テノリライオン

ep9 熱砂に溶ける心

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「やまびこ薬7,000ギルかよ・・・高っけぇなぁ」

熱く乾いた砂塵舞う、人影もまばらなラバオの町の競売所で。
顔の下半分に髭をたくわえた壮齢のヒュームの男がぼそっと呟いたのが事の始まり。

すぐ横にいた人物が、ぴくりとその長い耳を動かして彼の方を見た。

「・・・失礼ですけれど。 ここにあるものは、出品者が危険を冒したり苦労をしたりして提供してくれているものでしょう? 感謝こそすれ、悪態をつくのは感心いたしません」
「あ?」
前触れなく真横から投げ掛けられたあまりにも高潔故に反応の難しい言葉に、半分呆然と半分訝しげに男は振り向いた。


* * *


そこで彼を見据えていたのは、彼より少々背の高い体に戦士の武具を身にまとい、明るい赤毛を片方顔の脇で細く束ねたエルヴァーンの女性だった。
そのきりっとした表情と確固たる自信をたたえて微塵も揺らがぬ瞳が、砂漠の強い陽光の下で完成された彫刻のような美しい威圧感を放っている。

赤魔道士の彼は己を振り向かせた諫言を一瞬完全に失念し、突如現れたその光景に3秒ほど目を奪われた。
そして4秒後、呪縛が解けると何事もなかったかのように口を開く。

「珍しい事を言う姉ちゃんだな・・・いやほら、やまびこ薬が7,000ギルって実際高いと思わないか?最近の相場じゃ」
「相場の事は存じませんし、そういう事を言っているのではありません」
毅然として彼の言葉を遮る彼女。
「出品者の労苦に対する労いとして支払えばよいのではないか、と思います」



土地から土地を、戦場から戦場を渡り歩き、何の保障もなく生きる冒険者という人種は、多かれ少なかれしたたかな面を持ち合わせているものだ。
彼も赤魔道士として良く言えば自由に、悪く言えば身勝手にやっている。
特に守るものや固執するものなく、負う義務も果たすべき責任もない。
今だって旅路での戦いに必要なやまびこ薬を買おうと思ったら、供給が鈍ったせいか吊り上がっていた売値に何の気なしに毒づいてみただけだ。
それに対してああも真正面からお咎めを受けるとは。

エルヴァーンの女戦士は女戦士で機嫌を損ねていた。
厳しい家柄で育った彼女にとって、物の売値にケチをつけるなど下品もいい所。
どんなものに対しても表記の価格を守り、誰に頼ることも汚点を見せることもよしとしない性格の彼女は、躊躇いなく欲望を表に出す彼のような言動を目の当たりにすると形容しがたい不安定な不快感を引き起こす。
その感情が思わず口を突いて出た瞬間だった。



「・・・あんた、本当に冒険者か? そんな四角四面じゃ損することも多いんじゃねぇの」
言いながら彼はやまびこ薬を最終履歴より低い価格から少しずつ競り上げ、妥協点で落ちず諦めた。
そして地面に置いていた荷物を担ぎ、そんな彼の一連の行動をじっと見ていた女戦士に向き直る。
「貴方こそ、何故そんなに無遠慮なんですか? いくら予想より高かったからって、低い値段から競っていくなんて私には恥ずかしくて出来ません」
「はっ」
彼は鼻で笑うとすたすたと歩き出した。 何故か並んで歩き出すエルヴァーンの彼女。
二筋の足跡が乾いた砂に印され、印されるそばから風に掻き消されていく。

「出品した人は、きっとその値段で買ってもらえることを期待しているんだと思うんです。 その人の期待を裏切るなんてことは―――」
「あのなぁ、姉ちゃん」

始めのうちこそ不躾な(いや、躾は行き届いていそうだが)彼女のおせっかいに憮然としていた彼だったが、そのあまりに潔癖でまっすぐな物言いから逆に新鮮でほほえましい気持ちになってしまい、ごくごく僅かに表情が和らいでくる。
手をひらひらさせながら、今度は彼が彼女の言葉を遮った。

「世の中にはな、あんたの想像よりずっとしたたかな奴がごまんといるの。 今の競売の件だって、とっとと売ろうと思って履歴より安く出してる奴がいるかもしれんだろ。 そしたらその値で買えばいい、それだけの話だ」
「・・・もしそうでも、あたかも値切ったかのような自分の履歴が残るじゃありませんか。 お金に困っているようで、みっともいいとは思えません」
「おいおい、大層な見栄っ張りだなぁ」

砂漠の刺すような日差しの中、清冽な涌き水がそこにだけ涼しい空気のドームを生み出しているラバオのオアシス。
泉の向こうで大きな風車がゆっくりと回り、大柄で鮮やかな花が咲く合間で数人の釣り人がのんびりと糸を垂れている。
喋りながらそのほとりを足早に歩く二人。 正確には出張モーグリの方に進んでいる彼に彼女がまとわりついているだけなのだが。

