調べねばならないことが無数にある。
だが、問題というのはいつも、過程を踏む間もなく起きる。
雪村鉄志は、人生において何十度目かのそんな実感を抱いていた。
マナー違反は承知の上で、歩きながら眺めているスマホの画面。
そこには先の夕食の席で交換した、
琴峯ナシロのアドレスから届いたメール文が表示されている。
――渋谷、代々木公園付近で〈蝗害〉の絡んだ大規模な戦闘が勃発。
――おそらく、犠牲者多数。自分達の中からは、高乃のランサーが戦闘へ介入。現在合流待ち。
――〈蝗害〉のマスター、
楪依里朱と接触。彼女へ先に接触を図っていた三人のマスターも視認。
――負傷はしたが、自分達は皆無事である。何か分かったことがあれば、追って連絡する。
要約するとこのような内容だ。
全文を読み終え頭に叩き込んで、鉄志は思わずため息をついた。
「どうなってんだ、この街はよ……」
退屈しない、などという話ではない。
端的に言って、事態は鉄志の想定を超えた速度で、一足飛びで悪化した。
〈蝗害〉がいずれ大規模な衝突を引き起こすだろうことは、鉄志も予想はしていた。
だがいくら何でも早すぎる。タイミングが悪すぎて頭を抱えたくなるくらいだ。
理屈で動かない狂人どもの存在。まともな
ルールがないからこそ、無法が合理化されているこの現状。
ふたつを思えば自ずと頭痛が襲ってくる。同時に、焦燥がこみ上げてくるのも否定できなかった。
(急がねえと、俺もニシキヘビに迫る前にどっかの誰かの傍迷惑な乱痴気騒ぎに巻き込まれて殉職ってか――クソ、冗談じゃねえぞ)
雪村鉄志はもう警察官ではない。
だが、彼が成すべきことを成す上ではどうしても肌に染み付いた段階(プロセス)を踏む必要が出てくる。
すなわち調査と、裏取りだ。この世界に自分が追い求める仇がいる確信はあるが、だからこそそれを特定する上では根拠が肝要になる。
蛇へと繋がる道筋。容疑者を特定し、追い詰めるための根拠。そのふたつを確保しなければ、鉄志の努力はどうやったって報われない。
だというのに、世界は鉄志の泥臭い歩みなど知ったことかとばかりにあらぬ方向へ進んでいく。
急がなければ。
足を止めていられる時間は、きっと自分が思っているより遥かに少ない。
脳が沸騰しそうだ。急げ、しかし焦るな。
焦れば事を仕損じる。普段なら見落とさないものを見落とす。
すう――はあ――。
深呼吸で酸素を脳に行き届かせつつ、思考を回し続ける。
渋谷の騒動は気になるが、優先順位を見誤ってはならない。
身体はひとつ、脳もひとつ。ナシロから救援信号も飛んできていない以上、そこはあちらの働きを信じよう。
追加の情報が送られてきたら、その時また改めて方針を調整すればいい。
以上をもって焦りかけた思考を切り替える。マキナに悟られて要らない心配をかける前に足を進めるか、と思ったところで。
『ますたー』
「……どうした?」
相棒の少女の声に、反応する。
気取られてしまったかと思ったが、どうもそういうわけでもないようだ。
『近くに、奇妙な空間があるようです。どうしますか?』
「空間……? 悪い、もう少し詳しく説明を頼む」
『いえす。りょーかいです、ますたー。少しお待ちくださいね、えぇっと……』
ナシロ達と別れて以降、マキナがやけに周囲へ気を張っていることには鉄志も気付いていた。
理由は分かる。昼に
高乃河二とそのサーヴァントの存在に気付くのが遅れたことを不甲斐なく思っているのだろう。
それがよい方向に働いた。少なくともマキナに教えられるまで、鉄志はまったくそれを感知できていなかったから。
『此処から……えぇと、右斜め上……じゃなくて、あぁっと、その……』
「……北東か?」
『! い、いえす。それです。北東方向に、強い魔力反応があります。
地上ではなく、地下に広がっているので、当機は"奇妙な空間"と形容しました。えへん』
なるほど、と思いながら手帳を開いた。
この世界に来てから、鉄志はずっと都内各地で見られた聖杯戦争絡みと思しき事案を記録している。
分かりやすい事故や事件はもちろんのこと、怪談話じみた報告もなるべくは書き留めるように努めていた。
今自分達がいるのは杉並区。この区の記述をぱらぱらと漁っていくと――あった。
《杉並区内。"歩くオブジェ"の目撃談が複数件インターネット上で報告されている。サーヴァントの宝具か》
《住宅や街路の不明な破壊現象多し。主に深夜帯に発生←神秘秘匿の原則に則っている。生真面目な手合い?》
《蚕糸の森公園で男性の焼死体が発見。上半身の大部分欠損。右腕が切断されていた》
いずれも聖杯戦争と強い関連性を滲ませる記録だが、重要なのは一行目。
ネット上の目撃談なのでオブジェと記す形にはなっているものの、鉄志にはピンと来るものがあった。
三陣営同盟を締結してすぐの情報交換で、高乃河二らから聞いた話である。
彼らの話にいわく、数体の青銅の傀儡……"竜牙兵"と思しき存在と直近で交戦したというのだ。
交戦した場所は杉並ではなかったが、青銅の兵隊というのは素人が見たら、まさしくオブジェが自律行動しているように見えるのではないか。
河二から聞いた、竜牙兵を操るサーヴァントの真名。
あくまで推定のものという前置きは付くものの、根拠となる
エパメイノンダスの出自が出自だ。信憑性はかなり高いと、鉄志は思っていた。
だとすると。この杉並に根を下ろしていた/いると思しき英霊は、相当なビッグネームということになる。
(リスクは高いが……偶然とはいえ此処まで肉薄できたんだ。無駄にするのも惜しい、か)
実際に接触を図るかどうかは保留するとして、とりあえず陣地の状況だけでも把握しておくに越したことはないだろう。
この機を逃せば、また杉並まで足を運ぶ機会などいつになるか分からないのだ。
渋谷がそうなってしまったように、この聖杯戦争ではついさっきまで在った街並みや情報源がいつ消滅するか分からない。
