「"便利便利万歳 便利便利万歳
  便利便利万歳 人間"
 "便利便利万歳 便利便利万歳
  便利便利万歳 人間"」

 路肩に胡座を掻いて、がなり声でギターをかき鳴らしている青年がいた。
 東京ほどの大都会であれば、いわゆる路上パフォーマーの類など珍しくもない。
 まして此処は渋谷区、多様なカルチャーが一挙に集った"若者の街"である。
 武道館やアリーナを満員に埋める名うてのアーティストが、最初は路上ライブから始めていただなんてエピソードも枚挙に暇がない。
 実際、日没の迫る渋谷の路傍でギターソロを奏でる青年の足元にも、おひねりを入れるための缶が無造作に置かれていた。
 しかしその中には、一円の金銭も入っていない。
 時間は悪くない。東京は眠らない街、むしろ日が沈んでからがカルチャーの本番と言っても過言ではないだろう。

 悪いのはまず、情勢だ。
 連日に渡り、徐々に悪化していく治安。
 増え続けていく奇妙奇怪な事件と、その犠牲者達。
 都市を喰み、日に日に版図を拡大させていく――〈蝗害〉。
 こんな状況で、まして夜に、進んで外を出歩きたがる人間が少数派であることは言うに及ばず。

「"What`s up 不安材いっぱい
  犯罪消えない 永遠に"
 "What`s up 不安材いっぱい
  犯罪消えない 永遠に"」

 が、いつの時代にも命知らずな人間というのはいるものだ。
 現に人通りがまったくないわけではない。
 仕事帰りの社会人などは仕方ないが、明らかに遊び目的の外出であろう若者や外国人もちらほら見て取れる。
 なのに彼の路上ライブは客がいないどころか、露骨にその存在を避けて通られている節があった。

 悪いのはもうひとつ。
 単純に、あんまり上手くないのである。

 ガシャガシャとかき鳴らしているだけで、その演奏には纏まりというものがない。
 激しい、ただ激しい。うるさいほどに激しく、音楽を支える繊細さだとか技だとかは皆無だった。
 歌の方もそれは同じ。例えるならば、虫の囀りに近いだろうか。
 虫の声といえばセミ然り飛蝗然り風流の象徴とされるが、彼らは別に聞く者の耳を楽しませたくて演奏しているのではない。
 昆虫が鳴くことの意味はその大半が求愛目的だ。異性を引き付けて繁殖し、子孫を残して次の世代へ至るための本能的活動。
 だからこそ、虫螻どもは必死に鳴く。囀る。羽や身体を振動させて、命の限りを音にするのだ。

「"Hey,hey!  人間賛歌
  愛逃げ 人間不安か?"
 "Hey,hey!  人間賛歌
  愛逃げ 人間不安か?"」

 この力任せなギターソロは、そういう不格好な必死さがあった。
 本能で生きることしか知らない下等生物が、万物の霊長の生み出した文化の表層だけを模倣しているような。
 なので長く聞いていると、不快を通り越して徐々に不安になってくる。
 通行人達も、そんな不気味の谷現象にも似た不安感をうっすら感じ取っているからこそ、茶化しにさえやって来ないのだろう。

「"Hey,hey! 人間傘下"――――」

 単なる下手くその空回りと否定することもできないような、都会の腫れ物。
 徐々に夕闇に覆われていく街の中に虚しく響く音色へ割り込むように、からん、という乾いた音が響いた。
 青年の足元に置かれた空き缶の中に、一枚の硬貨が投げ入れられたのだ。

 金貨だった。黄金の林檎が彫り込まれた、よくできた美術品のような一枚だ。
 確かによくできているのだが、既存の貨幣や硬貨に比べるとどこか雰囲気にお硬さがない。
 なのでゲームセンターのメダルとか、もしくはそれこそ何処ぞのアーティストの作品だとか、そういう非現実感に溢れたコインだった。
 それを見て一瞬「お」という顔をする青年。が、その顔はすぐに不満げな形に変わる。

「ありがたいんだけどよ、日本円でくれよ。この国、外貨対応の店ってまだまだ少ねえんだわ」
「贅沢言うなよ。虫ケラの世界じゃ円だろうがユーロだろうが、パチンコ屋のメダルだろうが持ってたら英雄じゃないのかい」
「お前、それ舐めすぎ。最近は虫だってメシの美味い不味いに趣向を凝らす時代だから。価値観のアップデートちゃんとしとけよ」

 演奏の主は、どことなくアウトローな雰囲気の漂う人物であった。
 フード付きのつなぎを着用し、目元はフードで影になっていてよく見えない。
 口元には尖った歯が並び、禍々しいが顔立ち自体はどこに行っても引く手あまただろうワイルドな精悍さを湛えている。
 総じて、粗暴さと下品さ。美の要素とは縁遠く見える荒々しさが、恵まれた造形のおかげでそのまま魅力に変わっている。そんな男だ。

 対して硬貨を投げ入れた方はと言うと、彼とはまったく対極。
 いかにも女性受けする甘いマスクに、爽やかながらどこか妖艶な色気を滲ませた男だ。
 きらびやかな金髪を生やしながら黒いスーツに身を包んでいる様は、俗な表現に頼るならホストっぽい。
 綺麗さと危険さ。破滅すると分かっていても手を伸ばしたくなる甘い魅惑、誘蛾灯が人の形を取ったような青年だった。

 そんなベクトルの違う色男がふたり並んでいる姿は、光景としてはチグハグだが実に絵になる。
 現に演奏中は変なものを見るように足を早めていた通行人が、今は何人も立ち止まって遠巻きに彼らの姿を見つめていた。
 『声かけてきなよ』、『どっちがタイプ?』『今日のコンパ誘ったら来てくれないかな』なんて呑気な台詞もそこかしこで飛び出している。
 ギャラリーに、ホスト風の青年がまず手を振る。きゃああああっ、と黄色い声があがった。
 負けじとツナギ姿の男が、片腕を曲げてマッスルポーズを取った。なんかズレてるけど、それはそれでやっぱりどよめきが起きた。

「で、ライブの方はどうだったよ?」
「万人受けはしないだろうけど、俺は結構好きだったよ。
 恥ずかしがってる下手くそってのがこの世で一番恥ずかしいからな。
 その点、君の演奏には荒削りだが華ってもんがあった。いいじゃん、結構才能あるんじゃない?」
「……、よ、よせやい! そんな褒めたってなんにも出ねえぞ!
 まあおすすめの草むらくらいなら教えてやってもいいけどな……へへ、そっか……薄々気付いてたけどやっぱり俺って才能あんだな……」

 満更でもなさそうに頭を掻きながら、ギター片手にくねくねするツナギ男。
 思い返せば今まで演奏の評判はうるさい、下手、聞くに堪えない、弾き方がムカつく(これは本当に効いちゃったから、言った人間をその後殺しておいた)などと散々だった。
 こりゃそろそろあのメンヘラ女を見返せる時も近いな、とツナギの彼は上機嫌。
 久方ぶり、もしかしたら初めての賛辞をひとしきり噛み締めて反芻してから、満足げな顔でコインを胸ポケットにしまって。


