自閉探索 ◆YYVYMNVZTk
俺の名前は人吉善吉。
箱庭学園一年一組所属、血液型はABで利き腕は左。
何の因果か、超絶美麗絢爛豪華ウルトラスーパーデラックス生徒会長である黒神めだかちゃんの手伝いで生徒会庶務という役職に就くことになっちまった。
まさに完全無欠、唯一無二といえるめだかちゃんの才覚と比べると、俺なんかはまさに凡人オブ凡人だ。
だがそんな俺でも、いや、そんな俺だからこそ、俺はめだかちゃんのすぐ傍でめだかちゃんを守りたいと思っている。
どれだけ振り回されようが俺はめだかちゃんから離れない。絶対に守ってみせる。
待ってろよ、なんて言っても、きっとめだかちゃんは前へ前へと突き進んじまうんだろう。
だったら俺は、めだかちゃん以上のスピードで走らなきゃいけない。
追いついて、追い抜いて、前に立ってやるってくらいの気概がなきゃ、この状況は乗り切れない。
「そうだろ、めだかちゃん?」
そう呟くと、俺は目を上げ――日本刀を携えた制服少女と向き合った。
「ああもう、何だって俺はこんなに運が悪いんだろうな。
こちとらゴクフツーの男子高校生だってのに、アブノーマルだのサーティーンズパーティだの、ビックリ人間とばっかり出会っちまう」
そんな風にぼやいたところで、何も状況は変わりはしない。
少女はうっすらと微笑を浮かべながら、氷のように冷たい瞳で値踏みするように俺を眺めている。
短く切り揃えられピンで止められた黒髪が、風に吹かれなびいていた。
少女と女性の狭間に存在する未成熟な美。
いつだったか『可能性』という美を感じると不知火をモチーフにした先輩がいたが、この子だって相当な美人になるポテンシャルを秘めている。
そんな少女の手に握られた一振りの日本刀は、素人の俺から見てもそこらのなまくらとは比べ物にならない業物だってことが分かる。
戦う少女。武器ガール。セーラー服と日本刀――いや、ブレザーなんだけど。
とにかくそういうフレーズが似合いそうな可憐な少女だった。
萌え? それを俺に聞かれてもなんと答えればいいのやら。
「はじめまして……ええと、まぁいっか。中塚侑実子といいます」
「あ、ああ……俺はひとy」
「ああ、自己紹介は結構ですよ。名前なんて聞いちゃったら――わたしの実験に、齟齬が発生しちゃいますから」
実験に齟齬が発生する? 言葉の意味を考えたその一瞬で。
俺の眼前を風が走った。
――熱い。
はさみの取り扱いを間違えた時のように、カッターの刃が少し出過ぎていた時のように。
熱いと感じた一瞬後に、じくじくとした痛みと粘性を帯びた赤い血がぷっくりと溜りを作るあの感覚が、喉元にあった。
「……あれ? おかしいなぁ。確かに殺したと思ったんですけど……
もしかして、もしかしなくても――お兄さんって、強いんですか?」
エヘッと照れ笑いを浮かべながら刀の刃先についた血を拭きとる美少女というのも、なかなかに強烈な絵面だ。
ワケの分からない殺し合い一発目に出会ったのがこんな少女だなんて――俺はなんて運が悪いんだろうな。
だけどな、運が悪すぎれば反転だってしちまうらしい。
「あのタイミングで避けられるのかぁ。それじゃ次は、もっと速く……うん、初撃を隠す必要もないし、簡単かな。
それじゃ――えいっ、と」
中塚はもう一度、刀を振った。予備動作の存在しない、人間には不可能な挙動だ。
少女を見たときに俺の胸中に発生した不穏な予感がズバリ的中したってわけだ。
この子は人殺しだ。そしてこの胸糞悪いイカれた殺し合いに、乗っちまってる。
箱庭学園十三組――特別(スペシャル)では収まらない異常(アブノーマル)を抱えた超常者たち。
中塚侑実子という少女は、あの集団と比肩する常識外の存在だ。
刃が真一文字に俺の胴体へ迫る。あと一秒もしないうちに俺の上半身と下半身は泣き別れする羽目になるだろう。
どうやったって常人には避けられない必死のタイミングだ。
――勘の良い奴なら、ここらへんで気付くんだろう。
俺が、こうやって中塚の動きを実況出来ている意味を。
「……また、外れた」
今度は照れ笑いもない。ポカンと、驚きの表情を隠さずに俺の顔と刀を交互に眺める。
対して、俺の身体には――いや、制服にだって傷一つ付いていない。
剣速は確かに初撃よりも上がっていた。しかし、攻撃すると宣言されているのなら不意打ちだった初撃よりも反応は良くなるのが道理ってもんだ。
中塚はそれでも俺を真っ二つに出来るだろうと高を括ってたようだが――
「俺の名前は人吉善吉だ。生憎だがお前みてーな人間は見飽きるほどに見てきて知ってきてる。
元が凡人でも――真黒さん道場で修行した今の俺なら、今の剣くらい箸でつまめる。……いやすまん、そりゃ言い過ぎた」
運が悪すぎる俺は、いまさらこのくらいの不運じゃびくともしなくなっちまってるんだよ!
