テノリライオン
ep1 要塞の奈落
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匿名ユーザー
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「ガルレージュ・・・ですか」
私の顔がひくっと引きつった。
「ガルレージュですよ」
それぞれの笑顔で、みんなの視線が私に注いだ。
ここはジュノ公国、全ての冒険者が行き交う世界の交差点。
この国で最も人の集まる下層の雑踏。 その活気の中をミスラシーフの私は歩いていた。
実に計画的に造られたまっすぐな街道に、時折海風が吹いて来る。
そこを飛び交う物売りの声、仕事を探す声。 これから出かける冒険の有志を募る声、そして雑談。
絶え間なく流れる音と人の間を縫って、その先にあるロランベリー耕地へと抜ける門へ。
いつもの仲間といつもの待ち合わせ。 鍛錬を兼ねた狩りに今日も向かう。
はずだった。
「今日はちょっと趣向を変えて、ガルレージュ要塞へ行ってみませんか」
皆が集まった所で、灰色の髪をしたタルタル戦士の男の子がこう切り出した。
「要塞? そういえばまだ行ったことないね」
タルタル戦士の、こちらは女の子。 赤い髪を高い位置で二つに結び、鎧を着直しながら聞き返す。 男の子は頷きながら
「情報からすると狩場としてはなかなかいいらしいですよ。 まぁ問題があるとすれば・・・」
ちらりと私を見る。
「ん、そういえばあそこは・・・」
ぼそりと呟いたのは、大きな体躯のガルカモンク。
「『釣り師泣かせ』ですね」
束ねた長い白髪と長身を誇る赤魔道師のエルヴァーンがさらりと言った。
同じくエルヴァーン、短い白髪。 私の伴侶である黒魔道師は、表情を動かさず。
で、私の顔が引きつっているわけである。
噂だけは聞いていた。
ガルレージュ要塞は、狩るモンスターをその根城から引きずり出してくるのが非常に難しく危険な所だ、という噂。
ただ具体的にどう危険なのかは知らないまま、今日まで違う場所で狩りをしてきたのだった。
「あ、そう言えば前に行ったことがあるって言ってましたっけ? どうでしたか?」
タルタルの男の子が黒魔道師に尋ねた。
「えーと、狩りの対象はビートルとコウモリです。 でまぁ、そいつらのいる所へ通じる通路が、所々抜け落ちていました。 そこが危ないんですね」
「抜け落ちてる!?」
思わず声を上げる。 通路が抜けてるって、それじゃまともに通れないじゃないか。
「へぇー・・・。 まぁ、行ってみれば分かるんじゃない? 初めての所だし、何事も経験ってね。さ、行こう行こう!」
タルタル戦士の女の子が好奇心いっぱいといった感じで、元気よく門に向かっていった。
それを受けて残りの面々も門の方に体を向けるが、目が「いいかい?」と問いかけるように私を見ている。
私は何とか苦笑いに似たものを浮かべると、門を抜けていく彼女を追って歩き出した。
ロランベリー耕地をかすめ、ソロムグ平野に出て南東へ。
緑がほとんど見られない荒れ果てた大地。 その所々に、古くに打ち捨てられたレンガ造りの見張り塔が、あるものは倒れあるものは持ち堪え、しかしどれも半分瓦礫となってその姿を潮風と強い日光に晒し、時と共に風化するままになっている。
かつての大戦の名残を強く留めたままの、うら寂しい場所だ。
その海風が強く吹く中を徒歩で進みながら、隣を歩く黒魔道士が私に言った。