「で、やんのかい?」
「そりゃ、そのために来たんだからね」


 ――瞬間、今までの和やかな雰囲気が一転して肌を削り取るような殺意の坩堝と化した。
 断っておくが、ふたりの男は変わらず笑顔のままである。
 武器を抜いてもいなければ、歯を剥き出して威嚇しているわけでもない。
 仲良く話していた時と何も変わらない表情と、声のトーン。
 その状態で、具体的な行動など何ひとつ伴うことなくステージが日常から非日常へ、平和から戦時へと切り替わったのだ。

 ぶ、と小さな羽音がひとつ響いた。
 今の東京では、それは不吉の象徴以外の何物でもない。
 ビルの窓枠。街路樹の葉陰。マンホールの隙間。ゴミ箱の中。あらゆる場所から、茶色い侵略者達が顔を出し始める。
 本来なら遠く離れた異国の脅威であり、日本では気持ち悪がられることこそあれど、社会を脅かす脅威にはならない筈のとある昆虫。
 されど針音響くこの仮想都市において、今やその虫螻は、蜘蛛やゴキブリが愛玩動物に思えるほどの"恐怖"と認識されるようになって久しい。
 その虫とは、飛蝗である。バッタ。されどただのバッタではない。日本には存在しない、黒みの強い大型の種だった。

「芸術の分かる有望なファンにこんなことは言いたくねえんだけどさ。
 ま、老婆心って奴だ。いつか活かせる機会もあるかもしれないし、忠告させて貰うよ」

 学名、〈Schistocerca gregaria〉。
 和名をサバクトビバッタ。砂漠飛蝗、と記述される場合もある。
 神代から現代に至るまで、あらゆる地上の激変を生き延びながら暴食を続けてきた無限の軍勢。
 黙示録に預言された四種四色の死、その〈黒〉のアーキタイプ。
 飢えにて人を滅ぼす、第三の絶滅。都市を脅かす蝗害の厄災、それこそが彼"ら"の正体だ。

「女(メス)にいいところ見せたい気持ちは分かるけどな、それで素寒貧になってたら世話ねえぜ」
「大丈夫、その心配には及ばない。俺はこう見えて、色恋沙汰はプラトニックに行きたいタイプなんだよね」

 またたく間に、溢れ出した飛蝗達はひとつの嵐を形成する。
 砂嵐だ。もはや農作物だけには留まらず、肉も鉄も等しく平らげて進む暴風だ。
 さっきまでアイドルでも見るような目で黄色い声をあげていたギャラリーが、瞬きの内に骨ごと噛み砕かれていく。
 断末魔さえ羽音の中に掻き消える、死が奏でる粗雑で無法なオーケストラ。

 そんな地獄絵図の中心部に置かれながら、黒スーツの青年はしかし一噛みもされることなく甘い微笑を保っていた。
 いや――これは微笑ではない。あまりに巧妙にそう演じているから分かりにくいだけで、本質はまったくそれと意味を異にしている。

「蛙化現象ってスラング知ってる? 相手のひょんな言動で、百年の恋も冷めちゃうってヤツ」

 彼が浮かべている表情は、そのすべてが蕩けるほど甘ったるいだけの嘲笑だ。
 彼はすべてを嘲笑っている。等しく見下して、馬鹿にして、軽んじている。
 北欧の神話に消えぬ爪痕を残したトリックスター。同じ名を持ちながら、本来格上である悪童王さえ手玉に取った北欧最高の奇術師。
 故に彼には、この世のすべてを嗤う資格がある。例外は過去も現在もそして未来もただひとつ、ただひとり。

「たかだか害虫退治に必死こいちゃう男とか、ぶっちゃけクソダサいだろ」
「カッチーン。俺は現世でポリコレってヤツを学んでるからな。差別だけは絶ッ対ェに許さねえって決めてんだよ」

 煙る霞の巨人王。ウートガルズを統べたる、軽薄で残忍な統治者。
 雷神を誑かし、悪童王とその従者たちを打ち負かし、デンマークの王を憤死させた真の大悪童。
 不変の笑みで佇み、無限の飛蝗どもを一匹残さず嘲るロキの背後に、無数の光が出現した。
 それは徐々に人の形を象り、槍で武装した翼持つ少女達の姿へと変化していく。
 彼という大神(オーディン)の命を受けて馳せ参じたヴァルハラへの導き手が、数百体にも及ぶ数で都市を脅かす厄災と相対する格好を取った。


 饗すは砂嵐(ライダー)、シストセルカ・グレガリア。災厄。
 挑むは奇術師(キャスター)、ウートガルザ・ロキ。最悪。


「後腐れなくブチ殺して、そんで欠片も残さずブチ喰らう。遺言書いとけよ、俺の初めてのファンボーイ」
「必要ないね。君らの死骸で新しい街を拵えて、愛しいあの子とのんびりデートと洒落込む予定だからさ」



 時刻は日没。
 多くの主従が、聖杯戦争の大きな転換点になるだろうと予想している最初の夜の到来を待たずして――これより渋谷が揺れる。



◇◇



 始まったか、と思いながら、楪依里朱は足を進めていた。
 その風体は異様そのもの。故に、一度見たなら誰もが忘れない。
 したがってこれは他者への自分の素性の露呈を著しく助長していたが、だとしてもイリスはこの白黒(スタイル)を止めない。
 以前は心底鬱陶しく思ったものだが、今となってはそう思う機会は皆無に等しかった。

 色と色の境界線に神秘を見出し、これを根源へと至る道標と据える。
 生家の老人達が唱えていた話は、未だに思春期の妄想か何かとしか思えない。
 イリスは根源になど、魔術師の悲願になど、まったくもって興味がなかった。
 しかし戦う理由はある。失敗すると分かっている夢にひた走る馬鹿どもよりも余程強い理由を持っていると自負さえしている。

 忌まわしくも眩しく、美しくもおぞましく。
 都市のどこかで今も輝いているだろう、誰かの瞳を灼いているだろう、あの親友を殺すのだ。
 どんな手を使ってでも、たとえこの身がその代償に燃え尽きようとも、構わない。
 そうまでしてでも勝ちたい。乗り越えたい。否定したい輝きが、イリスにはあった。

 その一心だけでイリスは、本物の魔女になった。
 死を経て極まった色間魔術は、今やサーヴァントにさえ通じる本物の魔道と化した。
 こと正面戦闘に限るなら、自分に勝る魔術師はこの針音都市に存在しないだろうと驕りでも何でもなくそう思っている。
 自分はもう、誰にも負けない。誰の助けも必要とはしない。一緒に戦う友達なんて、要らない。
 〈蝗害〉を従える白黒の魔女。彼女は感情のままに、されど誰より無慈悲に、都市のすべてを蹂躙する。
 宿縁も哀れな子羊も、すべて、すべて。あらゆるものを弑逆し、星殺しを為すのだと淀んだ瞳が告げていた。 

 前方から歩いてくる、三人の女を視認する。
 その脇に侍るのは、二体のサーヴァント。
 見覚えのある褐色肌の少女と、不敵な笑みを浮かべた米国人(ヤンキー)。
 もう治癒の完了した肩が幻痛を訴えた気がして、イリスは小さく舌打ちをした。

 他の有象無象はどうでもいい。
 どうせ端から金魚の糞だと分かっているから。
 だからイリスは三人の中で、いちばん背の低い女。
 どこかおどおどした、落ち着きのない"そいつ"だけを見据えた。
 そうして静かに、口を開く。不機嫌と、嘲笑。そのふたつを載せて、魔女はこの"もうひとつの戦場"の開戦を告げる。