誰かの気まぐれで簡単に形を変える針音仮想都市の中で、一期一会という言葉が持つ意味はあまりにも重たかった。
『どうしますか、ますたー?』
「……慎重を期しつつ、一度接近してみよう。
ただし危なそうならすぐに退くこと前提でだ。
苦労をかけるが、いつでも逃げられるように気を配っておいてくれ」
『あい・こぴー、ますたー』
マキナに伝えて、鉄志は足を進め始める。
もしもこの先にいる英霊が、河二の語った通りの英雄ならば。
恐らくその実力は最低でもエパメイノンダスと同格。
ともすれば、彼よりも更に格上の強者であっても何ら不思議ではない。
自然と身も引き締まる。気付けば頭の熱はすっかりと引いていた。
既に日の落ちた空の下を――悲劇に愛でられた男は、進んでいく。
◇◇
「こりゃまた、如何にもだな……」
マキナのナビゲートで進んだ先にあったのは、一軒の古びた廃寺だった。
かつてあったろう神聖さは欠片もなく、幽霊でも出てきそうな重々しい雰囲気を放っている。
だが此処に棲まう存在は、幽霊なんてものより間違いなく恐ろしい。
此処まで接近すれば、もう鉄志にも分かる。肌を刺すような魔力が、目の前の建物からひしひしと感じられたからだ。
サーヴァントは言わずもがな霊体であるため、彼らはそこに在るだけで魔力を放つ。
空気中を漂う魔力という形で放出されるそれは、言うなれば体臭のようなものだ。
河二のエパメイノンダスやナシロのヤドリバエにももちろんそれはあった。
ただ――今鉄志が前にしているこの廃寺から放たれているのは、彼らとは明らかに違う種別のものである。
「どう見える?」
『……すとれーとな感想でよろしいですか?』
「ああ。頼む」
『――息が詰まるようです。こうして見ているだけで』
マキナの表現は言い得て妙だと鉄志は思った。
空気を通じて無数の微細な針に刺されているようだ。
威圧。理屈でなく、本能として膝を折りひれ伏したくなる重圧感。
寂れたボロ臭い廃寺の外観さえ、貴人の暮らす住居のように見えてくる。
とてもではないが、訪れる者を歓迎している風には感じられない。
いや、歓迎も拒絶もないのだろう。
この魔力の主は、呼吸とか脈拍とか、そのレベルの本能で"君臨"している。
存在そのものが圧力とイコール。頭を下げさせ、膝を折らせ、屈従する者を上から見下ろし下知を飛ばす生物。
――王、という言葉が鉄志の脳裏をよぎった。
同時に河二から聞いたある英雄の名前が否応なく浮かぶ。
当たりか、と自然と声が漏れた。いや、これからハズレになる可能性もあるのだったが。
「……嬢ちゃん、備えてくれ。此処からは何が起こるか分からねえ」
中へ進むにしろ、このまま踵を返すにせよだ。
今なら分かる。杉並区という街は、既に元の形を失って久しいのだろう。
とっくにこの区は、目の前の廃寺に玉座を構えた英霊のお膝元と化している。
少なくとも杉並を出るまでは、どこに至って安全な場所などありはしない。
だからマキナに実体化を促し、彼女もそれに従って機械じかけの肢体を王都へ晒す。
声が響いたのは――その瞬間のことだった。
「凡夫にしては、礼を弁えているようだな」
「ッ……!」
老人の声。
嗄れ、枯れ、生物としての落陽を間近に迫らせた者の声。
だというのに、そこには微塵たりとも"弱さ"がない。
老いて枯れゆくのではなく、老いることで人とは隔絶された超然たるモノに近付いたような。
荒げもせず放った一声だけで万人に己の王気を示す、壮大なる覇の兆しを、鉄志とマキナは感じ取らされた。
先の連想は間違いではなかった。
いや、これが相手ならたとえ物心の付かない子どもでも同じ言葉を想起したに違いない。
これは――これこそが――王だ。
山門の前に像を結び、静かな靴音と共に現れた老人の姿を、鉄志はきっと死ぬまで忘れられないだろう。
「儂は隠れ潜む者を嫌う。王の視界に入って尚姿を明かさず潜み続ける者など、人目を避けて蠢く鼠と変わらぬ。
鼠は害獣だ。食物を腐らせ、糞を垂れ、儂の機嫌を損ねる。踏み殺して裁定せねばならん」
威厳ある長髪と、整えられた長い白髭。
枯れてはいるが、萎んだのではなく最効率化された結果の華奢な輪郭。
虚空から取り出した槍は一見するとただの鉄槍なのに、見ていると身体の震えが止まらなくなる。
「もっとも……」
間違いない。
高乃の、エパメイノンダスの言った通りだ。
これぞ王。そして英雄。
戦神の竜を殺して調和の女神を娶り、栄光の国を築いた国父。
「――――礼を尽くした客人をどう扱うかもまた、王の自由であるがな」
竜殺しの英雄、
カドモス。
テーバイの老王の顕現を以って、雪村鉄志とエウリピデスの仔は、最初の正念場を迎えた。
◇◇
「こ、れは……っ」
最初にそれに気付いたのはマキナだ。
廃寺の周辺に建ち並ぶ家々の屋根。
その二軒に、弓を携えた竜牙兵(スパルトイ)が立ちこちらを見下ろしている。
カドモスの放つ過剰なまでの圧力さえある種の目眩まし。
王の威厳に圧された者達は、自分達がもう狙われているという事実に気付けない。
弓が引き絞られ、矢が放たれる。
刹那にして鉄志もマキナも飛び退いたが、矢の着弾した地面はまるで砲撃でも受けたみたいに大きく抉れ飛んだ。
「儂の居所を暴いたと思ったか。戯けが、暴かれたのは貴様達の方よ。火を焚いて誘ってやれば、蛾の一匹二匹も飛び込むだろうと思ってな」
「ッ、待て! 俺達は何も戦いに来たわけじゃない……!」
まんまと誘い出された痛恨を噛み締めながらも、鉄志はカドモスへ吠える。
脳はフル回転している。壮年に入って思考の衰えを感じることも増えたが、今は若い頃よりも余程冴え渡っていた。
度を越した脅威との遭遇が自分という生物の限界を引き出している。
限界を超えて手を尽くさねば死ぬぞと、脳がそう警鐘を鳴らしている……!
