★★★★★





 ■■■・■■■■■■は、炎の夢の中で"前回"を回顧する。
 掠れた記憶の中の像が、炎に写る陽炎のように巡る。

 ───完璧な舞台のはずだった。
 真の目的を悟らせることなく、水面下で十分に準備を進められたはずだった。
 ろくに魔術を使えないという、聖杯戦争における大きな弱点を隠し通せていたはずだった。
 五人の魔術師と、一人のただの少女、そしてその使い魔たちの動きも、なんとか大枠では計画のうちに収められていたはずだった。
 何度追い詰められようと───当然のように脱出し、あいつらを笑っていたはずだった。
 もうすぐ、聖杯戦争というゲーム盤を覆し、逃げ出すことが可能なはずだった。

 「はず、だったんだけどなあ」
 ■■■は呟く。

 ───英雄の舞台に、妥当な予測など存在しない。
 そう言うかのように、"あの子"は、神寂祓葉はあっさりと■■■の舞台をぶち壊しにした。
 あの子がやったのか、それとも誰かにやらせたのか、それとも全てはただの偶然で、それを必然かのように笑っていたのか───
 何も分からないうちに、■■■は焼け滅ぶ東京で光の剣を向けられていた。

 そして───





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 聖杯戦争の予選が始まって、最初の夜。
 とっくに門の閉ざされた、夜の高校の一角。
 暗幕で窓を覆った小体育館の、台を積んだだけの質素な舞台の上にはタキシード姿の少女が立っている。

 観客は、パイプ椅子に座る少年1人。
 それでも少女の舞台は、一切の妥協をしない。

 カード、ボール、スティック、リング、花びら。
 舞台の上で、現れては消え、彼女の舞台を美しく彩る。地面の上に落ちるものは一つもない。
 先ほどまで普通のカードだったはずのトランプが、一瞬で少年が指定したカードに全て揃う。投げたボールが空中でリングに代わり、その中から紙吹雪が落ちる。息もつかせぬ、達人の舞台。

 彼女は白い手袋をしている。手品師にとっては、手袋をするのは手枷をするのと同じようなものだと、少年はどこかで聞いたことがあった。それでも彼女の舞台には、一切の曇りがない。
 それだけの技術が、彼女にはある。

 ただの手品だよと少女は言う。この聖杯戦争で目覚めたばかりの魔術師である少年でも、それが真実であることははっきりと解った。

(嘘を暴く固有魔術なんて、使うまでもない)
(本当に、彼女は、一切の魔術を使ってない)

 少年の座るパイプ椅子の下には、血溜まりが出来ていた。彼は既に、手当をしなければ命に関わる傷を負っている。
 ───彼は気にしない。サーヴァントを失った自分は、傷による死よりも早く、聖杯に魔力として還ることになるだろうから。
 この一夜の舞台の目的は、少年の葬送だ。
 初戦で敗れ相棒を失い死に瀕し、この高校に逃げ込んできた彼への、少女の善意。

 やがて少女の舞台は、盛大な終わりを迎える。
 助手すらいない舞台で、彼女は手際よく"脱出マジック"をこなしてみせた。
 慌てる所作までも彼女の筋書き通りの、完成された美しい舞台。少年は傷など気にせず、惜しみなく拍手を送る。

 少女は仰々しく、堂々と一礼をする。

「本日は"ハリー・フーディーニ"のショーにご来場いただき、誠にありがとうございました」
「またのご来場を心より、お待ちしております」

 ───一体何故、アメリカ史上、いや世界で最も有名な奇術師が、何枚もの写真の残る、男であったことが確定しているはずの人物が、少女の姿で聖杯戦争に参加しているのかなど、少年は知らない。
 けれど彼の"嘘を見抜く"魔術が、彼女が真に"ハリー・フーディーニ"であることを保証している。それ以上に、彼女の手品の技術が、その名乗りに偽りのないことを証明している。

(気になるけれど。手品の種を聞くのなんて、無粋なことなんだろうな)

 既に体の端から、彼の体は溶けて消えようとしている。
 少年は最後の言葉を振り絞って、"ハリー・フーディーニ"に語りかける。

「………本当に、ありがとうございました。ハリー・フーディーニさん」
「素晴らしい、夢のような舞台でした。聖杯戦争に敗れて消えゆくだけの僕には、勿体無いくらいの」

 少年が告げなければならないことは、もう一つある。

「あなたに、謝らないといけないことがあるんです」

 少年の袖から、ナイフが滑り落ち、血溜まりに落ちてぱしゃりと血が跳ねる。

「本当は───最後まで、どうしても諦められなくて。あなたのマスターを未練たらしく探して、脅してでも生き残ろうとしてたんです」
「こんなことまでして頂いたのに、本当にごめんなさい。消える前にこれだけは、謝っておきたくて」