「本当に来たんだ。正直そこの見てくれだけ小綺麗な腰抜けは逃げると思ってたけど」

 自分のことを言われたと分かったのだろう。
 アメリカの英雄/汚点を従えた、中性的な顔立ちの女がわずかに眉を動かした。
 どうでもいい。祓葉に歯牙にもかけられなかった小物どもになぞ、一体何の価値があろうか。
 今、イリスの心を乱すのはただひとり。
 無遠慮に自分の懐まで踏み入り、逆鱗を踏み鳴らして好き勝手言いまくり、この席を他でもない魔女自身の手で拵えさせた落伍者だけだ。

 マスターが三人に、サーヴァントが二体。
 対するこちらは、マスターひとり。
 圧倒的に不利な状況でありながらイリスは微塵も怯えることなく、口火を切った。

「楪依里朱。〈はじまりの六人〉のひとり。今はあんたの読んだ通り、〈蝗害〉のマスター」

 席の名目は話し合いだが、イリスはそれが完遂されるなどとはまったく思っていない。
 本来の規模(スケール)を取り戻したシストセルカが本気で暴れるのだ。
 いかなるサーヴァントだろうと、あの虫螻どもを正面から凌ぐなどできるわけはない。
 それこそ、この世界の神でもない限りは。だから、イリスにとってこれから始まる会合は単なる暇潰しの域を出なかった。
 時間経過と共に追い詰められていき、最後はひとり残らず魔女の玩具か蝗の餌に変わるのがさだめの哀れな贄たち。
 彼女の認識はあくまでその程度。されど――魔女は知らない。知る由もない。

「……、ほらにーとちゃん。自己紹介しないと」
「あ、うあ、えーと、あの……。
 こ、ことちゃんが代わりにしてくれない……? なんか思ったより怖……怖い子でさ……えへ、えへへ。
 あっ、薊美ちゃんでもいいんだけどなー!?」
「早くしてください、にーとのお姉さん。じゃないと令呪使って逃げますよ。私はいつ帰ってもいいんですからね」
「薄情!? うぅ……。光のことちゃんと闇のことちゃんに板挟みにされてる気分んんんん……」

 〈恒星の資格者〉という言葉、概念を、イリスはまだ知らないから。
 だからこそ彼女は、一切の前もっての想定ないままに相対することとなる。
 この世界の神、太陽、極星たる白い少女。神寂祓葉
 その高度に迫り得る、特異点の卵。原星核。

「あ、あああ、天枷仁杜、です……。
 あっ、親しい人は〈にーとちゃん〉って呼ぶよ……!」
「……、……」

 ――月、と称されるこの女と。



「そんな名前あるわけないでしょ。寝言は寝て言えよこのクソニート」
「ひどい!? ほ、ほんとに本名なんだってばぁ……! あとヘンな名前って意味じゃいーちゃんも大概だからね!!!????」



◇◇



 刹那にして、渋谷の街は本物の地獄に変わった。
 結集していく〈蝗害〉、群生相の暴食者達。
 それは一粒一粒が自我を持ち、欲望を持ち、生殖の使命を持ったいと悍ましき砂嵐。
 現在進行形で都市を喰らい続ける、餓死の原型。
 数日後には再現された東京のすべてを埋め尽くすことが確約されている終末装置(タイムリミット)。
 そんな群体が、ワイルドハントが、一体の英霊を喰い殺すために猛りをあげて迫るのだ。
 これが地獄以外の何だろう。現に居合わせたNPC数百人が、開戦数秒でもう飛蝗どもに食い尽くされて惨死している。

「えー、入力完了。
 宝具開放しちゃってね、君達。
 しち面倒臭い諸々すっ飛ばして、戦乙女らしく慈善事業と行こうじゃないの」

 その中にありながら、ロキの顔は涼しいものだった。
 彼の背後に浮かび、侍り、槍を構える無数の戦乙女――ワルキューレ。
 大神の娘たち、ヴァルハラの導き手。本来の数を優に超えて現出した戦士達は、黙し語らず父なるロキに従う。

「――『終末幻想・少女降臨(ラグナロク・リーヴスラシル)』。さあ、お父様(パパ)の期待に応えておくれ」

 父/作者の命令と共に、少女たちは一斉に天へと浮かび上がった。
 次の瞬間、その手に握られた神々しき槍が次々と投擲される。
 オーディンが握る神槍・グングニルの劣化複製。『偽・大神宣言』と"本来なら"呼称される神造兵装。
 一振り一振りが並の英霊なら霊核ごと消し飛ばす威力を秘めた神域の裁きが、地を這う虫螻を駆逐するべく降り注ぐ。

 炸裂と同時に、燦然たる、思わず見惚れるような輝きの爆発が炸裂した。
 槍の本数ぶん、つまり数百の炸裂が渋谷の町並みを蹂躙していく。
 無論標的にされた飛蝗の群れは、衝撃と熱風に煽られて次から次へと爆散を余儀なくされた。
 一斉攻撃に無辜の市民を少なくない人数巻き込んでいることを除けば、まさに神話の再現めいた光景だったと言えるだろう。

 ――しかし相手は〈神代渡り〉。あらゆる艱難辛苦を生き延びて現代にまで生き残ってきた、今を生きる厄災。
 そも総数が無限に等しい飛蝗の群れを相手に、たかだか数百の大火力で挑もうということ自体がナンセンスだ。

「"偏見・陰険人間糞だ 動き出せ俺 fight"――!!」

 響き渡る悪夢のギターソロ。
 それと共に溢れ出しては食い破る飛蝗の群れ。
 残滓として空間へ漂う魔力さえ餌に変えて、虫螻どもがワルキューレ達へ向けて飛翔する。
 暴食、暴食、暴食、暴食。数十数百死んだ程度では何も変わらない、誰も気に留めない。
 何しろ彼らはこうしている今も、一秒の間断もなく増え続けている。
 視覚的には砂嵐にしか見えない蝗の群れ。その中では常に数万数億の個体が性交に明け暮れ、爆発的に生物の意義をこなし続けている。

 その筆頭を征くのは、やはりと言うべきか彼らの"英霊"としての核。
 ツナギ姿の怪人が、金属バットを片手に嵐を引き裂きロキへと向かう。
 彼は〈蝗害〉の総体意思。群れある限り死ぬことを知らない暴力の化身。
 振り下ろすバットと、ロキの手に握られた真作の『大神宣言』が激突する。
 迸る衝撃波が路上に散らばった臓物や死体死骸を蹴散らして、怪物どもは笑みを浮かべながら舞踏会へ興じていく。

「お膳立てをありがとうよ、色男! メスがよりどりみどりじゃねえの、片っ端から食い漁ってやっからなァ!」
「どうぞご自由に。虫螻とはいえ王を謳うんだもの、まさかたかだか御遣い程度に遅れは取らないよな?」

 それはさながら、聖書の一ページを映像化したかのような光景だった。
 寄せては返す〈蝗害〉の荒波を、黄金の髪を靡かせる美丈夫と彼に仕える数百の槍持つ乙女達が迎え撃つ。
 都市を滅ぼし、民を喰らい、命へ癒えぬ苦しみを与える奈落の王(アバドン)の乗騎。
 黙示録の時来たれりと謳う騎手と、その黒き死に抗う美しき人々。

