摘要
安土桃山時代の1586年1月18日(天正13年11月29日)に中部地方にて発生した巨大地震である。震源・規模ともに諸説あり、地震の規模はM7.8前後、岐阜県飛騨など、東海地方を中心とする複数の断層帯によるものという説が有力である(連動地震かどうかについては議論がある)。現代でいう中部(東海北陸)地方だけでなく、近畿地方も含めた広い範囲に被害が及んだ。
災害の特徴・キーワード
被害内訳
- 飛騨国(現岐阜県)
- 帰雲城は帰雲山の山崩れによって埋没。城主内ヶ島氏理及びその一族は全員行方不明となり、内ケ島氏は滅亡。
- 帰雲山の山崩れには周辺の集落数百個も同時に巻き込まれ、数多くの犠牲者を出した。少なくとも白川郷では300戸が倒壊、埋没などの被害に遭った。
- 焼岳付近でも地震のものと思われる山崩れがあり家屋300戸埋没。
- 美濃国(現岐阜県)
- 大垣城が全壊焼失。
- 上村川(現在の恵那市)で山体崩壊があったと推測される。
- 奥明方(現在の郡上市)の水沢上の金山及び6,70件あったとされる集落が一瞬で崩壊。あたり一面が水浸しになったといわれる。
- 越中国(現富山県)
- 尾張国(現愛知県)
- 蟹江城壊滅。
- また、後年の調査でこの地震に起因する可能性が高い液状化の痕跡が発見されている。
- 伊勢国(現三重県)
- 織田信雄の居城であった長島城が倒壊、桑名宿は液状化により壊滅するなど甚大な被害を受けた。そのため信雄は居城を清洲城に移した。亀山城も被害を受けた。
- 京都(現京都府)
- 東寺の講堂、灌頂院が破損、三十三間堂では仏像600体が倒れた。
- 近江国及び琵琶湖(現滋賀県)
- 現長浜市の集落が液状化現象により、水没した。
- 近江長浜城全壊。山内一豊・千代夫妻の一人娘与祢姫と乳母が圧死し、家老の乾和信夫妻も死亡した。
- 若狭湾・伊勢湾での大きな津波被害もあった。
特記事項
安土桃山時代における歴史地震ではあるが、豊臣秀吉による全国統一の道半ばで発生した災害であるため、統一的な記録に欠け、震源の特定や被害の実態を把握することに困難をきたしている。ただ、複数の断層で発生したいわゆる連動地震にあたる可能性がある事はのちの地学者による調査で明らかにされつつある。
若狭湾他では津波が発生したほか、山津波ともいわれる大規模な土砂災害、琵琶湖近辺などにおいて液状化現象が発生したことも知られている。
中でも山津波が原因となり、戦国武将の一族である内ヶ島氏が一晩にして滅亡したことは特筆に値する。
出典
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最終更新:2021年09月03日 01:57