 少年は俯く。

 彼の頭上から、声が降ってくる。
 いつの間にか"ハリー・フーディーニ"は、直ぐ側まで来ていた。

「そんなこと、気にしなくてもいいのに」
「───けど。あなたの秘密を教えて貰った代わりに、一つだけ私の秘密を教えてあげる」

 手品のタネを明かすのはご法度なんだけど、今ならいいよね。そう呟くと、彼女は左手の手袋を脱ぐ。
 ───その手の甲には、赤い令呪があった。

「え」
「"私はハリー・フーディーニ。"そうは言ったけど、サーヴァントだとは言ってなかったよね」

 呆然と見上げる少年を、堂々とした笑顔で少女は見下ろす。
 少年ですら知っている。ハリー・フーディーニは男で、とっくの昔に死んでいる。なのに、なぜマスターとして、少女として、生きてここに───2024年の、東京にいる?

「改めて、名乗ろうか」
「私の名前はハリー・フーディーニ。"脱出王"。"不死身の男"。"不可能を可能にする男"」
「かつての約束の通り、ついに冥界からも脱出し、生と死の軛からも脱出した、ただ一人の手品師」
「───今生の名前は、山越風夏。"ハリー・フーディーニ"の、三回目の人生。この高校の、ただ一人の手品部員。そして、聖杯戦争のマスターだよ。」





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 "嘘を見抜く"魔術を、こんなにも疑ったことはなかった。
 どれだけ確かめても、"ハリー・フーディーニ"の、山越風夏の言は完全に真実だ。
 少年はただ呆然と、少女を見上げる。

「何、で………」
「あなたは、魔術師でも、なんでもない………ただの手品師なのに」

 少年の口からこぼれ落ちた言葉に、山越風夏は笑う。

「人が生きるのに、魔術なんてものが必要な訳ないよ」
「技術と精神が十分にあれば、人は本来なんだって出来るんだ」
「人の知覚出来るはずもない、冥界で意識を保つことも。誰一人抜け出したことのなかったタルタロスから、抜け道を見出すことも。魂だけで、冥界から抜け出すことも。他の身体に入って、もう一度生き直すことだって」

 ───ハリー・フーディーニは、生前"死後の世界が存在するなら、必ず脱出し連絡する"と妻に約束していたという。
 無論、連絡などなく、天才的な手品師でもついに死の運命には逆らえなかった、という有り触れた話のはずだった。
 しかし、事実は異なる。
 ハリー・フーディーニにとって計算外だったのは、ただ"時間"だけだ。
 脱出を成し遂げ、冥界から出た時には、既に85年が経過していて───連絡するべき妻も友人も、死に絶えていたというだけの話。

「………"脱出王"、"不死身の男"、"不可能を可能にする男"………本当に、ただの手品で、死から逃れていたなんて」
「"ハリー・フーディーニに、脱出出来ない場所なんてない"んだよ。例え、地の底の暗い死の国だろうとね」

 どれほど魔術のように見えようと、"ハリー・フーディーニ"の持つ力はただ技術のみだ。
 天才的な奇術師は、"脱出王"は、ただ"技術"のみで死からの超克を───死からの脱出を、為したのだ。そう少年は悟る。

「は、はは」

 あまりの隔絶に、笑うしかない。
 少年の消滅の速度は増しており、もう幾ばくの猶予もない。

「そろそろ、終演の時かな」

 山越風夏は屈託なく微笑む。

「もしまたいつか、死後の国で───あるいはもし、こちらで会えたら、もう一度"ハリー・フーディーニ"の舞台のチケットをあげる」
「改めて。───またのご来場を心より、お待ちしております」

 少年は最期に、なんとか笑顔を返そうとした。
 それが叶ったのかも分からないまま、少年の意識は聖杯に溶けていった。
 一日にも満たない彼の聖杯戦争は、こうして終わった。





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「───残酷なことをするね」

 少年が消滅して間もなく、山越風夏のサーヴァント───ライダーが、小体育館に帰還する。ライダーの容貌は、猫耳猫尻尾のスーツ姿の、まだ幼さを残した、可愛らしい少年だ。
 どこか猫に似た笑顔を浮かべているが、山越風夏を見る目は鋭い。

「君にとっては、この舞台なんてただの手品の練習に過ぎないんだろうけどさ」
「そのついでに、万が一、不意打ちで不覚でも取らないように、話術とトリックでこいつの行動を縛っただけ」
「あいつが"嘘を見抜く魔術"を持ってたことくらいすぐ当てて───"私の真名はハリー・フーディーニ"だなんて言い方をした。サーヴァントだと───未熟なあいつじゃ勝てない相手だと、思わせた訳だ」