「戦うかどうか決めるのは、話を聞いてからでも遅くはねえ筈だ。
詳細は省くが、俺達は今とある目的に向けて動いてる。
情報が欲しいんだよ。何なら俺の方から、あんたに対価を提供することだってできる!
だからまずは話を――」
「笑止」
加速して回る舌を遮って、老王の宣告が響く。
同時に振るわれた一槍を、飛び出したマキナが鉄拳の一撃で辛うじて凌いだ。
が、たったの一合打ち合っただけでその矮躯は車に撥ねられたように吹き飛んでいく。
相棒の悲鳴に心を痛める暇はない。冷酷なのではなく、本当に、そんな余裕がないからだ。
「不敬も甚だしい。言うに事欠いて、儂に対価と宣ったか?
我が真名を知りながらの不遜、実に見事だ。褒美をやろう、首を出せ」
「ぉ、お、おおぉおッ……!」
鉄志に戦闘術の心得がなければ、確実に此処で死んでいた。
それほどまでに冴えた一撃。振るわれた槍の一閃は、別に大仰な光や破壊力を帯びているわけではない。
それでも分かるのだ、当たるどころか、掠めただけでも首が飛ぶと。
これが英霊。
これぞ英霊。
人智を超え、存在するだけで世界を圧する境界記録帯。
あのエパメイノンダスをして憧れたテーバイの王の実力を、鉄志はこの数秒で既に嫌というほど味わっている……!
「開口一番に王へ取引を持ちかけるなど愚の骨頂。
話を聞くも聞かないも、存在を許すも許さないもすべては王の一存よ。
そして儂は今、貴様達の言葉に耳を傾ける価値を微塵も感じていない」
「――下がってください、ますたー……!」
その傲慢は、悪徳ではなくひとつの法。
古代の王とはそれ自体が理であり、絶対なれば。
辛辣極まりない断言と共に訪れる次の死線を、阻まんと再び躍り出た少女がいる。
マキナだ。ひび割れた鉄拳の修復を最速で急がせながら、戦闘態勢への移行を完了させる。
戦闘予測機能、熱量上昇も厭わず最大効率で実行。
ひとつでも惜しめば此処で死ぬと分かっているから、マキナに迷いはない。
放つ魔力光を槍の一薙ぎで消し飛ばされ、それでも臆することは許されなかった。
「ほう……」
カドモスは改めてマキナの姿を見て、わずかに目を細める。
面白いものを見た、という表情だった。
断じてそれは、脅威を見含めた者のカオではない。
「――機神どもの真体(アリスィア)を真似ているのか?」
「っ」
「何処の誰がやったのか知らぬが、奇特なことだ。
進んであのような鉄クズを目指したとて、何の値打ちもなかろうに」
侮蔑と憐れみを感じ取り、マキナの思考回路に怒りの火花が散る。
が、無論、王たるカドモスはそんな些事には頓着しない。
王とは見下ろすもの。下々の浮かべる表情など、彼の瞳には入らない。
冷酷。冷徹。老いたテーバイの国父が他者へ向けるのはそれだけだ。
「しかし、少しは儂の無聊を慰めてくれるようだ。
興味が出たぞ。貴様達が儂へ持ち込んだ"話"とやら、場合によっては耳を傾けてやってもいい」
槍を下ろした瞬間を、マキナは見逃さなかった。
肥大化させた鉄拳で、老王を地に叩き伏せんと迫る。
その一撃を――手首を掴むことでたやすく防ぎながら。
「尤も。このガラクタが見世物として面白ければ、だがな」
「ッ――!?」
マキナは、天地が逆になる光景を見た。
違う。逆になったのは天地ではなく自分の方だと、そう気付いた瞬間には背を衝撃が襲っていた。
地面に受け身も取れず叩きつけられ、見上げた視界に嘲りを浮かべる王の貌が入る。
「どうした、立て」
事此処に至って、マキナはようやく、自分達の……いや。
"自分の"置かれている状況を、真に理解する。
これは単なる死線、鉄火場ではない。
そんな生易しいものではないのだと、見下ろす王の表情が告げている。
「儂は餓鬼でも容易く踏み殺すぞ。
なぁ? 機神を目指す幼子。物の道理も分からぬ愚者の造った人形よ」
此処で負ければ、自分(とうき)は、抱いた理想を否定される。
その身、その志、神の座に能わぬと烙印を押される。
父の、エウリピデスの掲げた願いを、愚者の戯言と踏み潰される。
新造の神、最初の正念場。
敗北せし者の存在意義を地に貶め殺す、彼女のためだけの死合舞台。
――汝、自らの力を以って、〈神の資格〉を証明せよ。
◇◇
「スラスター出力全開、戦闘行動開始……!」
最初に仕掛けたのは、マキナだった。
いや、それすらも王のかける情け。
彼女自身が、誰よりそのことを理解している。
「撤回を要求します。当機を製造し、遂げるべき大義を与えた偉大な製造者は……」
合理で動くべきと、分かってはいる。
しかし新造の神は、機神と呼ぶにはあまりに未熟。
アドリブは利かず、同じ程度の背丈の英霊と夕飯の席で子どもらしく揉めるくらいには稚い。
故にその機体、怒りを排するには遠く。放たれた一撃は、素体となったある少女の感情をこれでもかと載せた轟撃となった。
「――愚か者などでは、ありませんッ!」