「例の所は、ちょっと足場が狭くなっていて通りづらいんだ。 穴の下は下の階になってる。一応モンスターもいるんで、もし落ちたらとにかく落ち着いて、敵から離れた所にじっとして。俺がすぐ同じ所に落ちて脱出呪文でサルベージするから。 いい?」
「ん、わかった」
頷くが、同時に気付いていた。
・・・これは、想像以上に危なそうだな。
何でもなさそうに言っているが、彼がそういう物言いをするのは大抵「言わなくてもいいことを言わないでいる」時だ。
恐らく私が必要以上に萎縮しないようにしているのだろうが、どうしたって気になってしまう。
つい物問いたげになる私の顔を見て、黒魔道士は諦めたようにふっと笑った。
「・・・まぁ、足場はかなり危なっかしいけど。 慌てないで、とにかく落ちないように、それだけ考えなさい。 落ちても敵に見つかりさえしなければ大丈夫だから」
「なかなか難儀そうねぇ。 ま、シーフさんの腕の見せ所、ってね!」
前を歩いていたタルタルの女の子が、振り向きながら茶化すように言った。
全く、自分が行くんじゃないと思って気楽に言ってくれる。
私は歩きながら、彼女の鎧の裾をごつごつと蹴っ飛ばしてやった。
「着きましたよ」
段差をつづら折りに登って行った先に、岩壁に穿たれた人工的な要塞の入り口がぽっかりと開いていた。
照り付ける太陽に見送られ、タルタルの男の子が指し示したその穴に、私達は足を踏み入れる。
* * *
「う・・・」
思ったより暗い。
所々崩れた壁、倒れた柱が横たわる緩い階段を降りていくと、そこでは既に他の冒険者の一団が狩りをしていた。
彼らの怒号と剣戟、そして魔法の瞬きが場を満たしている。
「ここらでやりましょうか」その一団からやや後ろに離れた踊り場を見回してタルタル戦士の男の子が言うと、さながら指標のようにガルカモンクがその中央にどっしりと立つ。
「さ、頑張って行ってらっしゃい!」
タルタルの女の子が私の尻をぺちんと叩いた。
「とりあえずポイント近くまで行って、様子を見てきましょう」
黒魔道士が私の先に立って走り出す。 ついて来いということだ。
気をつけて、という声に背中を押され、前の冒険者の一団を避けながら更に階段を降りて行く。
折れ曲がる階段が終わって平地になった所で、もう一組の冒険者がコウモリと戦っていた。
それをやりすごすと、目前に十字路。 四方には重たい闇が溜まっている。
「・・・っと」
がくん。 足元にあったビートルの死骸に足を取られた。 手前の冒険者達が倒したものか。
体勢を立て直して正面の薄闇を見透かすと、十字路を少し抜けて壁際を進む黒魔道士が見えた。
私は十字路の中央あたりまで足を進めると、四方の闇に目をこらす。
ここより先に人がいないという事は、モンスターの縄張りに入り始めているという事だろう。
ビートルの緑色、空中を漂うコウモリ。 どのあたりにいるか。
日頃の釣り始めの習慣だ。 敵のいる位置をなるべく早く把握すべく、敵の姿を思い描きながら周囲をざっと見渡す。
「こっち」黒魔道士の声がした。 すると同時に、来た方向を振り向いていた私の視線の先で、冒険者達と戦うコウモリに連携技の眩い光が炸裂した。
「・・・っ」咄嗟に顔をしかめ、背ける。 あまりここに陣取っていても邪魔になってしまう、
とりあえず進もう。
目の端に黒魔道士の姿を再度捉え、そちらに足を踏み出した、その時。
髪がぶわっと全部持ち上がった。 胃が縮み、喉がつまる。
無意識に尻尾を思い切り跳ね上げ、手を開いて下に伸ばした。
どんっ! という衝撃。 目の前に地面がある。
目を見開いて顔を上げた。 たった今いた十字路ではない、広い空間。
・・・・・落ちた!?