 蝗害を蹴散らす光の槍が、迸るたびに夕闇を燦然と照らし上げていく。
 しかし生まれた光は、次の瞬間にはまた蝗という名の闇に喰われる。
 少なくない数の犠牲を払いながら、それがどうしたと前進し続ける愚かな虫々。
 オーディンの戦乙女を総軍規模で出撃させていながら、結局、彼女達は〈蝗害〉の前進をわずかに遅らせている程度の働きしかできていない。

 そして遂に、美しき乙女達のひとりが餌食になった。
 細やかな足に、白鳥を思わす翼に、次々飛蝗が食らいついて牙を立てる。
 東京の蝗は既に群生相。常なら食べない血肉も魂も、飢えた彼らは喜んで貪り食う。
 結果、哀れなワルキューレが塵も残さず消えるまで五秒とかからなかった。
 わななく指先、爪の一片まで残さず平らげて、暴食の嵐が白鳥たちに襲いかかる。

「なんだよ、妙に中身がスカスカだな。せっかくの別嬪だからどんな味かと期待してみりゃ、てんで食いでがねえでやんの」

 一言、虐殺である。
 断末魔のひとつもあげずに黙って喰われていく様もまた、光景のグロテスクさにある種拍車をかけていた。
 ロキによって生み出された戦乙女達を、飛蝗どもは敵とすら認識していない。
 ただの餌だ。風にそよぐ稲穂の一本と、この世のどんな男でも刹那で見惚れる美貌の少女が、食欲という最も原始的な欲求の前に等価となる。

 結果として、ワルキューレの聯隊はスナッフビデオのような絵面を繰り広げながら一体残さず食い殺された。
 ごちそうさまの挨拶もなしに、餌を失った飛蝗達の矛先が一点に絞られる。
 すなわちウートガルザ・ロキ。兵を狩られた裸の王様の、頭の先から足の先まで余さず寄越せと節操なしに殺到する。
 その先頭に立つのは総体意思。力任せに振り抜かれたバットの一撃が、退避しようとしたロキの頭部に向け振り翳される。
 こうなるとロキは『大神宣言』を用い、目先の危険であるそれをどうしても対処しなければならなくなる。
 結果として撲殺の末路を免れることはできたが、命を拾った代償に逃げる暇を失った。
 哀れな道化の肉を求めて迫る地平の暴風を、両手の塞がった状態で対処することは当然できない――

「そりゃ残念。枯れ草みたいな料理を山ほど拵えた方が、飛蝗の好みには合うかと思ったんだけどね」

 ――その"当たり前"を覆すように、次の瞬間。
 迫るサバクトビバッタの一軍がロキもろともに、戦略爆撃もかくやという大熱波に消し飛ばされた。

「ッぎ――!?」

 それは、歴史を繰り返すような光景とも呼べただろう。
 空から落ちてくる破滅の炎。命を滅ぼす光の熱波。
 東京を蹂躙した戦火の火をなぞるような皮肉の景色。

 しかし、なぞらえて語るにはこれは壮麗すぎた。
 降り注ぎ、飛蝗の軍勢を焼き払ったのも無機質な爆弾などではない。
 黄金の光だった。この世に現存するどんな貴金属よりも眩しく輝く、純然たる金色で編まれた破壊光が〈蝗害〉を襲った熱の正体だ。
 天におわして地を見守るまことの神が、厄災に曝される民を哀れんで放った救いの光。
 もし宗教家がこの場に居合わせたならば、ややもするとそんなことを言ったかもしれない。

 ただしそこには条件が付く。
 これに居合わせて生きていること。
 そして運良く両目の視力を失い、辺りの惨状を認識せず、神々しい光の降る景色だけを目に焼き付けて終われたこと。
 そうでなければ死ぬか、生き残ったとしても信じた奇跡に裏切られて絶望に打ち拉がれる羽目になったろう。

「俺は小人(ドヴェルグ)どもと懇意の仲でなあ。
 大恩ある俺が害虫の群れに集られていると知り、かいがいしくこの世界まで届けてくれたみたいだ」

 天の光は、確かに地の蝗害を焼き払った。
 しかし焼いたのは飛蝗だけではない。
 逃げ惑う民、逃げ損ねた民、あるいは事の深刻さをまだ認識しきれていなかった民。
 そういう数多の無辜の民、ざっと更に数百人を諸共に蒸発させながら、厄災を祓う天からの聖光はこの地に降臨を果たしたのだ。

 帆船が、空に浮いていた。
 これだけならば、単に不思議な光景で済む話。
 だがそのサイズは、明らかに異常だった。
 目算でも確実に数百メートルに達する、異様な巨大さを有している。
 地上から見上げてこれということは、実寸はkmを超えているかもしれない。
 神秘の薄れた現代では世界のどこを探しても存在しないし、持っていたなら欠片ひとつでも魔術師として盤石の地位を築けるだろう神代の素材を惜しげもなく使い、実用性と見た目の美しさを極限域で両立させた船であった。
 そもそもは戦闘用に建造された代物ではないのだろうが、では用途外で用いるとどの程度なのかという問いの答えは、今お披露目された冗談みたいな火力が物語っている。
 至高の美と、最高の武。船に搭載したい要素を惜しげもなく、一点たりとも譲らず詰め込んだ結果の空飛ぶ帆船。
 宇宙の彼方から地球に降り立ったギリシャの機神達の真体(アリスィア)にさえ匹敵、ともすれば凌駕するこの船を、アースガルズの神族達は賞賛と畏怖を込めてこう形容した。

 ――これなるは、まさしくこの世で最も素晴らしい船。

 名を、スキーズブラズニル。
 豊穣の神のために小人が建造した、神話の浮舟である。

「さあ、どうするよバッタ野郎。虫螻なりにそのチャチな羽で、天ってもんを目指してみるかい?」

 挑発するロキの言葉に合わせて、第二の光が発射される。
 ただし今度のは面の制圧能力に特化しない、間断なく撃ち放つ光の弾雨であった。
 この国の歴史になぞらえるならば、機銃掃射というものが近いだろう。
 弾丸のひとつひとつが人体どころか建物ひとつを消滅させる威力を秘め、尚且つ弾数が軽く見積もって十万を超えている点を除けば、適切な喩えと言えるかもしれない。

 対抗しようと考えるのが馬鹿らしく思えるほどの光景は、しかしこれで終わりではなかった。
 光弾の掃射が始まり、星空のように眩く輝く空をよく見てみると、所々に槍を持つ戦乙女の姿が窺える。
 それは先程ロキが用い、そして〈蝗害〉に鏖殺されたワルキューレに他ならなかったが、先程とは違う点がひとつある。

 これもまた、数だ。
 総数が本来の神話と比べても、あまりにも多すぎるのだ。
 千体を超えるワルキューレが、スキーズブラズニルの周りに滞空している。
 そしてその全員が、『偽・大神宣言』を装備している――これほど神々しい悪夢は他にないだろう。

「いいねぇ――」

 だが悪夢と言うならば、この虫どもも負けてはいない。
 光の中、破壊され尽くした大地から声がする。
 次の瞬間、粉塵はおろか光そのものさえ引き裂きながら、確かに消し去った筈の蝗の群れが爆発的に出現した。