俺はバッグから支給品を取り出し、両手に装備する。
シルエット自体は、有り触れた手袋のそれだ。だが添えられていた説明書によれば、この手袋――
と、ここで中塚の剣撃が俺へと迫る。手袋をはめる以上の時間は与えてくれなかったわけだ。
しかし――キン、と澄んだ音が響き、中塚の振るった刃は俺の右脇へと逸れた。三度目の驚愕が、中塚の顔に浮かぶ。
……ふぅ、説明書に書かれてたことがデタラメなんかじゃなくて本当に良かったぜ。
指先から手首まで関節ごとに貼られているタイルの一つ一つがダイヤモンド粉を織り混ぜた衝撃吸収素材で造られており、
銃弾や剣を弾くために意図的に滑りやすく加工されている。NASAもびっくりの厨性能が嘘じゃないということはこの攻防で明らかになった。
今のでわかった。おそらく、中塚と俺の戦闘力はほぼ互角――道具の優劣を含めて考えても、どちらが勝ってもおかしくないほどの拮抗ぶり。
加えて互いの手持ちは打撃・斬撃系。銃器と違い、急所への一撃でゲームセットとはなりにくい武器だ。
「……おい、分かるだろ。このままやりあえば俺もお前も無事じゃすまねぇ。
それよりも今は、協力してここからの脱出法を……――!?」
……俺の考えが甘かった。俺はあの十三組連中から、何を学んだんだ……!?
奴らが異常(アブノーマル)と呼称されるのは、その能力もさることながら、アブノーマルの特性ともいえる……歪んだ性根もあってのことじゃねーか!
俺の呼びかけへの返事は、それまでの三撃を更に超える速度――俺の脇腹を抉るに不足のない速度の斬撃だった。
「人吉先輩。センパイは――人を殺したことがありますか? ……うふふ、その顔を見る限りじゃ経験ないみたい。
わたしはあります。今までに6人殺しました。……まるで快楽殺人者でも見るような目つきですね?
安心してください。わたしは欲望の赴くままに殺人を重ねる……そんなサイコパスとは違いますから」
中塚は、言葉を紡ぎながら俺へとさらなる攻撃を仕掛けてくる。
やはり常人には真似できないような不安定で不規則で――しかし確実に死線を付いてくる、殺意のこもった攻撃。
右から振られたと思えば上から打ち下ろされ、下からすくわれるかと跳べば胸元への突きが襲ってくる。
「ぐ……!」
切り付けられた脇腹から痛みと熱が放射される。
集中がかき乱され、顔をしかめた一瞬のうちに次の斬り払いが迫り来る。
誰がどう考えたって、ジリ貧だ。このまま防御に回ってしまえば、出血多量でフラフラになった頭にあの刀が振り下ろされることになるだろう。
ならば――生きる道は、攻めにあり!
いくら中塚の挙動が人間離れしていたとしても、刀にかかる慣性まで完全に無効化することは出来ない。
細身からは想像もできない怪力を奮っていても、そのベースは年端もいかぬ少女の躯体。
剣技もへったくれもないこの立ち回りなら、刀に振り回され生じる隙はいくらでもある。
右上からの袈裟斬りを手甲で弾き――退かず、前進!
