テノリライオン

ep3 緋色の未来

最終更新:

匿名ユーザー

- view
管理者のみ編集可
風に踊りし旋律は
心に体に虚空に溶け行き
紡ぎ手の望みを叶えて消える
世の理を手繰りて消える

されどその手に残るのは・・・


* * *


どうやらまた居眠りをしてしまっていたらしい。
薄く目を開く。 無表情に覗き込む小さなウサギと、木々の枝と薄曇りの向こうの太陽が視界に飛び込んできた。
「ん・・・」伸びをしながら上半身を起こすと、後ろで一つに束ねた長い白髪がそれに追随する。

長身のエルヴァーン。 目つきは鋭く、常にそこはかとなく不機嫌そうな雰囲気を醸している。
実際に機嫌が悪い訳ではないのだが、それが彼の特徴なのだから仕方ない。
傍らに挿したままの釣り竿を無表情に上げ、寝ている間に持って行かれた釣り餌をつけなおして再度湖面に投じる。 ふうると釣り針の反射光が弧を描いた。

ここヴァナ・ディールの職業の一つに、吟遊詩人というものがある。
一般には音楽と詩歌を身につけ、それを奏でる事で身を立てるのが仕事だ。
が、そこに冒険者という要素が加わると話は変わってくる。
彼らはその麗しい声と音楽に魔力を染み込ませ、様々な「効果」を具現するのだ。
モンスターを眠りに引き込む。 仲間の筋肉を活性化させる。 様々な精霊の加護を求める。
そんな能力を売りにして荒くれ者の冒険者と組み、彼らの戦いを背後から助けるというのが、吟遊詩人なる人々のもう一つの生業である。

エルヴァーンの彼は、その吟遊詩人の家に生まれた。
先祖代々詩歌を嗜み、それを職とし、そのうちの幾人かは冒険者として名をあげている。
その分野では名門と言ってよく、彼の親兄弟も例に漏れず音符と詩の毎日を送っていた。

しかし彼は、その「例」から漏れた。
人から生まれる熱情や悲哀、森羅万象の訴える不思議や美しさ。
そういった、下世話な言い方をすれば「吟遊詩人のメシのタネ」に、詩人としてどころか一般人ほども興味を持てなかったのだ。 彼の家系にあっては間違いなく異端と言える。
両親はそんな彼に詩人としての人生を強要こそしなかったが、やはり諦めきれなかったのだろう、魔歌の基本を教えた。 詩人として酒場の舞台に上がらないなら、せめて冒険の舞台に上がってほしいと考えたのだ。
が、彼はそれにも馴染まなかった。 技量が無いのではなく、人に属し支援するだけの仕事にやはり熱意を持てなかったのだ。

そんな境遇に特に反抗してみせる訳でもなかったが、成人すると彼はふらりと家を出て赤魔道士の道に入った。
恐らくその理由は「独りでやっていくのに都合がいい」だったのだろう。
自分を襲うモンスターを倒す剣を携え、自分が負った傷を癒す魔法を操る。
力が伴い己を弁えさえすれば、誰とつるむ必要もなく生きていける。
一人で冒険の世を渡っていくだけであれば、獣使いという選択肢もあった、が。
淡々と生きる彼が頼むのは、自分自身と、自分で出した結果だけだった。


* * *


「ふあー・・・」欠伸をしながら釣り竿を持ち直す。
夢を見たような気がしていた。 というか、遠い歌を聴いたような気が。
幼い頃いつも家に流れていた様々な歌は、そこを離れて久しい今もふとしたきっかけで蘇る。
そのうちの一つを何とはなしに口ずさんでいた。 歌そのものが嫌いな訳ではないのだ。
だがその手にあるのはおよそ無感動な、黒い鞘に収まった銀色の刃。

