【元ネタ】三国志 三国志演義
【CLASS】アーチャー
【マスター】
【真名】袁紹 本初
【性別】男性
【身長・体重】160cm・45kg
【属性】混沌・善
【ステータス】筋力C 耐久B 敏捷B 魔力D 幸運B 宝具A+
【クラス別スキル】
対魔力:D
一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。
魔力避けのアミュレット程度の対魔力。
単独行動:A
マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。
ランクAならば、マスターを失っても一週間現界可能。
【固有スキル】
カリスマ:B
軍団を指揮する天性の才能。団体戦闘において、自軍の能力を向上させる。
カリスマは稀有な才能で、一国の王としてはBランクで十分と言える。
反骨の相:C
自身の判断を絶対のものとし、他者の判断を容れない気性。
自らを押さえつけようとする全てに反発する反逆の星であり、袁家においても持て余されていた。
同ランクの「カリスマ」を無効化する。
【宝具】
『思召剣』
ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:1~99 最大捕捉:1人
袁紹が夢枕に仙人から受け取ったという宝剣。民間伝承に由来する。
自らの魂を霊子へと変換して睡眠中の他者の精神に侵入し、様々な干渉を行うことができる。
ただし、睡眠中の相手しか対象に選ぶ事は出来ない。(=睡眠を必要としないサーヴァントには対しては使用できない)
その為、敵マスターが眠っている間に精神攻撃を仕掛け、眠らなければ不眠による弱体化を図る、という運用法が主となる。
『神鬼攻勢』
ランク:A+ 種別:対城宝具 レンジ:15~50 最大捕捉:500人
アーチャーがかつて配下としていた超軍師集団に作らせた攻城用の中華ガジェットの数々。
空中飛行を可能とする雲梯・衝車や、地盤を掘り進む削岩機を要している。
これらは通信機として機能する中華ガジェット(太鼓型・角笛型)によって遠隔操作が可能。
空を舞う攻城塔から矢の雨が降り注がせると同時に、削岩機により地中から侵攻するという上下からの挟み撃ちが行える。
籠城する公孫瓚に「神鬼に似る」とまで恐れられた、袁紹軍の大攻勢を具現化する宝具。
【解説】
後漢末の群雄の一人。字は本初。
名門である袁家の生まれであり、それを鼻にかける人物とされる事が多いが、
実際は庶子であり、袁術、曹操といった後のライバルからは大きく水を開けられる身分――卑賤の立場であった。
(名門袁家のはしくれではあったので、劉備や孫堅などよりは恵まれている)
若き頃は清流派(とはいうものの単に主流派=宦官と敵対する派閥)の過激派とつるんで
濁流派(と評するが、実際は政権を握る派閥)と敵対し、牢に囚われた仲間の脱走に協力するなど、
命を張った過激派テロリストであった。
このような振る舞いは、当時、袁家の長であった袁隗にとって看過しうるものではなく叱責を受けたが、
行状を改めたかどうかは資料によって異なる。
大将軍の何進に招聘されると、仲間たちと共に応じ、その側近となる。
何進が十常侍ら宦官の勢力に暗殺されると残存勢力を率いて宮中に押し入り、
宦官たちを抹殺して権力を握ろうとしたが、折り悪く幼帝兄弟は董卓が保護。
袁紹らは手をこまねいている間に栄達の機会を失う。
董卓は清流派を優遇しつつ専横を始めたが、自身の栄達を望む袁紹は都を脱出。
董卓に敵対する清流派勢力を糾合せんとする曹操の策略に乗り、反董卓連合の盟主となる。
しかし、反董卓連合の士気は低く、主戦派だった曹操も董卓軍との戦いで壊滅。
主戦派の曹操は集めた兵士にも反乱されるほど威信が失墜し、発言力を失った。