 ただ一つ残った少年の痕跡である、ナイフを拾い上げながらライダーは呟く。
 山越風夏は不満げに口を開くが、何かを言う前にガシャンと鎖の音が響く。ライダーの背後に現れた浮かぶ棺から伸びる鎖と手枷が、山越風夏の両手を封じている。

「………あなたがもう少し協力的で、素直に私を守っててくれればなぁ。変な意味なんてなしに、単に手品を見せて、安らかに送ってあげるだけになってたのに」
「それにもし、助手をやってくれたら、もっとずっと、出来ることだって増えてたんだよ」

 不満げに頬を膨らませる山越風夏に、笑顔のままでライダーは首を振る。

「聖杯戦争を真面目にやる気のない手品師に、従えって言われてもなあ」
「ぼくの真名くらい暴いてみなよ。───"ハリー・フーディーニ"。手品師にして、オカルトハンター。他人のトリックを暴くのなんて、お手のものだろ?」

 アメリカの天才手品師、ハリー・フーディーニ
 彼の肩書はもう一つある。
 "オカルトハンター"。当時のオカルトブームに乗った詐欺師たちのトリックを暴き、自らの手品の糧としていった男。
 一体誰が、世界最高の手品師を騙せるだろうか?

「………はぁ。あなたがそれで満足するなら」

 山越風夏はため息をつきながら、軽く腕を振る。あっさりとライダーの手枷と鎖は地面に落ち、彼女の両腕は自由になる。
 "脱出トリック"の達人、冥界からも脱出した手品師は、例え宝具の一部であろうと"拘束"し続けることは難しい。
 とはいえ英霊の拘束を今回これほどあっさり解けたのには、理由がある。

「この鎖、冥界で───タルタロスで、見たことがあるんだよね。死神タナトスの鎖」

 二度と縛られたくなかったんだけど、とぼやきながら、鎖を手で持つ。
 あっさりと拘束から抜け出せた理由は、彼女自身がかつて縛られ脱出した"経験"だ。

「まさか神様、タナトス本人なんて召喚出来る訳ないし、縛られてるだけの罪人共でもない」
「ってなると、答えは一人───死神をだまくらかして、その鎖で自分自身を縛らせて"死から"逃げ出した、ギリシャの詐欺師。二度死神を騙した、タルタロスの罪人」

 まさしく"私"らしいね、と二度死から蘇った少女は笑う。猫の少年も、それに合わせるように笑う。

 山越風夏の知る人類史の中で、"タナトスの鎖"に関連する英霊など、ただ一人しかいない。
 "徒労"の象徴。死神を騙した報いとして、タルタロスで永遠に岩を押し続ける狡智者。英雄オデュッセウスの父。

「あなたの真名は、シーシュポス───





って思わせるところまでが、あなたのトリック。違う?」
「はは。あはははっ───君なら、今の君なら、これで充分かと思ったんだけどなあ」

 そうだ。
 "山越風夏が知る人類史の中には、シーシュポス一人しか該当者がいない"
 けれど。

「狡知で知られたシーシュポスが、自分の真名に繋がる鎖を見せびらかして、真名を当ててみせろなんて挑発はしないでしょ」

 未だ"人類史"ならぬ現在ならば。未来ならば。
 もう一人"タナトスの鎖"に届きうる英霊がいる。
 冥界を、自由に出入りすることの出来る人物を知っている。
 死の概念そのものたる"タナトスの鎖"を容易に外すことの出来る人間を知っている。
 あるいは遥かな未来で、このような猫少年の姿になるかもしれない人間を知っている。
 "棺"を脱出し、魂だけで時代を渡る、旅人を───ライダーを知っている。

「未だにちょっと信じられないけど、でも答えはそれしかない───あぁ、本当に、"私"らしい、大胆なトリックだよ!」
「ライダー、あなたの真名は───ハリー・フーディーニ。そうでしょ」

 英霊の座には、時間の概念は存在しないと聞く。
 ならばこういうことも、あるいはあるのだろう。
 "英霊"に至った、自分自身と対面することも。

「あははっ。弱ったね───君の"得意分野"で圧倒してやれば、少しは大人しくなるかと思ったけど、舐めすぎたか」

 ライダーは笑う。

「正解───ハリー・フーディーニさ、ぼくの真名は」
「タルタロスも、黄泉比良坂も、ジャハンナムも、ゲヘナも、ヘルヘイムも、シバルバーも───およそあらゆる"死後の国"から抜け出した、脱出王」
「ぼくは君の、ある一つの未来の姿。"九回目"の人生の果てに、運命に追いつかれた奇術師。精精よろしく、"ハリー・フーディーニ"」

