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0系新幹線(P.D.)
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asaahingaeaw
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0系新幹線(P.D.) とは東海道本線東京-大阪間または横須賀線東京-横須賀間を走行する日本初の高速鉄道車両である。
0系新幹線(P.D.) の性能
製造年 | 1958年〜1972年(14年間) |
運用開始・就役年 | 1964年 |
引退年 | 2002年〜2009年 |
廃車 | 2002年〜2012年 |
最高速度 | 240km/h |
編成数 | 1,771本 |
編成・両数 | 5両(S編成)、10両(G編成)、16編成(H編成) |
運用線区 | 東海道本線東京-大阪間、横須賀線東京-横須賀間、横浜線横浜駅-八王子駅間、中央本線東京-新府間 |
制御方式 | VVVFインバータ制御 |
制御装置 | Japan OLI制御装置、Hyer装置 |
制動装置 | 発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ |
保安装置 | ATS-B/S/Sn/ST/SW/SK/P,ATC |
番台区分と延命工事
1,771本のうち200本は0番台と言われる番台であり、残りの917本は2000番台と呼ばれ、延命工事がP.Dの世界での新幹線の開発者山本 龍太郎によって施された。
開発の経緯
日本国有鉄道の幹部候補だった山本 龍太郎氏と戦時中ドイツに留学していた物理学者中森 勤氏の共同研究によって0系新幹線は開発された。最初は標準軌しか対応していなかったが狭軌用の高速鉄道の開発に成功した。これによって車両自体の小型化に加え、大幅コストカットを実現した。
0系新幹線の運用
東海道本線東京-大阪間、横須賀線東京-横須賀間、横浜線横浜駅-八王子駅間、中央本線東京-新府間にて1964年に運用された。最初は東海道本線の東京-新大阪間を僅か3時間で踏破してしまう。その結果、運用開始日当日に普通列車と快速列車が17分22秒遅れになったことはあまりにも有名だ。そして翌年の1965年、日本国有鉄道は緊急声明を出し、普通列車、快速列車、急行列車、特急列車が全て0系新幹線に統一され、急行列車と特急列車には引き続き、自由席と指定席、食堂車にグリーン車が続投した。
車両の引退
車両の引退式は2002年に東京駅で執り行われた。その後、東京総合車両センターで順序に廃車され、後任は100系新幹線(P.D.)と300系新幹線(P.D.)他、E1系新幹線(P.D.)も担当する事となった。