(帝を助けようとした評判を得た、というのは後知恵の言い訳であり、以後、曹操は滅亡寸前の綱渡りを続ける)
また袁紹は皇族で名声もある劉虞の招聘を画策したが、曹操らに反対され、劉虞自身にも断られたことで失敗した。
これにより反董卓連合は完全に方向性を見失い、挙句に内輪で武力衝突をはじめるほどになった。
このため、袁紹は瓦解した連合に
見切りをつけ、袁術との対立を深めていく。
191年、袁紹は、袁術・公孫瓚と対立していた韓馥の地盤を乗っ取り、群雄として名乗りを上げる。
以後、公孫瓚と激闘を繰り広げ、一時は追い詰められたものの、
界橋の戦いにおける勝利で優勢を確実なものとし、冀州に一大勢力を築き上げた。
だが、献帝を有して天下に号令せんとする曹操と次第に対立を深め、ついには軍事衝突に発展。
豊・沮授の進める持久戦略を取り、曹操が失点を重ねるのに乗じて勢力を押し広げ、官渡にまで追い詰めた
(田豊らの進言を退け速攻策を取った。また子供の病気を理由に進軍を見送った、などという逸話があるが、
実際の軍の到着時期から進軍経路・速度を逆算すると、おおかた虚偽だと断言できる。
……テレポートができるというなら話は別だが、それだと歴史ではなくSFの話になってしまう)
だが、許攸の裏切りによって兵站基地の位置が敵方に露見。
袁紹は足の早い軽騎兵のみで部隊を編成し急行させるも、
(張郃の進言を蹴ったと言われるが、軽騎兵のみで編成するのは進軍速度の点から言っても妥当である。
また張郃はこれまでの経歴に騎兵指揮の経験が読み取れない。つまり進言をほぼそのまま容れている形である)
あと一歩のところで追いつかず、兵站基地は崩壊。
さらに張郃が曹操に寝返った(進言を容れてもらっときながら、失敗したら寝返るアレな人ということになるのだが)ことで、
袁紹軍の敗勢は定まった。
それでも袁紹が生きている間は、袁家の勢力は盤石だったが、
袁紹が病死すると、子供達と家臣団の身内争いによって疲弊。
その間隙を曹操に突かれ、袁家は滅ぼされてしまった。
【蛇足】
史書に置いては優柔不断とされ、演義などの後年の作ではそれが強調され、また名門生まれの情けないお坊ちゃん扱いをされる。
だが、実際はお坊ちゃんというよりは叩き上げの武闘派であり、行動に置いても十分に果断の人と言える。
ただ、曹操が大勝ちするが大負けもする博打打ち体質なのに対し、袁紹は今少し慎重なのが、優柔不断との評に繋がったのだろう。
どちらかというと曹操が軽率過ぎるだけのような気がするのだが。
献帝担ぎあげた所為で一時は四方八方敵に回してるし、
官渡の戦いでも失点に付け込まれまくって官渡に追い詰められてる時点で……
「人倫問わず、唯才のみ」
後の曹操の言を真実追求したのは、曹操ではなく袁紹であろう。
曹操は唯才を謳いながら実際は人倫を重視していた。
そも「唯才のみ」を名目に立てて人材を集めた背景は、
公府を開くにあたり組織を動かす官僚の数、マンパワーが不足したため、
悪辣な輩もかき集めなければ追いつかない、という至極現実的な理由から来たものが大きい。
逆に袁紹は人格を問わず、その能力と忠誠のみを求めた。徹底した実力主義である。
能力がないなら粛清され、袁紹を軽んじても粛清される。
代わりに実力と忠義(忠誠心さえ示せばよく、清廉である必要はない)を示したものには強大な利権が与えられる。
このため、袁家は人倫よりも能力(と裏返しの肥大化した自負心)に秀でた者が多かった。
事実、袁紹の家臣の実力は破格と言ってよく、幾度となく窮地を凌ぎもしたが、
家臣同士の讒言もまた絶えず、人格破綻者も多く、袁紹という重石を失うと身内で争いあい、破滅した。
本当に「唯才のみ」を追求した組織、凡人が最良と夢見る実力主義の組織の実態と末路を、袁家の顛末は如実に示している。
最終更新:2016年10月06日 23:24