「オラァッ!」
渾身の右ストレートが中塚のみぞおちに突き刺さり、確かな手応えが拳を通して返ってくる。
一撃必殺――そのままの意味で死亡とまではいかないだろうが、この感触なら戦闘続行は不可能なはずだ。
「クソッ……! 女子を殴るだなんて、ガラでもないことを……」
「女の子は殴れないだなんて、センパイって優しいんですね。……いや、甘い、のかな?」
……ゾッとするような声が、拳の先から響いてくる。
中塚は、笑っていた。あれだけの突きを受ければ、立っているのもやっとのはず――
いや、違う。コイツは――そんな常識なんか、通用しない相手なのだ。
中塚の左手が俺の右腕を掴み、離さない。リンゴどころか十円硬貨だって握り潰せそうな怪力が、万力のように俺の手を締め付ける。
距離を取ろうと膝蹴りを繰り出す。狙うのは先の突きと同じみぞおち――そして俺の膝は、吸い込まれるように中塚の下腹へと。
今の感触も悪くない。ダメージは確かに通っているはずだ。
だがそんな俺の攻撃など意にも介さず、中塚は俺に語りかける。
「センパイは――殺人は、悪だと思いますか?」
「……ッ、当たり前だろっ!」
「んー、質問が悪かったかなぁ。では、言い方を変えてみましょう。
憤怒、嫉妬、疑惑、嫌悪、恐怖、憎悪、快楽、怨恨、身勝手な正義。こういう『殺人の理由』は確かに罪悪だと万人が認めます。
ですが――これらの悪感情を完全に除外した、『殺人』という行為は、悪と言えるでしょうか?
首を斬る。胸を刺す。頭を撃ち抜く。毒物を投与する。純粋な破壊行為そのものは裁かれるべき罪となるのでしょうか?
わたしはね、センパイ――真に悪であるのは、殺したい相手を殺したいと思う、その心だけだと思うんですよ。
栄養摂取や味覚の満足、他者との交友を目的としない食事に意味はありません。
同様に、殺すことを目的としない破壊は――殺人ではあるけれど、そこにあるのは無味乾燥な行為そのもの。
故に、意味のない殺人は罪悪ではない。罪悪でないのならば、世界はわたしを裁くことが出来ない。
この仮定が真であるのならば世界はわたしを止められない。欲求のない殺人――それがわたしの実験の全てです」
幼さの残るあどけない笑顔で、口元をほころばせながら少女は嬉々として語る。
しかしその表情に陰りが見え始めた。
「だけどこんな殺し合いを強制させられて――わたしの殺人に、意味が生じてしまった。
優勝すれば生還することが出来る。そのためには他者を蹴落さなければいけない。一番簡単で直接的な方法は、物理的な殺害。
利益にも損益にもならなかったはずのただの行為が、わたしに多大なプラスを――そして行為の否定は、最悪のマイナスを与えるものに変わってしまった。
わたしは、殺人が自分に利する行為だということを、知ってしまったんです。
うーん、困ったなぁ。いったいわたしは、どうしたらいいのかな? ……そんなことを考えて彷徨っているうちに、センパイに会いました。
はい、もう一度最初の質問です。センパイは殺人を悪だと思いますか?」
……一気にペラペラと喋られて、頭がパンクしちまいそうだ。
だけどよ、俺みたいな凡人の頭でもはっきり分かることがある。
「お前はさ、きっと頭の良い奴なんだろう。そんなどうでも良さそうなことを考える余裕と、論理として組み上げる能力を持っている。
生憎だがあんまり調子良く喋られたせいで俺の頭じゃ言ってることの半分も理解できなかったぜ。
ただ分かったことと言えば……お前の理屈はただの屁理屈で、聞いてる俺は胸糞悪くなっちまうってことくらいだ!」
俺の右腕を掴む中塚の細腕を、自由の残る左腕と両足で固定――同時に右腕を中塚の外側へと捻る。
いかな怪力であっても、人体構造と物理法則を超越するほどのものではなかったらしい。
拘束は容易く解け、固定に使った両足で中塚の身体を蹴りつけ数メートルの距離を稼ぐ。
俺の宣言を聞いた中塚は、ふぅとため息をつき、
「……やっぱり、名前を聞いたのは失敗だったかなぁ。
善吉だなんてあんまりにもあんまりな名前ですもんね。
じゃあ、実験に影響が出ないうちにさっさと死んでください♪」
中塚は跳躍し、一気に俺との距離を詰めに来る。同時に脳天から身体の中心線を両断する剣筋が一閃。
俺は腰にタメを作りながら左の甲で太刀を受け流し、中塚の顔面へカウンターの右フックを入れ込む。
しかし中塚の表情が崩れることはない。怯む様子も見せずに、更に横薙ぎの払い。
「くっ……!」
日本刀と拳のリーチ差は、如何ともしがたい決定的な差でもあった。
手甲で弾ける太刀筋でもなければ、紙一重の回避が可能な太刀筋でもない。
結果、大きくのけぞる形での回避。当然、攻撃に転じられる姿勢ではない。
「あれれー? センパイ、わたしを止めるつもりなんでしょ?