 ライダーは山越風夏に手を振る。
 "ハリー・フーディーニ"が、"ハリー・フーディーニ"に召喚されている。
 そのことを確信した山越風夏は、





───満面の笑みを浮かべていた。

「凄い、凄い!今度はどんなサーヴァントかなって色々考えてたけど、予想以上だ、満点だ!」

 歓喜する山越風夏に、ライダーはたじろぐ。

「………どういう意味?その喜びは」
「"私"なのに分からないかぁ。まあ、そうだよね」
「"私"だけど私じゃない。"あの子"との舞台があなたの中にあるのなら───きっと、あなたは聖杯なんて求めてない。あなたは、"あの子"と出会わなかった私」

 ふふん、とでも言いそうな得意げな顔で、少女は語りかける。

「私の目的は、"脱出マジック"なんだから───武術の極みの戦士とか、智謀の頂点の魔術師だとかは、別に必要じゃないんだ」
「要るのは"手品の助手"だよ、ライダー。だから満点なんだ。」

 そうだ、そうだよと山越風夏は───太陽に焦がされた"ハリー・フーディーニ"は続ける。

「もう一人の"ハリー・フーディーニ"が手品の助手をやってくれるなんて───考えうる限り、最高のステージになるに決まってるよ」

 ライダーの猫の笑みは途切れる。こいつは───目前の"自分"は、何を言っている?
 ある種見慣れたはずの手品の舞台の上で、滔々と願いを語る"自分"が、山越風夏が、理解できないものに見える。

「何を…何を言ってる?これは聖杯戦争。ただ一つの願いのために、ただ一人の勝者を決める戦い。ぼくらのマジックで何をしようっていうのさ。ここは誰だって逃れることの出来ない、聖杯により形づくられた世界───」

「"ハリー・フーディーニに、脱出出来ない場所なんてない"。そう、"私"たちは言ったんだよ」

 当たり前のように、山越風夏は言い放つ。
 "1回目のハリー・フーディーニ"の、謳い文句を。

「確かにあなたの言うとおり。この世界は聖杯戦争のためだけに形作られた、誰一人逃さない世界───絶対に、脱出出来ない世界。間違いない」
「そうだからこそ、この世界から脱出することがマジックになるんだ。そのためにあの子は、この舞台を作ってくれたんだよ」

 空き教室に組んだマジック舞台に、窓から射す光。暗い教室で照らされた、笑顔の下に狂熱を宿す少女は、本当に"自分"なのだろうか?

「そんなことをして、何になるのさ。聖杯に、万能の願いに、可能性に背を向けて。無益な脱出を、最初から願うだなんて」

 ライダーの猫の目が、山越風夏をはっきりと見る。

「君に、一体、何があった?何が、ぼくを───"ハリー・フーディーニ"を、そこまで狂わせた?」
「ははっ。さっきと逆だね」

 舞台の上で、山越風夏は仰々しく一礼をする。
 手品師のショーの、始まりのように。

「私の名前は、山越風夏。"ハリー・フーディーニ"の、三度目の人生。二度目の人生の終わりに"あの子"に、神寂祓葉に───最良の観客に、世界の主演に、出会えた手品師」

 〈はじまりの六人〉の一人は、魔術師を騙る手品師は、司会者のごとく堂々と開演の言葉を述べる。

「此度の演題は"聖杯戦争からの脱出"!」
「かのハリー・フーディーニですら、一度は失敗した大舞台、どうか最後まで目を逸らすことなくご覧ください」



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 ライダーは猫の目を、壇上の少女から外すことが出来ない。

「………神寂、祓葉。そいつは一体、君に何を」

「ちゃんと言葉を交わしたのは、ほんの僅かだったかな」
「けど───あの子の言葉で私は、不出来な前回をやり直すために、"自分で"また蘇ったんだ」
「後ろなんて見ることもなく、黄泉比良坂を駆け上がって!」

 山越風夏こと、ハリー・フーディーニ
 彼女は他の〈はじまりの六人〉とは異なる側面を持つ。
 神寂祓葉の願いにより蘇った他五人とは違い、ハリー・フーディーニは自ら蘇り、そしてこの聖杯戦争に呼び出された。
 それゆえに"第一次聖杯戦争"に参加した"二度目の人生"とは、姿、どころか性別までも変わっている。

「こんなに嬉しいことはないよ。例えどこにいようと、もう一度会いに行くつもりだったけど、あの子は聖杯まで使って私を呼んでくれた。こんな舞台を作ってくれた。私の再演を、望んでくれた」

