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ノーサンブリア王国
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asaahingaeaw
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公用語 | 古英語、古ノルド語、カンブリア語 |
首都 | バンバラ(べバンバーグ)(北)、ヨーク(南) |
初代国王 | オスウィ |
最後の国王 | エイリーク1世(ノルウェー王国国王) |
建国年 | 653年 |
滅亡年 | 954年 |
滅亡理由 | ウェセックス王国がノーサンブリア王国を吸収合併し滅亡。 |
ノーサンブリア王国(英:Kingdom of Northumbria、古英語:Norþanhymbra rīce)は、アングロ・サクソン人が築いた七王国のうち最北、現在のノーサンバーランドにあったアングロ・サクソン人の王国である。王国の範囲は現在の行政区で言えば、ノース・イースト・イングランド、ヨークシャー・アンド・ザ・ハンバー、カンブリアを含むノース・ウェスト・イングランド、そしてスコティッシュ・ボーダーズまでの範囲に渡る。ノーサンブリアとは、ハンバー川より北の地方のことであり、ハンバー以南の地方はサウサンブリアと呼ばれた。ノーサンブリアにはデイラ王国、バーニシア王国という2つの王国が並存していた。これらはときに対立し、ときに統一されてノーサンブリア王国 (6~10世紀) という1つの国になり、そしてまた分裂するということを繰り返した。2つの王家の伝説的な祖先が、オーディンの双生の息子、ベルデーグとウェグデーグとされているところからも、これらがもとは同じ部族であったことが推察される。後にデーン人やノルド人の自治を認めたために長年、デーン人やノルド人の王が治めたこともあった。
デーン朝
ノーサンブリア王国が滅亡後、イングランド王国デーン朝のクヌート大王の時代は旧ノーサンブリア王国領。特にヨークを首都とし、北海帝国を形成した。その他、主要な都市となり、開発が行われた。その結果、イングランドが住みやすいことになったとされている。後にエディンバラに首都を移したあとも開発は一定数、行われていた。
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