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于禁 文則

【元ネタ】三国志 三国志演義
【CLASS】アサシン
【マスター】
【真名】于禁 文則
【性別】男性
【身長・体重】182cm・80kg
【属性】秩序・中庸
【ステータス】筋力C 耐久A 敏捷C 魔力D 幸運E 宝具C
【クラス別スキル】
気配遮断:D
 サーヴァントとしての気配を断つ。隠密行動に適している。

【固有スキル】
カリスマ:C-
 軍団を指揮する天性の才能。団体戦闘において、自軍の能力を向上させる。
 カリスマは稀有な才能で、軍の指揮官としてはCランクで十分と言える。
 ただし、一度でも戦闘を放棄すると、このスキルの効果は激減する。

心眼(真):C
 修行・鍛錬によって培った洞察力。
 窮地において自身の状況と敵の能力を冷静に把握し、その場で残された活路を導き出す“戦闘論理”
 逆転の可能性が数%でもあるのなら、その作戦を実行に移せるチャンスを手繰り寄せられる。

【宝具】
『衆皆震服』
ランク:C 種別:対軍宝具 レンジ:1~15 最大捕捉:100人
 于禁の持つ威厳が宝具と化したもの。対峙する者を自然と威圧する。
 判定に成功すると、対象を怯えさせることができる。
 また、戦闘時には敵の士気を大幅に減少させ、『混乱』などの精神異常を誘発する。
 ただし、一度でも戦闘を放棄すると、この宝具の効果は失われる。

【Weapon】
『斬馬剣』
 先端に両刃の刃を取り付けた長柄の武器。
 前漢時代から存在するポールウェポン。青龍偃月刀など大刀の原型になったとされる。

【解説】
 魏の五将軍の一人。
 曹操の信頼厚き名将でありながら、降伏によって名声を地に落とした男。

 元は黄巾の乱に際して挙兵した士の一人、鮑信に付き従った義兵だったが、
 鮑信が戦死すると曹操の下に馳せ参じて活躍した。

 建安2年(197年)張繍が反乱を起こし、曹操達が這々の体で敗走する中、
 于禁の陣営だけは統率を失うことなく、戦いながら退却。
 味方に略奪を働いた青州兵を攻撃した後、その弁明を後回しにして、後の戦いの為の陣営を築いた。
 青州兵の誹謗を恐れず、大局を見据えて行動した于禁の節義を、曹操は「古の名将に勝る」として賞賛したという。

 建安24年(219年)曹操が長安にいる隙を突いて関羽が北上を開始すると、
 関羽と戦う曹仁への援軍を率いて出陣する。
 しかし、折悪しく河川の氾濫が起こり軍勢は水没。
 于禁は関羽に降伏して捕虜となり、さらに関羽を破った孫呉の軍勢に捕らえられてしまう。
 その節義のない行動から于禁の名声は地に落ち、二度と回復することはなかった。

 黄初2年(221年)魏に送還された于禁は、曹操の死後、後を継いだ曹丕に謁見。
 表向きは罪を許されたが、
 曹操の陵墓を尋ねた于禁を待っていたのは、
 彼を辱める為に用意された『于禁が降伏する様』を描いた壁画であった。
 これを見た于禁は恥と怒りから憤死したが、その死後も悪諡を送られ辱められた。

 性格は剛気かつ清廉。
 他の将が賊の財宝を懐に収める中、ただ一人国庫に収め、さらに受けた褒美は部下に分け与える。
 大局の為には私情を殺し、法に背けば友人であろうと斬る。──涙を流しながら。

 そうした遵法精神の強さを曹操に愛されたが、
 兵や民には畏怖されるのみで懐かれず、同じ五将軍である張遼や楽進とも不仲であった。
 それでも、降伏するまでの間は、人々に一目置かれた存在であるのは間違いない。
最終更新:2016年10月12日 21:44