「大丈夫!? 周りに敵がいないか確かめて!!」
黒魔道士の声が脳裏に届く。
「大丈夫? 大丈夫? どうしたの?」
「落ちましたか!?」
「どうした?」
只ならぬ気配を感じてざわめく仲間の声がその背後に。
私はその全てに反応できず、座り込んだままメデューサに睨まれたように固まっていた。
突然の落下感の残滓が全身で暴れている。 震えが止まらず、歯がかちかちと鳴る。
落ちてきた、暗い地下。 そびえる岩壁。 遠くに丸い大きな影が浮いているのが見える。
違う方向にはビートルとコウモリ。 どちらも動かない。
そして。
カタ・・・カタ・・・
遥か遠くからかすかに聞こえてくる乾いた軽い音に、ざらついた白いイメージが浮かぶ。
間違えようもない。 スケルトンの気配・・・。
「う・・・あ・・・」
搾り出すような声と共に、堰を切って溢れ出す黒い記憶。
「落ち付いて! 大丈夫だから、敵から離れて壁があれば寄って!!」
黒魔道師の呼びかける声が必死に私を叩く。
そうしなければ、とかすかに思っても、手足に恐怖を溶かした鉛を流し込まれたかのように動けない。
動いたが最後、周囲の現実も同時に動き出して、この空間にいる全ての敵が一斉に自分の方を振り向くような気がした。 息だけが少しずつ荒くなる。 苦しい。
「ど、どうしたの? しっかり!」タルタル戦士の女の子のおろおろした声が聞こえる。
私の体力が減っていないのを見て取った黒魔道士が意を決した。
「今行くから、そこから大きく動いたりしないでじっとしてて。 すぐだ、大丈夫」
「出よう」
赤魔道士の冷静な声が聞こえた。 仲間の気配が次々と要塞から消えていく。
と同時に、近くでぶわっと風が巻き起こった。 咄嗟に目を閉じ、びくりと身をすくめる。
薄く目を開けると、斜め前で身を屈めている見慣れた背中。 亀裂から飛び降りてきた黒魔道士が着地した風圧だった。
立ち上がりながら振り返る。 私を認める。
ひたすら茶色と灰色で塗り潰された虚無的な風景の中心で翻る、彼のローブが闇をくり抜いた。
その色と動きが、蘇った記憶の続きへと私を導く。
そうだ、大丈夫だ。 体に戻る感覚。 萎える足を奮って立ち上がり両手を伸ばし、駆け寄る彼の胴に殆どつんのめるようにしてしがみついた。
そうして全ての風景が見えなくなって、初めてまともに息をつけた事に気付く。
そのまま彼が脱出の呪文を唱え始める。
私のすぐ背後にかざされた彼の手の間で膨らんでいく、魔力の気配。
頭上には流れる呪文。 横には腕、前には肩。
それらが私を周囲の闇から遠ざけてくれてやっと、凍りついた喉が溶け、声が出た。
「ごめんなさい・・・」
呪文が完成する。 周囲の空気が歪み、僅かなきらめきを残して二人を呑み込んでいった。
* * *
「きたぁ! よかった、大丈夫? 大丈夫?」
足下のかわいい声が私の耳をくすぐった。
顔を埋めている黒魔道士の体がゆっくりと低くなり、私を地に座らせる。
強張る腕を意志の力で緩め、顔を巡らせる。 真横に泣きそうな顔のタルタルの女の子がいた。
その後ろに、同じように心底心配そうにかがみ込むガルカモンクの顔。
反対には真面目な表情で私達の様子を伺うタルタル戦士の男の子と赤魔道士のエルヴァーン。
・・・そうだ。
私の死は、もはや私の手の内を離れていた。
今私を囲むこの仲間達。 受け入れられた私は、足掻かなければならなかった。
ここへ戻って来る為に。 私の死を少しずつ引き受けてくれる人達に、その仕事をさせない為に。
「・・・うん。 大丈夫。 亀裂があんな近くにあるとは思ってなくて。 驚かせちゃってごめん」
私はタルタルの女の子に向かって、しかし声は皆に向けて言った。
すがりつかんばかりに私の顔を覗き込んでくれる彼女の様子に、自然と笑みが浮かぶ。
「しかし無事でよかった。 余程近くに敵がいましたか? 相当・・・怯えてたみたいですけど」
タルタルの男の子が遠慮がちに尋ねる。 まだ私から離れない彼女がこくこくと頷く。
「あ、うん・・・急に落ちて驚いたのと、遠かったけどポットがいて。 思い切り慌てちゃった。危なかったわけじゃないんだ、心配かけて申し訳ない」
皆に向かって頭を下げる。 それはそれで本当だ。 正面で自らも地面に座って休む黒魔道士に視線を戻すと、目で頷いてくれた。
「今日の所はどこか別の狩り場に移りましょうか?」
ガルカモンクが穏やかな口調で提案してくれる。
「あ、ううんそれは」
時間もかかるし、申し訳ない。
「俺、とりあえずしばらく代わりましょうか」
タルタルの男の子が申し出てくれる。
「ううん」
背筋を伸ばす。
私の仕事は何だ?
