【元ネタ】史実・日本史
【CLASS】ライダー
【マスター】
【真名】九鬼嘉隆
【性別】男性
【身長・体重】170cm・60kg
【属性】中庸・中立
【ステータス】筋力C 耐久D 敏捷D 魔力C 幸運D 宝具B
【クラス別スキル】
騎乗:-
騎乗の才能。
スキル「
嵐の航海者」を得たことで失われている。
対魔力:D
一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。
魔力避けのアミュレット程度の対魔力。
【固有スキル】
嵐の航海者:C
船と認識されるものを駆る才能。
集団のリーダーとしての能力も必要となるため、軍略、
カリスマの効果も兼ね備えた特殊スキル。
地形適応:E
特殊な地形に対する適応力。
海賊として、足場の不安定な水上や水中での活動に適応する。
【宝具】
『鬼宿丸』
ランク:B 種別:対軍宝具 レンジ:5~30 最大捕捉:500人
文禄の役で活躍した大安宅船。
豊臣秀吉に「日本丸」と命名される。鬼宿丸は元々の呼び名。
巨大不沈艦が出現し広域に一斉砲撃を行う。
【解説】
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。
世界で初めて鉄甲船を開発した人物。
九鬼水軍を率いた水軍武将であり、織田信長や豊臣秀吉のお抱え水軍として活躍。
そうした経歴とその勢威から、江戸時代には軍記物などで「海賊大名」の異称をとる。
志摩国英虞郡の波切城で、九鬼定隆の三男として生まれる。
父が死去し、家督を長兄の浄隆が継ぐと、志摩の地頭のうち、12人に城を攻められる。
浄隆は戦の最中に死亡してしまい、嘉隆は浄隆の子・九鬼澄隆を助けたが、城主を失った九鬼側は戦意を失い惨敗する。
そして嘉隆ら残党は朝熊山へ逃亡。
その後、嘉隆は
滝川一益の仲介により、織田信長に仕えたとされる。
信長が北畠具教を攻めたとき、嘉隆は水軍を率いて北畠の支城を陥落させるなどの活躍をしたため、
正式に織田家の家臣団の一員として迎えられた。
第一次木津川口の戦いにおいて、石山本願寺側についた毛利水軍600隻に対し、
嘉隆は300隻の船を率い摂津木津川沖で戦ったものの多くの船を焼かれて大敗を喫した。
この敗戦に激怒した信長は、嘉隆に対して燃えない船を造るように命じた。
この時に嘉隆が辿り着いた答えが、船に鉄を貼った鉄甲船の建造であった。
そうして第二次木津川口の戦いでは毛利水軍600隻を打ち破ることに成功した。
信長が本能寺の変で死去した後は羽柴秀吉に仕え、信長同様に水軍の頭領として重用された。
九州の役や小田原の役、朝鮮出兵などに参陣している。
慶長の役には出陣せず、家督を子の九鬼守隆に譲って隠居した。
最期は関ヶ原の戦いで西軍に与し、戦に敗れて自刃。
海賊の大将として荒々しい人物のイメージが強いが、茶道に造詣が深く、数寄者としての側面もあった。
最終更新:2016年09月27日 19:31