「大口叩くだけはあるじゃねえか! いいぜいいぜ、そっちがその気なら俺もとことんノってやるよ!!」

 返事の代わりに、ロキは掲げた右手を下ろす。
 それを合図に、空のワルキューレの軍勢が、一斉に終末幻想(ラグナロク)を到来させた。

 これぞまさしくひとつの終末、都市へ降り頻る流星雨。
 が、飛蝗どもは逃げ惑うどころか進んで天へと昇っていく。
 神々しくあるべき槍を、オーディンの神槍の複製を、瞬く間にその数で黒く染め上げる。
 美しい筈の流星が、一振り残らず犇めく虫の黒色に汚染された。
 その結果、地の飛蝗を一掃する勢いだった千の槍は、一本たりとも地上に届くこと叶わず塵になって消え去った。

「やだやだ。野蛮だね」

 が、だとしても天はまだ遠い。
 ワルキューレ達の手の中に、再び神槍の写しが回帰していく。
 それが完了し、第二の流星雨が発射可能になるのを待たずして、スキーズブラズニルが感光した。

 その気になれば渋谷区どころか、東京都の全域をすら一時間足らずで焦土に変えられるだろう火力。
 一瞬、空に巨大なルーンの紋様が浮かび上がったと思えば、刹那の後には清浄の大熱波が放たれる。
 一体何十万の飛蝗が焼死したのか定かですらない。むしろ、これで全滅に至っていないことが不可解すぎるくらいだ。
 『穢れを清めるルーン』。小人が船を造り、神族達がこぞってそこに数多のルーンを搭載した結果がこの戦艦じみた帆船だ。
 北欧における最高の船と称されたスキーズブラズニルにかかれば、単なる清めのルーンが、黙示録の死にも仇なす神の審判と化す。

「テメエが言うなよ、腐れホスト野郎」

 滅却されていく同胞達には見向きもせず、シストセルカ・グレガリアの総体たる彼は喜悦満面でロキと打ち合い続けている。
 技などない、ただの力任せ。されどそれでさえ、並の英霊なら一撃で殴り殺す威力を秘める。
 繰り出される暴力の応酬を、ロキは冷や汗ひとつ流さずに受け流し続けていた。

 あくまで彼は奇術師(キャスター)、戦士ではない。だから暑苦しい近接戦に付き合う気など端からないのだ。
 にもかかわらず、手にした槍の一振りだけで蝗の猛攻を防ぎ続けている辺りは驚嘆に値する。
 この場に〈脱出王〉と呼ばれる同業者が居合わせたなら、万能でなければスターは務まらないとうんうん頷きながら薀蓄を語っただろう。

「殴り甲斐ありそうなムカつくツラで何よりだぜ。やっぱ気持ちよくぶっ飛ばすなら、女殴ってそうなチャラ男が一番だもんな」
「心外だな。俺は好きな子には優しくする主義だよ? プラトニックが好きって言っただろ」

 シストセルカの凶相が、光に呑まれる。
 スキーズブラズニルの放った光の柱が、ロキごと彼に着弾したのだ。
 しかし当のロキは、軽傷どころか髪の毛一本散らすことなく直立している。
 理不尽。何から何まで道理が通っていないし、今見ているこれは果たして現実なのかと問いたくなるような無法。
 ロキはこの戦いで、此処までそれしかしていない。

「おう、好きなメスのタイプ聞かせろよ。
 ちなみに俺はパツキンでナチュラルメイクな乳デカいギャルな。さっぱりした性格で、手首に傷がないと尚良しだ」
「知りたくもない情報をどうも」 

 なのに、それに追随し続けているこの虫螻は一体何なのか。
 今しがたのスキーズブラズニルによる砲撃も、彼をまるで滅ぼし切れていない。
 平然と粉塵の中から声がして、軽薄な質問と共にバットを側頭部へ振るってくる。

「で、おたくはどうなんだよ。やっぱり乳は必須だよな?」
「無い方が好きだね。ちっちゃくて黒髪で、わーきゃーうるさいくせに人見知り。あとかわいいのは大前提。そんなとこ?」
「キモ。ロリコンかよお前。あ~駆除駆除駆除駆除、慈善事業ォ~~~ッ!!!」

 無法にはまた別の無法。
 お互いが当然にその思考だから、この戦場には際限というものが存在しない。
 正常な聖杯戦争では出てこない害虫と、正常な人間では運用できない悪魔。
 奇跡のような運命でまろび出た二種の怪物の戦いの舞台になった渋谷区に顔があったなら、今頃きっと泣いているだろう。
 こうしている間もずっと、スキーズブラズニルの空爆とサバクトビバッタの氾濫が、一秒ごとに街を更地へ近付けているのだ。

「失礼だな。成人してるから純愛だよ」

 ロキの手の中で、神槍(グングニル)がブレる。
 刹那、回避を許さぬ槍の疾走がツナギ男の心臓を穿った。
 同時に壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)、結果として巨人王の趣味を嗤った彼の姿形は木っ端微塵に爆散する。

「キモいことに変わりはねえだろ」

 声は、ロキの足元から響いた。
 おや、と優男の眉が動く。
 彼の足からぞわぞわざわざわと、おぞましい音と触感を伴いながら無数の飛蝗が這い上がってくる。
 おいおい滅茶苦茶痛いな、と場違いに呑気な感想が彼の口から漏れた。

「あー。えーっと、"アンサズ"」

 面倒臭そうにその指先が、何やら紋様のようなものを描き――次の瞬間、ロキの全身が蒼く燃え上がる炎に包まれる。
 これで這い寄るサバクトビバッタを焼き尽くしつつ脱出したわけだが、彼の両足は骨が見えるほど食い荒らされていた。
 更には傷口を起点として、患部全体が末期の病巣に変わったみたいな毒々しい激痛が脳を沸騰させてくる。
 されどこれでも、この悪なる飛蝗どもに集られた末路としては穏当だ。そのことは今更言うまでもないだろう。

「一応治しとくか。この傷じゃコンビニにも行けねえや」

 続く二文字目の紋様(ルーン)で、負った傷を内部の毒ごと速やかに治療。
 放出した大神宣言の代わりに取り出したのは、人の身の丈ほどもある巨大な槌(ハンマー)だった。
 かつて"この"ロキの奸計にまんまと誑かされて失態を晒した雷神の神造兵装。
 名をミョルニル。雷神の槌、雷神の嵐……いずれにせよ、グングニルの次に出る武装として一切の格落ちはない。

「一歩前進だな。今の魔術、テメエの自前だろ。ルーンってやつだっけ?」
「何のことだかさっぱり」
「それにテメエ自体はちゃんと食ってる感覚もあった。
 殺せば死ぬ、食えば死ぬ。正直ちょっと参ってたぜ、流石に"存在してねえ"奴は食いようがねえからな」

 再生を果たしたシストセルカに、振り下ろされるミョルニル。
 それは『悉く打ち砕く雷神の槌』。
 一切爆散の威力を秘めた神の雷霆を、平然と食い破り進軍する飛蝗の軍勢。
 その猛威を鼻で笑いながら、ロキは指を鳴らした。
 途端、渋谷の大地に空から雷霆が降り頻る。
 雷神トールが搭載した雷のルーン。その機能を用いた、スキーズブラズニルによる神為的天災が"神の敵"一切を焼き払うべく音を奏でた。

