「そんな暗い顔するなって!」
眉間に深い皺を作ったまま黙り込んでしまったマッシグにミヒャエルは言った。
「誰のせいだと思っている…」
呻くようにしてマッシグが答える。
ミヒャエルとの会話で彼は言いようの無いショックを受けていた。
天使の口から語られた言葉は彼の今までの価値観を揺るがすには十分なものだった。
確かに彼は司祭としては優秀とは言い難い。
だが、神殿に籍を置く以上、その一員であるということに誇りを持っていたし、聖人という存在に対してもも純粋な憧れを持っていた。
だが、天使は言った。
聖人は人の都合の言い解釈で産まれた存在。
聖典はその為の道具と。
辛辣にバッサリやられた。
だが、悔しいことに何も言い返すことができなかった。
それは彼の言葉を心のどこかで受け入れてしまったからに他ならなかった。
ミヒャエルは落ち込んでいるマッシグに言った。
「凹んでも意味無いぞ。しかたないじゃん」
軽い調子で言うミヒャエルをマッシグは無言でにらみつけた。
だが、気にした風も無く彼は続ける。
「聖職者って言っても、生きていかなくちゃなんないだもん」
「何が言いたい?」
「信仰だけじゃ食ってけ無いってこと。例えばお前が今此処で酒飲んで飯食えるのだって、給料貰ってるからだろ? じゃあ、その給料って元は何よってハナシ」
「信徒たちからの寄進だ…」
苦々しげにマッシグ。
ミヒャエルは小さく頷く。
「神殿で働く人間だって霞食って生きてる訳じゃない。養っていくには金が要る。金を集めるには教えを説いて、信者を増やさなくっちゃならない。そうしないと神殿は廻らない。その為には事実くらい捻じ曲げるだろ」
「だが、神職に付くものとしては…」
「神職らしからぬ生臭い話なのは事実だな。確かに表に出すべきもんではないだろうよ。だがな、本音と建前ってのは別だ。神殿だって突き詰めれば商売なんだぜ?」
「違う!」
「どう違う?」
「我々は人の幸せの為に働いている」
「だから、幸せを売って金を貰ってるんだろ?」
矢継ぎ早に出されるミヒャエルの言葉。
マッシグは不機嫌な顔でむっつり黙り込んでしまった。
それを見て、天使がフンと鼻を鳴らす。
「何がそんなに気に入らないのか知らねーけどさ、俺は別に教えを説いて金を儲けるのが悪いこととは思わないがね」
「神の使徒のすべきことではない!」
「そうか?人間が生きてくには金がいる。なら稼ぐしかないじゃん」
「天使の言葉とは思えんな」
「天使だからこそ言えるってこともある。宗教を商売として考えてみろ。これほど難しいものは無いぞ。何しろ形に無いものを売り値段はキモチ次第だ。逆に言えばこれほどシビアなものも無いかもな」
朗々とミヒャエルか語る。
対してマッシグは険しい顔で聞いていた。
実は彼は今ミヒャエルが話していることと同じような話を聞いたことがある。
ニュアンスは違うが、イットーから。
『誰かに何をしてやろうじゃないんだ。何かをしたいと行動して、そしてその誰かは誰かに何かをしてあげたいと思う。結局何をするにしても最後に決めるのは自分の気持ちじゃない?』
神殿を頼ってくる人は何かしら悩みを抱えている。
それを手助けするのが司祭の役目ならば、その対価に信者は布施を払う。
それは値段の無い気持ち次第のもの。
それを得て、神殿の者は生きている。
それは確かに事実だ。
「神殿は布施や寄進で糧を得る。そして、信徒は神を信じることで心の平安や癒しを得るんだ。なら、バランスは取れてる。お前が言ってることは上から人を見たただの傲慢だ。お前が聖職者だというならば自分の仕事で得た充足に対し支払おうとする対価をはねつけるようなことは言うべきじゃない。それはその人の気持ちを無碍にすると言うことだぜ?」
そう言うと、ミヒャエルはくいっと酒を飲んだ。
そして、言った。
「そんな頑なにならなくってもさ、もちつもたれつでいいじゃねぇか」
「そう、かもしれん…」
マッシグは力なく頷いた。
神の教えや救いを求め人は訪れ、感謝の証として寄進をする。
ならば、それ自体を否定するということはその感謝の気持ち自体を拒否するということだ。
確かにそれは彼の言うとおり傲慢以外の何者でもない。
ミヒャエルの言う宗教も商売という言葉は些か極端だし聖職者として、諸手を上げて賛成するわけには行かない。
しかし、言わんとしてることは分かる。
人はパンのみで生きるならず。
だが、パンがなければ生きてはいけない。
つまりはもちつもたれつなのだ。
マッシグは苦笑を浮かべ、言った。
「お前が始めて神の使いに見える」
「やめろって、柄じゃねぇから気持ち悪い」
心底気持ち悪そうにミヒャエル。
マッシグはその様子に笑った。
その時である。
「随分と楽しそうじゃない?」
声をかけられた。
少しハスキーな女性の声だ。
声は頭上からだった。
「やべっ!」
その声を聞き、ミヒャエルの顔が強張った。
直後、彼の頭上に何かが振ってきた。
「二人とも酷いじゃない」
涙交じりの声でミヒャエルの頭上に降ってきたもの、いや男は言った。
まるで親に置いてけぼりにされた幼子のような不安げな顔だった。
マッシグはその男を見て、目を丸くした。
「イットー様…」
ミヒャエルの頭上に落ち、今は彼にしがみついている元法王。
その光景を見ながらマッシグは考える。
何故お休みになられていたイットー様がここに?