そんな調子じゃ、わたしに斬られる方が先なんじゃないかな」
「俺はスロースターターなんだよ、ちょっと待ってろ!」
などとうそぶいても脇腹の痛みは引きもしないし、調子が上がるどころか血の流し過ぎで頭がうまく回ってくれない。
ああ……こりゃちょっと、本格的なピンチってやつかもな……
なんて。
弱音を吐いたところで――状況が好転するわけもない。
だったら今の俺が出来ることを全部やってやるしかない。
俺の全力全開で、この勘違いしたガキの戯言がどれだけ自分勝手な喚き言か、教えてやる。
「それにしても――自分がボロボロになってまで、人の実験を止めようだなんて、わたしには理解出来ない行動だなぁ。
だってセンパイはわたしより弱いでしょう? そんな怪我までしちゃって、勝ち目はとっても薄い。
それでもわたしに向かってくるだなんて――センパイってもしかして、お人好しを通り越しちゃってお馬鹿さんなのかな?」
クスクス――と破顔。
ああ、確かにそうかもしれない。
というかだ。そもそも俺は他人のためだとか人助けだとか、そんな高尚な考え方は人並み程度にしか持ち合わせてないんだわ。
なのにこんなに傷だらけになってまでして、中塚を止めようとしている。
それはどうしてか――答えは単純明快だ。
「俺のやっていることが馬鹿のやることだってんなら俺は馬鹿でいいさ。
ただ俺は、俺以上の馬鹿を知ってるんだ。あいつなら相手がサイヤ人だろうとなんだろうと構わずに特攻しちまうだろう。
だがな、その馬鹿は――きっと、誰よりも正しい」
あー、別に学校の中だったり投書があったわけじゃないが……まぁ、こんなときに言わずにいつ言うんだって話だよな。
俺は人差し指をびっと立て、中塚を指す。
「だから、今はここにいないあいつの代わりに――俺が生徒会を執行してやる!」
この怪我じゃ、戦闘が長引けば長引くほど俺は不利になる。
短期決戦――出来る事ならば、一撃だ。一撃でケリをつける。
「あはは。何ですかそれ。そんな青春ドラマみたいな生徒会――とっくに絶滅したものかと思ってたのに。
いいですよ、人吉センパイ。センパイが生徒会を執行するというのなら――わたしは、殺人鬼を完遂してあげましょう!」
刃を振り上げ、こちらへ駆ける中塚。
技巧の欠片もなく、しかしそれ故に変幻自在な軌道を描く剣が中塚の武器だ。
右か、左か――いや、下だ!
地を舐めるように屈んだ中塚の身体から、白刃が迸る。
下方向からの斬撃――回避すべきか? いや、ここで怖気付いては中塚の思う壺。
先の攻防と同様に、避けるのならば大きく距離を取らねばならない軌跡である。
もしここで退けば攻めに転じることは出来ない。進め――進めッ!
自らを鼓舞する。斬らられれば――死ぬ。俺は殺される。恐いな。ああ、恐い。
だけど、怖いからこそ――俺は、対処できる。この剣を止めることが出来る。
「――ッ、危ねぇな、クソッタレ!」
甲の振り下ろしで、刀を弾く。申し分ない最高のタイミングだった。
“まるで、図られたように。”
「凄いなぁセンパイは。だからこそ――コレが活きるんですけどね」
中塚の左手に握られていたのは、カッターナイフ。
百円ショップで一山いくらの大量生産品。だけどその一つ一つは――人を殺せるんだ。
刃が煌めく。もう一度、手甲で弾く――? いや、間に合わない。
一度振り下ろされた両手を再び振り上げるのと、中塚の左手の一閃のどちらかが速いかだなんて分かりきっている。
カッターの刃が俺の首筋に吸い込まれていく。
俺が死ぬまであとどれだけの時間がある? 一秒もない。その半分はあるだろうか。
それくらいはあるだろう。だったら。
……止めれるッ!
がき、と短く音が響く。――どうだ、止めてやったぜ。
「歯で、真剣白刃取り? ……信じられない」
「はひひふ、ほふおうふぇな。ほんなほほもあほーふぁと、はいへーほほとはれんふーひてんだ。
(生憎、臆病でな。こんなこともあろうかと、大抵のことは練習してんだ)」
朝昼晩歯みがきを欠かしたことのない健康そのものの俺の歯が、中塚の凶刃をがっちりとくわえ込んでいた。
……そうだ。俺はまだ走馬灯だって見ちゃいない。なら、まだ死なねぇ。
万に一つも勝ちがなくても、怯えて怯えて怯えまくって――万に一つを、一回目に持ってきてやる!