 最後に神寂祓葉と交わした言葉を、覚えている。
 ハリー・フーディーニの秘密───蘇りをすべて話した時の、あの子の何かを思いついたような、とびきりの笑顔を覚えている。

「あの子は、本当に、楽しんでくれてたんだ」
「あの聖杯戦争を、アンコールを望むほど」
「───なら。エンターテイナーとして、不出来な舞台で───脱出の失敗なんて、下らないオチで終わらせちゃった舞台を、ちゃんとやり直さないとね」

 ハリー・フーディーニ
 彼が手品師の始祖と呼ばれるのは、観客の度肝を抜く大規模なショーマジックの形式を確立し、手品師の地位を向上させたからだ。
 彼は───あるいは彼女は、いつだって観客のために動いている。
 太陽に焼かれた今では、その精神は更に純化されている。

 観客が星の少女でも、臨終の少年でも。
 "それに相応しい舞台"を彼女は用意する。
 星の少女のために、自分どころか世界そのものを舞台の薪とすることになっても。

 "ある未来の自分"だって、当然観客の一人だ。

「ライダー。君の願いを叶えてあげる。」
「何を………」

 タン、と軽い足音が響く。
 気づけば山越風夏は、ライダーの目の前に立っていた。

「わかるんだ。あなたは"私"だから」
「この熱があれば、意思さえあれば、"ハリー・フーディーニ"は、何度だって甦れる。にもかかわらずあなたが英霊の座なんかに座ってるのは───満足したからか、諦めたから」
「満足したなら、あなたが聖杯なんて求めるはずはない。あなたは───諦めたんだ、人生を。そうでしょ」

 ライダーは、ただ一歩後ずさる。
 山越風夏の言は、正鵠を突いている。
 ライダーが聖杯に願う、ただ一つの願い。

「そうさ。ぼくは………人生に、意味が欲しい。今は遠くに掠れた、1回目の人生の───あの数々の舞台のような、熱情が欲しい」
「もう一度蘇ってもいいと、思えるだけの───英霊の座を脱出するだけの、理由が」

 ライダーは神でも、仙人でも、超越者でもない。ただの、極めて優れた手品師に過ぎない。
 ただの人間が、ただの技術で死の運命から逃げて、脱出して、400年を生きたのだ。
 ───例え英雄の精神であろうと、いつかは終わりがくる。

 その終わりが、"ライダー"だ。
 猫の少年は、山越風夏を睨む。
 笑顔で取り繕うことを辞めた彼の目には、深い諦観がある。

「今更、全部遅い。観客の声にももうぼくは心動かされることなんてない───蘇る理由がもうないんだ」
「どこを探してもなかったんだ」
「現世を浚っても、冥界の底まで潜っても」

 ず、と音がする。
 ライダーの背に浮かぶ棺と、同じものがあと八つ小体育館に現れる。
 ライダーの宝具は、九つの人生の終わり───九つの棺。釘打たれた棺の中は、冥界の物品で満たされている。
 "棺の中に留まるはずがない"とまで謳われた、脱出王の人生そのものたる宝具。
 あるいは、脱出王を遂に捕らえた牢獄そのもの。

「君には、ぼくの願いを叶えられない」
「自分で自分を助けて、それで済むのなら、ぼくはサーヴァントなんかになってやしない」
「───さて。どう、この状況から"脱出"するのさ、"マスター"」

 どのように閉された棺の中身を武器にするのか、山越風夏にすらはっきりとは分からない。
 それでもどの棺の中身も、ただの手品師である彼女を殺して余りある冥界の道具なのは理解している。


 ───それでも、山越風夏は笑っている。
 舞台役者の笑みであるとともに、"自分"の意地っ張りさに呆れた笑みだ。

「長生きすると、"助けて"を言うにも、随分言葉が長くなっちゃうんだね」
「結局、私たちの願いは変わらないのに。"舞台"をやり直そうとする私と、"人生"に絶望したあなた」
「不出来な舞台なんて、人生なんて、火にかけて燃やしちゃって───そしてもう一度、やり直せばいいんだよ」

 僅かな動きで、トランプが宙に投じられ、空中で鮮やかに燃える。
 棺から飛び出した何かが咄嗟に炎に向かうが、稼いだ一瞬で山越風夏はライダーに踏み込んで囁く。

「ライダー、あなたに火をあげる」
「過去を燃やす炎を。未来を照らす灯を。今の私を動かす炉心を」
神寂祓葉に、会わせてあげる」

 猫に九生ありて、好奇心は猫を殺す。
 何かの仕込みを起動しようとしていた、ライダーの手が一瞬止まる。
 当たり前だ。ライダーの目的は、再び生きる理由そのものだ。目前の"自分"が生きる理由そのものたる少女に、興味がない訳がない。

