テノリライオン
The Way Home 最終話 HOME
最終更新:
匿名ユーザー
-
view
少し冷たい、少し甘い、静謐な夜明けの空気。
鏡のような湖面の上を、重たい温もりを思わせる水蒸気が高く低くたゆたっている。
その湖を厚く囲む針葉樹の頂を一点裂いて降り立つ、淡い光の帯。
薄い霧の向こうに昇ったばかりでまだ十分に暖まらない朝日を受け、湖畔に群れ集う一つの集団が身動きを始めた。
「各班点呼! 7:00より進行再開、準備に遅れなきように!」
軍隊特有の高圧的な規律正しさに満ちた声に、軍隊特有の反射的に無条件に応ずる声が鋭く返る。
無駄の無い動きで道具類をまとめ、音も低く装備を整え始める数十人の人影達。
調査・再開拓に乗り込んだ彼らを除き、この地一帯に「人」は存在しない。
タブナジア領地、ルフェーゼ野。
* * *
周囲の冷静な慌しさの中、準備を終えた一人の青年が差し込む朝の光に正対して佇み、胸元の何かに目を落としていた。
その集団の雰囲気に染まない柔らかい暖かさが、僅かに細まる瞳に見て取れる。
「早いなグランド、もう済んだのか・・・お、何だ、愛しのハニーか」
そんな彼の手元をひょいと覗いた髭面の男の声が、好奇心とからかいの響きを含んで高くなる。
グランドと呼ばれた青年は、慌ててその手の写真を伏せようとして既に手遅れな事を知り、首だけで振り向くと「ハニーとはまた・・・」と苦笑いした。
「サンドリアで待つ彼女か? ヨメさんか?」
鎧のベルトを手早く留めながらなおも楽しげに詰め寄る同僚に、やや渋々ながらもついほころんでしまう顔で答える青年。
「ヨメさんですよ・・・ウィンダスの実家にいますけどね」
「実家ぁ? どうした、ケンカでもしたか」
「違いますって」
明るく笑う女性の写った写真を丁寧にしまいながら、少し照れ臭そうに彼は言った。
「・・・もうすぐ、子供が生まれるんで」
「ほう! そりゃめでたい!」
男の髭面からいたずらっぽい色が消え、代わりに純粋な喜びの笑みが溢れた。
「そういう事なら早く任務を終えたかろう。 元気な子が生まれるといいな」
「ええ」
今度こそ幸せそうに笑うと、彼は朝日に向き直った。
遥かその光の下にあるウィンダスへと、まっすぐに想いを馳せて。
* * *
星の大樹の梢をかすめ、紅い鳥がゆったりと飛んでいる。
朝靄もすっかり晴れた大きな樹を見回るかのように、滑るように旋回する優雅な鳥達。
そのつぶらな目に、大樹から歩み出る7つの人影が映った。 何事かを賑やかに言い交わす声がかすかに聞こえる。
「結局、バングル貰えちゃったね。 よかったじゃん、ご褒美ご褒美」
白い鎧に身を包んだタルタルの少女が、隣を歩くミスラに言う。
「うん、あった方が今後も何かと便利だろうし。 助かったよ」
「あ、バングルって言えば」
二人のやりとりを聞いて、少し後ろを小さな漆黒の鎧と並んで歩く、白いローブのタルタルが声を上げた。
「リッツから連絡があって。 今バストゥークに戻ってるらしいんですけど、今度一緒にお買い物とかご飯とか、遊びましょうって。 皆で行きましょうよ」
「ああ、あのお洒落な白魔道士の子か。 すっかり仲良しだねぇ」
ミスラが振り向き、楽しそうに笑った。
「まぁ何にしても、良かった・・・失われた者が、いなくて」
大樹から続く長い木の橋を下りながら、ガルカがぽつりと言った。
様々な種族、様々な職業、様々な姿の彼らから、それぞれに同意の頷きや溜息がこぼれる。
「―――ん、なぁにルカ、何か気になるの?」
安堵と軽い疲労感に身を委ねて歩く仲間達の中、少し浮かない顔で遠くを見ているミスラを、小さなナイトが目敏く見咎めて尋ねた。
