応永地震

摘要

応永地震は室町時代の1408年1月12日(ユリウス暦)(グレゴリオ暦:同年1月21日)(和暦:応永14年12月14日)に、京都で記録が残る地震である。地震の規模はM7-8(理科年表) と推定される。

災害の特徴・キーワード


人的被害及び家屋被害の内訳

不明

特記事項

信頼性の高い一次資料に乏しく、地震自体は発生したとみられるものの、他の地震のものと思われる資料も混在して扱われており、被害の実態はは明らかになっていない。
伊勢(主に三重県)、鎌倉(神奈川県) のものと思われる被害の資料も発見されているが、近世以降に成立した資料によるもので信憑性に疑問が残るほか、紀伊(和歌山県及び三重県) の資料は宝永4年(1707年) に発生した宝永地震のものとも言われる。
また、和暦上は同年にあたる応永14年正月5日(ユリウス暦1407年2月21日) にも地震の記録があり、この地震の記録も混在していることも理由の一つとしてあげられる。

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なし。

出典


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最終更新:2021年09月04日 18:38