ぐんっ、と竿がしなった。
「・・・っ、と」半分夢の世界にいたのだろう、反射的に彼は竿を振り上げた。
手応えが大きすぎる事に気付いたのは、強く張った釣り糸が全て湖面から現れた後だった。
「・・・しまった」
新しい餌に食いついたのは彼の生活の糧となる魚ではなく、敵意を剥き出しにした巨大な蟹。
しかもどういう訳か、ここラテーヌの外れ周辺ではまず見られない法外なサイズだ。
硬い殻で身を覆ったその招かれざる客は、自分の食事を取り上げた相手を認めるや
大きな鋏をがちがちと打ち鳴らし、躊躇うことなく襲ってきた。
「ちっ」彼は素早く飛び退り、じゃりん、と剣を抜く。
帰還の魔法で逃げてしまってもよいのだが、もし万が一ここを誰かが通れば今度はその者が標的にされかねない。 可能な限り始末しておくのが冒険者の責任だ。
間合いを取って短めの守護の魔法を唱えた後、甲羅の隙間をめがけて剣を叩き込み、抜く。
振り回す巨大な鋏と切り結ぶ。 一回、二回、三回。 静かな草原に鈍い打撃音が響く。

「こいつは・・・」
おかしい。以前ここでモンスターを釣り上げた事はあったが、それとは明らかに手応えが違った。
鋏の繰り出す打撃が各段に重い上に、まともに傷を与えられない。
どうやら亜種か突然変異のようだ。
「どうしたものかな」それでも隙を見て自分に回復の呪文を施し、いくつか攻撃や麻痺の呪文をぶつけながら突破口を探ってみる。
が、弱体魔法は悉く受け流し、目立って弱る様子も見せてくれない。まともにやって長引かせても形成逆転は難しそうだ。
舌打ち一つ。「・・・仕方ない」
この蟹を野放しにしてしまうという点では、死ぬのも逃げるのも同じこと。ならばせめて生き延びるのが得策というものだ。
最大限に集中して一瞬で帰還魔法を唱えるべく、目を半眼に閉じて大きく息を吸った、その時だった。

「大丈夫ですか!!」場違いな高い声が彼の耳に飛び込んできた。
「・・・え」何事かと振り向くと同時に、白い光が彼を包んだ。 癒しの魔法だ。
いつの間にかそこにいたのは、長い黒髪をポニーテールにした、一見して戦士ではないと分かるいでたちのヒュームの女性。
この緊迫した事態に怯えておどおどとした感じを受けるが、その眼には強気な光が見え隠れしていた。
とはいえその装備や物腰は、どうひいき目に見ても熟練の冒険者とは言い難く・・・。

彼は内心で頭を抱えた。
今の行動で、この蟹は彼女を敵と認識しただろう。
このまま帰還してしまっては、間違いなく彼女が襲われる。
かといって二人を同時に運ぶ移動呪文も、今の彼は扱うことができなかった。
(やるしかないか・・・!)剣の柄を握り直し、彼女に言った。
「ありがとう、でもできるだけ離れていて下さい。 援護をお願いします」
「は、はいっ!」彼女は緊張した面持ちで頷き、数歩下がって守護の魔法を唱え始めた。
彼は覚悟を決めて蟹に向き直る。 双方の武器が激突し、息詰まる攻防が再開された。

赤魔道士は意外に素早い動きの蟹の、頑強な鋏や激しい体当たりを必死で避けながら剣を振るう。
彼女が回復魔法を引き受けてくれたおかげで攻撃に集中はできるが、 一所に留まれないせいで攻撃魔法の為の精神集中が思うようにいかない。
また彼の打撃は多くがその固い甲殻に弾き返されてしまう。
(このままではやはり厳しいな・・・)徐々に乱れる息の下で、彼が決断を迷っていると。

・・・ 応えよ大地のノーム達 鋼に宿る火花の主 ・・・

その歌が響いたのは草原ではなく、彼の頭の中だった。 一瞬動きが止まる。
頭の外の空間に響いているのは、笛の音。 その調べに乗せられた詩を、彼の昔の記憶が自動的に再生していた。
「吟遊詩人だったのか」振り上げられた鋏を剣で打ち払いながら、振り返らずに彼は呟いた。
慌しい状況で、彼女の手元にあるものを見落としていた。

彼女は僅かに震える笛の音で、知る限りの魔歌を次々と奏でていく。
その美しい音色は彼の腕に滑り込み、奮い立たせた。 彼の皮膚を覆い、守った。
しかし同時に、彼の底に眠る記憶の断片をも掴み出し、色彩を施していった。
普段の彼なら歌の一つや二つでメロウになることなどありえない。 が、つい先刻まで妙な夢に浸っていたせいだろう、何かが過敏になっていた。
そんな彼の内なる揺らぎなど露知らぬ彼女の旋律が、十重二十重に彼を包んでいく・・・。