と言うか何故降ってきたのだ?
と、言うかそもそも先ほどの女性の声は?
「早くこれ取ってくれ!」
眉間に皺を刻み考え込むマッシグにミヒャエル。
とりあえず、促されるまま彼にしがみつくイットーを引き剥がした。
イットーは涙で顔をくしゃくしゃにしていた。
「イットー様、これは一体…」
「何でいなくなるの?」
問いかけるマッシグの言葉を断ち切る勢いでイットーが言った。
「いや…」
「酷いよ。目が覚めたら誰もいないし、ドアは壊れたままだし、一人ぼっちだし」
「申し訳ありませんでした」
マッシグは素直に頭を下げた、ミヒャエルに誘われたとは言え護衛としては軽率といわざるを得ない。
だが、ポツリと零したイットーの言葉は意外なものだった。
「捨てられたのかと思った」
「え?」
胸をえぐられるような深い悲しみに満ちた呟きだった。
その時、彼はミヒャエルの言葉を思い出した。
『見た目は萎びたオッサンだけど、アイツは頭も心もガキつーか、赤ん坊みてーに真っ白なままなんだよ』
そういうことかと思った。
確かに側に誰もいない=捨てられたという発想は子供そのものだ。
「イットー様…」
じっと彼を見る。
どこまでも澄んだ瞳が見つめ返してきた。
マッシグはイットーに言った。
「私はいつまでもイットー様の側にいます」
「ホント?」
「はい」
不安げに問うてくる彼にマッシグは頷いた。
途端にイットーの顔が明るくなる。
それを見て、マッシグは苦笑した。
これが聖人であるということか?
どこまでも無垢でそれゆえに傷つきやすい。
「ありがとう」
イットーは笑顔で言った。
つられるようにマッシグも小さく笑った。
「キモい仲良しごっこしてるばあいじゃねぇぞ!」
その時、二人の間を割って入るようにミヒャエルがイットーに詰め寄った。
彼は真剣な面持ちでイットーに訊ねた。
「イットー、あいつが来てるのか?」
イットーは答えた。
「来てるよ」
「マジかよ…」
ミヒャエルは絶望的な顔をした。
今ひとつついていけてないマッシグ。
怪訝そうに言う。
「何の話をしているんだ?」
その問いに天使は答えた。
「イットーが何故ココに降ってきたのか。それは誰かが部屋に入り、連れ出したからにならない。そして、こいつが落ちてくる前に聞こえた声」
「ああ。あの頭上から聞こえた女性の声か」
そう言い、マッシグは自分の発した言葉に「え?」と言う顔をした。
「頭上?」
「そう。おそらくイットーを連れ出した奴は部屋から出るなり俺たちを見つけ、仕事をほったらかして酒飲んでる姿に怒り心頭。そのままの勢いでイットーを投げた」
「投げた!?」
「そんなことが出来る奴は俺が知る限り一人しかいねぇ」
くわっと名探偵よろしく目力入れて叫ぶ天使。
そのタイミングに合わせるようにパチパチとおざなりな拍手が飛んできた。
三人の視線が拍手のしたほうに動く。
その視線の先には一人の白い司祭服を着た女性がいた。
「相変わらず元気ね。でも、声聞いた時点で分かるんじゃない? 長い付き合いなんだから普通。前置き長いのよね、大体」
女はツカツカと三人の下に歩いてきた。
そして、クールな瞳でミヒャエルを見据え、言った。
「て、言うか、遊んでないで働け!」
その怒声に酒場全体が揺れた。
最終更新:2011年06月23日 10:56