男は薄暗い路地裏をフラフラと力無い足取りで歩いていた。
薄汚れ、解れ、穴の開いた服。
その上にはこれまたボロボロになった外套。
頭には伸びきった編み上げの帽子。
今の彼を見て、誰が彼の正体を見抜くことが出来るだろう。
どう見ても彼は仕事も住む所も無くし、日々の生活に困窮している貧しいただの男。
神の使徒・天使であると話した所で誰が信じるというのか。
「結び結ばれ絡まりし不可思議縁の赤い糸~♪」
ボソボソと口の中で呟くように男は歌う。
宿屋の裏口を漁り、放置してあった酒瓶の底に残っていた液体を舐めるように啜ったせいだろう。
今の彼はほろ酔い加減。
少々気分を良くしていた。
が、幸せというものは長くは続かないものだ。
ふと、男の足がぴたりと止まった。
そして、同時に歌も。
しばらくの沈黙。
男の顔から笑みが消える。
やがて、彼は低くよく通る声でどこにとも無く言った。
「もう突き止めやがったのか。仕事熱心なことだな、え?」
男の言葉に答えるように静かな足音が近づいてくる。
足音の主は男の背後まで来ると歩を止めた。
「本来の業務とは異なるが、上からの命には背けぬ。お前と同じだ」
「フン、アイツの気まぐれに振り回されてご苦労なこった」
「毎度のことだ。そして、今度はお前が振り回される番だ。
ミヒャエル・アラッティモ」
低く笑いを含んだ声にミヒャエルと呼ばれた天使は忌々しげに舌打をした。
そして、ゆっくりと振り返ると声の主をねめ上げるように見る。
「不思議なもんだな。俺は縁を結ぶのが仕事だ。なのに自分の縁はどうにも出来ない。どれだけ頑張っても、アイツと縁が切れない。それが不愉快だ」
「いくらもがこうとも抗えぬ。それが運命なのだろう」
「運命? さすがは曲がりなりにも聖職者。そんな気のきいた台詞を言えるんだな。教えを説くより獲物を振り回している回数が多いお前が」
「これでも司祭だ。資格を取る為に一通りの教育は受けている」
「だったら、司祭の仕事しろよ」
「お前にだけは言われたくないな。その言葉、そっくり返さしてもらう」
男の言葉にミヒャエルはケッとそっぽを向いた。
実に不機嫌全開の顔だ。
そんなミヒャエルに彼はさらに言葉を続ける。
「イットー様が心待ちにしておられる。ついて来い」
「前回から一月も経ってないじゃねぇか。まーったく飽きるのが早いオヤジだな」
背を向け、先導する男にぼやくミヒャエル。
男は背中越しにそれに答える。
「一月ももったのだ。今までに比べれば上等ではないか」
「あのな。普通、縁結びってのは一生に一度なの。一週間とか一月とかってのが、そもそもおかしいんだよ。分かる?」
「諦めろ。あのお方はそういうお方なのだ」
「今まで抑圧されてきたものが花開いたのか、もともとアレだったのかは知らないけどな。それにしたって飽きるの早過ぎだろ。おまけに老若男女選ばず何でもかんでもパカパカいきやがって!」
「おい、口が過ぎるぞ」
「うるせぇ。その度縁結ばされるこっちの身にもなってみろ。この前はしわくちゃのババア、その前は4歳の男の子、それの前は結婚して二日の妊婦だ。毎回毎回良心の呵責に苦しむチョイスばかりしやがって…。おかげでどんどん頭の髪が薄くなっていきやがる」
「それでも、だ!」
男は振り返ると、ミヒャエルの前に詰め寄った。
そして、唇を噛み締め、小刻みに震えながら言葉を続ける。
「それでも、あのお方が尊いお方であることには変わりは無い」
「尊いか? 元だぞ。元、法王。今はただの変態こじらせた残念なオッサ…」
首筋に剣を当てられ、ミヒャエルは言葉を飲み込んだ。
もう、言いたいことはほとんど口にした後ではあったが。
「それ以上は言うな。頼む」
眉間に深い皺を刻み、男は呻く様に懇願した。
その苦しそうな表情にミヒャエルも心が痛んだ。
彼とて分かっているのだ。
己が直接ではないにしろ加担していることがどれほどまでに罪深いことであるのかを。
ミヒャエルは首筋に当てられた剣をゆっくりと押し返すと言った。
「わかったよ。わかった。おとなしく付いて行きますよ」
「すまん、恩に着る」
「勘違いすんな。お前の為じゃねぇよ。約束は約束だからな。一度アイツに縁を結んだら俺は逃げる。その縁を結んだ相手にアイツが飽きたら、アイツは俺を追いかける。 そして、俺が再び捕まったら、俺はまたアイツの為に縁を結ぶ」
それがミヒャエルの逃亡生活の始まりであり、自由の終わりでもあった。
数年前、イットー元法王と出会って以来、彼らはそれを延々と繰り返している。
縁を結ぶ天使であるミヒャエル。
彼が一番望むことは。
そんな彼らの腐れ縁を断ち切ることに他ならない。
とは言え縁の糸を見つけ結んだり解いたりすることが出来るという彼の能力は自分には使用できない。
しかも、相手は元とは言え法王、神殿のVIPである。
上司からもうまく相手をするようしつこいくらいに言い含められている。
つまり、彼に出来ることはただ逃げるだけ。
そこがまた何とも厄介なのである。
幸薄き愛の天使は目の前の男に言った。
「次は逃げ切ってやるからな」
彼の言葉に男は困ったような顔をして笑った。