先に弾かれたのよりも威力を高め、スラスターによる推進力をも加えた乾坤一擲。
魔力放出のアシストを最大限に活用したそれは、正しく目の前の傲慢な治世者に目に物見せるための一撃だった。
自分の未熟は罵られても仕方がない。でもこの機体を拵え、生み出してくれた優しい父を侮辱するなら許さない。
そんな想いを載せた一撃が、しかし……
「そうか。で、これが貴様の全力か?」
単に槍を構え、受け止める。
それだけの行動をさえマキナは押し破れない。
純粋な力比べでならば負けはしないと信じている。
であれば、にも関わらずこうなっている事実は何を意味するのか。
「ならば期待外れも甚だしいな。
エパメイノンダスの小僧は、貴様に何も教えなかったのか?」
「っ、な……」
「儂の真名へ辿り着ける英霊など、残っている中では奴くらいだろう。
我がテーバイに数多の勝利と栄光をもたらした、常勝不敗の大将軍。
それと邂逅して此処まで辿り着いた輩というから、多少は期待をしていたが……」
単純明快。
デウス・エクス・マキナは、カドモスと打ち合うには圧倒的に技量が不足している。
技。経験。それらを突き詰める中で得られる、有用な副産物の数々。
すべてがマキナにはない。対してこの英雄は、技を極めて君臨した武の化身だ。
力だけが取り柄の轟撃など、技がなければ幾分にも受け流せる。
無体極まりない正々堂々を以って、カドモスは機神の少女へ嘆息する。
「心底つまらん。そのザマでよくぞ、一端に反論など出来たものよ。
大仰な機能を搭載するよりも、まず恥の概念を入力して貰うべきだったな」
「く、ぁ……!?」
鍔迫り合いを突き崩す、老王の前蹴りがマキナの身体をくの字に折り曲げる。
無論後ろに跳ね飛ばされる格好になるが、それで距離を取り仕切り直せるという不幸中の幸いさえ起こらない。
カドモスが、吹き飛ぶマキナに平然と追いついているからだ。
その上で体勢を立て直せない彼女に、竜殺しの槍を容赦なく放ってくるから一切の救いようがなかった。
(ま、ずい――空中に、逃れないと――)
激情さえ塗り潰す死の予感がマキナに正しい選択を取らせる。
背面のスラスターを駆動させ、不安定な姿勢のまま空中へ上昇。
これで致死の一撃を辛くも躱し、難を逃れたかに思えたが。
「射て」
その一声で、待機していたスパルトイが矢を放つ。
カドモスの攻撃に比べれば数段脅威度では劣るが、それでも剛射であることに変わりはない。
「見くびらないで、ください……!」
とはいえマキナも、この展開は予測していた。
修復の完了した拳で矢を掴み取り、握り砕く。
その上で彼女の戦術の肝である、自己改造のスキルが鳴動する。
自己改造とは読んで字の如く、自己を改造する能力。
マキナの場合、戦闘予測と結果から敵戦力を攻略する為の改善点を算出して、より有効なパーツに換装する。
鉄腕の強度を底上げしながら、背部パーツを空中へ分散展開。
これにより、マキナ本体から攻撃を放たずとも、多種多様な角度から自在にオールレンジ射撃が行える体制を整える。
以上をもって、仕切り直しは完了。
スラスターの逆噴射で地上へ戻ると共に、流星の如き鉄脚を叩き込まんとする。
カドモスは避けない。避けずに受け止める。激突の衝撃で、周囲の地面が大きく抉れ、廃寺が悲鳴のような軋みを奏でた。
「分散展開パーツ、自律駆動、開始……!」
マキナの一声で、展開されたビットが感光する。
放たれる魔力光が、カドモスの逃げ場を塞ぐ形で次々と着弾。
もちろん当たれば肉を抉り、骨を貫く威力が込められている。
誤爆の可能性は絶無。これはカドモスだけを追い詰め、狩り取るための戦陣だ。
二度と嘲りの言葉は吐かせぬとばかりに、裂帛の気合を込めてマキナは腕を構える。
こちらこそが本命。デウス・エクス・マキナの放てる攻撃の中でも、最も優れた威力を持つ一発。
「関節部アタッチメント修正、腕部スラスター出力120……いえ、150%――――!」
エパメイノンダスに用いた時は、あえなく空振りに終わった。
だが今はあの時とは違う。決して同じ轍を踏まないように、ずっと脳内でイメージトレーニングを繰り返してきた。
回避の余地を可能な限り許さぬ状況を整え、その上で放てば今度こそこれは必勝の一撃となり得る。
その上で念には念を入れの、更なる出力上昇。自身の陥穽を理解しながら、しかして今だけは立ち止まれない。
此処で負ければ、自分はすべてを失う。
理想を叶える機会も。
叶えたい理想そのものも。
そして――自分を呼び寄せてくれた、雪村鉄志(マスター)も。
故に負けられない。
負けるわけにはいかない。
過去最高の使命感が覚悟となって機械の躰を突き動かす。
ならば放たれる鋼鉄の彗星、ロケットパンチの威力もまた先の敗戦の時とは比べ物にならず。
まさしく過去の汚名を濯ぐ勢いと、万物打ち砕く威力を帯びて解き放たれる……!
