テノリライオン

The Way Home 第21話 時と踊れ

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来る―――。


ドリーのこめかみを、凍るような汗が伝った。

何故だろう。 あんなに遠くに居るのに、その目がドリーら一人一人を捕らえているのがはっきりと判る。
この空間の主を名乗るが如き禍々しい風格を備えた、恐らくはイーゴリよりも二周りほども大きい、黒い体。
それに付き従うように、彼の周囲で次々生まれた小さな妖魔達からも、獲物を見つけた肉食獣の視線を感じる。
見えるだけで、その数5体。
(・・・防ぎ切れない)
頭で考えるより先に、経験が絶望を指し示す。
小さい方の妖魔はさほど手強くはなさそうだ。 が、あれだけ数がいては、どう手を尽くしても戦士達―――ドリー、イーゴリ、ルードの防御壁を、数匹には突破されてしまうだろう。
背後の魔道士達に直接手を出されては、満足な体勢を維持することは難しくなる。

(どうする―――!!)
大きな妖魔が、何かを宣言するかのようにその刺々しい翼をばさりと広げる。
強く剣を握り締めながら、反射的にドリーはバルトを振り向いた。



―――あれが、全部来るなら。

繭が次々と開くのを見た時点で、沈黙の黒魔道士は頭の中で既に最初の戦術を固め終わっていた。
恐らくそれで、可能な限りの安定した戦況に持って行く事が出来るはずだ。
だがしかし、その為には。

たった一つの、即座に捨てるべき躊躇いに眩暈すら覚えながら、彼はその者を見る。



複数の敵のなぶるような視線。 腰の短剣に手を伸ばしながら、ルカは必死で考えを巡らせた。
(一匹でも、引き受けられれば・・・!)
しかし、それでいいのか。
敵と剣を交えながらでは、魔道士達の居る所に戻ることはまずできないだろう。 魔力の源がまるまる一つ削られてしまうことになる。
どうすればいい。 最初の一手が、決められない―――
そんな時にはいつもそうするように、彼女は後ろを振り向く。

バルトの目が、既に彼女に向いていた。
その顔に迷いは見えない。 いつもと同じように、何かが頭の中で組み上がっているのだ。
が、どちらかと言えば無意識に彼に向けた、ルカの目は。
彼から強く迸る意思が、敵ではなく自分に対して向けられている事、そしてそこに含まれる、苦しくすがるような怯えるような、見慣れぬ色に釘付けになる。

(・・・!?)
何、を。
その不可解な佇まいに吸い寄せられるように、バルトの方に足を踏み出す。
彼女の動きを認めた彼が、何かを無理矢理振り切るかのようにぎゅっと目をつぶると大きく印を切った。
舞い飛ぶ真紅の光点に包まれ始める黒魔道士に駆け寄るルカ。 飛び付くようにその手を取る。


* * *


「来るぞ!!」
緊迫したイーゴリの声が響いた。
大きな妖魔がずるりとその白いゆりかごから降り立つと、身の毛もよだつ雄叫びと共に地を蹴り、一直線に彼らに向かって突進を始めたのだ。
その進路にある繭の残骸が無残に踏み潰され、大きく蹴散らされる。
足元を震わす地響きに牽引されるように、周辺の小さな妖魔も翼を広げて彼らに迫り来る。
「ドリーは大きい奴を! ルードと俺はまず他の―――」
「待って下さい!!」
早口で指示を出すイーゴリを、ヴォルフの鋭い声が突然制した。
抜刀したまま、何事かと振り返る戦士達。
赤魔道士の張り詰めた視線が、離れた位置に立つ二人を指していた。


握った手から、二つのものが伝わってくる。
一つは、彼が今まさに織り上げている呪文の気配。
そしてもう一つは、彼女に託される「仕事」と、それを選んだ彼の、祈るような想いだった。
(―――判った)
凛とした了承、そしてそれ以上の意思を込めて。
赤魔道士の声に振り向くドリー達の向こう、ついに動き始めた敵に向き直りながら、ルカは彼の手を強く握った。 頼む、という風に、更に強く握り返して来るバルトの固い手。