ぱん。
「……あ、れ……?」
腹が熱い。
見れば、血がどくどくと流れていた。嘘……だろ……?
「惜しい。すっごく惜しいです。でもね、センパイ。
奥の手は、本当に最後の最後に使ってこそ――意味があるんですよ」
中塚のスカートの陰から、ホルスターが顔をのぞかせていた。
右手に握られていたのは、日本刀ではなくリボルバータイプの拳銃。
銃口から硝煙がたなびいている。そうか――俺は撃たれたんだ。
痛みが頭に上るより先に――意識が、闇の中に溶けていく。
これが……死……?
◆
少女、中塚侑実子は一仕事終え一息つき――倒れ伏した人吉善吉のすぐ傍に座り込んだ。
まるでお気に入りの玩具を愛でるときのように目を細める。
中塚の口元に浮かんでいたのはこの数時間で一番の笑み。
「やっぱりセンパイはわたしを止められませんでしたね。
でもそれは別に、センパイが弱かったとかわたしが強かったとか――そういうことじゃないんですよ。
ただ、わたしが正しかった。わたしの行う殺人は、世界から止められるべき罪悪ではなかった。
たったそれだけのこと――」
……人吉善吉は、まだ生きている。
呼気こそ浅く、未だ意識は戻らない。流れ出る血液により体温の低下は止まらない。
そんな瀕死の状態ではあるが――まだ、生きていた。
しかし。
そのかすかな生命の灯火さえも――今まさに、蹂躙されようとしている。
「あーあ。弾は貴重だから、どうせなら刀で最期まで仕留めるつもりだったのに。
センパイが頑張っちゃうから思わず撃っちゃったじゃないですか。
どうしてくれるんですか、まったく。ぷんぷん。
んー……と言っても、もう聞こえてないんですよね。だったら……サクっと死んでもらいましょうか」
銃の代わりに投げ捨てた日本刀を再び手に取り、少女はその凶刃を善吉の首元へ――
振り下ろそうとしたその瞬間、侑実子の身体に衝撃が走った。
驚いた、という意味ではない。文字通り、ハンマーで殴られたような衝撃が少女を襲ったのだ。
吹き飛ばされ、顔面から地を滑ることになった侑実子が顔を上げたとき。
侑実子の前に立っていたのは、青年と少女だった。しかし、侑実子と二人組の距離、おおよそ10メートル。
先の衝撃はいったい何をぶつけられたのかと周りを見ても何も落ちてはいない。
謎の攻撃に不審がる以上に、侑実子は苛立を募らせていた。あと少しで、人吉善吉を殺せていたのに――思わず舌打ちがこぼれる。
「……えっとぉ、何ですか、あなたたち」
「……彼を傷つけたのは、君かい?」
青年――平均より頭一つほど抜けた長身と大きな眼鏡が特徴の――が、質問に質問で返す。
が、何故かこの青年、全身からみすぼらしさが漂っている。
やけに生活感のある色褪せたシャツに、天然ものらしいダメージジーンズ。
自分で切ったのだろうか、髪先までまばらで、短く刈り込んでいるというのに不精な姿に見えてしまう。
ならば中身も無気力極まりない人間かといえば、決してそうではない。
真っ直ぐに、嘘は許さないとばかりに中塚侑実子を見据えている瞳は精気に溢れている。
ひょろ長く見える体躯も、服の下には量ではなく質を重点においた筋肉が広がっている。
「だったら、どうするんですか? あなたも知ってますよね。
生き残れるのは最後の一人だけ――殺されたくないから殺す。当たり前のことですよ。
ただ、わたしがやろうとしているのは――そんな単純で、下卑たものなんかじゃないですけど」
「……君が、傷つけたんだね」
青年の声は重い。その重さには、少女の言葉が嘘であったならば――という意が込められている。
念を押すような青年の言葉に、侑実子の苛立ちは更に増す。
「ああ、はい。そうですよ。だから――だったら何? ってわたしは聞いてるんですけど」
「僕が止める」
「――は? あなたが、わたしを? へぇ……だったら止めてくださいよ、わたしが今から彼を刺すのを……ッ!?」
一瞬だった。一瞬で青年は、10メートルもの距離を詰め、中塚侑実子と肉薄する。
唖然呆然――する間もない。こちらへ伸びてくる手をバックステップで回避。
侑実子は舌打ち一つ。……止められた。
一秒もしないうちに人吉善吉にとどめを刺せる状況だったにも関わらず、青年はその未来を打破した。
この男は、実験の障害になる。中塚侑実子は認識する。
青年の口が開く。
「君が何を考えて彼を殺そうとしていたのか、僕には分からない。
だけど……人を殺してまで自分が生き残ろうだなんて、間違ってる!
