03-影踏み 後編

「…無事か…?突然連絡が途切れたが…」

路地裏にへたり込んだまま、自分を探す術師に、露天商は小さく手を上げた。
「やられた…いきなり術を撃ち込まれて…精神探査を破って、どうにか…」

罠かと疑るも、感知魔法の無反応は、幻術ではなく、本人に間違い無いと示している。
即ち、記者を最も近い位置で監視していた同胞、本人だと。

「…妙な術を掛けられたか、体が軋む上、意識が朦朧とする…治療出来る場所は無いか?」
苦しげに身を捩る術師は、しかしそれ以上近寄らぬよう、表情と身振りで指示していた。
慌てて屋台の陰に身を隠す男に”念話”の警告が続く。
「犬共は面子に賭けて、逃げた俺を探している。この状態では足手纏いだ。お前は確実に逃げろ」

…周囲を見回し、露天商は暫しの瞑黙の後に頷く。
自分の任務は中継と支援。他にも指示を出すべき者は居る。万一にも、共に捕まる訳にはいかない。
「分かった。お前の意思は無駄にせぬ。…治療なら天空通りの『薬師ステップ』の所に行け」

「すまん…同胞」



…走り去る姿が見えなくなると、ようやく口を開き、息を大きく吸い込み、最早堪えられぬ様子で、ティムは体を折り曲げて笑った。

「あっはは、同胞か…あんな感じ入った顔されると、流石に心苦しい…ですよねぇ?」

顔を向けたのは、路地の突き当たり。
無論、何者も居るはずは無い。


「…どんな手を使ったか知りませんけど、悪戯は控えた方が宜しいですわよ」
「覗き見も、レディの趣味としては良くないですよ」

昨夜と変わらぬ美貌ながら、何処か眠そうなのは、正午に近い日差しのせいか。
ソルティレージュは己の髪を、指先でくるくると弄んだ。


「カルト宗教に追われる謎の記者。小説が一本書けそうな題材ですわね。あの手の小物から、そう情報なんて出て来ませんでしょう?」
「裏付けは記者の基本ですから。仲間の情報も一つ得られましたし」

広げられた手帳には、いつ何処で調べたのか、先ほど耳にしたばかりの人物―薬師ステップの住所や周辺での評判が、細かに書き込まれていた。

目を丸くする少女に向ける表情は、如何なる局面でも最後には取り返す勝負師のもの。
派手な勝利は無い。しかし決して負けは無い。

「謎の記者としては、追われっ放しは性に合わないって事で…あ、けどソルティレージュさんも安全課の人なら、情報持ってっちゃいます?困ったなぁ」
手札を晒しても全く困って見えぬのは、イカサマの手口を見抜かれぬ絶対の自信故か。
勝負の相手としては、ある意味最悪の部類に入る。


「私をあの人達と一緒にしないで下さいませ。不死者と混同される方がマシですわ」
心から心外そうに咳払いすると、ソルティレージュも小首を傾げ、意地悪な笑みで返す。

「…新聞購読料一月分、と言うのは流石に可哀想ですから、あちらのレストランの、お昼のコースで手を打って差し上げますわ」

「ちょ…あの店、お大尽御用達の高級店じゃないですか。購読料一月分といい勝負…」
「あら。それとも私の好奇心が満足するまで、貴方を追い掛け回した方が宜しいかしら?」
返事も待たず歩み出す背を、呪詛の視線が追った。



「…執行者…協定?」

「はい。魔術学院と地域安全課は成立当初より、治安維持の為の協定を締結しております」

部屋の趣から浮いた客が持参した書簡には、市役所地域安全課と学院、双方の主立った人物の署名が添えられていた。


学院内部に於ける犯罪及び危険行為の捜査・処罰権を原則として学院にのみ認め、その要請に応じて安全課は職員を派遣し、学院側責任者の指示に従う。

犯罪者が外部より学院に逃げ込んだ場合、安全課への引き渡しを前提とするも、非常の際には、学院はこれを独断で処罰する権利を有する。

学院で罪を犯した者が学外に逃亡した場合、導師及び執行委員は、安全課の承諾を経て、これを市内に於いて捕縛・学院に連行する権利を有する。その際、安全課に応援を要請出来る。

