本日(執筆日2024/10/23現在)で新潟県中越地震から20年となります。(新潟県中越沖地震はまた別の地震です)
色々細かい話にはなりますが……「震度7を観測した史上2つ目の地震」といわれることもありますが、これは正確には違っていて、「計測震度で震度7を【観測】した史上初の地震」というのがより正確な表現になります。
兵庫県南部地震の頃はまだ計測震度による震度7の判定がなされておらず、現地調査を行ったうえでの「適用」となりました。
また、当時の記録を掲出しましたが、1995年の時点ではまだ観測点が少なかったこともあり、今の基準でも震度7を観測した観測点はありませんでした。
実際は震度7(激震)導入後から新潟県中越地震にかけての期間(55年)に震度7相当の揺れがあったのではないか、といわれている地震はいくつか存在しており、それをふまえると、震度7という数字が過去の記録に存在しなかったからと言って、震度7相当の地震が発生していなかったとは必ずしも言えないのです。
先ほどの兵庫県南部地震の事例と比較してみると一目瞭然ですが、1995年時点と比べると、新潟県中越地震が発生した2004年は観測点がかなり増えています。
これは、兵庫県南部地震を契機に地震計を基本的に各市区町村ごとに設置するとしたことなどが大きいと思われます。
実際、この地震で震度7を計測、観測した新潟県川口町の観測点(現在の長岡市東川口)もこの動きの中で設置されたものと思慮されます。
近代的な地震観測が始まって100年がようやくすぎましたが、現在のような観測網になったのはここ2,30年の話であり、全国150か所ほどしかない官署詰めの職員の体感に頼っていた時期もあるため、この期間だけでも観測体制、観測網にばらつきがあります。
直近100年ですらこうであるのに、さらに古い明治以前の地震となると、場合によっては公的資料だけではなく、個人の日記、さらには後年に編纂された伝記など信憑性に乏しい資料も含めて調査することは珍しいことではありません。(地震に限らず、災害史と呼ばれる分野ではよくあることです)
ただ、こうやって収集した記録を断片的に整理していくことで災害の実態、実像がつかめたものも多く、そこから学ぶことも数多くあります。
近代的な統計に基づいた災害関係資料が整ってきたのはこの例からもわかる通り、意外と最近であり、その統計にのみ頼ることは片手落ちとなりかねません。
「最近は震度7の地震が多い」という言葉の一例として挙げられるこの地震ですが、こういった背景を探ると、兵庫県南部地震以来7回(事後調査による適用含む)、あるいは新潟県中越沖地震以来6回(観測のみ)という数字には何ら意味はなく、ただ近代的な数字として挙がってきていないだけにすぎません。
そのため、震度7の地震が近代的な記録として残っていない地域にあっても、過去に相当の地震が発生したかもしれません。(地殻運動のスケールからすると、100年という期間は短い方です)
歴史的資料を含めて自分の住んでいる地域の災害のリスクと改めて向き合い、考えていくことが必要と言えるでしょう。
最終更新:2024年10月24日 22:04