―― 譜面台とその向こうの父

―― 母と楽しそうに歌う兄弟達

―― その輪から外れる彼を見る両親の寂しげな眼差し

―― 故郷を後にした日、生まれて初めて家が静寂に包まれるのを見た・・・

感傷や未練といった積極的な感情はない。
が、剣を交えながらも目の前の敵から意識が引き剥がされていくのは止めようがなかった。

「きゃぁ!」背後から彼女の悲鳴が響いた。
はっと気付くと、彼の剣が敵の鋏にとらえられている。
渾身の力で蟹を蹴り飛ばし、剣と緊張を引き戻した。 呆けている場合ではない。
頭をぶるんと振り、正眼に構え直して唇を舐め、今一度素早く状況を整理する。

直接攻撃より魔法の方が有効と判っていても、終始動いている彼は満足に呪文を紡げない。
かと言って彼女にそれを期待する事はできないだろう。 ある程度以上目立った行動を取らせて彼女が狙われたらそれこそ無事では済むまい。
魔歌の効果で士気が上がっているのは間違いないが、残念ながら現状打破には及ばないようだ。
そして二人の魔力が尽きた時が終わりだ。 今は回復呪文でかろうじて状況が拮抗しているだけなのだ。
やはり一気に仕留めに行くには、これに賭けるしかないか・・・!

彼は正面の蟹をすり抜けて数メートルを駆け抜けると、彼女から距離を取った。
ばっと振り返り、力強く剣を大地に突き立てる。
「これでダメならすぐに逃げてください、いいですね!!」
予想外の行動に驚いた彼女が、訳も分からないまま反射的にこくこくと頷くのが見えた。
蟹が追い付いてくる。 それをぎりっと見据えながら肺いっぱいに空気を吸い込み、止める。
彼の背後でその長い白髪が重力に逆らいふわりと舞った。 両腕が広がる。
次の瞬間、彼の声が大気に逆巻いた。

「雷光よ!」「吹雪よ!」「ラムウ!」「シヴァ!」「雷の精霊よ!」「氷の精霊よ!」
通常ではありえない怒涛のスピードで、嵐のごとく続けざまに魔法が叩き付けられていく。
離れていた吟遊詩人の所にまでその奔流の飛沫は打ち寄せる。 思わず彼女は腕で顔を覆って後ずさった。

赤魔道士に伝わる奥義、「連続魔」。
魔法使いの契約である定められた呪文の読み上げの軛を振り切り、一言二言でその呪文本来の力を求めることができる。
しかし消耗する精神力はそのままだ。 彼は見る見る魔力を使い果たしていく。

「・・・よ」彼は最後の雷を落とし終えた。 急激な魔力放出にかすむ視界で蟹を見下ろす。
尋常ならざる量の氷塊と電撃に打ち据えられて固まっている姿が見て取れた。 が、その足はまだかすかに動いている。
「くっ・・・!」彼は手探りで剣の柄を捉え、右手で高く引き抜く。 左手を添え、そのまま体重をかけて蟹の背中に切っ先を突き下ろした。
ごぽん、という音をたてて、蟹の腹が完全に地面に着く。
数秒の後、強暴な蟹の姿は彼の視線の下で溶けてなくなった。


* * *


「だ、大丈夫、ですか・・・?」目を閉じて天を仰ぎ大きく息をつく彼に、黒髪の吟遊詩人がおぼつかない足取りで駆け寄ってきた。
「ああ、大丈夫ですよ・・・おっと」
披露困憊の彼を差し置いて、彼女の方がへたり込んでしまう。 よほど気が張っていたのだろう。
彼は咄嗟に彼女の腕を取って支えながら、苦笑いした。
「す、すみません、あの私、お邪魔でしたでしょうか・・・? ああ、まだ傷が」
彼女は赤魔道士の足の負傷を見て、慌てて癒しの魔法を施した。 連続魔の最中の僅かな反撃を無防備に受けていたのだろう。
「いえいえ、そんな事はないですよ。 助かりました」彼は微笑んで言い、芝に腰を下ろす。
帰還の魔法を唱えようとしていたことには気付いていないようだ。 あえて言う事でもあるまい、二人とも無事で済んだのだから。
「あの、何だか私の歌でかえって戦いづらくなっていらしたような気がしたもので・・・ 私、何か間違えていたでしょうか・・・?」
ふむ、観察力は並以上にあるようだ。
「いえ、立派な歌でしたよ。 俺の剣の腕が及んでいなかったのです」
「そんな、そんなことは」
どうも納得してくれなさそうだ。 とはいえあの心の風景を説明する訳にも行くまい。
「・・・そうですね、もし状況が許せば、風上に回った方がいいかもしれません。力が無駄なく流れます。 後は息継ぎが少し頻繁だったようです。 緊張されていたからかと思いますが、できるだけ力を抜いて曲に集中されるといいと思いますよ」
「え、あ、はい・・・あの、ずいぶんお詳しいんですね。 もしかして詩人もなさっておいでなんですか?」
熟練の先達に稚拙な歌で恥を晒してしまったと思ったのだろう、彼女はみるみる頬を赤らめる。