「え? ・・・ああ、いや」
足元から投げ掛けられた声に、不意を突かれたように我に返る彼女は咄嗟に言葉を濁す。
が、逸らされないタルタルの視線からは逃れられず。 どことなく申し訳ないような迷っている
ような、そんな口調で言葉を続けた。 ゆっくりと皆の視線が集まる。
「・・・まぁね、ほら。 敵さんは敵さんで、必死だったんだろうなーと思ってさ。 私達が新しい土地に足を伸ばした事で、神様に送り込まれて、でもお日様も見ないうちに倒されて・・・無念、だったのかなーとか―――」
「なーに、言ってんすか」
少し遠慮がちな訥々としたミスラの呟きを、黒い鎧のタルタルが大きな声で一蹴する。
「倒した敵に情けを垂れるのは冒涜ですよ。 負けてやる気がないんなら、後からそんな事を言うのはルール違反です」
小さな暗黒騎士の主張は単純で潔く、正しい。
「ん・・・はぁい・・・」
珍しく反発するでもなくしおらしいミスラの顔を、小さなナイトが少し驚いて見上げた。
そんなミスラの肩を、隣を歩く短い白髪のエルヴァーンが引いた。
そうして空いた、彼女が歩いていた道筋を、お腹の大きなヒュームの女性が笑顔で会釈しながら通り過ぎていく。
その女性に、肩越しに軽く会釈を返すミスラ。
彼女の足下を歩く赤毛のタルタルは、ふっと正面に戻した彼女の瞳から未だ消えていない僅かな翳りに、つたなく発した言葉の内容以上の思いが何か、こびりついているのを見たような気がした。
そして少し考えると、彼女を見上げたまま、ゆっくりと口を開く。
「―――家をさ、守ったんだよ」
「ん?」
今度は小さなナイトに集まる視線。
「例えば私達がこれからずっと遠くに行ったりしても、あと今この地にいない人も、帰って来るのはここだよね。 タブナジアに―――ううん、もしかしたら楽園に踏み込んじゃった人達だって、ここで生まれて育ったんならきっと、みんないつかはここに帰って来ると思う」
何処からか、さわさわと木の葉の囁く音が流れ着いてきた。
ミスラの目に、真摯なタルタルの眼差しが力を注ぐ。 小さなぷくぷくした頬が少し紅潮していた。
「だから、堂々と守っていいんだよ。 守らなきゃだめだよ。 そこで生きてるんなら、守ろうとしちゃいけない理由なんかないよ。 ね」
ひたむきな顔で友を元気づけようとする彼女の姿に、しんがりを歩くガルカがふっと声を立てずに微笑んだ。
そんな彼らの様子の全てを、その横のエルヴァーンの赤魔道士が、涼しい目で見渡している。
木綿の手触りの風が、彼らを包む。
そうして長い橋を渡り切り、7人は右へと道を折れる。
「・・・ん。 そうだね―――」
歩きながら足下に目を落とし、そこで見上げるタルタルから貰った笑顔を返す彼女。
ベレー帽の下、少し切なげな光は消えなかったが、後悔の色は振り切っていた。
「さっ、朝ゴハン食べに行こうか!! いつもの宿屋でいいよね?」
「朝ゴハンと言うには遅いんじゃないかなぁ」
「じゃ昼ゴハン食べに行こうか!!」
「それは早いんじゃないかなぁ」
「もう、どうすりゃいいのよ!!」
「こっちが聞きたいです」
笑いさざめきながら、7つの影が水の区へと消えていく。
* * *
彼らの始まりは、聖なる女神のこぼした5粒の涙。
長く、丸く、大きく、この地へと舞い降りた。
が、それらは、地に堕ちた瞬間。
もはや涙ではなかった。
力強い足で立ち上がる。
輝きに開いた目で世界を見晴かす。
その手にあるのは、誰のものでもない、己の命。
たった一つのそれを抱いて、大地を踏み締め、限られた時の中を歩き出す。
どこへでも行く冒険者。
どこにも留まらない冒険者。
彼らが辿るのは、その全てが旅路であり、その全てが家路だ。