直後。 彼の中で魔力が完成した。
その瞬間、左手から生きた濁流のように流れ込む巨大な力が、暴力的に彼女から主導権をもぎ取っていく。
茶色い髪の先がざわりと浮き、肺が極限まで空気を吸い込んだ。


「デルフィス ダルフィス レドルフィス、ラウセズ・アーグ ウヴァルツチェード」

先刻まで、唱えるべき呪文を思い出し、たどたどしく唱える度にちらちらと瞼の裏に浮かんでいた光景―――机の上に広がる魔道書、踊る文字達、星の大樹の神官の言葉。
記憶の糸を手繰る間もなく、それらの一切が完全に吹き飛んでいた。
ただ圧倒的に渦巻く真紅のイメージが一瞬で意識を染め、その色に反応する文字だけが次々と彼女から押し出されては音の形を取り、先を争って外へと弾けていくようだった。
物理的な嘔吐感すら覚えながら、腹の底から我先にと押し寄せるエネルギー達を必死で吐き出す。

その言葉の連なりが導くものを素早く正しく把握した魔道士達が、目を剥いた。
恐ろしいものでも見たように、大きく息を呑むフォーレ。 ヴォルフはぎりっと眉根を寄せる。
黒魔道士の提示した「手」から予測しうる「先」を、猛然と計算しているのだろう。

「ティーメル フロース、エウルス マーブレ、ミューエルザイスト・ユグナトゥス」

猛る妖魔の巨体が地響きを立てて迫り来る。
苦しげに呪文を吐き続けるルカの右手が、見えない糸にぐいと吊り上げられるように天を指した。
手首では、星の神子より賜ったバングルがびりびりと震えている。 開いた掌の上で、透かす景色の輪郭が歪む。
生まれる前から熱を放つその猛獣の如き呪文の名は、ファイガⅢ―――

「ヴィスフィルブーレ アマルテア、ゲールス ダイン ジェスタフローレ!!」

喉を振り絞るような最後のひと声と共に。
大きな妖魔を中心に、大地の太鼓を力任せに打つような、どうんという音が空間に響き渡った。

「ギャァ!!」
その重い音が連れて来たのは、嵐の空のように荒れ狂い渦巻く灼熱の炎。
紅い豪雨は唸りを上げて、周辺を飛ぶ小さな妖魔達を一瞬で炭にすると全て地に叩き落とした。
その炭達を引き連れていた妖魔も、苦手とする炎の圧倒的な熱量に堪らず身をよじらせ足を止める。
忌々しげに顔と体を掻き毟り、苦しげな呻き声が尾を引く。 効いているのは間違いない。 が。

残された大きな妖魔が顔を上げ、凄まじい形相で睨みつける先にいるのは、魔力の支配から解放されて前かがみに大きく息をつく、無防備な一匹のミスラ。
ドリーの胃が冷たい焦りに縮み上がった。
たった一人であれだけのダメージを与えてしまっては、いかにドリーが気を引いたとてその怒りの矛先は簡単に彼女から逸れはしまい。 守らなければ―――!

「ルカ!!」
友の名を呼び駆け寄ろうとするドリー。 しかしルードが、そんな彼女の肩をがっと掴んだ。
「なっ・・・!!」
噛み付くようにルードを振り返ると、彼は息を詰めてルカを見据えていた。
短くなっていく導火線の火花でも睨んでいるのか。 その視線の異様な緊迫感に気圧され、つられてドリーも彼女に向けて目をこらす。

ルカは、いつのまにかバルトの手を離し、一人目を閉じて立っていた。
しかしその姿は、抵抗を諦めた者のそれではなく。
例えて言うなら、舞台の上で曲が始まるのを待っているダンサーのような・・・
「ルカっ!!」


* * *


(―――出ておいで)

閉じた瞳の、薄闇の中で。
ルカは小さな檻に手をかけていた。
中にいるのは、絶えず涎を垂らし荒い息をしている、一匹の犬。
ウィルスに冒され、些細な光に、音に、感覚に、異常なまでに過敏になることを強いられた犬だ。
ハイドロフォビア。 ヴァナ・ディールに生きるシーフは、その全てがこの犬を体の内に飼っている。