「発射(ファイア)――――!!」
狙うはカドモス、ただ一騎。
新造の神が、過去の英雄を否定する。
乗り越えるための大質量が、轟音高らかに嘶いて。
老王は小さく息を吐き、その槍を静かに構えた。
(……駄目だ……!)
雪村鉄志は、焦燥と共にそれを見つめる。
駄目だ。その確信があった。
この流れは良くない。いや、最悪に近い。
戦いには流れというものがある。
実戦に限らず交渉でも、ギャンブルのようなものでもそうだ。
劣勢は時に人を意固地にさせる。
負けられない、負けたくない、そんな気持ちが冷静さを奪うのだ。
そして、そうなった者の末路は概ね決まっている。
だからこそ鉄志は、マキナの奮戦を期待ではなく焦りで見つめるのを余儀なくされていた。
にも関わらず念話のひとつも飛ばさない、いや飛ばせない理由はこれまたひとつ。
自身を見据え、弓を構える竜牙兵。カドモスへ忠義を尽くすスパルトイの存在だ。
――人間。貴様の出る幕ではない。
――故、黙して見届けよ。
――無粋を働けば、貴様も誅する。
そんな無言の圧力が、鉄志の背筋を休みなく震わせている。
言葉での助言や武力での介入はもちろんのこと、念話すらその例外でない確信があった。
カドモスは卓越している。王としてもさることながら、英雄としての格が違いすぎる。
彼の眼は欺けない。たとえ音を介さない念での発話でも、当たり前のように見抜かれる。
だから鉄志は動けない。いや、動けなかった。
しかし今、後先など考えることも許さない最大の絶望が静かに鎌首をもたげ始めた。
「駄目だ、マキナ――!」
叫んだのは、ほとんど反射の行動だった。
理性で考えたなら、それは愚策だとすぐに分かる。
だからこそやはり、これは反射だったのだ。
君臨する王を討ち果たすべく、乗り越えるべく拳を構えた少女に。
自分の求めに応じて現界してくれた子どもが、今まさに回避不能の破滅へ向かっている事実に。
声をあげずには、いられなかった。
その時だけ、雪村鉄志は警官崩れの探偵でも、デウス・エクス・マキナのマスターでもなく。
ただひとりの、小さな女の子を、想う――――――
……答えが出る前に。
瞬きの内に懐まで接近していた、青銅の兵士が。
握り締めた拳を、鉄志の腹腔へと打ち込んでいた。
反応できなかったのではなく、反応した方がまずいと思ったから。
不用意に受け止めれば腕が千切れると思ったから、そうしたのだが――結果として鉄志は倒れ転がり、血反吐を吐く。
当然ながらそんな男に、純粋のままに死地へと向かう相棒を助ける力など、残されてはいないのだった。
「……此処までとはな」
カドモスの言葉が夜闇に零れる。
文面だけを見れば、感嘆とも取れよう。
だがそれを紡ぐ声音は、空寒いまでに冷え切っていた。
「此処まで見所がないとは思わなんだ。ガラクタと呼んだことを撤回する必要はなさそうだな」
不興。
王たるモノに最も抱かせてはならない感情のもと、その槍は構えられる。
戦神と縁ある竜を殺し、カドモスの栄光を不変のものとした鋼の槍。
テーバイの国土を得、果てには彼をエリュシオンへ至らすに至ったはじまりの歴史。
栄光と、悲劇。英雄譚に付き物である対極の概念を、共に併せ持つ鋼鉄。
竜を殺すモノ。神に、弓引くモノ。そうした行為を体現する、ひとつの偶像。
「しかし無様も過ぎれば憐れみを抱かせるものよ。
これ以上生き恥を晒す前にその理想、その未練。王の名の下に祓ってくれよう」
輝きを帯びる、鋼鉄。
その輝きは、栄光である。
その輝きは、罪である。
功罪という言葉、さながらこれの具現。
マキナが理想を追うならば、直面せずには済まない概念の結晶。もしくは始源。
「娘。これは、王の慈悲である」
この試練に能わぬならば、その理想、貫くこと能わず。
子女の夢想を否定する運命の壁が、光の軌跡となって顕れた。
「――――――――『我過ちし栄光の槍(トラゴイディア・カドメイア)』」
ただの一撃。
わずかに一撃。
それだけで十分。
それ以上はすべてが余分。
マキナの乾坤一擲が砕け散った。
夢を叶えるための腕が爆ぜた。
戦術、理論、何ひとつない。
純粋なる、ただ純粋なる実力の差。
世界に己を刻むという観点で見た、器の差。
あるいは。
完膚なきまでの、敗北。
それが、エウリピデスの仔たる新造の神を、一撃で下した。
◇◇
「――――――――か、は」
何が起きたのか、分からなかった。
見えるのは砕けた拳。
感じるのは、地面の冷たさ。
そして全身の痛み。機体が損傷を受けて鳴らす警鐘(アラート)。
「ぁ………………う」
王は、静かに佇んでいる。
その身体には、微塵の傷もない。
握る槍さえ、刃こぼれひとつ見られない。
それは、彼が己(マキナ)のすべてを否定したことを。
奮闘のすべてを、ただ君臨のままに粉砕したことを、如実に示していた。
「何故、王の前に立った」
カドモスの足が、進む。
倒れ伏す自分の方へ。