「………はあ。その意気は、願いは、認めてあげるよ。その言葉は確かに、ぼくが欲しかった可能性の一つだ」
「けど───世界からの脱出なんて大言壮語を吐くには、まだ技術が足りない」

 それでも、ライダーの技術は淀みない。
 九方から伸びる鎖が、縄が、枷が山越風夏をあっさりと拘束する。
 山越風夏は、驚きで目を見張る。

「サーヴァントは基本的に、全盛期で召喚される。ぼくだって当然そうさ」
「例え折れようが諦めようが、マジックだけは積み重ねて来たんだ───例えキミが今のぼくにないものをいくつ持っていようと、マジックではぼくに勝てない」

 ライダーは、空中で拘束された山越風夏を見る。
 その顔には猫の笑顔が戻っている。

「だから───ぼくが、"ハリー・フーディーニ"の最高到達点が、有り難くもキミの助手をしてあげるんだから、ぼくのマジックの技術を学べばいいさ」
「手品の助手ってのは、舞台の裏も表も知り尽くした、最も厳しい観客だ。ぼくを満足させる舞台にしてみな、"マスター"」

 神域の拘束術に縛られながらも、山越風夏は笑顔を向ける。

「はは。あはは!約束する、勿論約束するよ、ライダー。私の最高の助手にして師匠。あなたも、あの子も、みんなが満足する舞台にしてみせる」

「………授業料も、忘れるなよ」
「観客共は騙せるだろうけど、ぼくから見ればお前の技術はまだまだだからな。その程度の"神話の拘束具の多重拘束"から脱出するのに、"5秒"もかかるなんて」

「流石ぁ。やっぱり騙せないね」

 "死"の具現化そのものたる拘束具が、次々に地面に落ちる。"ハリー・フーディーニ"の定番のやり方だ。とっくに脱出に成功しているにも関わらず、いかにも拘束されたままでいるかのように装って、観客をハラハラさせるテクニック。
 地面に降り立った山越風夏は、ライダーに手を伸ばす。
 今この、暗い学校の小さな手品舞台こそが、二人の"聖杯戦争"の始まり。

「さあ。最上の舞台の始まりだよ、ライダー」
「………誰に、物を言ってるのさ」





 脱出王。
 統べるもまた、脱出王。
 〈はじまりの六人〉。
 抱く狂気は、〈再演〉。

 山越風夏。あるいは、ハリー・フーディーニ
 統べるサーヴァントは、九生の果て。


【クラス】
ライダー

【真名】
ハリー・フーディーニ@アメリカ近現代史

【属性】
中立・中庸

【ステータス】
筋力:D 耐久:B 敏捷:C 魔力:E 幸運:B--- 宝具:D

【クラススキル】
対魔力:C
 第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。
 大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。
 多くの似非オカルティストや魔術使い崩れを看破してきた"オカルトハンター"として、近現代以降の英霊としては比較的ランクの高い対魔力スキルを持つ。

騎乗:D
 大規模なパフォーマンスを行うマジシャンとして、重機程度までの車や機械の運転スキルを持つ。
 動物や精霊等には機能しない。

【保有スキル】
マジシャン:A+
 ライダーの卓越したマジック能力を表すスキル。
 一度目の生で既にアメリカで史上最も著名なマジシャンとなったライダーは、九生の果てにその技を神域まで磨き上げている。
 "1回目"で得意とした脱出マジックのみならず、およそあらゆるマジックの技術を持ち合わせていると言っていいレベル。
 たとえ超常の知覚能力を持つサーヴァントであってなお、ライダーのマジックの種を暴くのは容易ではない。

猫に九生ありて:B
 九回の人生を歩んできたことを象徴する、生命力の高さを表すスキル。
 性質としては宝具"十二の試練"に近い命のストックを持つスキルだが、ヘラクレスほどの豪傑でないライダーなので超下位互換。強力な英霊の宝具による攻撃をまともに食らったら、一撃で九回分ストックがすっ飛んでもおかしくはない。

死の隣人:C+
 死と隣り合わせの脱出マジックを何度も行い、一度目の死の後も死の運命と隣合わせに、生きては死んできた"死からの近さ"を表すスキル。
 幸運のステータスに3段階のマイナス修正がかかるが、"死後の世界"に関する物品を扱う際にプラス修正がかかる。
 本来デメリットばかりが大きい、"棺からの脱出"により供給される"死後の世界"由来の物品を扱うことを可能にする。

