少女は帰っていった。
彼女は、はにかむように笑い、頭を下げると出ていった。
彼女を見送りながら、ユキエルは小さな声でミヒャエルに言った。
「アンタ、あの時『結んだ』でしょ?」
「ありゃ、バレたか?」
小さく舌を出し、ミヒャエル。
まるで悪戯を見つかった子供だ。
「わかるわよ、明らかにマッシグさん途中から感情の起伏に違和感あったし。アンタのフォローもおかしかったしね。ああいうのをオン・オフの差が激しいとは言わない」
「鋭いね!さっすがはマミマミだなぁ!」
軽い調子で言うミヒャエル。
彼の言葉にユキエルは軽く眉を顰める。
「その呼び方いい加減に止めてくんない?」
「いーじゃん、かわいーじゃん!」
「だから、イヤなのよ」
楽しそうに言うミヒャエルにユキエルは苦い顔をした。
これでも彼女は天界では慈愛神の信頼厚く、またかなり厳しい管理職として名が通っている。
周りの天使たちは男勝りな彼女を尊敬と畏怖をこめ『ボス』と呼んでいるくらいだ。
だが、彼だけは違う。
彼は昔から仲の良い女性に妙なニックネームをつけて、それを普通に使うくせがあり、それは彼女とて例外ではなかった。
彼にしてみれば、おそらく親愛の表れなのだろうが、相手の立場関係無しで使うのが困りものだ。
例えばイットーの後を継いだ現法王メイサはメイメイだし、慈愛神アガ・ぺーですら彼にかかってはアーちゃん呼ばわりである。
おかげで彼と話していると周囲に示しがつかなくて困る。
不思議なのはメイサにしても、アガ・ぺーにしても、普通にその呼び名を受け入れているところだ。
これも彼の人徳と言うべきだろうか?
ともあれ。
彼女はミヒャエルを見て、言葉を続けた。
「相変わらず鮮やかな手並みね。腕は衰えてないじゃない」
「誉めても何も出ないぞ。まあ、チューくらいならしたるけど」
「いらんわ!」
ふざけるミヒャエルに思わずユキエルは突っ込んだ。
しかし、彼の手際に舌を巻いていたのは本当だった。
普段はふざけてばかりで、あまり仕事をしない彼だが、その技量はさすがの一言に尽きる。
先程でも、たまたま険悪な様子を不安に思い、少女にマッシグが何かしようとしたら、しばいたろと彼らの様子を注意していたから気づいたに過ぎない。
信じがたい位に見事な手並みだった。
彼はマッシグとイットーが話している時に少女をユキエルの側に促した。
その時、彼は彼女の小指から縁の糸を引き出した。
続いて、マッシグの手から硬貨をひったくった際に糸を引き出した。
そして、彼を説き伏せ、心が揺れ動いた絶妙のタイミングで手早く結んだのだ。
実に自然な動きだった。
恐らく、当人たちも縁を結ばれたことに気づきすらしなかっただろう。
ユキエルはこれみよがしにため息をついた。
「完全に宝の持ち腐れよね」
「何だよ急に?」
怪訝な顔をするミヒャエルに彼女は言う。
「ちゃんと働けばバリバリ出世できるのにって言ってんの」
「残念!興味ねーっす」
「言うと思った」
ミヒャエルの言葉にユキエルは苦笑する。
そして、訊ねた。
「じゃあ、その出世に興味もなくて、仕事もろくにしないミヒャエルさんが何で今回は二人の縁を結んだの?」
「あの場を納めるにはアレが一番だと思ったんだよ」
「へえ?」
「マッシグだって、根は悪い奴じゃないからな。教義にガチガチに縛られてたからアレだったけど、少し違った見方ができれば歩み寄れると思ったんだ。だから、すっと情結び」
言うとミヒャエルは紐を結ぶ仕草をした。
「あら、恋結びじゃないの?」
意外とでも言うようにユキエル。
彼は憮然とした顔で答えた。
「俺は天使の力で無理やり恋のキッカケを作るのは嫌いだ。第一、あの二人はそんなカンジじゃないだろ?」
「それもそっか」
気楽なカンジでユキエルは笑った。
ちなみ先程彼らが話していた『情結び』『恋結び』と言うのは縁の糸の結び方である。
縁の糸は、その結び方によって、効果が異なる。
たとえば情結びならば、情が湧く。
恋結びならば胸がときめくと言った具合である。
勿論、縁を結んだと言っても、効果はそう強いものではない。
彼らが作れるのはあくまでもキッカケに過ぎない。
最終的にどのような縁を強く結ぶかは当人たちの意志なのである。