また、安全課がこれを捕縛した場合、学院は安全課に身柄の引き渡しを要請する権利を有する…

実質的に学院を一個の国家の如く扱い、かつ優越権を認めている。


引換に学院は、導師及び執行委員を、市内に於ける犯罪捜査・犯罪者の捕縛等、安全課よりの要請に応じて派遣し、その指揮下に置く。
但し、執行委員を協定の正式参加者とするには、本人の同意と署名を必要とする―


「あら、強制ではありませんの? 密着24時の最前線に、無理矢理送られるのかと思いましたけれど」
何時から居たのか、客の視線―目玉と思しき明滅に不快の声を上げる黒猫の背を一撫ですると、ソルティレージュは書類の束を叩いた。
「はい。市内に於ける安全課と執行委員の協力関係は、双方の同意を以て成立致します」


執行委員には、人と掛け離れた外見の者、市街での行動に適さぬ種族も存在する。
或いは異能を晒す事を好まぬ、広範囲呪文を得意とする、中には単に自由な時間が欲しい、研究に忙しい等の理由で、協力を強制される協定への参加を拒む者も居る。

その場合、学院内を除き、執行委員は権限を行使できず、学内の犯罪者を学外で単独で追う事は違法…実質、不可能となる。


「…随分、そちらにメリットの薄い契約ではありませんの? 協力義務を負うのは分かりますけど、私がそちらを手助けしたら、報酬も払って貰えるみたいですし」
お小遣い稼ぎになるのは良い事ですけど、と小さく笑う少女に、体を奇怪な形に屈めたまま、怪物は否と応えた。

「学院選出の執行委員の戦力は、最低歩兵一個小隊に相当致します。更に優れた知性、判断力を有する方でなければ、選出された例は御座いません。小生達には大きな恩恵であります」

安全課への協力自体、犯罪組織や異端者の憎悪に晒されるは当然、更に学院生が学外で犯罪を犯した場合、最も優秀な追跡者に成り得るのは、学院生を知る執行委員である。
社会的しがらみや身の危険も考慮すれば、決して一方的な契約ではない、と。
「無論、安全課は執行委員の日常に於ける安全を、全力で保証致します」
「…ふぅん…」

「お返事は一巡り後までに、導師・生徒会長・安全課の何れかにご提出頂ければ結構でありま―」


「いいえ」

瞬間。
船を漕いでいた黒猫の瞳が、大きく見開かれた。


繊手が横に振られると、書類の束は紙吹雪と化して閃き、その場に奇妙な趣を添えた。

「お断りしますわ。このような契約、私の信条に反しますもの」

「残念であります」
不出来な玩具の様に首を傾げるデュールを見据える瞳には、確固たる意志の光。
如何にあろうと変わらぬ誇りを込めた、強い光が有った。


「私が力を貸すのは、私の心に適う相手のみ。元より”法”属性の存在ではありませんもの。言葉も刃も交わしていない方々の為に放棄する程、安い自分ではありませんわ」
只の魔術師が発したならば、傲慢としか聞こえぬ言葉。
不思議な程に、少女に相応しい言葉。

「助力を乞うとしても―友と呼べず、師とも仰げず、家族として愛せぬ方々の、契約による無条件の助力など、恥辱に等しいですわ」
「学外に於ける執行委員としての行動に制限が生じますが、宜しくありますか」
どう受け取ったか。ごく自然に、少女の表情は笑いの形に変わっていた。


「横から貴方達が出て来たら、出し抜いて差し上げますわ。天下の地域安全課を向こうに回す方が、職務の遂行にもやり甲斐が出ますもの」
猫を連想させる微笑みは、世界に対する不適なまでの自信を、恐らく表情の無い怪物にすら、確かに伝えたであろう。

「…了解致しました。ソルティレージュ・アン・アトガルド・エトナシア嬢。貴方との執行者協定は同意に至らず、不成立となります」
声音にも頭を垂れる姿にも、何処か楽しげな―そんな感情が有るとすれば、だが―気配が漂うのに、秀麗な眉が訝しさに歪む。



