永倉新八

【元ネタ】史実
【CLASS】アサシン
【マスター】
【真名】永倉新八(ながくら しんぱち)
【性別】男性
【身長・体重】172cm・66kg
【属性】秩序・中庸
【ステータス】筋力B 耐久D 敏捷A 魔力E 幸運B 宝具-
【クラス別スキル】
気配遮断:C
 サーヴァントとしての気配を断つ。隠密行動に適している。
 完全に気配を断てば発見する事は難しい。

【固有スキル】
勇猛:C
 威圧・混乱・幻惑といった精神干渉を無効化する能力。
 また、格闘ダメージを向上させる効果もある。

直感:A
 戦闘時に常に自身にとって最適な展開を“感じ取る”能力。
 研ぎ澄まされた第六感はもはや未来予知に近い。視覚・聴覚に干渉する妨害を半減させる。

龍飛剣
 対人魔剣。最大捕捉1人。
 時間軸の異なる下段からの斬り上げと、上段からの斬り下ろし攻撃を、
 同一の時間軸に収めて放つ魔剣。
 上下からの挟撃の斬撃であるため、避けることはできても、
 防ぐことは困難な永倉の必殺剣。

【Weapon】
『播州住手柄山氏繁』
 永倉新八が愛用した2尺4寸の刀。
 池田屋事件で使用され、激闘の末、刀の帽子が折れた。

【解説】
松前藩江戸定府取次役・長倉勘次の二男として同藩上屋敷にて生まれる。
1846年、岡田十松利章の神道無念流剣術道場「撃剣館」に入門。4年目に師が死に、以後、岡田助右衛門に教わり15歳で切紙。
1856年、18歳で本目録。元服して新八と称する。1865年、脱藩して永倉姓を称する。江戸本所亀沢町の百合元昇三の道場で学んだ後、市川宇八郎(芳賀宜道)と剣術修業の旅に出る。
伊庭秀業の門人坪内主馬に見込まれて師範代を勤めた後、天然理心流の近藤勇の食客となる。
近藤らと共に浪士組に参加する。新撰組結成後は、二番隊組長や撃剣師範を務めるなど中枢を成した。
1864年の池田屋事件では、近藤や沖田総司らと共に奮戦。沖田が倒れ、藤堂平助が負傷する中、永倉は獅子奮迅の働きをみせる。
この頃、近藤に我儘な振る舞いが目立つようになる。これを遺憾とした永倉や原田左之助、島田魁らは、脱退覚悟で近藤の非行五ヶ条を会津藩主松平容保へ訴え出るなど、近藤、土方歳三との路線対立を見せる。
1868年の鳥羽伏見の戦いでは、決死隊を募って刀一つで突撃する豪胆さも見せた。江戸に退却後、新選組改め甲陽鎮撫隊として新政府軍と戦うが、敗れて江戸へ戻った後は近藤らと袂を分かって靖共隊(靖兵隊)を結成する。
米沢藩に滞留中に会津藩の降伏を知り、江戸へ帰還した後、松前藩士(50石)として帰参が認められる。1871年、藩医杉村介庵の婿養子として北海道松前町に渡る。
明治6年、家督を相続して杉村治備と改名する。その後は小樽へ移る。1882年から4年間、樺戸監獄の剣術師範をつとめる。退職後は東京牛込にて剣術道場を開く。
1899年、妻と子供が北海道小樽色内で薬局を開局していた為、再度小樽へ転居。1905年から小樽緑1丁目に転居。1909年7月、小樽花園町に住む。
1915年1月5日、虫歯を原因とする骨膜炎、敗血症を発症し、小樽にて死去。享年77。
最終更新:2016年09月23日 17:48