【宝具】
『棺からの脱出(ナインライブズコフィン)』
ランク:D 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:9
 彼の九回の生を象徴する、九つの棺。
 舞台演出家、フローレンツ・ジーグフェルドはライダーの葬儀において、"賭けてもいいが、この棺の中にもはや彼は存在しない"と語った。
 彼が"ライダー"として召喚されたのは、時代を渡る旅人の"乗り物"として長い時間を共にした"九つの棺"が宝具として昇華されたためだ。
 棺の中には九回の人生それぞれの"ハリー・フーディーニ"と、ライダーが死後の国から持ち出した物品がある。
 釘打たれ閉ざされた棺だが、ライダーにとっては出るも入るも取り出すも仕舞うも自在。
 戦闘においては死後の国のアイテムを武器として使ったり、それぞれの"ハリー・フーディーニ"と入れ替わることで活用する。
 なお、ライダーとして同時に活動できる"ハリー・フーディーニ"は一体だけ。それ以外はただの死体と変わらない。

 神代に属するようなアイテムも棺の中にはあるが、所詮勝手に持ち出した借り物なので宝具としてのランクは低い。

【weapon】
 マジック道具。
 また、宝具"棺からの脱出"により供給される死後の国のアイテム。
 生前鎖により拘束された状態から脱出するトリックを好んでいた故に、特に"シーシュポスの鎖"をよく使う。

【人物背景】
 "脱出王"、"不死身の男"、"不可能を可能にする男"。
 数々の賛辞で讃えられた、アメリカ史上最も著名なマジシャン、ハリー・フーディーニ
 ───彼は生前の約束のように、死の国からも脱出し今も生きている。

 サーヴァント・ライダーとして召喚された"ハリー・フーディーニ"は、八回の復活と九回の人生の果てについに"脱出"を辞め、英霊の座に至ることを選んだ後の姿。
 この性質上、ライダーは"未来"の英霊である。

 九回の人生を歩んだ逸話の反映か、何故か猫耳猫尻尾の少年として召喚されている。
 あるいは、彼が九回目の人生を送るころには、"人類"はこのような姿になっているのだろうか?
 本人は"未来"のことについては語ろうとしないので、真実はよく分からない。

 ちなみに"ハリー・フーディーニ"は芸名で、本名はヴェイス・エリク。もっとも"奇術を極めた英霊"として呼ばれたことを考えれば、その真名はやはりハリー・フーディーニと呼ぶべきだろう。

【外見・性格】
 猫耳猫尻尾の、癖のある赤毛の小柄な少年。
 しっかりと仕立てられたスーツと、シルクハットを被っている。

「───今回の舞台では、ぼくは助手さ」
「紳士淑女の皆様。どうか楽しんでいって」
 どこか諦めた雰囲気の少年。猫らしい笑顔を浮かべて、一歩引いた立ち位置を保ちたがる。

 精神の超越なしに、死を超越した手品師の末路として、何事にも生きる意味を見いだせない枯れた性格となってしまっている。
 最も今回の聖杯戦争では、狂熱に溢れた自分たる"山越風夏"と、彼女を焼いた"神寂祓葉"という彼であっても興味を持たざるを得ない二人がいる。
 自分の諦念を肯定するために目を背けようとしても、背けられない二人を強く意識してしまっている。

【身長・体重】
 155cm/44kg

【聖杯への願い】
 自らの九生の意味を見出すこと。
 生前の願いであった母との再会は死後の国で叶い、それでも死後の国を抜け出し続けたのは何のためであったのかライダー自身ですらもはやはっきりしない。
 時の流れの中で擦り切れてしまった人生に、再び英霊の座から"脱出"するほどの意味を与えることがライダーの願いだ。

【マスターへの態度】
 辟易と興味。
 自分の世界では無かった出会いと狂熱を持つ"ハリー・フーディーニ"の態度には辟易しているが、そのきっかけである"神寂祓葉"とともに深く関心を持っている。
 今回の聖杯を、一度脇においてもいいと思うほどに。


【名前】
山越風夏(ハリー・フーディーニ) / Yamagoe Fuka (Harry Houdini)

【性別】
女(男)

【年齢】
16(150)

【属性】
混沌・中庸

【外見・性格】 
 「とびきりの舞台には、とびきりの衣装だよね!」

 タキシード姿の、堂々とした濃い茶髪のベリーショートの少女。"中身"が男性故のあまり女子らしくない振る舞いもあり、ぱっと見少年のようにも見えるが性別的には明確に女子。
 それはそれとして、見栄えもマジシャンとして重要なポイントなので舞台前のメイクは手を抜かない。

 極めて自信家の、堂々とした"マジシャン"。例え二度命を落としたとしても、彼女───少なくとも今生においては───はマジシャンとして"舞台"に立ち続ける。

 第一次聖杯戦争の時は少年だったのに、今回は少女になっているのは自力で蘇った所を聖杯に召喚されたため。
 最初はやや面食らったが、正直そんなに気にしてはいない。
 ちなみに転生ごとに、立場や外見に引っ張られて口調は結構変わる。