……止めるよ。僕が――君を止めてみせる!」
青年が動く。10メートルを一瞬で縮めた神速のままに、侑実子の正面へ。
だが馬鹿正直に『止める』と宣言されたなら、たとえその十倍の速度を出されていようが、対応できる。
『倒す』ではないのだ。つまり、青年の行動に侑実子への攻撃が含まれていたとしても、その威力は一撃必殺には程遠い。
初撃で打ち倒されることがなければ、その一瞬後には反撃を叩き込める。
そう、中塚侑実子は――痛みを感じない。
第5種遺伝性感覚自律神経性ニューロパシー。それが中塚侑実子が生まれ持った病である。
その症状は、俗に言う無痛症。『痛み』を感じない身体となるのだ。
痛みを感じないということは、むしろプラスに働くのではないかと考える人間もいるだろう。
実際は、まったくの逆だ。『痛み』とはセーフティなのである。
『痛み』を感じることで、人間は自らに迫る危険を反射的に察知することが出来る。己の限界を把握し、自壊を防ぐことが出来る。
『痛み』が無ければ、人間は人並みの生活を送ることさえ出来ないのだ。
だが中塚侑実子は、あらゆる意味で人並みではなかった。
危険を危険だと判断することさえ出来ない乳幼児の時代を無傷で生活し続けた強運。
物心がつくかつかないかという頃に読んだ医学書から、己の体質の異質さを理解する知性。
本来なら痛覚を通じて得る経験もなしに、書物から得た知識だけを基に人体を行使する技術。
天才という評でも未だ足りない。怪物――それが一番近いだろう。
青年の左拳が侑実子の胸にめり込む。だが予想していた通り、命を奪えるほどの威力はない。
それどころか、骨さえも砕けない。甘い、甘すぎるよ――と侑実子は笑みをこぼし、反撃。
たとえ青年が超人的な俊敏を持ち合わせていたとしても、この距離ならば外しようもない。
痛みというセーフティがない侑実子は、己の身体能力の限界を超えて力を行使できる。
少女の細腕でも、一太刀で胴を両断するくらいの芸当は朝飯前。仮に当たり所が悪かったとしても、その後の戦闘への影響は大きい。
ぶん、と日本刀を振る。肉を斬り裂く感触が、直に手元に伝わ――ら、ない?
どうして、と手元を見る。この距離での回避――絶対不可能だったはずのそれを成されたのか?
違った。青年は、侑実子に拳を振るったその姿勢から指一本動かしてはいない。
そして、同様に――侑実子もまた、動けないでいた。
刀を握る右腕が動かせない。まるで動かし方を忘れてしまったかのように、微動だにしない。
「なに、これ……?」
「九頭・左竜止電――神経伝達信号を止めさせてもらったから、しばらく動けないはずだよ。
あ、じきにちゃんと動くようになるから、心配しないで――」
生体電気を操り、人体動作を強制的にストップさせた――?
信じられない。人体に流れる生体エネルギーを武に昇華させるだなんて――そんなもの、実在さえ疑われる、半ば空想の域にある技だ。
そんな技を、実戦レベルで――しかも、せいぜい二十代前半という若さで、完全に使いこなしている。
為す術も無く、侑実子は地に倒れ伏せた。
「……よし、どうにか止めることは出来た……紅愛ちゃん、そっちのほうは!?」
「とりあえず応急処置くらいはしておいたから、すぐに死んじゃったりはないと思う。
幸い弾も貫通してたみたいだし。傷が深くて……ってよりは、ショックで気絶したって感じ?」
「……そっか、良かった。じゃあひとまず二人を連れて、さっきの展望台まで戻ろっか」
「……ハァ!? この男の子はともかく、あっちの女の子なんて危なくて一緒に連れてけないに決まってるじゃない!
