テノリライオン

ep7 空を仰いで

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往々にして悪い事というのは重なるもので。
現在彼がいるのはサンドリア王国。 ウィンダス連邦にいる知り合いに連絡を取ってみたが、かの国はここしばらくその国勢を落とし、物流が活発ではなくなっていた。
そして競売所の在庫は、ゼロ。

「買っておくべきだったなぁ・・・」
眉根を寄せつつ南サンドリアの競売所を離れ、ウィンダス領事館に向かう男がいた。

襟足を刈り上げた短い白髪のエルヴァーン。簡素なローブを着て、背にスタッフを背負っている。
冒険者として駆け出しと言うには少々とうが立った、しかし熟練には程遠いという、まさに微妙な発展途上真っ只中の黒魔道士だ。

そんな彼を悩ませているのは、黒魔法「ストンガ」。
先日かなり腰を入れて修練をした彼は、自分があとわずかでこの呪文を扱えるようになる事を思い出したのだ。
普段であればそういう呪文書は先手先手で用意しておく彼だったが、価格も手頃でそう人気も高くない事から、少々油断しており。
実に珍しい事に、たいていは数冊在庫のある競売所にその呪文書がない。
魔導の本場であるウィンダス連邦の呪文書取り扱い店でも、流通の都合でしばらく入荷しないらしい。
幸運を頼んで手当たり次第に覗いた冒険者達のバザーも、ことごとく外れ。
となると、あとは・・・。

「すみません、閲覧いいですか」
「はいどうぞー」
北サンドリアの一角にあるウィンダス領事館、その奥の机に陣取る。
魔導書の情報を扱ったぶ厚い要覧をどすんと置くと、その前に腰を下ろしばらばらと捲り始めた。
「ストンガ、ストンガ・・・えーと・・・セルビナ、で・・・1,300ギルか」
よくあることだが、競売の価格の約半分だ。
本に目を落としたまま口元に手を当て考え込む黒魔道士。
数秒の後、勢いよく立ち上がると要覧を本棚に戻し、領事館を出た。

「あれぇ、領事館なんかで何してたのー?」
建物を出て正面の広場。武の国サンドリアを象徴する、3本の剣を模したような大きな噴水が太陽の光を弾いてきらきらと輝いている。
そこで、彼の冒険者仲間二人が連れ立って歩いているのに遭遇した。

一人はタルタル戦士の女の子。一般のタルタルよりやや大柄で、赤茶色の髪を高い位置でお下げにする髪型。
もう一人はミスラシーフ。茶色い髪を後ろでちょっと結んで、ベレー帽で猫耳を隠している。
彼に声をかけたのはタルタルの方だった。

「おや。 ええ、ちょっと調べ物を」
「ふーん。 あ、お宅のミスラ借りますよ。ちょっと兎肉を調達するのに付き合ってもらうので」
狩りにシーフを連れて行くと、そのはしっこさから少々多めの収穫を期待する事ができる。
それを見込んでの事だろう。まぁそうでなくても仲のいい二人なので、よく一緒に行動しているのだが。

「どこか出かけるの?」
黒魔道士のパートナーでもあるミスラが彼に尋ねた。どことなくそわそわしているのを感じたらしい。
「うん、ちょっとストンガ買いにセルビナまで行ってくる。今はあそこにしかないみたいだから」
「ストンガ・・・」
「セルビナ・・・」
女衆二人は一瞬ぽかんとすると、何とも微妙な表情になる。
「えーと、そんなによく使う呪文だったっけ、それ?」
「いや、そうでもないですね」
「セルビナまで歩き、って結構危ないと思うけど・・・一緒に行こうか?」
「まぁ注意して行けば大丈夫だよ。すぐ戻るから、ウサギ狩っておいで」

二人の言葉にも、あくまで行く姿勢を崩さない黒魔道士。タルタルの女の子がぼそっと呟く。
「ないと困る呪文でもなさそうなんだから、そんなに急がなくてもいいのに・・・」
「困るとか困らないとかじゃないんです」
それに対して妙に力強く、ぐっと拳を握って力説する彼。
「習得できるから、買うんです」
「あ・・・そうですか・・・」

