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「ん…」
目が、覚めてしまったようだ。
時計は午前3時を指している、家族は全員寝静まっている頃だろう。

……嫌な、夢を見た。

「おにいさま……」
そっと、夢に出てきた人物の名前をつぶやく。
そして、バカみたいだ、と自分を嘲笑った。
「もう、私のところに戻ってくるはず…無いじゃない」
こんな夢を見た時、私は決まってピアノを弾きに行く。
こんな時間に非常識だと思われるかもしれないが、なにせ自慢じゃないが私の家は広い。 
ピアノは別館にあり、その音は一番私の家に近い隣人だけでなく、家族にだって聞こえないのだ。


---月の光。
まだ私が幼かった頃、このピアノがリビングにあった頃に、
私は覚えたてのこの曲を弾き、お兄様は私の拙いピアノを褒めてくれた。
間のとり方もめちゃくちゃで音も外していたのに、お兄様は落ち着く、といってくれた。
私も嬉しくなって、たくさんこの曲を弾いたものだ。
しかし、お母様はそれが嫌だったらしく、ピアノを別館に移してしまった。
そもそもこのピアノは、お兄様がピアノの練習をするために、お母様が購入したものらしい。
そのうちお兄様が大きくなると、お父様のお仕事の手伝いや勉強をするようになって、ピアノはあまりしなくなった。
私はもっと幼かった頃に、お母様がそのことで私に愚痴を言っていたことをよく覚えている。
そのかわりに、とお父様は私にピアノを習わせてくれた。その結果、今ではすっかり間のとり方だって覚えられた。

私は、お父様に感謝している。

だって、この技術のおかげで、私はお兄様にほめられたのだから。
お兄様は私のことを嫌っているのだとばかり思っていた。現にそうなのかもしれないが……
でも、この曲を弾いている時だけは……お兄様は私のことを見ていてくれるのだ。

ああ、もうすぐ弾き終わってしまう。
これが終わったのなら、もう一眠りすることにしよう……




私はピアノの蓋を閉め、カバーを掛けた。
体は、すっかり冷え切っている。
ふう、とため息をひとつ吐いて、スリッパを履いた。

と、
「歌恋……冷えるぞ」
「えっ…?」
いきなり声をかけられて動揺してしまった。
振り向くと、お兄様は毛布を広げて少しきまずいような表情をしている。
「お、お兄様…?いつからそこにいらしたのですか?」
非常に重要な問題だ、私にとっては。
「歌恋が、ここに来る前から、だ」
私は顔がかなりのスピードで紅潮していくのを感じた。……当たり前だ!
全て見られていた、なんて……。
「歌恋…その、ピアノ…うまくなった、な」
「え、ええ…練習しました、から」
かなりぎこちない会話だ、と自分でも思う。しかし私達にとってはこれが精一杯なのだ。
こんな会話でも、私は嬉しくなってしまう。
「俺よりうまくなったんじゃないか?」
「い、いえっ!そんなことありえません!」
「え、そんな力まなくても…練習期間は俺より長いんだろ?その……月の光に関しては俺より上だと思う…が」
「そうでしょうか……?私が…お兄様より優位……?」
そんなことがあるはずない。これはきっと、お兄様なりの優しさなのだろう。
「ふふっ…そういうの、歌恋らしいよ……俺も、たまには弾いてみようかな…?」
そう言って、お兄様はピアノのカバーを取り、蓋を開けた。
なんとなく、だが、帰るのもこのまま立っているのも変な気がして、少し離れたところにある椅子に座って聞くことにした。
……演奏が、始まる。


ほら、やっぱり、と私は思った。私がお兄様より優位に立つなんてありえないのだ。
お兄様の月の光は、力強いのにどこか優しくて、繊細で、包み込んでくれるような暖かさがあるのだ。
それに、心が掴まれるような間のとり方をする。ここまで感動できる弾き方はお兄様にしかできないのだろう。
私は、気づかないうちに涙を流していた。
あっという間に、その不思議な時間は終わってしまった。

