ミヒャエルが連れられてきたのは歓楽街の大通りから少し外れた所にある建物であった。
一見うらびれた宿屋とも思えるそこは所謂一つのサルーン。
平たく言うと娼館である。
「あのよ…」
眉間に深い皺を作り、ミヒャエル。
こめかみに指を当てると呻くように言った。
「少しは考えたりする脳味噌は無いのか、あのオヤジは? 例えば、立場とか風評とか影響とか」
「言うな」
男も苦虫を潰したような顔で答える。
ミヒャエルはため息を深々とついた。
「ま、進言や忠告を聞くタマじゃないもんなぁ」
「努力はしたのだ!」
やや語気を荒げて男は訴えるようにしてミヒャエルの顔を見る。
見れば目尻には薄く泪が滲んでいた。
「だが、イットー様は引退されるまで信仰一筋で生きておられた方。そのせいか浮世離れされているというか、世事には鈍感な方でな。結局、御理解していただけなかった」
鬱屈したものを抱え、言いたいことがありながらも必死に言葉を選んでいるのがうかがい知れる。
度重なる苦労や苦悩が垣間見え、やや男に同情を覚えながらも、ミヒャエルは呆れて鼻を鳴らした。
「世間知らずとかそういうレベルやないだろ、アレは」
男の立場上、思っていることを言えないのは分かるが、あまりにあからさまに本音と建前を使い分けるのは聖職者としていかがなものか。
可愛そうだとは思うが。
「バカが地位や力もつと苦労するな」
思わずボソリと呟いた一言に男は凄く傷ついた顔をした。
そして、じっと彼を見つめる。
同情はいらん。
彼の目は必死にそう語っていた。
男はすっと目をミヒャエルから逸らすと、無言のままズンズンと一人先に進んでいった。
背中が思いっきり泣いていた。
男に案内され、ミヒャエルは宿の一室の前にいた。
安宿の薄い扉一枚隔てた室内から漏れ聞こえてくる声や物音から、中に複数の男女がいるのがうかがい知れた。
「絶賛お楽しみ中だな」
ミヒャエルはドアノブを握ったまま硬直している男に言った。
さすがに男もこんな出迎えを受けるとは予想していなかったらしい。
色欲は大罪の一つだったっけか?
どちらにせよ、禁欲第一の聖職者には手厳しい仕打ちだ。
うろ覚えの経典の内容を思い出しながら、ミヒャエルはそんなことを考えていた。
その時である。
ブチン!
横で何かが切れた音がした。
それが男の堪忍袋が切れた音だと気付くのに数秒かかった。
「イットーさまぁああああああああ!」
男は獣のような咆哮を上げると、瞬時剣を抜き一閃した。
思わずミヒャエルが呆れた声を上げる。
「おいおい…」
刹那、ドアが音を立て、切り落とされる。
部屋の中にあるベッドの中には突然の出来事に驚きのあまり目を丸くして言葉を失っているまだ少女と呼んでも差し支えない若い娼婦と、にこやかな笑みを浮かべて男を見ている中年男性がいた。
「お帰り。早かったじゃない」
男に彼はそう言った。
その小柄で貧相な顔立ちをした白髪頭の初老の男性。
彼こそがイットー元法王その人である。
「あ、あなたは…あなたは何を!」
「何ってナニに決まってるじゃない。君にも分かるように言うなら『汝の隣人を愛せよ』的な行為といったトコかしら?」
「かっ…!」
飄々と顔色一つ変えずに放たれた言葉に男の顔は怒りのあまりさらに紅潮した。
剣を手にしたままでカツカツとベットに近寄る。
そこで我を取り戻したのか娼婦は悲鳴を上げると、転がるようにして男の横をすり抜けて逃げていった。
「怖い思いさせてゴメンねー」
走り去る娼婦の背中に手を振りながら、ヘラヘラとイットー。
それを遮る様に男が前に憤怒の形相で仁王立ちする。
イットーはベッドの中から彼を見上げると笑みを崩さぬまま言った。
「マッシグ、とりあえずその物騒なものしまってよ。このままだとおっかなくてしょうがないからさ」
何気なく発せられたような緊張感の無い言葉。
だが、そこに籠る迫力は確かにかつて法王と呼ばれたものを感じさせる力を持っていた。
男―マッシグも彼の言葉で我に返ったのか、冷や水絵も浴びせられたように冷静さを取り戻すと慌てて剣を鞘に納める。
その様子を見てイットーは言葉を続けた。
「暴力はダメでしょ。剣なんかで斬られたら死んじゃうし、痛いじゃない」
「も、申し訳ありません」
怒りのあまりの行為とは言えマッシグのしたことは決して許されることではない。
彼は恐怖のあまり顔面を引きつらせ、膝付き頭を垂れた。
「あの娘にも悪いことしちゃったねぇ。怖い思いさせちゃった」
ふうとため息をつくイットー。
ぐッと呻き、うな垂れるマッシグ。
「ババア、ショタ、妊婦と来てさっきのはロリか。倫理的レッドゾーンばっかに手を出しやがって性職者が」
そのすぐ側で完全に空気扱いされてるのを良いことに部屋に置いてあった煙草を拝借し、一服しながら、ミヒャエルは言った。
「俺としてはさっさと死ねば良かったと思う」
「酷いなキミは」
容赦ない言葉にさすがのイットーも眉をしかめる。
だが、ミヒャエルは悪びれずに答えた。
「だって、その方がきっと世界が少しでも平和になるもん」
「ミヒャエル、それはいくらなんでも言葉が過ぎるぞ」
あまりの暴言にマッシグが窘める。
正直、つい先ほどまで剣持って暴れてた彼に言われても説得力は全然無いが。
「だって、事実じゃん」
「そ、そんなことはない!」
ちょっと動揺しつつも向きになって否定するマッシグ。
ミヒャエルはそんな彼を横目で見ると
「んで?」
彼の言葉は華麗にスルーした。
プハーと煙を宙に吐きながら、ミヒャエルは言った。
実に嫌味たっぷりに。
「今度は誰を不幸にするんだ?」
最終更新:2011年06月23日 10:53