時の神に見離されたエルヴァーンが、セルビナに出かける準備をすべくモグハウスに戻るのを見送る二人。
ミスラが小声でタルタルの女の子に言った。
「今の彼の状態を一言で述べよ」
「・・・職人魂?」
「ぶぶー」
「完璧主義」
笑いながらちちちち、と指を振る。
「単なる意地」


* * *


サンドリア王国からセルビナまでは、西ロンフォールを抜けてラテーヌ平原、そしてバルクルム砂丘と3つの土地を踏破しなければならない。
チョコボ騎乗免許を持っている者や、砂丘のゴーストも一撃で切り伏せるような猛者ならいざ知らず。
ラテーヌ平原のゴブリンにすら獲物と思われ襲いかかられてしまうような頼りない黒魔道士が、徒歩で単身通り抜けるというのは少々危なっかしい話だ。

とは言えいずれの土地も比較的見晴らしは良好。
彼が言ったように注意深く進みさえすれば、好戦的なモンスターに見咎められることなくセルビナまで到達することは十分可能とされていた。

準備を整え、一人サンドリアを出立する黒魔道士。
西ロンフォールは問題なく通過し、程なくラテーヌ平原に入る。

まだ天頂に届かない太陽。その下で遥かに広がる大地の彼方から、草の匂いをいっぱいに含んだ大きな風が両腕を広げて彼を迎える。
しかしその歓迎を愉しんだのは、そよぐ彼の短い白髪とローブの裾だけで。
当の彼はまだ、それを優雅に無防備に満喫する事はできずにいた。
(さて、ここからは慎重に)
常に視野を広く取るように努め、南東へと歩き出す。

人通りが期待できる街道を辿りながら、時折姿を見せるオークとゴブリンの動向に気を配りつつ順調にラテーヌ高原を南下する。
彼をこの旅へと送り出した時の神もここまで邪魔をしては可哀相と考えたのか。
定期的に現れては新米冒険者を恐慌に陥れまたその牙にかけてきた、この高原の主とも言える巨大な雄羊にも遭遇することはなかった。

街道が真東に延び始める地点でその道を逸れ、南に下る緩い崖をジグザグに降りて更に進む。
その先のちょっとした谷間を抜け、広葉樹の林に差し掛かった時。

「早く! 砂丘の方に!」
「大丈夫だから急いで!」
林の左手から、切羽詰った声が風に乗って流れてきた。
周囲に気を配りつつもその方向に歩を早める黒魔道士。
と、2体のオークに追われる冒険者達の姿が目に入った。狩りの最中に運悪く見つかってしまい、何とか奴らの追って来られない砂丘まで逃げ延びようとしているといった感じだ。

彼は走りながら目を細め、2体のオークの力量を探る。
「・・・1体なら」
先日まで鍛錬の為に一人で相手取っていたオークとそう変わらないようだ。
距離を離されないよう急いで彼らの側面に回り込む。
下草を踏みしめてしっかりと立ち止まり、一瞬で息を整える。
うち一体、赤い紋様がのたうつ白い布袋で不気味に顔全体を覆ったオークを狙って、バインドの魔法を打ち込んだ。
小さく素早く振られた彼の掌から見えない魔力の塊が放たれる。
それがオークの足元で弾ける瞬間、振ったまま開いていた掌をぎゅっと握り込む。
が、その塊はぎりぎり魔物の足を絡め取ることができずに雨散霧消した。

「ぐぅ」
自分に不快な思いをさせる奴が、ここにもいた―――
新たな怒りもあらわに方向転換して黒魔道士に突進してくるオーク。
逃げ行く冒険者達がありがとうと、言ったか言わなかったか。
半眼に目を閉じた彼は、既に次のステージに入っていた。

(まずディア)
距離が遠いうちに、相手の体力を僅かずつ削り弱らせるディアの呪文を放つ。
(パライズ)
行動を妨げる麻痺の呪文。 魔法戦の定石をなぞる。
(オーク、弱点は水)
迫り来るオークが彼を射程距離に入れる1秒以上前に、水霊が司る魔法ポイズンを叩き込む。
するとほぼ同時にオークも立ち止まり、ディアの魔法を唱えた。
体にまとわりつく光がじわりと疲労感を送り込んで来るのに息を詰めて耐えながら、自身が撃った呪文の毒がオークに染み込んでいるのを目で確認する。