赤魔道士は今度は自分の失態に苦笑いした。
どうやらまだ頭の回転が完全に回復していないらしい。 具体的な指摘で納得してもらおうとしたのが、新たな不安を与えてしまったようだ。
彼はゆるゆると首を振ってみせる。
「いや、そうではないですよ。 ただ・・・家の者が少々冒険詩人をしていたもので、その自慢話の受け売りです。 それよりどうぞお座りなさい。 体を休めないと」
「あ、はい、ありがとうございます」ようやく彼女は膝立ちの緊張した状態から腰を下ろした。
この話はこのあたりで勘弁してもらおう。

「・・・あの。 私の家は、戦士の家系なんです」
しばしの沈黙の後、彼女がぽつりと喋り出した。 詩人の家族を持つ赤魔道士という彼の境遇から何かを考えたのだろう。
草原を渡る風が彼女の長い黒髪を揺らし、彼の体温をさらって森に消える。
二人の頭上を明るくさえずる鳥がゆっくりと横切った。
「私も両親から剣の手解きを受けました。 体を鍛える事は嫌いじゃなかったんですけど・・・」
白髪のエルヴァーンは黙って聞いている。
「何て言うか・・・人が血を流すのを見るのが嫌だったんです。 綺麗事なのは分かってます。
でも、剣を持って相手の前に立つと、どうしても腰がひけてしまって・・・。それよりは、戦いがあるならそれを早く終わらせたかった。 で、歌が好きだったし、両親を説得して家を出ました。 それで今、修行中の身で・・・。 ここ、殆ど人が来ないので、時々練習しに来るんです。 そうしたら貴方がいらしたので・・・」
「ああ・・・なるほど、それは失礼しましたね」
言いながら彼も考えた。 彼女の文人らしからぬ強い瞳は、そういう土壌があってのことか。
どこにでも天邪鬼はいるものだ。 心の中でふっと笑う。
「あ、いえ、そんなつもりじゃ・・・すみません、不躾に自分の話ばかり。 あの、貴方は歌は歌われないんですか? 最後の呪文の繋げ方なんか、流れる感じですごく素敵だったと思うんですけど・・・」
つくづくよく見ている。 彼は表情はそのままに、吟遊詩人に向けていた目を僅かに逸らした。

今の彼の魔法は、昔教え込まれた魔歌の影響を振り切れていない。 その自覚はあった。
しかし彼は、喉から流れて消え行く旋律の不確かさに従うことはできないのだ。
敵の肉や骨の手応えも、その反撃の痛みも、己の手で感じ取りたかった。
自分の命の綱は、自分で握りたかった。 その為の、歌よりは即物的な魔法と、剣。
それだけだ。 恐らく、それだけだ。

「ああ・・・まぁ、俺の場合は、音痴だったんですよ」
それを聞いた吟遊詩人は一瞬ぽかんとした顔になると、小さく吹き出した。
「え、はは、え? そうなんですか? それはえーと、あはは」
彼の無愛想さと音痴という単語のギャップが可笑しかったのか、ころころと笑い出す彼女。
誤魔化しとはいえ自分で言った事でムっとすることもできず、背の高い赤魔道士は所在なげに視線を虚空に泳がせる。

その笑い声を聞いた小さなウサギが、木陰からそっと顔を覗かせていた。


end


想定レベル:赤/黒40 詩/白22
記事メニュー
ウィキ募集バナー