管理者メモ:3月11日、東日本大震災より9年

3月11日で東日本大震災から9年を迎えました。
遅くなりましたが、東日本大震災について。
防災という観点からは少し離れてしまう部分もありますが、これからに向けてもう一度考えてみたことを少し書き出してみます。

※このコラムは2020年3月11日、Twitter上にアップしたコラムを加筆修正したものです。

被災者の9年、風化していく記憶

正直何から話そうか、切り口が多すぎて悩んでいたのが実情ではあるのですが、そんな中NHKによるこんな報道が目に止まりました。
震災から9年。あれだけ大きく、衝撃的な災害であったにも拘わらず、7割を超える方が「記憶が風化している」もしくは「やや記憶が風化している」と答えられたようです。

本文では昨今の風水害、或いは熊本や胆振東部に代表される大地震等、震災以降も相次ぐ災害の中で東日本大震災の記憶が人々の中で埋没して行くのでは無いか、と言った不安や、震災の後の復興作業の中で目に見える震災遺構が次々と姿を消している、原発事故の復興の遅れ等と言った事が主な原因としてあげられています。

人は無意識に嫌な記憶から逃げたい、離れたいと思う

ここから先はNHKの記事に無いですが、少し心理学的に切り込んだ話となります。

人の頭はあまりにも悲しい出来事、衝撃的な出来事、辛い出来事があると、忘れようとするよう働くことがあります。これを「心因性記憶障害」あるいは「心因性健忘」、「解離性記憶障害」などといいます。

これはその不快な出来事や記憶のみが欠落したようになってしまっていますが、脳としては記憶していることも多く、催眠下などでその記憶にアクセスできることも多いようです。
つまり端的に言うと、自己の安定を図る為、脳の方でその記憶を意図的に遮断しているという見方も出来るのかな、と思われます。

フラッシュバックの恐怖、心の傷にどう向き合っていくべきか

本日(コラム執筆当日、2020年3月11日現在)、テレビでは幾度となく津波の映像などが流れていることと思われます。
そうでなくとも何かの折に取り上げられる事も多いわけですが、被災された方を中心にその映像を直視できない方が未だに大勢いらっしゃいます。

以前、私が津波で壊滅状態に遭った駅の残骸を写真で取り上げたことで拒絶反応を示された方が居たのも強く覚えています。

陸前小泉駅跡



この災害は近代以降、希に見る規模の災害であり、未だに多くの人の心に大きな爪痕を残していると感じることが多々あります。
その傷跡に無理矢理触れ、思い起こさせることは果たして正しい後世への伝え方なのだろうか、私はしばし立ち止まって考えています。

人の心に土足で上がり込み、無理矢理災害に向き合わせるのは必要なことなのか

我々のような直接震災に関わらなかった者(報道や当時の社会情勢等で心の傷を負われた方も沢山いらっしゃいますので、そういった方々は除いて考えます)、或いは震災後に産まれた方々等で震災を直接知らない方々はより一層、この震災に対して向き合っていく努力が必要だとは考えます。

しかしながら、そういった心の傷を負われた方々の心を無理矢理こじ開けて、土足で上がり込み、心の叫びを取り上げたり、無理矢理向き合わせるのはまた違うのでは無いかと考えます。
ゆっくり、向き合って、同じペースで歩む努力が我々にも必要ではないのでしょうか。


見た目だけの復興ではなく、心も復興も踏まえた、真の復興を

そう簡単に心の傷という物は癒える物ではありません。一生かかっても向き合えない人も居るかも知れません。

しかし、誰かがそばにいて寄り添って……例え、同じ様な事が起こっても、今度は大丈夫だと心から思えるような日が来ること。少しでも多くの人が当時に向き合えるようになること。

目に見える復興も大事ですが、心の復興が少しでも進み、被災された方が過去と、今と、更なる未来と向き合えるようになること。その中で後世に伝え、生かしていくこと。

そういった流れの中で、今我々に足りない物は何か、必要な物は何か、今一度思い起こしてみましょう。

時間がかかるのは確かですが、見せかけだけの復興では無く、真の復興に向けて、そして東日本大震災を教訓とし、我々が今後生かしていくべき防災の在り方を考える上でも必要なことだと思います。
最終更新:2020年05月01日 00:22
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