「なんだか顔赤いですけど…熱でもあるんじゃあ?」
ユキエルは挙動不審のマッシグを心配そうに見ると彼の額に手を当てた。
マッシグの心臓が激しく鼓動し、体温が急激に上昇する。
マッシグは見てるだけで気の毒になるくらい動揺していた。
あわあわと口を動かし、言葉にならぬ言葉を発している。
「大変!ますます熱くなってる!」
ユキエルは深刻な表情で言った。
イットーが心配そうにマッシグを見る。
「病気なの?」
「おそらく!」
何の根拠もない、明らかな誤診である。
だが、ユキエルは力強く頷いた。
途端に不安げな顔をするイットー。
「死ぬの?」
「死にません!」
イットーにむかいマッシグは言った。
よく見ればユキエルと少し距離を取っている。
ユキエルの注意がイットーに向いた際に慌てて離れたのだ。
怪訝そうにユキエルは問う。
「ホント大丈夫ですか?」
「大丈夫です!」
力強く答えるマッシグ。
でも、心なし目は彼女から逸らしていた。
「これはその…病気とかではないので」
「ホント?」
「あ、はい。いや、でも、ある種病と言うか場合によってはそう呼称することもあるかな…」
ゴニョゴニョとでかい図体を小さく丸めて呟くように喋るマッシグ。
イットーはその様子を見て、何かを察したのか、嬉しそうに言った。
「ひょっとしてマッシグ、ユキエルのこと…」
「わーわーわー!」
顔を真っ赤にし、慌てて大声を上げるマッシグ。
ユキエルはその様子をただ怪訝そうに見ている。
普通今までのマッシグとイットーのやり取りを見てれば何か気付きそうなものだが、そのような気配は皆無である。
この女、こういうことに関してはかなり鈍いようだ。
「おー、なんだか賑やかだなあ」
そんな時にミヒャエルが帰って来た。
両手にジョッキを持ち、器用に足でドアを開けると室内に入ってくる。
そして、もう一人。
手にミヒャエルと同じくジョッキを手にした若い女性がおずおずと後に続いた。
その女性を見て、イットーが嬉しそうに手を振る。
対してマッシグは険しい顔をした。
「あの、ここでいいですか?」
「おー、センキュ」
ミヒャエルに確認を取り、テーブルの上にジョッキを置く女性。
マッシグは彼女に近付くと訊ねた。
「どういうつもりだ?」
びくりと体を震わせ、怯えた顔をする彼女。
ミヒャエルはユキエルにジョッキを渡しながら言った。
「そりゃ、こっちの台詞だ。その手を離せ」
剣の柄にかかった手を見ながら、ミヒャエルは言った。
だが、マッシグは険しい顔のまま。
「断る」
「マッシグ!」
語気を荒げ、ミヒャエルが司祭の名を呼ぶ。
だが、マッシグは冷たい目で少女を見据えたまま言った。
「何故、この女を連れてきた」
「お前のせいだよ」
「何?」
ミヒャエルの言葉にマッシグが怪訝に眉を寄せる。
天使は残りのジョッキをテーブルに置くと続けた。
「お前、剣でドアをぶった切って、この娘びびらせちまっただろ。おかげで、この娘、お足貰えてないんだよ」
「それで金を受け取りに来たと言うわけか」
つまらなそうに鼻を鳴らしマッシグ。
その見下した態度に少女はさらに体を小さくする。
そして、彼女は震える瞳でミヒャエルを見、消え入るような声で言う。
「あの、ミヒャエルさん。やっぱりわたし、いいです…」
「よくねーよ。アンタが遠慮してどうする」
厳しい口調でミヒャエル。
彼はマッシグを睨みつけた。
「マッシグ、払ってやれ」
「馬鹿な、何故俺が?」
「イットーが金持ってるわけ無いだろ。財務はお前が管理してるはずだ。知らないとでも思ってるのか?」
「必要ない」
「お前、いいかげにしろよ!」
苛立たしげに怒鳴るとミヒャエルはマッシグと少女の間に割り込んだ。
マッシグも負けじと天使を睨み怒鳴り返す。
「それはこちらの台詞だ。ミヒャエル、お前は何を考えてる? この女が何を生業にしているのか分かっているだろう。この女は娼婦だぞ」
「だからなんだ?」
「この女は体を売って金を稼いでいる。禁忌を犯している穢れた女だ」