「ほ、ほら…やっぱりお兄様には勝てないじゃありませんか……」
「そんなことないよ、歌恋の演奏、俺はすきなんだけどな……こう、落ち着くんだよね」
「お兄様のは、なんか……感動しますね。」
私は、自分でもよくわからないが不機嫌な顔をしていた。
お母様がここにいたなら、きっと今すぐお説教されているだろう。お兄様に対してなんですか!…と。

「歌恋、もっと自分に自信にもったほうがいいよ。俺は別段人より優れてるなんて思ってないし。」
「っ!……お兄様はおかしいです!だって、今だってわたし……お兄様に負けたって、そう、思っているのに!」
「その、俺達は兄妹なんだから、勝ち負けとか……思わなくていいと思うんだ、けど」
ああ、腹が立つ。お兄様は誰よりも優れている。現に今、お父様を超える、と言われているほど腕の立つ秘書ではないか!
それなのに軽々しく私に負けた、負けるなどと口にしないでもらいたいものだ。
ましてや兄妹だから、だと?……私はお兄様と兄妹だからこそ、こんなに苦しんでいるのに……!

「っ…どうせ…!……どうせそう言って私のこと下に見ているくせに……よくそんなことがいえますね!」
……本当はこんなこと言いたくない、言いたくないよ…
お兄様は、どうしてかものすごく悔しそうな顔をしていた。
「歌恋……」
「同情なら不要です!」
「っ歌恋!」
お兄様は突然私の両肩を掴んだ。こんなことは初めてだ。
いや、そもそも私がお兄様にこんな感情をぶつけるのが初めてだったか。
私は驚いて目を丸くした。
「もういい、いいから…!そんな事言うなよ!」
お兄様がものすごく怖い顔をしているように見える。…と同時に、泣きそうな顔をしているようにも見える。
まるで、不甲斐無い自分を責めている、ような……

そうしてお兄様は私を強い力で抱きしめた。

「歌恋、今まで……ごめん」
「なにに対しての謝罪ですか…?それは」
「俺が、歌恋にちゃんと会って素直だったなら、こんなことにはならなかったのかな…?」
「えっ……」

お兄様が、素直じゃなかった……?
だって、お兄様は私より優れていて、私のこと馬鹿にしてて、嘲ってて……
「お兄様は私の事、嫌い…なんでしょう?」
「あの母親、歌恋にそんなこと言ってたのか……?」

お兄様は、一層強く私を抱きしめた。
「俺が、歌恋を嫌うなんて、昔から今まで絶対に有り得ない。」

「っ……!」
私は驚いてその手を振り払った。
だって、だって今まで……物心ついた時から私は……お母様に、お兄様が私を嫌ってるって…
だから距離をおいた、二人きりにならないよう気をつけた。
お兄様が私に近づくのは私を見て自分の優位さを確認するためだと思っていた。
それなのに…!その行動は間違っていた、の?

「わ、たし……間違ってたの…?」
「歌恋、母様に何を言われたのか知らないけど、俺が歌恋の側に居るようにしたのは、俺がそうしたかったからだ。」
「だってそれは自分の優位さを…」
「違う!」
「っっ!」
「……ごめん…でも、俺は……歌恋が好きだから、愛おしくて愛おしくてたまらないから……だから…」
「お兄…様…おにいさま…!ずるいよ!私だってそう思ってた!…でも二人きりにならないようにしてたのに…!」
「ごめんな……気づけなくて…ちゃんと言えなくて…」
「おにいさま…大好き…」
「ああ…」

そうして私は、お兄様の胸をしばらく借りた。





目が覚めると、見慣れた自分の寝室だった。
夢、だったのだろうか?
まあ、それもそうか…と自分でも不思議なくらい納得していた。
そもそもお兄様が私なんかを愛しているはずが無いのだから。

「……どう考えても夢です!本当にありがとうございました…!」
そんな夢を見てしまう自分に腹が立った。
と、同時にものすごく幸せな夢だったな、と思い、胸が苦しくなる。
ああ、いっそのことそのまま、覚めなければよかったのに。
むしろ、こんな気持ちになるのなら、見なければよかったのに。

「今寝たら続きを見てしまいそうね……」
仕方ないのでベッドからおり、本棚へ向かう。
なにか物語を読めば、別の夢を見られると思ったからだ。

……本棚の中には、いくつかの物語と楽譜が入っている。
私は、何気なく楽譜を手にした。ドビュッシーだ。
「月の…光」
私は、ふとピアノを弾きたくなった。……なぜかはわからない。
そういえば私は夢の中の最初のほうに何をしていたのだろう……?