「大丈夫、次はちゃんとやる。 手間取るかもしれないけど、付き合ってくれる?」
言って、誰にともなくにやりと笑ってみせた。 自分に対するハッタリ。
「このまま引き下がれるかってのよ」
場の力がすぅっと和らぐ。 全員に笑顔が戻った。
「お、やる気だね? そうこなくっちゃ!」
タルタルの女の子が嬉しそうに私をひやかす。
「でも最初はついていくわよ! どの穴に落ちたか見てあげちゃいましょう!!」
「あ、俺も見に行こう」タルタル戦士の男の子がニヤニヤと笑いながら立ち上がった。
「ははは、俺も行くかな」とガルカモンク。
「よし、じゃぁみんなで見物といきましょうか」赤魔道士が笑いながら言った。
「ええええ・・・・」
やばい、それはちょっと恥ずかしい。
先程までと打って変わって楽しげな彼らに引きずられるようにして、私の姿は再び要塞へと消えて行ったのだった。
end
想定レベル:32前後
私の顔がひくっと引きつった。
「ガルレージュですよ」
それぞれの笑顔で、みんなの視線が私に注いだ。
ここはジュノ公国、全ての冒険者が行き交う世界の交差点。
この国で最も人の集まる下層の雑踏。 その活気の中をミスラシーフの私は歩いていた。
実に計画的に造られたまっすぐな街道に、時折海風が吹いて来る。
そこを飛び交う物売りの声、仕事を探す声。 これから出かける冒険の有志を募る声、そして雑談。
絶え間なく流れる音と人の間を縫って、その先にあるロランベリー耕地へと抜ける門へ。
いつもの仲間といつもの待ち合わせ。 鍛錬を兼ねた狩りに今日も向かう。
はずだった。
「今日はちょっと趣向を変えて、ガルレージュ要塞へ行ってみませんか」
皆が集まった所で、灰色の髪をしたタルタル戦士の男の子がこう切り出した。
「要塞? そういえばまだ行ったことないね」
タルタル戦士の、こちらは女の子。 赤い髪を高い位置で二つに結び、鎧を着直しながら聞き返す。 男の子は頷きながら
「情報からすると狩場としてはなかなかいいらしいですよ。 まぁ問題があるとすれば・・・」
ちらりと私を見る。
「ん、そういえばあそこは・・・」
ぼそりと呟いたのは、大きな体躯のガルカモンク。
「『釣り師泣かせ』ですね」
束ねた長い白髪と長身を誇る赤魔道師のエルヴァーンがさらりと言った。
同じくエルヴァーン、短い白髪。 私の伴侶である黒魔道師は、表情を動かさず。
で、私の顔が引きつっているわけである。
噂だけは聞いていた。
ガルレージュ要塞は、狩るモンスターをその根城から引きずり出してくるのが非常に難しく危険な所だ、という噂。
ただ具体的にどう危険なのかは知らないまま、今日まで違う場所で狩りをしてきたのだった。
「あ、そう言えば前に行ったことがあるって言ってましたっけ? どうでしたか?」
タルタルの男の子が黒魔道師に尋ねた。
「えーと、狩りの対象はビートルとコウモリです。 でまぁ、そいつらのいる所へ通じる通路が、所々抜け落ちていました。 そこが危ないんですね」
「抜け落ちてる!?」
思わず声を上げる。 通路が抜けてるって、それじゃまともに通れないじゃないか。
「へぇー・・・。 まぁ、行ってみれば分かるんじゃない? 初めての所だし、何事も経験ってね。さ、行こう行こう!」
タルタル戦士の女の子が好奇心いっぱいといった感じで、元気よく門に向かっていった。