 されど虫螻の王、神を畏れず。
 彼らは大勢、孤軍に非ず。
 ひとつの"種"として喰うことを選択した地平の厄災は、雷神が激昂しようが止まらない。
 いや、それどころか。
 此処に来て遂に、押されるばかりに見えた黒き死が神話の終わりを成し遂げようとしていた。

「タイムアップだぜ、色男」

 悪戯っぽい笑顔で、シストセルカが天を示す。
 ロキが視線で指先を追うと、そこには驚くべき冒涜的光景が広がっている。

「……へえ。別に舐めてたわけじゃないけど、此処までやれるのか」

 空に――巨大な、髑髏が浮いていた。
 スキーズブラズニルの全長は、アースガルズの神族がすべて乗れるほど巨大だという。
 だが髑髏の全経は、そんな至高の船のそれを遥か上回っている。
 そんな黒い髑髏はアギトを開き、表情筋など存在しない躰で笑みを形作りながら、上下の顎で神の船を挟んでいるのだ。

 千を超える戦乙女が、どれも手足を喰らわれて、穴という穴を無数の飛蝗に犯されている。
 父神の槍を握ろうにも、そもそもそのために必要な腕がない。
 目鼻に口、恥部肛門に傷口。其処から入った虫に骨ごと喰らわれたワルキューレが地に墜落する様は、この世の終わりのように破滅的だ。
 スキーズブラズニルを護る乙女達は再び鏖殺され、結果、笑顔の髑髏は遠慮なく咀嚼を続ける。
 至高と呼ばれたその船の、あらゆる建材が悲鳴をあげていた。均衡は一度崩れれば後は早く、陳腐な音を立ててまず帆が折れる。
 次に船底、次に甲板。
 次々と髑髏の歯に押し潰され、破砕。スナック菓子のように噛み潰されて、魔法の船が瓦礫の山に変わっていく。

「船でも星でも何でも持ってこいよ。片っ端から食って潰して殺して犯して、飛蝗(おれら)の供物にしてやるぜ――――」

 スキーズブラズニル、此処に轟沈。 
 同時に天の浮舟に抑圧されていたサバクトビバッタが、嬉々としてその氾濫を再開する。


「――――DIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIE、YOBBOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO(雑魚は疾っとと絶滅しやがれ)!!!!」


 亡き帆船の最大火力と、この黒き波。
 果たしてどちらがより強力で、凶悪だろうか。
 判別の付けようなどある筈もない。
 そも、耐えられる者がいないからだ。
 それでも、目の前の命を奪う(ころす)という一点で言うならば――やはり上手を行くのは、黒騎士とアバドンの原型たる虫螻の方か。

 ロキが地を蹴り、後退する。
 それは彼がこの戦いが始まってから初めて見せた、明確な退避行動。
 全能の奇術師たる霞煙るロキでさえ、本気の〈蝗害〉には耐えられない。
 だから下がる。されど、逃すものかよと羽音が響き、風に載って茶と黒の雪崩が奔る。

「"Now singin`"」

 響き渡る破滅のギターソロ。
 道理が敗北し。叡智が滅ぶ。
 神々が逃げ帰る。誰もこの音を絶やせない。

「"bling-bang-bang,bling-bang-bang,bling-bang-bang-born"
 "bling-bang-bang,bling-bang-bang,bling-bang-bang-born"
 "bling-bang-bang,bling-bang-bang,bling-bang-bang-born"」

 荘厳とは無縁の、今風な流行りのジャージークラブ。
 無数の飛蝗がかき鳴らす。数多の飛蝗が歌い舞う。
 誰も口を挟めない、誰も口を挟ませない。
 君臨。蹂躙。降臨。踏み荒らす逆鱗。悲劇めいた喜劇の再臨。

「"bling-bang-bang,bling-bang-bang,bling-bang-bang-born"
 "bling-bang-bang,bling-bang-bang,bling-bang-bang-born"
 "bling-bang-bang,bling-bang-bang,bling-bang-bang-born"」

 悪夢のポップが現実を破壊する。
 いや、夢さえも破却する。
 進む、進む、まさに彼らは不退転。
 シストセルカ・グレガリア。それは、星にとっての悪い夢。
 あらゆる命が平伏し、あらゆる命が逃げ惑い、あらゆる命が飢えて死ぬ。
 黒き滅び、黙示録の死。奏で給うは、万物万人に向けた荒くてポピュラーなレクイエム。

「HA HA HA HA HA――――――!!!」

 ワルキューレの猛攻とスキーズブラズニルの殲滅。
 いずれでも滅ぼし切れない、それを叶える段階に遠く及ばない膨大極まりない数の暴力がただ一体の巨人を脅かす。
 響く哄笑は死神の囁きとまったくのイコール。そんな状況に立たされて尚、ロキは笑っていた。

「女の趣味は合わないが、やっぱり音楽の趣味は悪くないね。
 まったく惜しいよ。君がせめて神か人だったなら、友達になれたかもしれないのに――ああいや、それは無理か」

 気でも触れたのか。
 何故、この状況で笑えるのだ、ロキよ。悪童の王ならぬ、ウートガルズの王よ。

「所詮地に足着いた生き物じゃ、俺の想像は超えられないもんな」

 気になるかい?
 いいよ、教えてあげよう。

 奇術師(トリックスター)は、いつだって不敵に笑うもんなのさ。
 好きな子に頼まれた時は、特にいっとう陽気にね。

「虫螻の分際でよく吠えた。その素晴らしい万有に免じて、本物の絶滅というヤツをくれてやる」



「……ッ!?」

 驚きに揺れたのは、事もあろうに王手をかけていた〈蝗害〉の側だった。
 その驚愕が伝播したように、進む無数の飛蝗の群れが、目に見えて停滞していく。
 いやそれどころか、地に落ちて緩慢にわななくばかりと成り果ててゆく。
 餓死の象徴にして暴食の象徴たる、空を覆う虫螻達が氾濫を止める異常事態。
 都市に蔓延る強大にして下劣なる滅びに否を唱える光景の中、ただウートガルザ・ロキだけが嗤っていた。

「なんだ、こりゃあ……まさか、テメエ……!」
「あらら、無様なことこの上ないなぁオイ。
 まあでも仕方ないさ。煩く囀って飛び回る飛蝗も、巡る季節にゃ勝てやしないよ」

 彼を中心に、戦場一帯の気温が一秒ごとに引き下げられている。
 スキーズブラズニルの神罰と、それをも食い破ったサバクトビバッタの暴虐。
 その両方から逃げ延びた幸運な人間がいたとしても、これで確実に全員が死んだだろう。
 人間ではもはや生存不可能な次元に至った低温の地獄は、誰であろうと命が存在することを許さない。

