そのものを黄金に変質させ、最終的に被害者を黄金の彫像と化し、卵を産んで死ぬ。下衆が好みそうな錬金蟲ですわ」
「…事情は分かりませんけど、随分と危険な事件に関わってるんですね」

「仕方有りませんわ。黄金蟲は元々 『夜の国』 の邪術の産物ですもの。下僕に値しない者から血を吸い尽くした後の、体組織の有効活用…効率的かも知れませんけど、食べ残さなければ良いと言うものでもないでしょうに」
つまみ上げた蟲を見る目は、嫌いな野菜を見る子供の様で、世の男なら誰もが苦笑と共に 『可愛らしい』 と評したろう。
生憎、この場に普通の男は居なかったが。

「成体黄金蟲の 『身体変成』 の魔力に影響されないのは、無機物でなければ、私達吸血鬼の生命の力だけですから、二重の意味で適任なのは理解しますけど…半身を黄金化された子供など見ては、暫く金製の装身具が付けられませんわ」
今度こそ、心底嫌なものを見た表情。
穏やかな言葉の中に含まれる、美しいものが真に醜いものを憎む静かな怒りが、路地裏全体の大気を震わせ、ティムは小さく首を振り、デュールは首を傾げた。

「御休息されますか」
「冗談ではありませんわ。子供を一時的に吸血鬼化させる必要が有るのでしょう?市役所に運ぶ時間が惜しいですわ。この辺りの邸宅を借りて、そちらに運び入れて下さいな」
「はい。それではワローニア共和連合リンゼイサン伯爵の邸宅が、この先120mの処に御座います。そちらに向かうよう、各方面に連絡致します」

言い終えて、今度は己の腕に何やら語りかけるデュールを横目に、ティムは何処か複雑な表情で、少女の横顔を見詰めた。
「…部外者が言うのも何ですけど、良いんですか?吸血って、確か…」


吸血鬼の中には、特定の人間の血以外が ”体質に合わない” 氏族も存在する。
そうでなくとも、犠牲者が感染症に罹患していた場合、その影響は吸血鬼にも及ぶ。
伝承の吸血鬼が、犠牲者と出会った瞬間に血を吸い尽くしてしまわないのは、獲物の質を見定めているのだとも言われている。

何より、吸血鬼にとって吸血行動は食餌であると同時に、今や一つの儀式であり、拘束の強弱は有れど契の意味も込められている。

「名も知らぬ先祖の親戚の友人の責任でも、目の前に有るならば、逃げるつもりは有りません。」

「高貴なるものの義務、ですか」
「いいえ、私の信条ですわ」

この場に月が有れば、さぞ絵になったろうか。
それとも月の無い夜なればこそ、その姿が輝いて見えたのだろうか。


「以前お会いした時と、印象が変わりましたね…落ち着いたと言うか、自信有りそうに見えますよ」

「ありがとう、と言っておきますわ…そう言えば貴方、何をしたんですの?やっぱり取材の行き過ぎですか?」
「やっぱりって…」
「ティム・ベッテンドルフ氏には、これより重要事件の参考人として、お話をお伺いする事になっております」
「あら。 『アルコ・イリス・クロニクル』 は私の購読誌ですのよ。毎日見ている記事が見られなくては、日々の生活に支障を来たすじゃありませんか。早く釈放してあげて下さいな」
部屋の内装を変えろ、程度の軽い調子で言い放つと、現れた時と同じ様に、ソルティレージュは夜の中へと消えた。



「優秀な観察眼で居らっしゃいます」
「やっぱり彼女、何か有ったみたいですね…あ、良いですよ。自分で調べますから」
こちらも簡単そうに宣言すると、にこりと笑って見せる。
表情の存在しないデュールはただ若者と、少女が消えた空間を交互に見ていた。

「ところで。瑠璃通りへの無断侵入も、やっぱり問われるんですか?」
「無論です」
「被害者の救済に寄与すれば、尋問に手心を加えてもらえます?」
「司法取引でありますか。大法典によって、捜査官の了解が有れば容疑者・被告との司法取引は認められております」


「さっきの黄金蟲…間違って飲んじゃった時の対処法や、被害者を暫く生き長らえさせる方法―あの男の書斎、壁に隠し戸棚が有りますよ。きっと役に立つんじゃないですかね?」

どのようにそれを知ったかは言わず、さっさと強いカードを場に出して、ティムは目を細める。
危険な橋を、宙空に張られた綱を幾度も渡ってきた勝負師の一手。
フォルドは無い。コールか、レイズか―
間を置かず、髑髏面が倒れこむ。

「ご協力に感謝致します。では、場所の特定の為にも、ご同行願います」
90度の角度で頭を垂れて、頭部の高さが大凡同じになった所で、怪物は顔だけを上げ、若者を文字通り正面から見た。

―どちらも人間ではない、否、どころか― ”ホンモノではない” 視線がぶつかり合い…そこから何を読み取ったのか、ティムは諦め顔で、元来た方向へ歩き出した。

ようやく顔を出し始めた月に、深い深い溜息が吸い込まれて行った。


「はぁ…何処で何を間違えたのかなぁ、今日は…」

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2011年06月23日 10:18
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。