それを受けて残りの面々も門の方に体を向けるが、目が「いいかい?」と問いかけるように私を見ている。
私は何とか苦笑いに似たものを浮かべると、門を抜けていく彼女を追って歩き出した。
ロランベリー耕地をかすめ、ソロムグ平野に出て南東へ。
緑がほとんど見られない荒れ果てた大地。 その所々に、古くに打ち捨てられたレンガ造りの見張り塔が、あるものは倒れあるものは持ち堪え、しかしどれも半分瓦礫となってその姿を潮風と強い日光に晒し、時と共に風化するままになっている。
かつての大戦の名残を強く留めたままの、うら寂しい場所だ。
その海風が強く吹く中を徒歩で進みながら、隣を歩く黒魔道士が私に言った。
「例の所は、ちょっと足場が狭くなっていて通りづらいんだ。 穴の下は下の階になってる。一応モンスターもいるんで、もし落ちたらとにかく落ち着いて、敵から離れた所にじっとして。俺がすぐ同じ所に落ちて脱出呪文でサルベージするから。 いい?」
「ん、わかった」
頷くが、同時に気付いていた。
・・・これは、想像以上に危なそうだな。
何でもなさそうに言っているが、彼がそういう物言いをするのは大抵「言わなくてもいいことを言わないでいる」時だ。
恐らく私が必要以上に萎縮しないようにしているのだろうが、どうしたって気になってしまう。
つい物問いたげになる私の顔を見て、黒魔道士は諦めたようにふっと笑った。
「・・・まぁ、足場はかなり危なっかしいけど。 慌てないで、とにかく落ちないように、それだけ考えなさい。 落ちても敵に見つかりさえしなければ大丈夫だから」
「なかなか難儀そうねぇ。 ま、シーフさんの腕の見せ所、ってね!」
前を歩いていたタルタルの女の子が、振り向きながら茶化すように言った。
全く、自分が行くんじゃないと思って気楽に言ってくれる。
私は歩きながら、彼女の鎧の裾をごつごつと蹴っ飛ばしてやった。
「着きましたよ」
段差をつづら折りに登って行った先に、岩壁に穿たれた人工的な要塞の入り口がぽっかりと開いていた。
照り付ける太陽に見送られ、タルタルの男の子が指し示したその穴に、私達は足を踏み入れる。
* * *
「う・・・」
思ったより暗い。
所々崩れた壁、倒れた柱が横たわる緩い階段を降りていくと、そこでは既に他の冒険者の一団が狩りをしていた。
彼らの怒号と剣戟、そして魔法の瞬きが場を満たしている。
「ここらでやりましょうか」その一団からやや後ろに離れた踊り場を見回してタルタル戦士の男の子が言うと、さながら指標のようにガルカモンクがその中央にどっしりと立つ。
「さ、頑張って行ってらっしゃい!」
タルタルの女の子が私の尻をぺちんと叩いた。
「とりあえずポイント近くまで行って、様子を見てきましょう」
黒魔道士が私の先に立って走り出す。 ついて来いということだ。
気をつけて、という声に背中を押され、前の冒険者の一団を避けながら更に階段を降りて行く。
折れ曲がる階段が終わって平地になった所で、もう一組の冒険者がコウモリと戦っていた。
それをやりすごすと、目前に十字路。 四方には重たい闇が溜まっている。
「・・・っと」
がくん。 足元にあったビートルの死骸に足を取られた。 手前の冒険者達が倒したものか。
体勢を立て直して正面の薄闇を見透かすと、十字路を少し抜けて壁際を進む黒魔道士が見えた。
