山形県大鳥鉱山雪崩災害

摘要

山形県大鳥鉱山雪崩災害とは、1918年(大正7年)1月20日山形県朝日村(現鶴岡市) の大鳥鉱山にて発生した雪崩災害である。
同鉱山にて発生した表層雪崩は河川沿いの集落を襲い、154人という日本の雪崩災害では史上2番目の犠牲者を出した。


災害の特徴・キーワード


人的被害及び家屋被害の内訳

  • 死者154名
  • 住家破壊多数

特記事項

折しもこの年は平成七年豪雪ともいわれる大雪の年で、もともと雪が多い地域ではあったが、前年からの降雪でこの集落の周辺においても普段と比べ多い4~5mもの積雪があった。
さらに稜線付近には数日前から雪庇がみられた等雪が断続的に降り続いていたことがうかがわれるほか、この災害が発生した日は長屋の灯が見えないほどの大量の降雪と大吹雪となり、新雪が多かったことや雪庇から崩壊に至ったこと、また雪を伴った強風が今回発生した表層雪崩の要因と推察されている。
鉱山周辺は急傾斜の筋状地形に加えて、草地が広がっており、雪崩が発生しやすい地形であったにもかかわらず、尾根に挟まれたそのふもとともいえる場所に1500人ほどが暮らす集落があった。
雪崩は大鳥鉱山の集落背後の高さ約200mの西山と呼ばれる稜線付近から幅360mにわたって発生し、斜面下方の鉱山集落まで達した。
この惨事を引き起こした雪崩は午前2時~4時の発生と言われ、深夜に発生した災害ということも相まって多数の死者を出すに至った。

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出典


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最終更新:2021年09月03日 23:50