「ニブルヘイムの冷気を此処に呼び寄せた。
 寒さとは、雪とは、冬とは等しく死の象徴だ。
 君ら虫螻はよく知ってるよな? ひとえに俺達の決着は、そんなところさ」

 サバクトビバッタ――シストセルカ・グレガリアは攻性において無敵の存在である。
 その上で、常に増え続け番い続けるから滅びとも無縁。
 吹けば飛び、踏み潰せば臓物を曝すような虫螻なれど、それが無限に集まっているからこそ亡ばない。
 だが、では、自然界におけるサバクトビバッタは果たしてこの通りに無敵の生命体なのか?
 答えは、否である。サバクトビバッタは他の昆虫類の例に漏れず変温動物であり、寒さの影響は彼らの活動を著しく緩慢にさせるのだ。
 そしてサーヴァントという存在は否応なく、原典(オリジン)の逸話・性質に引きずられる。
 ある時には原典を参照して強くなり。またある時には、逆に弱くなる。

「今の俺様はお月さまの相棒さ。如何に君らが強く大勢でも、その飛翔が月(かのじょ)に届くことはない。
 ていうか――」

 ロキが嗤う。
 嗤いながら、ミョルニルを振り上げる。


「舐めてんじゃねえぞ。たかだか虫螻が、俺に勝てるとか一秒でも夢想したか?」


 傍若無人。
 これぞウートガルズのロキ、神を嗤う者。
 次いで轟く雷霆は虫螻どもへの死刑判決。
 よくぞ戦った、よくぞ吠えた。
 身の程知らずの罪はあまりに重い。故、もの皆虚しく灰燼と帰すがいい――
 ロキの判決がもたらす大破滅。されどそんな中、一転して追い詰められた虫螻の王が吼える。

「たかが雪屑で俺達を殺す!? 思い上がったもんじゃねえか、嫌いじゃねえぜ。だからブッ死ねクソカスがァ!」
「そういう君らの方こそ、下賤な虫屑がこのロキ様に勝てると思い上がってんじゃねえよ。一匹残さず踏み殺すぞ、塵芥がよ」

 渋谷区に顕現したニブルヘイム。
 固有結界に非ず、しかしソルジャー・ブルーの領域にも非ず。
 これは、世界そのものを騙す大幻術(イリュージョン)。
 アーテーの継嗣とは似て非なる、されど位階を同じくする悪意の手品。

 世界すらも騙されるなら。
 そこに立つ存在は誰ひとり、分かっていたとて狂った世界から逃れられない。

 微睡む月は決して現実を見ることがなく。
 故に今宵、ウートガルズの霧は晴れることを忘れてしまった。

「死に果てるまで踊ろうぜ。土産話は多い方がいい」

 晴れぬ霧と、滅びぬ嵐。
 太陽の子を勘定に含めぬならば、彼らはまごうことなくふたつの"最強"。
 現時点で死者の数は二千人を超えている。
 討伐令の存在しない異端の聖杯戦争で、最凶達のダンスを止められるルールは存在しない。

 例えば、そう――



「おうおう、おうおうおうおう!
 ずいぶん景気よく暴れてんじゃねえか――そんなに楽しいかい、太祖竜(テュフォン)の真似事が!」



 同じ座から招かれ、この地に降り立った影法師。
 境界記録帯(ゴーストライナー)が殴りつけて、無理やり収拾でも付けない限りは。

「しかし悪いな。宴の邪魔立ては無粋と分かっちゃいるが、このまま続けられると俺達ゃちと具合が悪いんだ」

 地獄を前にして、朗らかに笑う男だった。
 鍛え抜かれた肉体は戦士の極限値に達して余りあり、思わず付いていきたくなる魅力と、居住まいを正したくなる威厳が同居している。
 ただひとつ確かに言えることは、彼は戦士であり、軍師であり、そしてそれ以前にありふれた善性の信奉者であること。
 妖艶の美と暴食の醜がせめぎ合う異界の戦場だからこそ、その輝きは荒削りな金剛石のように鋭く鈍く輝いて見えた。

「――俺の顔に免じて、この場はお開きにして貰うぜ。怪物ども」

 稀代の軍略家、幸福の国を偉大たらしめた男。
 テーバイの大将軍・エパメイノンダス――ニブルヘイムに参戦す。



◇◇



 時はわずかに遡る。

「……どうなってんだよ、こりゃ……!」

 苛立たしげに吐き捨てる琴峯ナシロを、同行している誰も宥めることができなかった。
 レミュリンらと別れ、小一時間ばかり経過したタイミングのことだ。
 楪依里朱、ひいては彼女が擁する〈蝗害〉を追跡するべく行動を続けていた矢先。
 ――突如、渋谷区に〈蝗害〉が出現した。

「レミュリンちゃんから近くに奴さん方がいる話は聞いてたが……それにしたって些か唐突だな。
 今までの〈蝗害〉の出現パターンと一致しねえ。ってことは、次の獲物を見つけたと考えるのが合理的だろうよ。
 だが、こいつはどうも……」

 冷静に分析するのはエパメイノンダスだ。
 しかし彼の顔には、焦りに似た険しさが浮かんでいる。
 河二が問うまでもなく、彼はその理由を語ってくれた。

「様子が妙だ。これは一方的にやられてるって感じじゃねえ。
 おまけにどうも居心地の悪い魔力を感じるぜ。参ったな、馬鹿騒ぎの予感がするぞ」
「ッ……アサシン。お前も何か感じるか?」
「すっっっっっごい質の悪そうなヤツの魔力ですね、これ。
 最初から人をおちょくる気しかなさそうっていうか……この魔力の主、絶対ロクな奴じゃないですよ。
 あと反応が大きすぎます。魔力反応だけで言うんだったら〈蝗害〉より圧倒的にヤバいんじゃないですかね、こいつ?」

 エパメイノンダスの推測を補強するように、ヤドリバエが不愉快そうに眉間に皺を寄せて言った。
 見れば彼女に随伴している眷属の蝿悪魔達も、こころなしか殺気立った様子で羽音を鳴らしている。
 〈蝗害〉の出現は危険でこそあるが、不謹慎ながら願っていた事態でもある。
 だがそれと拮抗できる、恐らく善玉ではない何者かの出現というのは、望んでいない展開だった。
 何より問題は、此処が渋谷区、都心のド真ん中であるということ。
 既に路上は阿鼻叫喚の様子だ。こんな場所で弩級の強者達が全力で殺し合いなどしてみろ、一体どれほどの犠牲が出るか分かったものではない。

「……意見を聞きたい。どうする、琴峯さん」
「止める――って言いたいところだが、現実的じゃないよな」

 この世界の住人が、舞台ともども創造された被造物であることは分かっている。
 だからと言って、自分の足で歩き、話し、感情を持って過ごしている彼らを"死んでもいい命"などとナシロは口が裂けても言いたくない。
 可能なら助けたい。しかしこうまで破滅的な状況では、首を突っ込んだ結果が単なる自殺に終わる可能性がどうしても否めないのだ。
 いや、むしろその方が明らかに現実的だ。エパメイノンダスはいいがヤドリバエは未だに発育途上。まともな戦力に数えるのは難しい。
 得意のハッタリでどうにかなるならまだしも、右も左も最悪レベルの化け物となると、どうにも打つ手はなかった。

 そこで。

「……あ! ナシロさん! 見つけましたよ、怪しい連中!!」
「本当か!?」

 ヤドリバエがぴょこんと手をあげて叫んだ内容に、ナシロは弾かれたように振り向いた。

 〈蝗害〉の死体を素体に、ヤドリバエは宝具を用い眷属を生成している。
 本人は「生き餌の方が強い子に育つんですけどねぇ」と不満げだったが、純粋に人員が増やせるというだけで十分大きい。
 そしてその成果が早速、これ以上ないタイミングでナシロ達のもとに舞い込んだのだ。

