とあるまおうのにちじょうきろく03
とある魔王の日常記録03




いつもどおりお弁当を持って街に繰り出す。
きょうのノルマは今まで足を踏み入れていなかった南西のエリアだ。
商人のおっちゃんや街で仲良くなった人たちからは、あそこはガラがよくないからやめといたほうがいい、と言われていたが、むしろ『好奇心』を刺激された。
よくないガラってどんな模様なんだろう、とわくわくしながら足を進める。
町並みを観察しつつ、どこかな、まだかな、どんなガラかな、と思いながらどんどんと奥に進む。
認識間違いにはまったく気付くことなく閑散とした広場に到着した。
あれ、おかしいな、と思いながらゴロゴロは朽ちかけた倒木に腰掛ける。
きょろきょろと周囲を見渡す、ゴロゴロにとってはさほど気になるほどでもない光景、多少建物の外壁が薄汚れてたり、干してある洗濯物が黄ばんでいたりするくらいだ。
窓から見下ろす人影に気付いて手を振ってみるが、ささっと奥に隠れられてしまった、ゴロゴロの頭に疑問符が浮かぶ。
だがしかし、この辺りに来たことがなかったのは、今見るからに明らかなので問題はない。元々はゴロゴロはこの辺りを踏破することが目的だったのだ。
ショルダーポーチをするりと動かし、揃えたふとももにちょこんとのせて、中からバスケットを取り出す。
ゴロゴロの宝物、『ビスケットでできたハロウィンのパスケット』だ、ゴロゴロはこれにお菓子を入れている。
お気に入りのクッキーを取り出して、口の中に放り込む、もぐもぐと咀嚼するたびに広がる穏やかな小麦の香り、柔かな砂糖の風味と調和するバターの舌触り。
いつ食べても美味しいこのクッキーがゴロゴロは大好きだった。
「ナーウ」
「ん?」
そんなゴロゴロの足下に声をかける猫がいた。
「あれ、なんでここにいるの?」
体重8キロを超える重量級の猫で、ゴロゴロとは顔見知りではあるが、ここはナワバリではないはずだ。
「ナーウ」
「え?そっちこそなんでここに来たのかって?この辺り来たことないから気になっただけだよ」
「ナーオ」
「ここは子供の来るところじゃないって?どういうこと……」
そんなふうに、ゴロゴロはその猫と話をしながら、バスケットからクッキーを取り出して食べようとしたその時。
物陰から小柄な人影が躍り出て、膝に乗せていたバスケットをひったくって持っていってしまったのだ。
ぽかんとしてその後ろ姿を見送るゴロゴロ。
「ウーナ」
「うるさいなぁサンマに気を取られてたから仕方ないでしょ」
倒木から腰を上げて、スカートの埃をぽいぽいと払う。ちなみにサンマとはゴロゴロに話かけたこのデブ猫の名前である。
バスケットの中身はともかく、バスケットそのものは取り戻したい。そんなことを思いつつも、ゴロゴロは特に急ぐことなくガラの悪いというこの地域を歩くのであった。
どこに行ったかは何となくわかるので、走る必要はないのだ。
そしてゴロゴロは、スラムの奥へと単身極めて無防備に進んでいくのであった。

ゴロゴロは、バスケットを盗んだ子供たちにおいつき、バスケットを返すように言う。
追いついた先で、スラムの子供達が我先にバスケットに入っていたクッキーを力尽くで奪い合う光景を目の当たりにする。
男の子も女の子も、小さい子も大きい子も関係ない。
スラムの人間にとって甘いお菓子というのはまるで麻薬のような美味だった「
「ナーウ」
なぜか付いてきたサンマが、そんな光景をまるで餓鬼だなと言う。
「餓鬼ってなあに?」
「ふにゃう……」
無知なゴロゴロに、サンマのどや顔があきれ顔に変わる。
バスケットの中身はあっという間に飢えた子供達の腹の中に収まったが、満たすには至らなかったようだ。
いくつもの野獣のような目がゴロゴロへと向けられる。
舌が美味を感じてしまい、警戒心がなくなってしまっているようだ。
さっきは気の緩んだゴロゴロの隙をついてバスケットを盗んだはずなのに、このようなスラムに単身乗り込む奴が常人であるはずがないとだれもがわかっていたはずなのに。
「中身は別にいいけど、そのバスケット返してね」
そんなふうに下手に出るゴロゴロに、スラムの子供達はつい調子に乗った。
返してほしければ、食い物と金目のものをよこしな、などと言う。
ゴロゴロの服は見るからにいいものだったので、子供達はあわよくば服も奪おうなどと考えていた。
そんな子供達の考えはさておき、食い物と金目のもの、と言われてゴロゴロはちょっと考える。
そしてポーチから無造作に『金塊』を取り出した。
きょっ、と目をひんむく子供達。当然だろう、その金塊は子供達のだれよりも、あろうことかゴロゴよりも大きいように見えたのだから。
こんな大きいものを一体どこに持っていた、そんな疑問が浮かび上がったが、それは即座に打ち消された、冒険者の証によるアイテムボックスの存在があるのだ、それだろうと彼らは判断する。
「あと食べ物はこれしかないなあ」
さっき食べようとしていたクッキーである、子供達に食い散らかされ、最後の1枚しかない。
「足りないよね?」
「当然だ」
「だよねえ、しょうがないなあ」
するとゴロゴロは、子供達の目の前でクッキーをぱりっと半分に割る。
そして手の中でもぞもぞとしているとさらにもう一度ぱりっと割る音が聞こえる。
「おい、やめ……」
粉々にして食べられなくするという嫌がらせをしていると思ったリーダーっぽい男の子が制止の声をあげた。
ぱりっと3度目の音と同時に、ゴロゴロの手の中からクッキーがなんと2枚落ちてきたではないか。
しかもクッキーの大きさは、みんなが食べたものと同じ大きさ、同じ形。
茫然とする子供達の目の前で、もういちどぱりっと音がしたかと思うと、今度は3枚落ちてきた。
地面に転がるクッキーは合計7枚、小さいゴロゴロの手からは何枚ものクッキーがはみ出して見えている
一体目の前で何が起こっているのか誰も理解できないままに、ゴロゴロは気にせずもう一度ぱりっと音をさせると、今度は5枚落ちて地面に12枚のクッキーが散らばった。
「ごめんだけど、みんなで拾ってね、ボク今手が離せないから」
ぱりっ、と音を立ててゴロゴロの手の中からクッキーが落ちる、今度は7枚か、その数はどんどん増えていく。