オークが再び地響きを立てて走り出す。彼は数歩下がりながら、背中のスタッフを抜き放った。
同じスタッフでありながらより粗雑で禍々しいそれを大きく振り翳して打ちかかってくるオーク。
(次、ウォータ・・・)
獣人の一撃目を、背を反らしてかわす。
そのまま右足を後ろに滑らせ身を沈め、両手で構えたスタッフを寝かせてぐっと引くと、体重をかけてオークの胸を思い切り突く。
獣人がよろめいた。が、敵は怯まず再度そのまま得物を振り回す。それが彼の肩口を捉え、弾かれて2歩後退する黒魔道士。

だがそれで距離が開いた。
自分の体がオークの攻撃半径から外れた事を読み取った彼は、素早く顎を引いて息を吸い込む。
「ヴァス・エア 水の精よ」
僅かに崩れた体勢のまま、右腕を敵に向かって振り抜く。間を詰めようとしていたオークの顔に、中空に突如現れたいくつもの水塊が引き寄せられるように次々と襲い掛かった。

「ぐるぅ」
オークは苦しげに低い唸り声を上げると、そのねじくれた杖を乱暴に頭上にかざす。
それは黒魔道士にではなく空に振り下ろされ、その先端から鮮やかな炎が迸った。
彼は反射的に手のスタッフを突き出し、体中で水の成分をイメージする。
それに魔力の形を取らせる。半分は体に留め、半分は杖に。
間に合った。オークの炎は深くへの侵入を阻まれ、杖を越えて黒魔道士に届いたものも彼の表皮を熱するに留まり、嵐に乱れる草花のように千切れて四方へ飛散する。

(・・・、2)
未練がましく絡まる炎を振り払い、先に放出したウォータの魔力が再度満ちるのを
カウントし終える。
(もう一度)
が、オークは一転して粗雑な肉弾戦に徹し始めた。手にしたスタッフを無秩序に振り回す。
印を結ぶ手を払われ詠唱を阻まれ、打ち合いに持ち込もうとしているのが明白だ。
(・・・まぁいい)
その頃には既に二者の間にダメージの彼我がはっきりと表れていた。
いささか魔道士らしくないが、このまま力で打ち伏せることができるだろう。
彼はスタッフを両手に持ちかえる。
ラテーヌの平原に鈍い打撃音が響き始めた。

(・・・・・)
大きな顔をすっぽり覆う布、子供の落書きのように書き込まれた大きな目。
その布がなかったところで、元々オークの表情など判別できるものではないが。
攻めても攻めても変化の見て取れない相手というものは無条件に不安を掻き立てる。
(・・・立て直しておくか)
幸い開始時に撃ったパライズの魔法が効果を発揮し、オークは不規則な体の痺れに翻弄されていた。
黒魔道士はその隙を狙って、己に回復魔法を数回施す。体力差が決定的となる。

その事で安堵したのかもしれない。

そして更なる打ち合いの末、ついにオークが彼の前にがくりと片膝をついた。
「悪く思うな」
エルヴァーンは呟き、大きくスタッフを振りかぶる。
その目の端に、それは映った。

「・・・っ!」
咄嗟に真横に身を投げ出す。その空間を、汚れて刃こぼれしたナイフがひゅぅと横切った。
(しまった)
どこから現れたか、新手のゴブリンがそこで唸っていた。
戦っているうちにじわじわと後退し、高原の奥地にいた奴の視界に入ってしまったようだ。
薄汚れたヘルメットの奥の凶暴な瞳が、黒魔道士をねめつける―――


* * *


「もう着いたかしらねー」
4羽目のウサギを背負い袋に押し込みながら、思い出したようにタルタルの女の子が言った。
「んー、そろそろ買ってる頃かな?ま、寄り道してなければね」
猫耳隠しのベレー帽を被り直したミスラが、何とはなしに南の方角を眺めて答える。
その視線の先をたわむれながら横切る二羽の小鳥。