「では、通信用呪符をお渡し致します。24時間直通で繋がりますので、お困りの際はご利用下さい」

「……は?」


一瞬の沈黙の後、立ち上がり掛けるのを手で制し、90度の角度で礼をしたまま、髑髏面だけがソルティレージュを見据えた。

「執行委員が協定への参加を拒否された場合、担当職員の裁量で、友好或いは敵対関係を取る様、定められております。…貴方の要請に対し、安全課は協力義務を負いません。貴方も当方よりの要請に協力を強制される事は御座いません。気分が向かれた時のみ、ご助力願います」

先程までと真逆のいい加減な内容に、毒気を抜かれた少女の頬が引きつる。
「ず、随分ファジィな事ですわね…そちらも、場合によっては協力して下さるのかしら?」

「担当職の小生が自由意志で協力致します。具体的には、気分が向いた時であります」


どうにかペースを保っていた少女の瞳が、文字通り点になった。

金属様の体に、顔の上部を覆う髑髏面。鼻及び口は見えず、声はまるで作り物。
これほど”気分”と言う行動基準が似合わぬ存在も、そう無いのではないか。
客を上から下まで眺め回す無作法も、この場合は仕方無いどころか当然だろう。

「…ここは笑う所ですの?」
「今の貴方と同様の行動を取られた執行委員は、過去に存在致します。『”斬鉄”ディノ』『”翼の”リゲラ』『”策士”レスレム』で御座います」
「………」


知っていた。

何れも執行委員に正式に名を連ねた際、見せられた名簿に有った名。

何れも類い希な術の使い手にして、導師を凌ぐ才の持ち主と言われた名。

何れも学院と街そのもの…或いは世界の存続に関わる重大事件を解決した事で、敬意と共に密かに語り継がれる名。


「…複雑ですわね」
「ご不快でありますか」

「不快と言う訳じゃありませんけど…その方達、全員殉職してるじゃありませんか。縁起でもない」

そして何れも、天寿を全うする事無く、英雄譚に唄われる事も無く、一部の者のみが語り継ぐ、若くして歴史の闇に消えた名であった。


「どの方も『面白い餓鬼共だった』と課長は申しておりました。…ですが小生と致しましては、貴方には彼等と異なる運命を希望する所であります」
「………」

異なる運命。

…どの様に、を口にする事無く、挨拶と一礼を残し、怪物は屋敷を去った。

黒猫は一日機嫌が悪く、夕食のワインは、何処か苦く感じられた。



「…へぇ。学院と安全課の関係も、調べれば面白そうですね」

コーヒーだけが自陣に配されたテーブルでメモを走らせるティムは、記者本来の…それが真に本来のものであれば、表情に戻っていた。
高価で色彩豊かな料理が少女の口へと消える度、恨めしそうな目はしていたが。
「協定の存在なんて、私は全く聞かされていませんでしたけどね…導師も会長も、小一時間問い詰めて差し上げましたわ」


「しかし…変な人ばかりでしたけど、あのデュールバインって人…?は、特に扱い難いですねぇ」
「その点は同感ですわ。何と言いますか、調子が狂いますわ。意図してるなら質が悪いですけど」

「出来れば関わりたくないけど、多分、関わる羽目になるんでしょうねぇ…ふぅ…」
「…ええ、多分、関わる羽目になるでしょうね…はぁ…」

二つの溜息は、酷く深く、長く続いた。



「捕らえた奴の顔を盗んだか…くかかか…吸血鬼の小娘と言い、近頃は喰うに値する餓鬼が多い」
「課長。善良な市民に手を出されぬよう、お願い致します」

葉巻の煙を頭から浴びながら、デュールは上司に釘を刺す。
その言葉に、エルフは更に楽しげに―魔王も怯むであろう笑いの形に、顔を歪ませた。


「今はまだ喰わぬ。旨味と脂が足らぬ故な。次は此奴だ。さっさと行って見極めろ」

「了解致しました」


投げられた書類を空中で掴み取ると、魔王に従う怪物は、最敬礼の姿勢をとった。

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最終更新:2011年06月23日 10:19
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