私は十字路の中央あたりまで足を進めると、四方の闇に目をこらす。
ここより先に人がいないという事は、モンスターの縄張りに入り始めているという事だろう。
ビートルの緑色、空中を漂うコウモリ。 どのあたりにいるか。
日頃の釣り始めの習慣だ。 敵のいる位置をなるべく早く把握すべく、敵の姿を思い描きながら周囲をざっと見渡す。
「こっち」黒魔道士の声がした。 すると同時に、来た方向を振り向いていた私の視線の先で、冒険者達と戦うコウモリに連携技の眩い光が炸裂した。
「・・・っ」咄嗟に顔をしかめ、背ける。 あまりここに陣取っていても邪魔になってしまう、
とりあえず進もう。
目の端に黒魔道士の姿を再度捉え、そちらに足を踏み出した、その時。
髪がぶわっと全部持ち上がった。 胃が縮み、喉がつまる。
無意識に尻尾を思い切り跳ね上げ、手を開いて下に伸ばした。
どんっ! という衝撃。 目の前に地面がある。
目を見開いて顔を上げた。 たった今いた十字路ではない、広い空間。
・・・・・落ちた!?
「大丈夫!? 周りに敵がいないか確かめて!!」
黒魔道士の声が脳裏に届く。
「大丈夫? 大丈夫? どうしたの?」
「落ちましたか!?」
「どうした?」
只ならぬ気配を感じてざわめく仲間の声がその背後に。
私はその全てに反応できず、座り込んだままメデューサに睨まれたように固まっていた。
突然の落下感の残滓が全身で暴れている。 震えが止まらず、歯がかちかちと鳴る。
落ちてきた、暗い地下。 そびえる岩壁。 遠くに丸い大きな影が浮いているのが見える。
違う方向にはビートルとコウモリ。 どちらも動かない。
そして。
カタ・・・カタ・・・
遥か遠くからかすかに聞こえてくる乾いた軽い音に、ざらついた白いイメージが浮かぶ。
間違えようもない。 スケルトンの気配・・・。
「う・・・あ・・・」
搾り出すような声と共に、堰を切って溢れ出す黒い記憶。
「落ち付いて! 大丈夫だから、敵から離れて壁があれば寄って!!」
黒魔道師の呼びかける声が必死に私を叩く。
そうしなければ、とかすかに思っても、手足に恐怖を溶かした鉛を流し込まれたかのように動けない。
動いたが最後、周囲の現実も同時に動き出して、この空間にいる全ての敵が一斉に自分の方を振り向くような気がした。 息だけが少しずつ荒くなる。 苦しい。
「ど、どうしたの? しっかり!」タルタル戦士の女の子のおろおろした声が聞こえる。
私の体力が減っていないのを見て取った黒魔道士が意を決した。
「今行くから、そこから大きく動いたりしないでじっとしてて。 すぐだ、大丈夫」
「出よう」
赤魔道士の冷静な声が聞こえた。 仲間の気配が次々と要塞から消えていく。
と同時に、近くでぶわっと風が巻き起こった。 咄嗟に目を閉じ、びくりと身をすくめる。
薄く目を開けると、斜め前で身を屈めている見慣れた背中。 亀裂から飛び降りてきた黒魔道士が着地した風圧だった。
立ち上がりながら振り返る。 私を認める。
ひたすら茶色と灰色で塗り潰された虚無的な風景の中心で翻る、彼のローブが闇をくり抜いた。
その色と動きが、蘇った記憶の続きへと私を導く。
そうだ、大丈夫だ。 体に戻る感覚。 萎える足を奮って立ち上がり両手を伸ばし、駆け寄る彼の胴に殆どつんのめるようにしてしがみついた。