「でも多分買ったらすぐ使いたくなるだろうから、帰り道で無意味にひと暴れして来るに違いないね。んでちょっと痛い目に遭う」
「あはは、やりそうやりそう。 あっウサギいた!待てこらーー!」
「っていうか袋もってけこらーー」
のどかなロンフォールの木漏れ日の中を、大小二人の暴君が駆けて行った。


* * *


下草を蹴散らし、受け身の姿勢から勢いで転がるように立ち上がる。再度回転を始める頭。
(唱える力はもう半分以上使った。ゴブリンが苦手とする光の呪文はディアしかない)
スタッフを低い位置で握り直す。
(・・・確か今日は闇曜日。奴の力は普段より強まっている筈)
荒い風がごうと吹いて、木の葉が一枚彼の頬を打って飛び去る。
(風がある。 使うならエアロか)
眼前に迫るゴブリン。振り下ろされたナイフがローブの裾を裂いた。
(その前にオークを)
思い切ってゴブリンの横をすり抜ける。
スタッフをなびかせオークとの距離を再度詰めると、渾身の力でその首筋を張り倒した。
そのままスタッフを軸にオークの体を飛び越え、ばっと振り返りゴブリンと対峙する。
両者の間で無言で崩れる、オークの躯体。

と。
彼の体が、突如として賦活した。
足元から輝く風が強く吹き上げ、彼の白い髪を散らす。
段階を昇った冒険者に贈られるアルタナの祝福だ。

しかし彼自身はそれに気付いていなかった。
ゴブリンに向けられた瞳が、ゴブリンを見ていない。

祝福と同時に、彼にもたらされたのは―――


「・・・来たね?」
(え?)
「ほう、なかなか見所はあるようだのう。だが少々頭でっかちだ、いかんいかん」
(これ、は・・・)

黒魔道士は、明るい透明な空間に立っていた。
さっきまで対峙していたゴブリンの輪郭線だけが静止して目の前にある。
そして彼の周りをゆったりとたゆたう、8色の光。

「暦をよく見てますね」
足元にある蒼い輝きから優しい女性の声がした。
「じゃが、そればかりに囚われてもいかんぞ。若いうちは無茶も楽しいものじゃ」
同じく足元の黄金色の輝きが、笑みを含んだ老人の声で言う。

真紅の塊がつと黒魔道士に寄ってきた。それが彼の右腕を包み、水平に持ち上げる。
(!?)
驚いて光を凝視する。その中に浮かぶのは、竜に似たトカゲ。
彼の腕を抱えてこちらを見上げている。
(・・・サラマンダー?)
「そ」
頭上の緑の輝きが答える。その中にはよく見れば、薄羽を背負ったあどけない少女。
(シルフ・・・)
「やってみなってさ」
右腕のトカゲが、くりんとした目で黒魔道士の注意を引く。
(え、でも闇曜日・・・ゴブリンには)
「大丈夫」
シルフが言うと、ゴブリンの影を包んでいた墨色の塊がすっと道を開けた。
彼とゴブリンの間の空間がクリアになる。

小さなサラマンダーがぱくぱくと口を動かした。するとそれに操られるように、黒魔道士の口が主の意思を無視してファイアの呪文を紡ぎ出す。
己の掌からごうっと噴き出した紅い炎があますところなくゴブリンの影を包むのを、半ば呆然と見守る白髪のエルヴァーン。

―――彼を囲む8つの色と、その姿。
精霊魔法を学ぶ彼に、覚えのないはずがなかった。
けれどそれは魔導書や口伝の中でのみ触れ合うはずのもので・・・。

「さ、次は私かな? さっきちょっと呼ばれたもんね」
サラマンダーが腕から離れると、シルフが彼の鼻先に踊り出て細い両腕をぱっと広げた。
するとまた黒魔道士の腕が勝手に動き、同じように広がる。
「風も吹いてる、乗っけてごらん」

