ジャン・ド・ヴァレット

【元ネタ】史実
【CLASS】セイバー
【マスター】
【真名】ジャン・ド・ヴァレット
【性別】男
【身長・体重】179cm・71kg
【属性】秩序・中立
【ステータス】筋力C 耐久A 敏捷C 魔力C 幸運B 宝具A
【クラス別スキル】
対魔力:A
 A以下の魔術は全てキャンセル。
 事実上、現代の魔術師ではセイバーに傷をつけられない。

騎乗:D
 騎乗の才能。大抵の乗り物なら人並み程度に乗りこなせる。

【固有スキル】
軍略:C
 一対一の戦闘ではなく、多人数を動員した戦場における戦術的直感力。
 自らの対軍宝具の行使や、逆に相手の対軍宝具に対処する場合に有利な補正が与えられる。

黄金律:C
 身体の黄金比ではなく、人生において金銭がどれほどついて回るかの宿命。
 富豪になれるほどの金ピカぶりだが、散財のし過ぎには注意が必要。

守護騎士:D(C)
 他者を守る時、一時的に防御力を上昇させる。
 自身の宝具による結界内において、特に効果を発揮する。

カリスマ:D
 軍団を指揮する天性の才能。団体戦闘において、自軍の能力を向上させる。
 カリスマは稀有な才能で、一軍のリーダーとしては破格の人望である。

勇猛:D
 威圧・混乱・幻惑といった精神干渉を無効化する能力。
 同時に威圧を与える

【宝具】
『勝利へ捧げし礎石(ヴァレッタ・ストーン)』
ランク:A+ 種別:結界宝具 レンジ:1~20 最大捕捉:500人
 マルタ包囲戦に勝利して後、聖母教会に置かれた、新都ヴァレッタを形作る最初の石。あるいはそれを運んだセイバー自身の手。
 セイバーが礎石を置くことで、そこを中心に強固な結界を周囲に形成する。
 マルタ共和国の首都としてよりは、騎士団の本拠、砦としての側面が強い。オスマン帝国軍を退けた証。
 同ランク以下の攻撃を無力化する。

『全てにおいて召集を優先せよ(チタンジオーネ)』
ランク:C 種別:対軍宝具 レンジ:1~20 最大捕捉:500人
 海上戦力の消耗による、オスマン軍着上陸の危機を受け、騎士団のマルタにおける任務を何より優先すべきとした召集指令。
 同時に、長年にわたる通商破壊の成功で獲得し、戦場で用いたセイバーの奴隷と、マルタで募った義勇兵たちの象徴。
 「勝利へ捧げし礎石」と併せて使用し、結界内のカリスマで劣る対象を騎士団(=結界の守備隊)へ召集する。
 召集されたものは、騎士や兵士でなくともセイバーの陣へ加わることを余儀なくされる。

【Weapon】
【解説】
 聖ヨハネ騎士団総長。異教徒との闘い、特にマルタ大包囲戦における英雄。
 フランス、ケルシの軍人家系で知られる貴族として生まれ、1523年のロードス島攻防戦などに参加。
 その後、1557年に第49代聖ヨハネ騎士団総長として選出され、騎士団を率い軍事作戦の指揮を執った。
 しばらくは私掠船団を組織して異教徒の商船を襲い通商破壊を繰り返し、莫大な富と数千の奴隷を獲得した。
 1560年には、異教徒の襲撃による情勢の悪化を重く見たカトリック教勢力が、通商の安定のために連合して大遠征を実行。
 騎士団も54隻からの艦隊を組織しこれに加わるが、遠征は失敗し、戦力の消耗によってマルタはオスマン帝国の脅威に晒される。
 ヴァレットは騎士団へ召集を掛け、マルタの守りを固める。
 この間にも、異教徒商船への攻撃は続行され、カイロとアレクサンドリアの総督を捕虜とするなど、多くの戦果をあげる。
 来る1565年3月には、オスマン艦隊が出港。マルタ側も300を超える艦隊を組織するが、ついに上陸を許し、マルタと騎士団は包囲される。
 作物を捨て、水に毒を投げ入れ、剣を握れるものはすべて城内へ、それ以外のものはすべて城外へという徹底した籠城を開始。
 しかし、実に4倍とも5倍という圧倒的なオスマン軍によって、聖エルモ砦陥落など状況は悪化していった。

 この包囲戦において、騎士団総長ジャン・ド・ヴァレッタの活躍は指揮官としての活躍に加え、戦士としての勇猛も讃えられる。
 傭兵フランシスコ・バルビの手記によれば「彼の存在は奇跡として作用し、脅威を与える立場にいた。手には剣を持ち、オスマン軍が退却するまで最も危険な場所に身をおいていた」。
 常に先頭に立ったことで、8月19日には足に大きな傷も受けている。
 そして9月11日。騎士と兵士の8割を失いながらも、ついにマルタは守り抜かれた。
 この間、ヴァレッタは侵入者たちから捕虜を一切取らず、また野戦病院の傷病者もほぼ殺しつくしたという。
 冬を前に撤退したオスマン軍の戦死者は、3割を超えたといわれる。
 この過酷な戦闘を戦い抜いたヴァレッタは、驚くべきことに70歳の老齢であった。

 戦後、1566年3月28日。新都建設を命じたヴァレッタは、自らの手で勝利の聖母教会へと礎石を運ぶ。
 軍事的要衝としても、建築物の美しさとしても群を抜くこの都市を、人は最も慎ましい都であるとも、もっとも高貴な都であると讃えた。
 時のイギリス首相にいわく「紳士が紳士のために建てた」。
 だが、ヴァレッタは都の完成を見ずに、1568年8月21日に死去。
 一度は礎石のある聖母教会に遺体が置かれたが、1572年にカシエール騎士団総長の命で聖ヨハネ准司教座聖堂が建設される。
 騎士館を模したこの聖堂で、とくに重要な騎士とともに再び遺体を納められた。
 こうして、彼は聖ヨハネ騎士団のマルタ騎士団としての黎明期にその名を刻む。

 凄いお爺さん。
 ジャン・ド・ヴァレッタのマルタの逸話(“守り”の側面)のみを押し出したもの。セイバーなのに火力に乏しい。
 肉体も全盛期のそれではなく70歳を過ぎている状態。
最終更新:2016年10月03日 22:09