マッシグは侮蔑を込め、言い放った。
確かに聖職者にはこのような考えを持つ者も少なくない。
なぜなら、体を売り金を貰う娼婦の行為は罪とされる強欲と色欲に抵触する。
それ故に彼女らは人を堕落に導く好まざる者であると考えられるのだ。
マッシグの態度はそれが顕著に現れていた。
少女の顔が悲しみで強張る。
ミヒャエルの目がすっと細くなる。
怒りをこめた冷たい声で言った。
「マッシグ、今の言葉取り消せ。んで、彼女に謝れ」
「必要ない。俺は間違ったことは言っていない」
「てめえ!」
頑なな態度のマッシグ。
ミヒャエルは拳を握りしめ、今にも殴りかからんとしている。
「ミヒャエル、ちょっと待って」
が、彼の前に立ちはだかりそれを制した者がいた。
イットーである。
彼は静かな口調で司祭に言った。
「マッシグ、謝りなさい」
「イットー様…」
マッシグが信じられないという顔をする。
もう一度。
イットーは繰り返した。
「謝りなさい」
「嫌です」
「キミは今、言ってはならないことを口にしたんだよ?」
「俺はそうは思いません」
マッシグは頑として譲らない。
彼の立場からすれば、教義に反する売春行為を認めるわけにはいかない。
「イットー様こそ、どうかしてるんじゃありませんか?この女は娼婦です。戒律を犯す罪人ではありませんか」
「どうしてそんなことを言うの…」
マッシグの悪し様な言葉にイットーの目から涙が零れた。
敬愛するイットーの涙にマッシグの心が揺れる。
だが、ここで折れるわけにはいかない。
彼はさらに畳みかけるように続けた。
「イットー様、どうかお立場をお考え下さい。貴方が戒律を犯す者の肩を持っては示しがつきません」
「それは出来ない。間違ってるのはマッシグだもの」
マッシグの訴えをイットーは悲しそうに退けた。
「何故!」
「何故も糞もあるか馬鹿野郎」
声を荒げるマッシグにミヒャエルが言った。
振り返り、マッシグが天使を見る。
不快感も露わに彼は続けた。
「何が戒律だ。何が大罪だ。黙って聞いてりゃ、くっだらねーことばかり言ってよ。馬鹿じゃないの?馬鹿じゃないの、お前?」
「何だと!」
吐き捨てるように言うミヒャエルの言葉にマッシグの顔が怒りで歪む。
「ホント大馬鹿野郎だな、お前。くだらない価値観で人間を勝手に仕分けして良い気になってよ。何様だっての?」
言うとミヒャエルは悲しい目で少女を横見た。
いつの間に移動したのか少女はユキエル の側にいる。
不快さを隠そうともせず、むっつりとした顔でマッシグは言う。
「俺はただ神殿の戒律に従っているいるだけだ」
「戒律?しらねーよ、そんなのお前ら神殿の人間が勝手に作ったルールじゃん。お前らが作ったルールでお前らの作った物差しでお前らに都合のいいように差別してるだけだろ」
「違う!」
「何が違う? お前はこの娘を仕事の内容だけで穢れたと言ったんだぞ。第一、お前だって他人のこと偉そうに言える仕事か? 彼女が穢れてるというならば、お前はグズグズに汚れまくってるじゃねーか」
「違う!」
「神殿の命令だからか? 神殿の仕事だから人殺しでも穢れないってか? 随分と都合のいい話だな」
皮肉をたっぷり込め、矢継ぎ早に繰り出される言葉の嵐。
マッシグは言い返すことも出来ず、言葉に詰まった。
そして、とどめの言葉を天使は放った。
「戒律とやらに照らし合わせるなら、お前は間違いなく罪人だな。今のお前は傲慢だ」
彼の言葉にマッシグは苦々しい顔をした。
そして、そっぽを向くと、懐から皮袋を取り出した。
数枚の硬貨を手に取るとミヒャエルの前に差し出した。
「これで文句はあるまい」
ミヒャエルは無言で彼から硬貨を取り上げると、続いて頭を張り飛ばした。
マッシグがミヒャエルを睨む。
「何をする!」
「何をするじゃねーよ。お前なんで俺たちが怒ってるか分かってるのか?」
「だから、イットー様の支払いを…」
再び頭をはたくミヒャエル。
「それだけじゃないだろ! ホントに人の気持ちがわかんない奴だな」