 最上の観客たる"神寂祓葉"に狂わされた彼女にとって、この聖杯戦争は彼女に捧げる最大の"脱出マジック"の舞台だと認識している。

【身長・体重】
159cm/48kg

【魔術回路・特性】
質D 量B
 彼女は"魔術師"と呼ばれるに相応しいほどの技術を持つが、あくまでマジシャンである。第一次聖杯戦争では自らを魔術師であると偽っていた。上記は今回の聖杯戦争に際し与えられたもの。
 量は中々多いが、質自体は極まったものではない。

【魔術・異能】
固有魔術は現状不明。

"マジシャン"
 "脱出王"、"不死身の男"、"不可能を可能にする男"。
 数々の賛辞で讃えられた、アメリカ史上最も著名なマジシャン。
 それこそがハリー・フーディーニであり、当然その二度目の転生である山越風夏もその技術を体得しいる。
 関節を外す縄抜け、針金による鍵開け、事前に仕込んだトリックによる壁抜け、高度な心理トリック。彼女を捕らえることは、例え魔術やサーヴァントの助けを借りたとしてもなお高い難易度を持つ。
 彼女のマジック技術は、二度の転生を経て、完全に異能の領域に突入している。

"幽体離脱"
 魂だけで行動する能力。
 ハリー・フーディーニが死後の世界からの脱出を可能にした技術。生前はもちろんこのような技術は持ち合わせていなかったが、死後の知識と彼の技術を組み合わせ編み出した唯一無二のスキル。
 ただし、転生を果たした後は肉体と魂が再度紐付けられ、肉体が死ねばまた魂自体も死んでしまう。
 また、魂が体から離れている間は体は深く眠っているようになり、基本的に動かせない。

【備考・設定】
 聖杯戦争におけるロールは、弱冠16歳ながら既に業界で非常に高い評価を受けている女子高校生マジシャン。
 ───その正体は、伝説的マジシャン"ハリー・フーディーニ"の二度目の転生先にして、〈はじまりの六人〉の一人。

 ハリー・フーディーニは、妻との"死の国があるなら、必ずや脱出して君に連絡する"という約束を守るべく死の国で戦い続けていた。その結果、魂だけで動く技術を編み出し、85年かけて死後の世界から脱出し現代の日本の少年として転生していた。

 しかし、イレギュラーな手段で蘇りを果たした彼は死の運命に常に追われ続けていた。
 死の運命はついに、彼を偶然にも"聖杯戦争"のマスターとして取り込む。

 彼は死をも超克した魔術師として振る舞い、その実聖杯戦争からの脱出と生存を目指していた。
 何度も死線を超え、大胆な秘策と地道な仕込みの末に、ついに彼は穏便かつ完全に聖杯戦争からの離脱を果たそうとする。

 ───そこに立ち塞がったのが、神寂祓葉だった。まるで必然のように、彼女はフーディーニの策とトリックを全て打ち払い、光の剣を構える。
 その双眸には、"この状況からどう逃れてくれるのか"を純粋に期待する光があった。

 フーディーニは悟る。自分が最上の観客の期待に応えられず、ここで二度目の死を迎えることを。
 彼は敗北を認め、神寂祓葉に全てを語る。
 それを聞いた神寂祓葉は、寧ろ目を輝かせて語る───また蘇って、一緒に遊ぼうと。

 その光に焼かれたフーディーニは、二度目の約束を守るために、再度の蘇り───そして、今度こそ"最高の脱出マジック"をこの少女に見せてやるのだと誓う。
 自らの不出来を取り戻し、最高の観客に応えるために。
 神寂祓葉の用意した最高の舞台からの最高の脱出マジックを行うことこそが、今の彼女の目標だ。

 〈はじまりの六人〉、その一人。
 抱く狂気は、〈再演〉。
 山越風夏。あるいは、ハリー・フーディーニ
 サーヴァントは、九生の果て。

【聖杯への願い】
 「万能の聖杯に願って出ていくだなんて、そんなものはマジックと呼べないよ!」
 "脱出トリック"を目標とする彼女にとって、聖杯に願う意味はなく、当然願いも持ち合わせていない。

【サーヴァントへの態度】
 "ハリー・フーディーニ"がネコ耳少年になる世界線があったことに心底驚いている。
 それはそれとして、自分の"舞台"における助手として、さらなるマジックの極点に至るための師匠としてはまさしく最高の相方だとして深く信頼している。

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最終更新:2024年07月09日 20:13