その路の終着を、彼らは神に委ねない―――
end
鏡のような湖面の上を、重たい温もりを思わせる水蒸気が高く低くたゆたっている。
その湖を厚く囲む針葉樹の頂を一点裂いて降り立つ、淡い光の帯。
薄い霧の向こうに昇ったばかりでまだ十分に暖まらない朝日を受け、湖畔に群れ集う一つの集団が身動きを始めた。
「各班点呼! 7:00より進行再開、準備に遅れなきように!」
軍隊特有の高圧的な規律正しさに満ちた声に、軍隊特有の反射的に無条件に応ずる声が鋭く返る。
無駄の無い動きで道具類をまとめ、音も低く装備を整え始める数十人の人影達。
調査・再開拓に乗り込んだ彼らを除き、この地一帯に「人」は存在しない。
タブナジア領地、ルフェーゼ野。
* * *
周囲の冷静な慌しさの中、準備を終えた一人の青年が差し込む朝の光に正対して佇み、胸元の何かに目を落としていた。
その集団の雰囲気に染まない柔らかい暖かさが、僅かに細まる瞳に見て取れる。
「早いなグランド、もう済んだのか・・・お、何だ、愛しのハニーか」
そんな彼の手元をひょいと覗いた髭面の男の声が、好奇心とからかいの響きを含んで高くなる。
グランドと呼ばれた青年は、慌ててその手の写真を伏せようとして既に手遅れな事を知り、首だけで振り向くと「ハニーとはまた・・・」と苦笑いした。
「サンドリアで待つ彼女か? ヨメさんか?」
鎧のベルトを手早く留めながらなおも楽しげに詰め寄る同僚に、やや渋々ながらもついほころんでしまう顔で答える青年。
「ヨメさんですよ・・・ウィンダスの実家にいますけどね」
「実家ぁ? どうした、ケンカでもしたか」
「違いますって」
明るく笑う女性の写った写真を丁寧にしまいながら、少し照れ臭そうに彼は言った。
「・・・もうすぐ、子供が生まれるんで」
「ほう! そりゃめでたい!」
男の髭面からいたずらっぽい色が消え、代わりに純粋な喜びの笑みが溢れた。
「そういう事なら早く任務を終えたかろう。 元気な子が生まれるといいな」
「ええ」
今度こそ幸せそうに笑うと、彼は朝日に向き直った。
遥かその光の下にあるウィンダスへと、まっすぐに想いを馳せて。
* * *
星の大樹の梢をかすめ、紅い鳥がゆったりと飛んでいる。
朝靄もすっかり晴れた大きな樹を見回るかのように、滑るように旋回する優雅な鳥達。
そのつぶらな目に、大樹から歩み出る7つの人影が映った。 何事かを賑やかに言い交わす声がかすかに聞こえる。
「結局、バングル貰えちゃったね。 よかったじゃん、ご褒美ご褒美」
白い鎧に身を包んだタルタルの少女が、隣を歩くミスラに言う。
「うん、あった方が今後も何かと便利だろうし。 助かったよ」
「あ、バングルって言えば」
二人のやりとりを聞いて、少し後ろを小さな漆黒の鎧と並んで歩く、白いローブのタルタルが声を上げた。
「リッツから連絡があって。 今バストゥークに戻ってるらしいんですけど、今度一緒にお買い物とかご飯とか、遊びましょうって。 皆で行きましょうよ」
「ああ、あのお洒落な白魔道士の子か。 すっかり仲良しだねぇ」
ミスラが振り向き、楽しそうに笑った。
「まぁ何にしても、良かった・・・失われた者が、いなくて」
大樹から続く長い木の橋を下りながら、ガルカがぽつりと言った。
様々な種族、様々な職業、様々な姿の彼らから、それぞれに同意の頷きや溜息がこぼれる。
「―――ん、なぁにルカ、何か気になるの?」
安堵と軽い疲労感に身を委ねて歩く仲間達の中、少し浮かない顔で遠くを見ているミスラを、小さなナイトが目敏く見咎めて尋ねた。
「え? ・・・ああ、いや」