何気なく楽譜を見ていると、月の光の一番最後のページの一番下に落書きがしてあるのがわかった。
「……?」
寝ぼけた頭でそれを読む。

《歌恋がピアノの練習を始めると聞いて、いつか月の光を弾いてほしいと思って、ここにメッセージを書くことにした。母様に聞いたけど、僕のせいで比べられてるんだね、ごめん。歌恋が僕と居たそうじゃないから、僕も距離を置くことにする。本当は大好きで大好きで仕方ないんだ。母様がなんと言おうと、それは僕自身の考え方じゃないから、気にしなくて良い。 15歳の兄様より》

「な、何…?これ」
寝ぼけていた頭はすっかりフル稼働している。
「これじゃ……さっきのも夢じゃないかもしれないじゃない!」
私は別館のピアノの部屋へと急いだ。時刻は5時。今日は学校だったっけ、と思ったがそんなことにかまっていられない。



「……っ…お兄様…」
たどりつくと、お兄様はやはりそこにいた。
「あれ、もう起きてきたのか?…まぁ、今日はいい夜だしね」
けれども、いつものたどたどしさはなく。やはり、あれは夢ではなく……。
「あ…お兄様、これ……」
そういって私は先ほどの楽譜を渡した。
「ん、懐かしいな…俺もこれを使って練習したんだよね」
「いえ、問題はそこではなく、ここ…」
「お……これは…これは中々に恥ずかしいな…でも、よく見つけてくれたね」
「じゃあ、これは……」
お兄様の、本心なの、だろうか?
「うん、これは確かに15歳の時の俺が書いたものだ。……歌恋が逃げてしまうのが嫌で、母様に内緒でね」
「っ…ぁう……お、お兄様、ずるいです……」
「俺の気持ちは前から変わらないよ、さっきも言っただろう?」
「え…では、先ほどのここでのことも夢じゃ」
「夢じゃないよ…まぁ、何も言わずに運んだ俺も俺か…」
力が、抜けた。
私にとって一番嬉しいな、と思う理想にしかなかったものが、実は現実だったと知って……そんなの、すぐに受け入れろっていうほうがおかしいのだ。

「お兄様、何故か、いきなり眠くなってきました……」
「まぁ、今日はいろいろあったからな…それよりも、今日学校あるんだろう?早く寝ないと」
俺がまた運んでやるから、眠っていいよ、と、私を膝に乗せたお兄様の顔が優しく微笑んだ。
それでまた眠くなって、頭をなでられながら私は三度目の眠りについたのだった。








学校にて、以下の言葉が飛び交ったらしい。
「ねえ、なんだか歌恋ちゃん、いつもと違くない?」
「うーん、確かに……雰囲気がやわらかいというか、はたまた眠そうというか」
「昨日なにかあったのかねぇ?もしかして恋!?……いや、お嬢様だし、お見合いかな?」
「でもさっきの授業全力で寝てたくね?夜更かしでゲームでもしてたとみた!」
「おまえはいちいちゲームに持っていきすぎ!」

瑠璃さんが教えてくれたが、私は今日はいつもと違うらしい。
やはり、気にしていなくても心境は外面に出てしまう。

だって、やっとお兄様とわかりあえたのだから、嬉しくて嬉しくて仕方ないのだ。
けれど、それは絶対に周囲に感づかれてはいけない。特に家族には絶対にだ。
だから、私達兄妹は、二人のとき以外は絶対に今まで通り接することを誓った。

これは、お兄様と私だけの、秘密だ。







(終わり)




なんでこういうのばっかり浮かんじゃうんだろうね。仕方ないね。
お嬢様と言えばピアノだと思った。

H24.3.13 歌恋推しすぎて生きるのが辛い ナオでした!
最終更新:2014年01月31日 22:16