いっくら鷲士さんがお人好しだっていっても、私は絶対ヤだから」
「そ、そこをなんとかさぁ。だってこの子を置いてけぼりにしちゃったら、他の誰かに襲われるかもしれないし……」
「連れてく途中に、私たちが後ろからバッサリ……って確率のほうが高いと思うけど?」
「う、うう……」
長身の青年――草刈鷲士は先程までの真剣ガチンコな雰囲気も完全に消えてしまい、冴えない見栄えそのまま通りに少女に圧倒されている。
まるで学校帰りに捨て犬を拾ってしまい、母親に「元の場所に帰えしてきなさい!」と怒られる小学生のような……といっても差し支えないほどだ。
戦闘には参加することなく、気絶した善吉の介抱をしていた少女の名前は、星河紅愛だ。
鷲士と紅愛の二人は、ここB-2からちょうど1エリア離れた展望台で出会い――互いに交戦の意思はないと分かると、共に行動することにした。
ひとまずは他の参加者と合流し、現在の状況把握と安全確保に努めようと周囲の探索をしていたところ、善吉の気絶の原因となった銃声を聞きつけ現在に至る。
「しっかしさー、確かに腕に自信はあるって言ってたけど、ホントに鷲士さんがあんなに強いなんて……
あれってどっかで習ってたわけ? 出会い頭にあの子が吹っ飛んだの……鷲士さんがやったんでしょ?」
「あ……うん。いや、でも、そんなに難しいことしたわけじゃないよ?
ほら、漫画みたいにばびゅーんって気を飛ばしたりとか、ああいうのじゃなくて……
なんて言えばいいのかな。力の作用点を拳の更に先に置く感覚というか――」
「……ああ、うん。それってジューブン漫画キャラやってるから」
ジト目を飛ばしながらも、紅愛は鷲士の人格と実力を信用しつつあった。
明らかに好戦的な相手であっても殺さずに無力化し、あまつさえ救おうとさえする。
そして、こんな状況ではただの理想論だと切り捨てられかねないそれを可能にするだけの武力と行動力を備えている。
(……ぶっちゃけ、超ラッキーってヤツよね。『こういう』の、私は基本的に向いてないし――)
紅愛も、まったく武の心得がないわけではない。
紅愛が所属する天地学園には、剣待生制度という特殊なシステムが存在する。
似たシステムを挙げるなら、剣道のスポーツ特待生がもっとも近いのだろう。
だがそれでもまだ似て非なるもの――どころか、似ず、非なるものといったところ。
なぜなら――剣を極めれば、天地が獲れるからだ。
ただ単に、周囲からの羨望を集め、実質的な支配権を得るだけに過ぎない旧態依然の番長制度とは一線を画している。
生徒会長として、そして真の王者として、天地学園を操る公式・正式な権力を手に入れることが出来る。
その権力は、その気になれば自らをその地位に押し上げた剣待生制度をも廃止することが可能だ。
故に――といえば、語弊があるかもしれない。彼女たちが求めているのは必ずしも権力だけではないからだ――天地の剣待生たちは、剣の道を究めんと毎日を励んでいる。
星河紅愛も、天地にあまた存在する剣士の一人である、というわけである。
だが紅愛は、剣の腕に自信があるわけでも、譲れない剣士の誇りがあるわけでもなく。
如何にして努力をせずに、頂点を得るか――策謀を自らの武器とした。
剣待生全体でも下から数えたほうが早い身体能力と剣技で天地の五本指にまで食い入ったのだから、その策謀と胆力はまさに賞賛するに値する、間違いのないものだ。
だがその策謀も、事前の準備や
ルールの抜けを突いてこそ活きたもの。
こんな突発的な――しかもルールなどあってないような力技バンザイの状況では、紅愛など多少剣が立つ程度のただの女子高校生に過ぎない。
たとえば、もし紅愛が善吉の立場に置かれていたならば、侑実子の初撃で即死していただろう。
「あー……だってのに、なんで私はこんな大変そーなこと考えてんだろ」
「ん、何か言った?」
「ああ、ごめん。ちょっと独り言」
だから――きっと紅愛が最後の一人になることは、限りなく難しい。
どんなに策を巡らせ上手く立ちまわったところで、どうせ最後には中塚侑実子や草刈鷲士のような、化け物に片足突っ込んだ人間を相手にしなくてはならない。
だったら正解は、戦わないことだ。戦わずに――ここから脱出する。
それだけが、紅愛が生き残るただ一つの道。幸い最初の賭け――初めてのエンカウント――では、女神が微笑んでくれた。
(こうなったら……最後まで、乗り切ってみせようじゃない)
この殺し合いから、脱出する。言葉にするのは簡単だが、それを成すのはひどく難しい。
だが――それこそが、紅愛が得意にしていたことだから。頭と要領だけで、この殺し合いを渡りきってやろうではないか。
――どぼん。
心中で独り意気込んでいた紅愛の耳に届いたのは、何かが水に飛び込んだような音。
鷲士のほうを目をやる。まだ意識が戻らない制服男子の介抱中だった。
……というか、なんでこの男子は制服の下にジャージを着てるんだろう。格好良いとでも思ってるのだろうか?