足元から投げ掛けられた声に、不意を突かれたように我に返る彼女は咄嗟に言葉を濁す。
が、逸らされないタルタルの視線からは逃れられず。 どことなく申し訳ないような迷っている
ような、そんな口調で言葉を続けた。 ゆっくりと皆の視線が集まる。
「・・・まぁね、ほら。 敵さんは敵さんで、必死だったんだろうなーと思ってさ。 私達が新しい土地に足を伸ばした事で、神様に送り込まれて、でもお日様も見ないうちに倒されて・・・無念、だったのかなーとか―――」
「なーに、言ってんすか」
少し遠慮がちな訥々としたミスラの呟きを、黒い鎧のタルタルが大きな声で一蹴する。
「倒した敵に情けを垂れるのは冒涜ですよ。 負けてやる気がないんなら、後からそんな事を言うのはルール違反です」
小さな暗黒騎士の主張は単純で潔く、正しい。
「ん・・・はぁい・・・」
珍しく反発するでもなくしおらしいミスラの顔を、小さなナイトが少し驚いて見上げた。
そんなミスラの肩を、隣を歩く短い白髪のエルヴァーンが引いた。
そうして空いた、彼女が歩いていた道筋を、お腹の大きなヒュームの女性が笑顔で会釈しながら通り過ぎていく。
その女性に、肩越しに軽く会釈を返すミスラ。
彼女の足下を歩く赤毛のタルタルは、ふっと正面に戻した彼女の瞳から未だ消えていない僅かな翳りに、つたなく発した言葉の内容以上の思いが何か、こびりついているのを見たような気がした。
そして少し考えると、彼女を見上げたまま、ゆっくりと口を開く。
「―――家をさ、守ったんだよ」
「ん?」
今度は小さなナイトに集まる視線。
「例えば私達がこれからずっと遠くに行ったりしても、あと今この地にいない人も、帰って来るのはここだよね。 タブナジアに―――ううん、もしかしたら楽園に踏み込んじゃった人達だって、ここで生まれて育ったんならきっと、みんないつかはここに帰って来ると思う」
何処からか、さわさわと木の葉の囁く音が流れ着いてきた。
ミスラの目に、真摯なタルタルの眼差しが力を注ぐ。 小さなぷくぷくした頬が少し紅潮していた。
「だから、堂々と守っていいんだよ。 守らなきゃだめだよ。 そこで生きてるんなら、守ろうとしちゃいけない理由なんかないよ。 ね」
ひたむきな顔で友を元気づけようとする彼女の姿に、しんがりを歩くガルカがふっと声を立てずに微笑んだ。
そんな彼らの様子の全てを、その横のエルヴァーンの赤魔道士が、涼しい目で見渡している。
木綿の手触りの風が、彼らを包む。
そうして長い橋を渡り切り、7人は右へと道を折れる。
「・・・ん。 そうだね―――」
歩きながら足下に目を落とし、そこで見上げるタルタルから貰った笑顔を返す彼女。
ベレー帽の下、少し切なげな光は消えなかったが、後悔の色は振り切っていた。
「さっ、朝ゴハン食べに行こうか!! いつもの宿屋でいいよね?」
「朝ゴハンと言うには遅いんじゃないかなぁ」
「じゃ昼ゴハン食べに行こうか!!」
「それは早いんじゃないかなぁ」
「もう、どうすりゃいいのよ!!」
「こっちが聞きたいです」
笑いさざめきながら、7つの影が水の区へと消えていく。
* * *
彼らの始まりは、聖なる女神のこぼした5粒の涙。
長く、丸く、大きく、この地へと舞い降りた。
が、それらは、地に堕ちた瞬間。
もはや涙ではなかった。
力強い足で立ち上がる。
輝きに開いた目で世界を見晴かす。
その手にあるのは、誰のものでもない、己の命。
たった一つのそれを抱いて、大地を踏み締め、限られた時の中を歩き出す。
どこへでも行く冒険者。
どこにも留まらない冒険者。
彼らが辿るのは、その全てが旅路であり、その全てが家路だ。
その路の終着を、彼らは神に委ねない―――
end