そうして全ての風景が見えなくなって、初めてまともに息をつけた事に気付く。
そのまま彼が脱出の呪文を唱え始める。
私のすぐ背後にかざされた彼の手の間で膨らんでいく、魔力の気配。
頭上には流れる呪文。 横には腕、前には肩。
それらが私を周囲の闇から遠ざけてくれてやっと、凍りついた喉が溶け、声が出た。
「ごめんなさい・・・」
呪文が完成する。 周囲の空気が歪み、僅かなきらめきを残して二人を呑み込んでいった。
* * *
「きたぁ! よかった、大丈夫? 大丈夫?」
足下のかわいい声が私の耳をくすぐった。
顔を埋めている黒魔道士の体がゆっくりと低くなり、私を地に座らせる。
強張る腕を意志の力で緩め、顔を巡らせる。 真横に泣きそうな顔のタルタルの女の子がいた。
その後ろに、同じように心底心配そうにかがみ込むガルカモンクの顔。
反対には真面目な表情で私達の様子を伺うタルタル戦士の男の子と赤魔道士のエルヴァーン。
・・・そうだ。
私の死は、もはや私の手の内を離れていた。
今私を囲むこの仲間達。 受け入れられた私は、足掻かなければならなかった。
ここへ戻って来る為に。 私の死を少しずつ引き受けてくれる人達に、その仕事をさせない為に。
「・・・うん。 大丈夫。 亀裂があんな近くにあるとは思ってなくて。 驚かせちゃってごめん」
私はタルタルの女の子に向かって、しかし声は皆に向けて言った。
すがりつかんばかりに私の顔を覗き込んでくれる彼女の様子に、自然と笑みが浮かぶ。
「しかし無事でよかった。 余程近くに敵がいましたか? 相当・・・怯えてたみたいですけど」
タルタルの男の子が遠慮がちに尋ねる。 まだ私から離れない彼女がこくこくと頷く。
「あ、うん・・・急に落ちて驚いたのと、遠かったけどポットがいて。 思い切り慌てちゃった。危なかったわけじゃないんだ、心配かけて申し訳ない」
皆に向かって頭を下げる。 それはそれで本当だ。 正面で自らも地面に座って休む黒魔道士に視線を戻すと、目で頷いてくれた。
「今日の所はどこか別の狩り場に移りましょうか?」
ガルカモンクが穏やかな口調で提案してくれる。
「あ、ううんそれは」
時間もかかるし、申し訳ない。
「俺、とりあえずしばらく代わりましょうか」
タルタルの男の子が申し出てくれる。
「ううん」
背筋を伸ばす。
私の仕事は何だ?
「大丈夫、次はちゃんとやる。 手間取るかもしれないけど、付き合ってくれる?」
言って、誰にともなくにやりと笑ってみせた。 自分に対するハッタリ。
「このまま引き下がれるかってのよ」
場の力がすぅっと和らぐ。 全員に笑顔が戻った。
「お、やる気だね? そうこなくっちゃ!」
タルタルの女の子が嬉しそうに私をひやかす。
「でも最初はついていくわよ! どの穴に落ちたか見てあげちゃいましょう!!」
「あ、俺も見に行こう」タルタル戦士の男の子がニヤニヤと笑いながら立ち上がった。
「ははは、俺も行くかな」とガルカモンク。
「よし、じゃぁみんなで見物といきましょうか」赤魔道士が笑いながら言った。
「ええええ・・・・」
やばい、それはちょっと恥ずかしい。
先程までと打って変わって楽しげな彼らに引きずられるようにして、私の姿は再び要塞へと消えて行ったのだった。
end
想定レベル:32前後