「これ以上何をしろと言うのだ?」
「今までの話の流れを思い出せよバカアホマヌケドーテイ!」
「さ、最後のは関係ないだろ?」
「知るか! お前、脳筋だからって、限度ってもんがあんだよ!」
言うとミヒャエルはマッシグの体を少女に向けさせた。
マッシグの目に怯え、様子を伺う少女の姿が映る。
「お前が人を殺すのにも色んな経緯や事情がある。彼女が娼婦してるのだって、同じだろ? だったらよ、仕事で人を見下すのはおかしいじゃんか」
「む…」
ミヒャエルに言われ、マッシグが唸る。
確かに彼は職業のイメージだけで彼女を判断し、侮蔑していた。
彼女がどんな人間かも分からずに。
だからこそ、イットーは哀しみ、ミヒャエルは怒ったのだ。
「司祭がそれじゃあ駄目だろ」
「申し訳ない。俺が間違っていた」
うなだれ。力なく言うマッシグ。
ミヒャエルはさきほど奪った硬貨をマッシグの手に渡した。
「そう思ってんなら、きちんと伝えろ」
そして、背中を押す。
押し出されるようにマッシグは少女の前に行った。
少女の体が強張るのが分かった。
俺の態度が彼女を怯えさせているのだ。
そう思うと、今まで何故あれほどまでに意固地になっていたのか分からなくなった。
俺が教義を信じてしたことは目の前の少女を怖がらせることだけか?
情けなかった。
マッシグは深く少女に頭を下げた。
「すまない。俺が間違っていた!」
「直球だな」
少し呆れたようなミヒャエルの声。
しかし、構うものかと思った。
間違っていると気付いた今、彼に出来ることはコレしかなかった。
色んな言葉で飾り付けれるほど器用ではない。
「許してくれとは言わん。俺の言葉が君を傷つけたのは間違いない事実だからだ。どう罵られても、俺には文句は言えん」
そこで顔を上げ、じっと少女を見る。
マッシグは手にした硬貨を少女の前に差し出した。
「ただ、何を今更と思うかも知れんがこれだけは受け取ってくれ。頼む!」
少女は戸惑っているようだった。
先程まで自分を悪し様に罵っていた男の態度の変化に困惑しているのかもしれない。
だが、それでも、恐る恐る彼女は手を伸ばし、硬貨を受け取った。
そして、それをぎゅっと握ると大事そうに胸に抱えた。
彼女はほっとしたように笑みを零した。
「ありがとうございます。おかげで母の薬を買うことが出来ます」
その笑みを見た瞬間、マッシグの目から涙が零れた。
膝から力が抜け、崩れ落ちる。
そして、恥ずかしげも無く大声で泣きながら謝った。
「俺は恥ずかしい! 君のような人を穢れたなどと言った俺が。穢れていたのは君じゃない、俺の心だ!」
「あ、あの…」
突然泣き出したマッシグにおろおろとする少女。
そして、どうしようと辺りを見回す。
ユキエルはきょとんとしていた。
「何なの、この人?」
ミヒャエルは苦笑していた。
「根が単純なんだよ。オンかオフしかねーの」
イットーは微笑んでいた。
「でも、マッシグらしいよ」
皆、一様に言いたいことを言っている。
だが、この事態を収拾する気は誰にもさらさらないようだった。
やむなく。
少女はマッシグに言った。
「司祭様、どうか泣き止んでください。そのお気持ちだけで私は十分ですから」
「なんと優しい言葉! 俺はこんなこんな子に対してなんてことを!」
その言葉にまた号泣するマッシグ。
もうどうしたら良いのか分からなかった。
その時。
彼女の前にジョッキが差し出された。
見るとミヒャエルだ。
「お詫びの代わりじゃないけどさ。こいつが落ち着くまでこの場離れにくいだろ? とりあえず飲んでけよ」
「はあ…」
見れば、他の面々はそれぞれ適当に飲み始めている。
確かにこの空気で一人退出するのは気が引けた。
促されるように彼女はジョッキに口をつけた。
そして、ふと思った。
この人達は一体どういう集まりなのだろう。
さっぱり想像が付かなかった。
ただ、悪い人達ではないのかなとは思った。
最終更新:2011年06月23日 10:57