これこそ『魔王のクッキー』と呼ばれる、ゴロゴロお気に入りのクッキーだ。
囓っても元の状態に戻る。割ると2つとも元の状態に戻る、永遠に食べられる極めて普通のクッキーである。
茫然とする年長の子供達をしりめに、幼い子供達が近づいてクッキーを拾い集める。
ゴロゴロの手からこぼれるクッキーは加速的に増えていき、最初は取り合っていた子供達も、意味のないことを即座に悟り、みんな好きなように拾い集める。
ある子供は、服の中にぎゅうぎゅうに詰めこんだり、またある子供はパンツの中に詰め込んだり。
拾ってすぐむしゃむしゃする子、さっきはあぶれて食べられなかった子も今度はしっかり口にすることがことができた。
先ほどまでの殺伐とした奪い合う子供たちはもうおらず、誰もが不自由なくお菓子を堪能していた。
リーダー格の男の子だけがゴロゴロを見据えている。
「お前、何者だよ」
「ボク?ボクの名前はゴロゴロです。冒険者やってます。職業は『庭士』です」
ゴロゴロの自己紹介に、少年はやはりかと思った。かくいう少年も駆け出し冒険者なのだから。
もっとも、冒険者登録をしただけで、活動をするには幼すぎてギルドからは活動を制されている状況ではあるが。
「冒険者をやってるとそんなことができるようになんのか?」
少年の興味はゴロゴロの力量よりも技術のほうだった。クッキーをふやす特殊能力を会得できるのか。もしできるなら一生くうのには困らないなどと思っていた。
「うーん?これふやすのは冒険者関係ないと思うよ。だいぶ昔からボクできたしこれ」
ゴロゴロの返答に落胆の顔をする少年のスボンを引っ張るものがあった。
「にいちゃん、はい」
やせた幼い女の子だ、ゴロゴロよりもなお小さい。
そんな子が、拾ったクッキーを自ら食べず、リーダー格の少年に差し出しているのだ。
最も、反対側の手にはこんもりとクッキーが握られているのだが。
少年はクッキーを受け取り、ぱりっと割る。ただの2分割されたクッキーだ、変哲もないクッキーだ。
「そろそろいい?まだ要る?」
会話を続けながらもゴロゴロはクッキーを割って増やし続けていた。こぼれ落ちたクッキーがこんもりと山になっている。
子供達は各々十分と思うほど取ったようだ、服をパンパンにしながら少し離れた場所で思い思いに食べている。
「もういいかな。じゃあ返して」
誰ももう来ないのだ。もういいと判断してゴロゴロはクッキー生産をやめて、バスケットを返すよう要求する」
その要求に、少年はしぶしぶといった様子で応じる。
彼にとって、金めのものとか食い物とかは正直もうどうでもよかった。
むしろ冒険者として、力あるものとして己より高みにある目の前のゴロゴロを引き留められなくなることを惜しいと思っていたのだ。
ゴロゴロは少年からバスケットを返してもらい、手の中のクッキーをその中に入れる。
そしてバスケットの中でパリパリと割って、クッキーをこんもりと溢れさせた。いつもの状態である。
「それじゃあボクはもう行くね。みんななかよくたべてね」
「ナーウ」
サンマがふんふんと落ちたビスケットの匂いを嗅いで一声鳴いた。サンマはいらないようだ。
「お、おい」
「ん?なあに」
来た道を戻ろうとするゴロゴロを、少年が呼び止める。
「また会えるかな」
「もう来ないよ、目的は終わったし」
少年は振られた。

そしてその日、ついでにスラムの子供達からあらゆる病気が消えた。
最終更新:2017年09月19日 12:53