「代々木公園に、女の人が四人集まって何か話してるみたいです。
 近くには軍人っぽいおじさんと、褐色肌のちっちゃい子。たぶんサーヴァントでしょう、明らかに只者じゃないっぽいですよ」
「その中に、全身白黒コーデの女は――」
「います。その人だけは、サーヴァントを連れてる様子が見えないですね。ビンゴでしょうこれは!」
「よしでかした、後で欲しい物何でも買ってやるッ」
「マジですか!? iPhoneでお願いします!! いい加減自分の端末ってやつを持ちたいお年頃だったんですよね、わたし!!」

 レミュリンの話を聞くに、まだ蝗害の魔女はそう遠くまで行っていない。
 そこに賭けて飛ばしていたヤドリバエの眷属が、標的を発見した。
 場所は代々木公園。此処から十分強も走れば、きっと問題なく辿り着ける位置だ。

 河二と目線を交わす。
 彼も、小さく頷いた。
 意思伝達はこれで十分。
 〈蝗害〉と未知の英霊の激突などという人外魔境に手を出すには、今の自分達では戦力が足りなすぎる。
 だからこそ、それを従える魔女・楪依里朱を直接叩いて災禍を止め、渋谷の戦闘もやめさせる。
 マスターの身でレミュリンのランサーを一時足止めしたというイリスの実力も恐ろしいが、少なくとも〈蝗害〉の本丸と揉めるよりは状況の難易度は圧倒的に低い筈だ。
 リスク承知でこれで行こうと、決まりかけたその時。

「……成程、話は分かった。だがそれなら尚更、誰かひとりはそこの戦闘に噛むべきだな」

 少年少女の結論を見届けてから、口を挟んだのはこの男。エパメイノンダスである。

「どういうことだ、ランサー。マスターの居所が分かったのに、何故わざわざ火の粉を被りに行く必要がある?」
「確かに相手が〈蝗害〉だけならそれでいいだろうよ。
 令呪で公園に蝗どもを呼ばれる可能性は、もちろんお前ら承知だな?
 いや、陥穽を指摘してるわけじゃねえ。コージもナシロの嬢ちゃんも、感心するほど事の道理ってもんをよく弁えてるからな。
 お前らがそれを承知の上で、イリスって嬢ちゃんを叩くと決めたのは俺も分かってるよ」

 河二もナシロも、歳の割には極めて優秀だ。
 人間ができていて、その上で冷静に目の前の物事を判断できる頭脳がある。
 だがそれでも、彼らは戦に関してはやはりズブの素人だ。
 故にこそこのエパメイノンダスは、戦争を知らない子どもたちを制御するブレーキの役割を担っていた。

「だからそこはいい。問題は、飛蝗野郎と揉めてるもう一騎のサーヴァントの方だ」
「……あ」

 ナシロが、思い当たったように声を漏らす。
 同時に己の浅慮と、想像以上の事の厄介さに顔を顰めた。

「〈蝗害〉と真っ向勝負ができる戦力。そして都心の真ん中で、人目も犠牲も憚らずおっ始められるメンタリティ。
 そんな奴が、令呪で消えた〈蝗害〉を追って代々木公園とやらに駆け込んできたら――元の木阿弥って奴じゃねえか?」
「そういうことか……」

 河二も遅れて理解したのか、苦い顔で口元に手を遣った。
 だからな、とエパメイノンダスは顎先を弄りながら続ける。

「最低限、サーヴァント一体はそいつの足止めのために此処に残る必要があるんだよ。
 で、言いたかないがヤドリバエちゃんじゃ流石に役者が足りん。となると適任は俺だ」
「……いや、だが。あなたがいない状態で件の魔女に挑むのは、少々危険ではないか?」
「そこは否定できねえな。だから、今の話を踏まえて、改めてお前らふたりの意見を聞かせてもらいたい」

 阿鼻叫喚の喧騒の片隅で、彼らだけのしじまが下りる。
 エパメイノンダスの指摘は、この作戦行動が予想を遥かに超えるリスクを孕んでいることを周知にした。
 今になって、雪村鉄志とマキナの離脱が重くのしかかる。
 そうでなくても、こうなると分かっていればレミュリンと蛇杖堂絵里の存在が恋しくなる。
 イリスの他に公園にいるという主従達をアテにするのは、いくら何でも危険すぎるだろう。
 しばしの逡巡の末、口を開いたのは、琴峯ナシロであった。

「アサシン。……任せられるか?」
「え、あー……。まあ、はい。前も使ったアレですよね?
 いけますよ、いつでも。というか眷属も増えましたし、前よりわたしも強くなってるので、……ちょっとは頼ってくれてもというか」
「そうか、分かった。ありがとう」

 流石のヤドリバエも、この雰囲気の中でいつものノリを出すのは躊躇したらしい。
 やりにくそうに、手探り感をありありと滲ませながら答えた。
 そしてこれを以って、ナシロは命題の答えとする。

「私は行く。だが、これはあくまで私の判断だ。
 高乃、お前がどうするかは任せるよ。流石に共闘相手に"丸腰で死地に来い"なんて言えないし、そもそもランサーを戦闘に参加させる話からしてそうだ。お前には、断る権利ってもんがある」
「いや、僕も行く。君の判断に従うよ」
「……、いいのか?」
「この場に僕だけ残ってもできることは何もない。であれば琴峯さんに同行して、少しでも状況を前に進めた方が効率的だ。
 ランサーのことは気にしないでほしい。彼の強さは知っているし、危険と分かればそれこそ令呪で逃がすこともできる。
 状況は悪いが、それでも最悪ではないと僕は思う。賭けてみる価値は、あると思う」

 こうまで言われれば、ナシロも何も言えなかった。
 単なる同情であれば引き止めもしただろうが、河二は河二で自分なりに物を考え、自分へ同意する判断を下したのだ。
 であればそれを疑うのは、この物静かだが純朴な少年への侮辱になる。
 エパメイノンダスを囮役にし、自分達は代々木公園へ向かう。
 そして楪依里朱を――蝗害の魔女を、止める。

「どうやら、決まりだな」

 話し合いの顛末を見届けて、エパメイノンダスはからからと気持ちよく笑った。
 いつも通りの彼だ。これから人外魔境の戦場に足を運ぶ者の顔とは、とても思えない。

「なぁに、安心しろ。
 俺なんかが使える力は限られてるし、都市や星を消し飛ばすビームなんざ撃てねえが――
 守るための戦いってヤツのやり方は、多少心得てるつもりさ。防衛戦は何もレオニダスの専売特許じゃないんだよ」

 それに、と。
 将軍は、いたずらっぽい笑みを浮かべながら、先程まで握っていた左の拳を開いてみせた。
 そこにあったものが何なのか。何故これが、自信の根拠になるのか。ナシロも河二も、ついぞ理由が分からなかったが。

「コージの言う通り、俺達の風向きも悲観するほど悪かないらしい。いっちょ皆で一丸となって、大勝負と洒落込もうじゃねえか」

 ――テーバイの将軍の、その無骨な手のひらには。
 人の形に切り抜かれた、白い紙人形のようなものが握られていた。



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最終更新:2025年01月18日 23:22