「それにああ見えてマッシグの奴、面倒見いいからな。司祭と仲良くなれば、あの娘にとっても悪くはないかなって。別に好んであの仕事してる風でもなかったし」
「そうね。なかなか可愛いコだったし?」
「可愛いだけじゃないよ。なかなか肝も据わってる」
「うを、どこから湧いたイットー!」
突然会話に割り込んできたイットーにミヒャエルが驚く。
イットーはそんな天使に苦笑する。
「さっきからいましたよ。酷いなあ…」
「「マジで?」」
思わずハモる二人。
イットーは二人を見ると言った。
「仲良いね、キミたち。あんまり仲良すぎるとマッシグが拗ねちゃうよ?」
「マッシグさん?なんで?」
きょとんとした顔のユキエル。
まったくマッシグの気持ちには気づいていないようだ。
対してミヒャエルの方はピンときたらしい。
眉間に深い皺を作り、難しい顔でイットーに近付くとヒソヒソと訊ねた。
「それ、マジ?」
「ホントホント。ボクもビックリしたんだけど、どうやらそうみたいよ」
「よりによってマミマミかあ」
彼の言葉に天使はなんとも言えない顔をする。
「大変だぞ~」
「だろうね」
イットーも同じような顔で頷いた。
「仮にうまく行っても苦労するだけだと思うんだけどね」
「アイツ、マゾじゃねーの?」
「どうだろ。確かに苦労を自分から背負い込むところはあるけど」
深刻な顔で黙り込む二人。
そこでさっきからコソコソ話してる彼らを怪訝な顔で見つつユキエルが訊ねる。
「何の話?」
「あ?まー、そうだな。恋はめんどくさいて話だ」
「ふーん?」
適当なミヒャエルの言葉にユキエルは微妙な顔をしたが、あえて突っ込んできたりはしなかった。
内心、ほっとしながら、ミヒャエルは脱線したに話を戻す。
「で、あのコが何だって?」
「うん。話を聞いたら、結構苦労してるみたいなのね」
そう切り出すとイットーは彼女から聞いた身の上話を語り出した。
彼女も最初は普通の商家に勤めてたらしい。
だが、店が倒産。
しかも、母親が病気にかかり、治療費と薬代に今までに貯めた蓄えも消えていった。
そして、とうとう手持ちの金も底をつき、切羽詰まった彼女は身を売る決心をした。
だが、娼婦の世界のことなど、彼女に分かるはずもない。
どう身を売ればいいか分からずうろうろしてる所を宿から外を眺めていたイットーが見つけ、彼女を部屋に呼んだ。
事の次第を聞き、イットーはいたく同情した。
そして、マッシグが帰ってきたら、その薬代を出させようと言った。
だが、彼女はそれを断った。
私は物乞いではありません。
何もせず、お金をいただくわけにはいきません。
彼女はそう言ってきかない。
話相手になってくれただけで十分だよと言うイットーにも、頑として譲らない。
それでは私の気がすみません。
さあ、私を抱いて下さい。
初めてですが大丈夫!
そう言って聞かない。
しかたなく、イットーは…。
「ちょ、ちょい待ち!彼女、初めてだって言ったか?」
「うん。処女だったよ。だから、最初は苦労したんだ、痛くないようにゆっくりとね・・・」
「その初めてじゃねぇよ!何で俺がお前破瓜さした瞬間に食いつかなくっちゃんらねぇんだ。仕事の事だよ、仕事の!」
「あ、そっち?うん。確か、そう言ってたよ」
「しかも、その流れだとどこの店やグループにも属してないよな?」
「多分」
「マズいな…」
眉をしかめ、ミヒャエルは言う。
「ソレ、場合によっちゃ、あのコがここらで仕事してる連中の縄張り荒らしたて事になるんじゃねーか?」
「どういうこと?」
「だから、そーゆー商売て、縄張りが決まってたりするだろ?彼女がフラフラしてて、イットーが部屋まで呼んだ。で、お楽しみのとこをマッシグが部屋に乗り込み、彼女は逃げた。ここまではマシだ。ちと苦しいが、席を外した好きに浮気相手といちゃついてた上司に業を煮やした部下がブチ切れ、悶着を起こし、彼女は逃げたと言い訳できんことはないだろ。それにここで金は支払われてなかったから売春は成立してないしな。だが、しばらくして彼女は戻ってきて、金を受け取り、帰った」
「そこで売春が成立した。つまり、縄張りを荒らしたとなるわけね?」
「じゃぁ、金を払えといったミヒャエルのせい?」
「確かに事情を知らなかったとは言え、俺にも責任の一旦はあるな」
苦い顔でミヒャエルは頷く。
「だが、問題はむしろ俺よか…」
