【元ネタ】史実
【CLASS】アーチャー
【マスター】
【真名】島津家久
【性別】男性
【身長・体重】172cm・66kg
【属性】秩序・中庸
【ステータス】筋力B 耐久C 敏捷B 魔力E 幸運C 宝具B
【クラス別スキル】
対魔力:D
一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。
魔力避けのアミュレット程度の対魔力。
単独行動:C
マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。
ランクCならば、マスターを失ってから一日間現界可能。
【固有スキル】
軍略:C
一対一の戦闘ではなく、多人数を動員した戦場における戦術的直感力。
自らの対軍宝具の行使や、逆に相手の対軍宝具に対処する場合に有利な補正が与えられる。
仕切り直し:C
戦闘から離脱する能力。
不利になった戦闘を戦闘開始ターン(1ターン目)に戻し、技の条件を初期値に戻す。
窮地の知恵:A
危機的な局面に於いて優先的に幸運を呼び込む能力。
日夜、学問と武芸にのみ心を砕いた事で深さを計り難い程の知力を獲得し、数倍の兵力差をも覆した伝承に由来する。
【宝具】
『軍法戦術の妙(つりのぶせ)』
ランク:B 種別:対軍宝具 レンジ:1~30 最大捕捉:300人
島津家の躍進を支えた戦術『釣り野伏せ』を用いて数で勝る敵を打ち破ってきた伝承が、宝具に昇華されたもの。
最初に少数の兵を召喚して攻撃を誘引しつつ後退する第一段階『釣り』と、
あらかじめ設定したポイントに敵が到達した瞬間、伏兵を召喚して敵を半包囲する第二段階『野伏』からなる。
第一段階『釣り』には自身と召喚した兵に敵の攻撃を集中させる――言わばターゲット集中状態――効果があり、
第二段階『野伏』には敵軍に高確率で行動不能(スタン)のバッドステータスを与える効果がある。
ただし『釣り』で敵の誘引に失敗した場合『野伏』には移行できない。
【Weapon】
『島津一文字』
天正13年(1585年)、有馬晴信から送られた刀。
『火縄銃』
【解説】
戦国時代、島津家の武将。
島津四兄弟の末弟で、祖父・島津日新斎をして「軍法戦術に妙を得たり」と評された。
島津四兄弟の中では一人だけ妾腹の生まれであり、本人もそれを引け目に感じていたが
長兄・島津義久に「学問をして徳を磨けば優れた人間になれる」と励まされたことで発奮し、知勇に優れた名将へと成長する。
当時、九州では島津家、大友家、龍造寺家の三家が覇権を争っていたが、
家久は敵対する二家の衰退を決定づける戦い――耳川の戦いと沖田畷の戦いに参戦し、功績を挙げている。
耳川の戦い(高城川原の戦い)では新納院高城に拠って大友軍の猛攻を凌いだ後、
兄達らが率いる島津本軍と共に逆襲へと転じて大勝利を飾った。
龍造寺軍を相手に戦った沖田畷の戦いでは、三倍以上とも言われる敵軍を狭隘の湿地帯へと誘引し、
伏兵を用いて壊滅させ、龍造寺家の当主・龍造寺隆信やその配下の諸将を次々に討ち取った。
特に沖田畷の戦いの勝利は家久の軍才なくしてはありえなかった勝利であり、
島津家が九州に覇を唱えられたのは、家久の活躍が大きかったと言えよう。
しかし、天下人となった豊臣秀吉が大友家の要請に応えて九州討伐軍を発すると状況は一変。
先遣隊である
仙石秀久が率いる四国軍は、戸次川の戦いで大破することに成功するも
続く本隊には敵しえず、上方での封土を条件に豊臣軍と講和する。
この講和は兄達の降伏に先立って単独で行われたものであり、未だ抵抗を続ける三人の兄を見捨てるものであった。
やがて兄達も豊臣家に降伏するが、程なくして家久は佐土原城で急死する。
それ以前から病がちであった事から病死と伝わるが、
先の単独講和を恨んでいた島津家による毒殺だった、とする伝承も残る。
【蛇足】
ちなみに合戦の時はお歯黒を欠かさなかったとか。
最終更新:2017年08月13日 08:06