ラテーヌを渡る、みどりの風の気配。
先刻までの戦いの中では意に介してすらいなかったそれが、彼の体に渦となって踊り込んだ。
そしてカップの中のコーヒーとミルクのように、彼の魔力とその風が体内で混じり合い急激に膨らむ。
(・・・っ)
思わず息が止まる。ついに彼の中に収まり切らなくなったその魔力の塊が、反動をも伴って彼の腕の間にまばゆく弾けた。
それは緑色の激しい奔流となり、一直線にゴブリンを襲い呑み込む。
ぐらりと揺らぐ獣人の影。

「それでは私も」
足下の青い輝きからするりと華奢で上品な女性の姿が浮かび上がると、今度は黒魔道士の魔力がみるみると潤っていく。
(ウンディーネ・・・)

緑の衝撃にいまだ喘ぐ彼の目に。
困惑の色を押し退けて、微かに至福の光が宿り始めた―――


「おい・・・あれ」

どうにかオークから逃れた冒険者達が恐る恐る様子を伺いに戻ると。
そこにはスタッフを取り落とし、霞がかった瞳で次々と呪文を紡ぐエルヴァーンの姿があった。

彼の呪文は敵の抵抗を許すことなく、縛り、奪い、弾き飛ばす。
その魔法の怒涛にそぐわぬ無表情をたたえる彼の前に、ついに成す術なく崩れ落ちるゴブリン。

しかしその獣人を打ち倒した当の彼は、ただ呪文を唱えるのをやめただけで。
目に見えぬ何者かに心を奪われているかの如く、焦点の定まらない目を虚空に泳がせたまま陶然と立ち尽くしている。

――それが、彼が精霊に「印」を授かった瞬間だと分かった者は、その場に一人もいなかった。


* * *


「はい、1,350ギルになります」

あの後。
気がつくと彼はセルビナの町に立っていた。
ラテーヌから砂丘を越えどうやってここまで辿り着いたのか、全く覚えていない。
軽い放心状態から未だ抜け出せぬままぼんやりと売り子に代金を手渡し、そのまま呪文書を手に下げてふらりと波止場に足を向けた。

強い日差しを薄い雲が和らげ、白い砂と水面に優しく照り映える。
冒険者達の喧騒の間を吹き抜ける海を渡った濃い潮風が、彼の首筋をくすぐって去って行った。
漁場で足を止める。先刻の夢幻のような体験が、まだ彼の中を去来していた。

「はい、ちょっとごめんよ!」
すぐ近くで威勢のいい声がして、彼ははっとそちらを見た。
いかにも海の男といった風情のガルカが、大きな網の束を引きながら彼に人なつこい笑い顔を向けている。

「え・・・あ、すいません」
自分の足下に網の裾が迫っているのに気付いた。たたらを踏む黒魔道士。
腑抜けたような彼の表情と動きに、逞しく日焼けしたガルカがおおらかに笑う。
「どうしたどうした兄ちゃん、そんなんじゃ大波が来たらのまれちまうぜ?」
「はは・・・漁の帰りですか?」
「おう、天気は申し分なかったんだが思ったより波が荒くてなぁ、諦めて戻ってきた所さ」
へぇ、と呟きながら海原を見渡す。彼の目にはごくおだやかにしか見えないセルビナの海。

「水も風もおてんとさんも気まぐれなもんだ。こちとら一生懸命日を数えたり道具を整えてるってぇのに、時にはそんなもんお構いなしにそっぽ向いちまう」
力強く網をたぐりながら陽気に喋る漁師。
「だが、お構いなしにこっちを向いてくれる事もある。そうなりゃ最高だね。 世界が全部味方についた気分さ。自然を相手にするのは厳しいが、向こうさんもまんざら俺らの事を嫌ってる訳じゃないんだと思える。だからやめらんねぇのさ」

網を担いで立ち去る漁師を見送った彼は、笑顔を収めると一つ息をついて砂の上に腰を下ろした。
陽光のもと、ストンガの呪文書をぱらりと開く。

(儂等は常に世界を満たしている。見失うでないぞ――)

遠く近く、黄金色の声が聞こえたような気がした。その気配に、嬉しそうに笑う黒魔道士。
呪文書に向かって「はい」と呟くと、さんさんと降り注ぐ太陽を振り仰ぎ、その光と海風を胸いっぱいに吸い込んで大きく伸びをするのだった。


end


想定レベル:黒/白 14→15
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