「そうまでか細い身体で。理想とも呼べぬ強がりで、何故勝てるなどと夢想した」
それは――死神の足音。
殺される。絶対に殺される。
何があろうと殺される。
どうあがいても、殺される。
警鐘は既に確信へ変わっていた。
手足をわななかせ、少しでも抗おうと試みるも、すべて間に合わないと冷酷な演算結果を機構が脳へと伝えてくる。
「愚かなり。無様なり。そして惨めなり、神を気取る蒙昧よ」
少しずつ近付いてくる死を、敗北を、喪失を、見つめるしかできない。
身体が動かないのは魔力の枯渇ではない筈だ。
今しがたに味わった敗北。理想の否定、あるいは目指すものの本当の高さ。
エパメイノンダスの時に味わったより尚深く、鋭い、痛みが。
マキナのすべてを緩慢にさせる。完成された機神ならばいざ知らず、今の彼女はまだ、少女の未熟を多分に残しているから。
「テーバイの王、神を知る者として下知をくれてやる。
貴様の夢は、志は、決して何処にも届くことはない。
何ひとつ、至れはしない。ただ敗れ、朽ち果てるだけだ」
これぞ英雄。
これぞ王。
これぞ、……神を知る者。
世界を統べ、理を謳い。
意のままあるがままに、運命を押し付けるモノを知っている。
あまりにも大きな実力の差。年季の差。経験の差。理解の差。
気付けばマキナは、音を聞いていた。
かち、かちというその音が、自身の歯が鳴る音だと気付いた時にまた少女神は絶望を知る。
神は笑わない。
神は怒らない。
神は怠けない。
神は――泣かない。
心に刻んだ教訓(モットー)と今の自分の間に生じる矛盾が自傷行為となって心を削る。
怖くはない。ただ悔しい。
結果として算出される感情はそれだけだった。
二度と抱くとは思っていなかった、抱くべきでない感情。
神とは対極に位置する、人間のような脆さがこみ上げてくる。
負けられない、負けたくないのに思考回路は合理的に現実を突きつけるばかり。
「マキナ、と呼ばれていたな。
機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)……愚かしい理想だ。
人の結末をすべて眩い日向で締め括るなど、絵空事以外の何物でもあるまい」
処刑人が、迫ってくる。
神話を鎖し、少女を終わらせ、ある男の夢を断つために。
マキナは、そう名付けられた鋼の娘は、待つことしか出来ない。
立ち上がることはできるだろう。挑むことも、まだ可能かもしれない。
しかし弾き出した演算結果は、一から十まで自分の敗死を告げていた。
勝利は不能。この先は、苦痛の時間が長くなるかどうかだけだ。
「投げられたコインの面を本気で憂いてどうするというのだ。
不可能を不可能で片付けない姿勢は美徳かもしれんが、それも度が過ぎれば狂人の戯言でしかない。
どれだけ天高く手を伸ばしたとて、夜空の星には触れられないのだ」
すべての悲劇を迎撃し塗り替えるなどという願いは荒唐無稽。
素手で星を掴もうとするような、できるかできないかを考えることすら意味のない戯言。
おまえは始まりからして間違っていると、王の淡々とした言葉が少女の青い夢を切開する。
その苦痛は、彼に与えられたすべての肉体的苦痛を凌駕する痛みになってマキナの魂を責め苛む。
「ならばただ諦めて、ただ道理と弁えて目の前の現実を噛み締めればよい。
貴様と貴様を製造した愚か者に必要なのは、そんなありふれた答えだけだ」
故に。
叶わぬ夢は捨てて逝けと、カドモスが槍を振り上げた。
「――――報われぬものは、どうやったって報われぬのだから」
死が、月明かりを反射して輝く。
思考回路は度を越えた演算でショート寸前。
佇む老王の姿は、ゾッとするほどに美しく。
あらゆる反論を許さない、歩んだ歳月の重みを背負っていた。
演算の結果は、すべて正しい。
デウス・エクス・マキナはこの王を下せない。
末路は敗北、理想を砕かれ無に還るのみ。
ああ、だからこそ。
次に彼女が吐いた言葉は、所詮単なる少女の癇癪でしかなかった。
「なら……………………あなたは、どうして」
そこに、理屈は存在せず。
相手を説き伏せ打ち破る気概も籠もっていない。
感情という、機械神には最も不要な概念を剥き出しにして放つ無様な言葉。
「そんなに、哀しい顔を、しているのですか」
「――――」
だが、いいやだからこそ。
戦いどころか理屈でさえないその言葉が、老王の絶対的な君臨に一瞬の空白を生み出す。
虚を突かれたような顔だった。
わずかに、しかし確かに目を見開いて停止する。
どれだけの猛攻を繰り出しても表情ひとつ変えずに捌き、破ってきた王が初めて見せた不可解な反応。
あるいは無駄と呼べるだろう一瞬は、マキナの言葉が彼の"何か"を正確に射止めたことを如実に物語っていて――
「黙れ」
嘲りでも憐れみでもない、血の凍るような殺意。
それと共に停滞が解ける、その一瞬。
与えられた千載一遇の好機に対して――主従の思考は一致していた。
◇◇
Deus Ex Machina Mk-Ⅴ。
