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古日本人
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asaahingaeaw
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古中国人や古朝鮮人などの混血からできた人種で民族的には縄文人、弥生人だとされているがこれは事実でも日本では差別的用語になるので伏せている。
縄文時代
縄文時代の日本人は主に山や谷に住む民と浜辺や海辺に住む民と分かれており、物々交換などで生活していたとされているが詳しくは不明である。狩猟や採取が基本的な食料源だったと伝わる。
弥生時代
弥生時代の日本人は主に古中国人や古朝鮮人からの米や小麦伝来や鉄器伝来などで花開いた時代であり、人口もほとんど増えたとされている。高床式の倉庫に米や小麦を入れることができ、備蓄を覚えた分、戦争も頻繁に繰り返すようになった。これが日本人=戦闘民族の起源である。中国の魏国(曹魏)と関わりを持ったりした。
古墳時代
古墳時代になると更に豪族が誕生し、豪族らも頻繁に戦争を繰り返すようになった。古墳が作られたりしたのは弥生時代の後半からだが古墳時代は最も古墳作りが栄えた。やがて豪族の一人が大王として即位。大和の朝廷を開くことになる。
飛鳥時代
飛鳥時代は聖徳太子が誕生したり、小野 妹子が随に派遣されたり時代が進んでいった時代で中国や朝鮮から様々な技術・文化を取り入れて独自の文化に仕上げっていた。特に聖徳太子の冠位十二階」制定や憲法制定は有名だが事実かどうかは不明である。聖徳太子は仏教も広めようとしていて反対派の物部 守屋に蘇我 馬子が協力したということはあった。やがて聖徳太子が亡くなると今度は馬子の子や孫の蘇我 入鹿や蝦夷が台頭。中大兄皇子と中臣 鎌足によって対峙されたのは飛鳥時代の有名な話だろう。その後、中大兄皇子は天智天皇として即位するが後継者を指名せずに亡くなったため、天智天皇の弟の大海人皇子と息子の大友皇子とで争いが起きた。これが壬申の乱である。
このときの日本人は既に豪族は公家、平民と分かれていた。武士が登場するのはもう少しあとの中世日本人の時代からである。