「大声で何度も何度もご丁寧に彼女を娼婦娼婦と叫んだ馬鹿野郎がいたことね」
「そう。それで彼女は娼婦だってのが辺りに聞こえまくった訳だからな」
ゆーっくりと一同の視線がマッシグに向く。
「ん?」
一同に見つめられ、キョトンとしたマッシグ。
状況を理解して無いと見える。
まあ、司祭と暗殺一直線な彼に娼婦の縄張り云々なんて話が分かろうはずも無い。
一同深いため息。
「ノンビリしてる場合じゃねーぞ」
とりあえずミヒャエルは三角座り状態のマッシグを軽く蹴った。
「な、何だ!?」
慌てて立ち上がるマッシグ。
「いいから!」
ミヒャエルは彼の手を素早く掴むと小指に触れた。
訳の分からないマッシグは悲鳴を上げる。
「なぜ、俺の手を握る!気持ち悪いから離せ!」
「うるへー。俺だって好きでしてんじゃねーよ」
言うや、彼はすっとマッシグの指から手を離した。
すると彼の手に引っ張られるようにマッシグの指からするすると赤い糸が伸びてくる。
「うわ、俺の手からへんなものが!何をした?」
「いちいちうるせーなあ。何をする何をするって、しつこいから分かり易いようにお前の目にも見えるようにしてやったんだよ」
「だから、何を?」
疑問の声を上げるマッシグ。
それにはイットーが答えた。
「ソレ、縁の糸だね」
「ピンポーン♪」
「これが俺の縁の糸だと?お前、これで一体何するつも…」
「悪いが時間が無いんでちゃっちゃ説明するぞ。質問は無しだ。さっきのねーちゃんがトラブルに巻き込まれる可能性がある。ぶん殴られるくらいで済めばいいけど場合によっては最悪の事態も考えられる。だから、俺たちはそれを阻止するために急いで彼女を追いかける。で、彼女の居場所を知るのにお前から彼女に繋がってるこの糸を手繰る。OK?」
「お、OK」
矢継ぎ早に飛び出す言葉。
凄まじい剣幕の天使に押される形でマッシグは頷いた。
「なら、いい。じゃあ、急ぐぞ」
「う、うむ」
とは言ったものの、マッシグには何がなにやらといったカンジであった。
彼に理解できたのは、先ほどの少女に危機が迫っているというのと、切迫した状況であるということだけだ。
まあ、なんにしても彼にしてみれば、それだけで十分と言えば十分だ。
「詳しいことは分からんが荒事なら任せろ!」
剣の柄に手をかけ、力強くいうマッシグ。
「アホか!」
ミヒャエルはそんな彼の頭をはたくと、呆れ顔で言った。
「非は完全にこっちにあるんだから、なるべく穏便に済ませたいの俺たちは」
「そうなのか?」
「あー、もー、めんどくせーな!」
ミヒャエルはイライラして叫ぶ。
そんな時。
ゴッ。
唐突にそんな音がした。
そして、同時にマッシグが白目を剥き、崩れ落ちる。
「彼が気絶してても糸は手繰れるでしょ?」
倒れた彼の背後にはユキエル。
手には部屋に備え付けの燭台が握られていた。
どうやら業を煮やし、この燭台で物理的にマッシグを黙らせたらしい。
「彼女が部屋を出てからそれなりに経ってる。もしも、制裁をくわえるつもりで待ち伏せしてる連中がいたら、遊んでる時間は無い。急いで!」
「を、をう!」
ユキエルに促され、ミヒャエルは糸を手繰った。
糸を手繰る。
これは天界用語で縁の糸の結び先の相手の居場所を探る縁結びの天使の能力の一つである。
本来は縁結びの相手を見つける為に、強い結び付きの相手を探すのに用いる技であるが、今回はこれを単純に人捜しに応用したのだ。
かつて、イットーに頼まれ、メイサと結び付きのあるユキエルを捜し出したように。
彼は糸を手にすると小さく呪文を呟いた。
刹那、糸が淡い光を放ち、同時に彼の頭の中に早送り映像のように街の風景が流れてくる。
これは彼らがいる現在地から糸の結び先である少女の居場所までの道筋を文字通り辿っているのである。
「見えた!」
やがて、糸の結び先の相手の居場所が彼の脳裏に浮かんだ。
彼はやや苦々しい顔で言う。
「表通りから随分離れてる…。どうやら路地裏に連れ込まれたみたいだな」
「急がないとヤバいわね」
「ああ。行くぞ!」
彼の言葉にユキエルは頷く。
「ところでマッシグはどうするの?」
「そこに置いとけ!」
昏倒してる司祭を指差し、訪ねるイットーにミヒャエルは短く言い放つと走り出した。
最終更新:2011年06月23日 10:59