ならばと振り向く。
「……あれ?」
「んー、また独り言?」
「あの子……消えてるけど……」
「え? ――ええええええええええええええええ!?」
先程まで地に倒れ伏せていたはずの少女――中塚侑実子の姿が、完全に消え失せていた。
◆
「……っぐ、はぁッ……!」
息も絶え絶えに、中塚侑実子は川から這い上がる。
一連の戦闘が行われたB-2には、海へと繋がる清流が流れている。
身体の自由が戻った侑実子は、脱出の機を伺い、これ以上ないタイミングで直近の流れへと飛び込んだのだ。
あのまま走って逃げようとしたところで、眼鏡の青年の脚からは逃げ切れる気がしない。
不自由な身体で飛び込むリスクは承知の上で、いっそ川の流れに身を任せたほうが賢明だと判断した。
実際その選択は正しかったようだ。おおよそ1エリア分ほど流された結果、青年たちは完全にこちらを見失っている。
逃げ去る直前に、日本刀とリボルバー、デイバッグも回収済みである。
痛覚を感じない侑実子の身体でもはっきりと分かるほどに消耗はしてしまったが、侑実子の実験はまだ始まったばかりだ。
たまたま最初にレアケースが生じてしまっただけ――まだ取り返しはつく。
ひとまず濡れた服を乾かそうと、ずぶ濡れのブレザーに手をかけたとき――止まれ、と声がした。
声の方向を向いた途端目に入ってきたのは、黒い銃口と影。
冷静なものだ。銃口は正確に侑実子を捉えたまま、震えることもなく静止している。
――完全にチェックメイト。今の自分には為す術もない。
侑実子は手を上げ、相手の出方を窺う。まだ殺されると決まったわけではない。
上手く口八丁で惑わせることが出来れば、こちらがペースを取り返すことも可能だ。
「よーしよし、物分りがいいな。そんじゃそのままの姿勢でストップだ。
ちょっとばかりふたりっきりのトークタイムといこうぜ。
あー、分かってるだろうが少しでも動いたら撃つし、誰かを呼んじまうような大きな音を立てても撃つ。あーゆーおーけい?」
こくり、と首肯で返す。いきなりこちらを殺しにかかる殺人鬼などではないようだ。
だが、このぶっきらぼうな口調の持ち主――その声音は。
「ああ、そっちからじゃこっちは見えねえのか。
じゃあ――あんたのナイスファイトに敬意を表して」
ずいと、銃口が一メートル前に――そして、持ち主もまた、一メートル前に。
その姿が露わになる。顔は――見えない。傷でも負っているのだろうか、包帯でぐるぐる巻きにされている。
頭部にナイフらしきものが刺さっているように見えるが、あれはファッションの一部なのだろうか? 少なくとも周辺部位からの出血は見られない。
そして、その体つき。声音から予想出来ていたとおりに、影は――女だった。
「なに、そんなに固くならなくていい。
こっちから二三個ばかり質問させてもらうだけだ。
悪いようにはしねえよ。だって俺、名瀬夭歌は――あんたを、実験動物(ともだち)にしたいだけなんだからな」
【B-2 山道】
【人吉善吉@めだかボックス】
状態:気絶中 腹部に刺し傷
道具:支給品一式、強化繊維製手甲@ダディフェイス、不明支給品0~2
【草刈鷲士@ダディフェイス】
状態:健康
道具:支給品一式、不明支給品1~3
【星河紅愛@はやて×ブレード】
状態:健康
道具:支給品一式、不明支給品1~3
【C-3 川原】
【中塚侑実子@シンシア・ザ・ミッション】
状態:消耗(大)
道具:支給品一式、日本刀、スミス・アンド・ウエッソン、カッターナイフ
【名瀬夭歌@めだかボックス】
状態:健康
道具:支給品一式、OICW搭載型アサルトライフル@ダディフェイス、双眼鏡、不明支給品0~1
最終更新:2011年04月20日 12:13