それは、機械仕掛けの神。
それは、全ての悲劇の迎撃者。
人造神霊たるマキナには、鋼鉄の躯体が存在する。
だが、そもそもデウス・エクス・マキナとは概念上の神格でしかない。
悲劇を撃滅する資格を持つ英雄、ないし主人公の外殻を借用して結末を書き換える"ご都合主義"。
つまり救済の機械神が自ら形を持ち、前線に立って戦うというのは在り方としてズレている。
されど、英霊の座に登り詰めたエウリピデスの仔には――本来のカタチを体現する機能もまた搭載されていた。
その存在をマキナはもちろん自覚しているし、雪村鉄志も聞き及んでいる。
にも関わらず今日まで、件の機能に頼って戦いを行ったことは一度もない。
『嬢ちゃん、聞こえるか?』
『……はい、ますたー。申し訳ありません。当機は、また不甲斐ない姿を――』
『そういうのはいいし、ミスったのはお互い様だ。
俺も迂闊が過ぎた。誘い出されてる可能性を考慮してなかった。とにかく、反省会は後だ。端的に、指示を伝える』
では、それは何故か。
『第二宝具を開帳してくれ。勝ちを狙うにしろ逃げるにしろ、それ以外俺達に道はない』
『……っ! で、ですが、それは……』
『分かってるよ、重々承知で言ってんだ。最悪主従揃って共倒れに終わる、だろ?』
……マキナの第二宝具。
それは――神と人による、融合を成す機構である。
正式名称を神機融合モード。
マキナの機体をマスターである鉄志に装着させ、文字通り主従一体となっての戦闘体制に移行する掟破りの極みだ。
彼女の未熟さは経験豊富な鉄志が補い。鉄志の弱さは、マキナの全機構が鎧となって補う。
これならばマキナの弱点は消え、機神のスペックをフルに発揮して戦う神の写し身を作り出すことができる。
だが無論、そこには巨大な陥穽が存在している。
守るべきマスターを前線に立たせてしまうという本末転倒。
英霊と一体化している都合上、万一の時にトカゲの尻尾切りで逃げるということも難しくなる。
ただ目の前の苦境から逃げるだけなら令呪を犠牲にし、一か八かの逃げに賭けた方がよほどリスクは少なく済むだろう。
『だとしても、今はやるしかねえ。あの王様は想像以上に頭が回るし、油断がない。
傲慢ではあるが慢心がないんだ。令呪を切って逃げられる可能性なんてものを想定してねえとは思えん』
相手がカドモスでなければ。
しかしこの老王は格が違う。
王であると同時に、老いて尚衰えを知らぬ、英雄である。
『で、……でも……っ』
『俺はもう腹括った。だから嬢ちゃんも、悪いが腹括ってくれ』
勝つも逃げるも、挑まずしては始まらない。
まずは戦士として、その眼前に立つ必要がある。
それで初めてスタートライン。後はコインの裏表。
正念場に直面していたのは、マキナだけではないということだ。
『そう心配すんなよ。俺が頼りねえ男なのは自覚済みだが、嬢ちゃんのことまでそうとは思ってないさ』
それに、と、鉄志。
黙って聞いているマキナに、彼は笑って言った。
『それに――お前もあの偉そうな爺さんの横っ面、一発ぶん殴りてえだろ? マキナ』
以上をもって、時は現在に戻る。
雪村鉄志は腹を括り。
マキナの炉心が消えかけた火を再び灯す。
老王は静かに怒りを燃やし。
これにて悲劇の時間は終わり。
〈ご都合主義〉が、駆動する。
◇◇
老王の見せた一瞬の隙。
それを縫って迸るは、鉄志の"十八番"だった。
ボールペンに偽装した杖を射出しての不意討ち、得意の定石殺し。
しかし相手は英霊、英雄である。
効果的になど働いてはくれない。現に早撃ちの一弾は、槍の柄で軽く払われて終わった。
そのわずかな隙だけでもいい。
重要なのは宝具を起動する隙。令呪とは違って、これなら発声によるタイムラグも生じない。
「――第二宝具、起動! Machina-type:E、神機融合モードへの移行を開始!!」
響くマキナのコマンドワード。
カドモス、眉間に皺を寄せ槍を振り下ろす。
が、その穂先はあえなく空を切った。
「……なるほど。形だけは上手く真似ているらしい」
マキナの四肢が分解され、それに伴って穿つべき点が消失したのだ。
鋼のパーツと化した四肢は、スパルトイの一撃を受けて這い蹲っていた筈の鉄志の下へ。
更に残されたマキナのコア部分、つまり胴体も彼の下へと結集していく。
「ますたー!」
「ああ、当然許可するぜ。
契約者・雪村鉄志の名の下に、マキナとの融合を受け容れる……!」
四肢を、胴体を、そして頭部を次々と覆い隠していく機神のパーツ。
分解された機体は鎧となって、無力な人間でしかなかった男を英雄へと加工する。
愛する者も、共に戦う仲間も、一度はその熱さえも。
すべてを失いながら、心の奥底に沈むちいさな炎だけは絶やせなかった男。
その身体が、地を這い泥を啜ってでも成し遂げるという覚悟を象徴するかのような、黒い装甲に覆われていく。
これぞまさしく神機融合、ヒトと英霊の一蓮托生。