優しく、がちゃりと檻の扉から閂を抜く。
全身の毛を逆立てた狂える犬が、弾けるように外へと踊り出た。


* * *


―――えーと、まずは。 みんなから離れないとな。

ふっと目を開いたルカは、そんなことを考える。
視界に、自分に大きく迫る妖魔と、その向こうで必死の形相で自分を見ているドリー達が映った。

実に、緩慢に。

重々しく近付く妖魔との距離を、目で測る。
タイミングを合わせ体重を前に移動し、とん、と地を蹴る。
ふうわりと跳躍すると、己の倍ほどもある高さの敵の肩に手をつき、ひとつ宙返りをしながら大きく弧を描いて飛び越えた。
その黒い肩から生える黒い鎌が、彼女の後ろで虚しく空を切る。

全身が、目のようだ。
何もかもがゆっくりで、視界に見えていない物までもその存在を感じ取れる。 そして体は重くまとわりつくようなのに、不思議と重力のくびきからは自由だ。
「絶対回避」と呼ばれる、領域。
綿毛のように着地し振り向くルカの感覚器官から、徐々に不要な情報が削られていく。
まずしぼむように音が消える。 それから全てのものの色が褪せ、世界がモノトーンになる―――

とっとっと弾むように後退するルカを追う妖魔が、振り向きざまにその鎌の刃を彼女に向かわせた。
(よっ・・・と)
左から迫る鎌を、あと一歩下がり、くっと顎を引いてやりすごす。
すると、呆けたような彼女の目の前で、妖魔の腕の外側の筋肉が盛り上がるのが見えた。
(・・・戻って来る)
思った通り右側で鎌が止まるのを眺めると、かくんと膝の力を抜いて身を沈め、再度近付く鎌の峰が顔の上を通り過ぎていくのを見送る。
ゆるりと立ち上がりながら、大きな鎌の風圧で散ったのであろう汗の玉が5つ程きらめきながら宙を漂っているのを眺めて、きれいだなぁとルカは思った。


* * *


「各自立て直して!! ドリーさんはルカさんの動きに注意!!」
ルードが叫ぶ。 バルトは即座に精神力の回復に入り、ヴォルフとフォーレは最低限の補助魔法を施してからその膝を折る。

周囲はいよいよ阿鼻叫喚の渦と化していた。
目に入るほとんどの者が極限まで消耗し、回復が追いついているのかどうかも判らない。
そんな地獄絵図の中、それでも敵の数は確実に減っていた。 が―――

「・・・!!」
祈る姿勢に身を沈め、傷つく冒険者達を引き裂かれるような痛々しい表情で見回していたフォーレの目に、一つの人影が飛び込んできた。
白い衣装が、地に伏している。 見覚えのある髪の色。 確か青い髪飾りや、いろんな・・・
「―――リッツ!!」
それは、ロランベリーのキャンプで知り合った白魔道士だった。
「かかれ!!」
思わず彼女の方に向けて腰を浮かせかけたフォーレの横っ面を、イーゴリの号令が打った。
その声と共にそれぞれの剣を抜き払い、暴れ回る敵の背へと3人の戦士が突進していく。

「・・・く、うっ・・・」
ぎゅっと唇を噛み、体中の力を使って自分の体を地に引き戻すフォーレ。
まだ・・・まだ、終わってない・・・!!

半分泣きそうな、しかし敢然とした顔で、フォーレは仲間達と敵の背中をぎゅっと見据える。


そんな混沌の中心で。 ルカは一人、舞っていた。
恐ろしい速度で縦横無尽に振り回される妖魔の鎌を、腕を、紙一重で雄牛を翻弄する闘牛士の動きで優雅なまでにかわしていく。
地を跳ね宙を横切り、傍目には当たったとしか思えないあらゆる打撃を、まるでひとかたまりの煙が障害物の上を流れるようにそのぎりぎりを滑り抜ける。

援護に駆け付ける懐かしい仲間達の姿を視界に捉え、踊り子は楽しそうに微笑んだが。
そんなものが、彼らの目に止まろう筈もなかった。


to be continued
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