押し寄せる悲劇を撃滅すべく顕れる、物語の英雄そのもの。
『神機融合、同調開始。
その足はあらゆる涙を止めるため。その腕はあらゆる悲劇を砕くため……!』
マキナだけでは変換しきれない、出力しきれない桁の魔力が鎧の隙間から絶えず横溢する。
これぞ神機融合の真骨頂。マキナ本体が英雄の外殻に徹し、自律行動を前提としないことで実現する極限域の魔力変換効率。
『我が理想、我が信念、仮初のカタチを以って此処に顕現せよ――!』
鉄志の身体が、深まる都市の闇も晴らすような白光に包まれる。
やがて光が晴れ、一筋の烈風が彼を中心に全方位へと吹き荒れて。
月明かりの下に降り立った〈英雄〉は、静かに締めの言葉を紡ぐ。
「『熱し、覚醒する戦闘機構(デア・エクス・チェンジ)』――――同調、完了だ」
果たされた神機融合。
転身を完了した鉄志に襲いかかるのは、カドモスの近衛たる二体のスパルトイであった。
弓では殺し切れぬと判断したのだろう。武装を剣に持ち替えて、言葉ひとつ発することなく押し迫る。
たかが竜牙兵と侮るなかれ。彼らは青銅の王カドモスが最初に生み出した、言うなれば始原の青銅兵である。
その戦闘能力は、策と陣形さえ許されるのなら英霊にさえそう劣らない。
少なくとも先ほどまでの鉄志であれば、二体どころか一体ですら骨の折れる相手だった。
しかし今、迫る二体に対して彼は毛ほども焦ってはいなかった。
ただ冷静に近付く脅威を見て、認識して、その上で小さく笑う。
「舐めてたわけじゃねえが……こりゃあ、すげえな」
次の瞬間――彼を誅殺せんとした右翼のスパルトイが、小石のように吹き飛ばされた。
鉄志は何にも頼っていない。彼が用いたのは、己の拳それひとつ。
それだけで、鎧に覆われたとはいえ一介の魔術使いが、カドモス王のスパルトイを一蹴したのだ。
「ここまで"視える"もんかよ。真面目に鍛錬するのが馬鹿らしくなるぜ、まったく」
英霊と一体化するということは、すなわち生命体として人知を超越すること。
遠い並行世界の魔術師が開発した魔術礼装を用いた、夢幻召喚(インストール)に性質としては似通っているだろう。
しかしイコールではない。あちらが英霊になる能力なら、あくまでこちらは英霊と"交わる"能力。
ステータスを底上げしたところで、それを扱いこなすスペックが当人になければ話にならない。
子どもが重い甲冑を背負っても戦の達人にはなれないように、纏う鎧に振り回されて自滅するのが関の山だ。
が――機神を纏う者が最初から戦闘者であったなら、その問題は消滅する。
雪村鉄志は魔術師を狩る、それ専門の警察官だった。
公安特務隊が開発した対魔逮捕術。
代行者のように凶悪な体術を持たない凡人が、速やかに且つ無駄なく、悪人を制圧できるよう組み上げられた、使い方を間違えれば刹那にして殺人技巧に変貌するだろう戦闘論理。
特務隊創立の立役者である鉄志は当然、この戦闘術を高い水準で習得している。
『身体に不具合はありませんか、ますたー』
「ああ、問題ねえ。それどころかよ、こんなに身体が軽いのは久しぶりだぜ」
そんな鉄志が英雄の外殻を手に入れ、人を超えた。
まさしく鬼に金棒だ。ともすればただの自殺に終わりかねない機神装甲を、彼は慣らしを要さず乗りこなしている。
響くマキナのガイド音声。それに装甲の下で笑みさえ浮かべながら応える間も、一秒たりとて警戒は解かれていない。
「とはいえ、俺はこいつに関しちゃズブの素人だ。
正直右も左も分からん。だから助言頼むぜ、嬢ちゃん」
『いえす――あい・こぴー。当機、これよりますたーの援護に全機能をかけて臨みます』
話しながら、静かに構えを取る。
視線は当然、スパルトイなどではなく。
それを生み出し、率いる者。竜殺しの英雄、テーバイの王。
「面妖な真似をするものだ。初めて驚かされた」
「そりゃ何よりだ。降参でもしてくれるとありがたいんだが」
「これは驚いた。神の殻を纏うと悪癖までアレらと似るらしい」
槍が構えられる。
相変わらず、そこには微塵の隙もない。
長い人生を費やして完成された肉体と、特定の流派に依らない戦闘論理。
老王の眼光が、猛禽よりも獅子よりも恐ろしい鋭さを帯びて鎧の中の鉄志を射抜く。
「それに……王の裁定は既に決まった。貴様達は此処で処刑する。せめて楽に死ねるよう、儂の慈悲に期待しろ」
何も終わっていない。
むしろ此処からが始まり、本当の正念場だ。
特務隊の一員として、初めて魔術師と相対した時のことを思い出す。
あの時のように喉は渇き、伝う汗は冷たく、されど心は静かに燃えている。
――以上をもって、問題ない、と判断する。
「投降するなら早めがいいぜ、爺様よ。この国の刑法じゃ、その方が罪が軽くなるからな」
来たるは英雄。悲劇。
迎え撃つも英雄。救世主。
共に英雄ながら、在り方を真逆とする二体が。
告げた啖呵の刹那後に、互いに出せる最速で以って激突した。
最終更新:2025年01月27日 18:46