「あのな、競売ってのは需要と供給の直接交流だろ。 出品者は自分の納得のいく値で自分の持ち物を出品する、購入者も自分の納得できる値であれば競り落とす」
無作法なだけだと思っていた男が、意外にも理路整然とした言葉を返してくる。
隙あらば反駁しようと構えていた長身の女戦士は、喉に準備していた空気を飲み込んでしまった。
「まぁ言ってみれば真剣勝負なんだよ、双方のな。 読みとか駆け引きの要素もある。いらん見栄張ったり情けをかけてたら負けだ。 あんたも戦士なら分かるだろう、同じ事さ」

喋りながらモーグリにぽいぽいと余分な荷物を手渡す男。 それをわたわたと処理する小さなモーグリを見ながら、じっと押し黙っている彼女。
不本意にも何かを納得してしまったような、そしてそれが悔しいのを悟られたくないような押さえた表情だ。

それを見て取った彼は、軽くなった荷物を背負い直すと髭面の奥でにっと笑って言った。
「分かったかい、お嬢ちゃん。 この世界じゃお育ちがいいのも考えものだぜ」

その言葉で、やや下を向いていた彼女の瞳が一瞬で力を取り戻す。 強い光がきっと彼を射た。
「私は、私が必要とするものを提供してくれた方にはきちんと対価を支払いたいんです! ちょっとでも安く上げようとか・・・そういう、姿勢は取れません!」
背筋をぴんと伸ばし、エネルギーに満ちる凛とした声で反撃する。

狼に押さえつけられながらも全力で足掻く兎の矜持。
極めて大袈裟に言うならばそんな風情の彼女をちらと見て、男は眩しそうに目を細める。

「ふぅん。 ま、それはそれでいいんじゃないか」
なおも動じた風のない口調で、髭面の男はそのまま砂漠に抜ける出口へと足を向ける。
当然のようについてくるエルヴァーンの彼女。
向かう方角から、今しがた到着したらしい数家族連れのキャラバンらしき集団が流れてくる。
その人混みの中を通過しながら、なおも続く奇妙な温度差のディスカッション。

「それに、相応の値段を割って譲り受けてしまったら、その人に対して負い目を感じるものじゃありませんか? 私はそれが嫌なんです」
「おーおー、大したプライドだ。 あんたはあれだな、ナイトに転職した方がいいぞ」
「茶化さないで下さい」
集団を抜ける。

「そうそう、持ちつ持たれつって言葉、知ってるか? ま、俺は持たれる側に回るタイプだけどな」
のらりくらり。
そう形容するに相応しい笑い声で、彼女の舌鋒を軽く受け流す男。

「・・・っ、そういうのが! 気に障るんです!!」

ついに沸点に達したらしい。
眉根を寄せ、きゅっと口を結んだ女戦士はずかずかと彼を追い越すと、足下を駆け抜けるキャラバンのミスラの子供を避けながら出口へと向かっていく。

「もう結構です! ごきげんよう!」
そして一度体ごと彼に振り向くと、刺々しくそう言い放って身を翻し、ラバオの町を出て行った。



「・・・これだけ立派な喧嘩ふっかけといて、ごきげんようもないもんだ」
自分が町を出ようと思っていたのに、先を越されてしまった。
後ろを追うのも間が抜けている。 大仰に溜息をつくと出口手前の斜面に腰を下ろし、頭の後ろで腕を組んでごろんと横になった。

妙な奴だったが、まぁ好きにすればいい。 とりあえず俺には関係のない事だ。
そうぼんやり考えながら、強い太陽から目を背ける。 その視線の先に無意識にあるのは、彼女が消えた出口のトンネル。

エプロン姿のミスラが、誰かの名を呼びながら歩いている。

大きくあくびをする男。
別に急ぐ旅でもない、ひと寝入りするか。
荷物を引き寄せ枕にすると、顔に帽子をぽふっと被せる。





・・・・・・・・・・・。





また、ミスラの声が近くなる。






「―――――――――」







虫の、知らせ。






男はがばと跳ね起きた。
一瞬何かを考える。 次いで出口のトンネルを凝視する。
立ち上がり荷物をひっ掴むと、小走りに外へと向かう。


* * *


「早く! 早くほどいて、町の中へ!!」

切羽詰った女性の怒号と剣戟に混じる小さな子供の泣き声が、走る彼の耳を打った。
「何やってんだ!!」

トンネルを抜けた先にいたのは、片足を茨のような蔦にからめとられ泣いているミスラの子供。
そしてその子を背に庇い、禍々しく直立する蟻の姿をしたモンスターを己が剣と盾で必死に食い止めているエルヴァーンの女戦士だった。

彼の声に振り向く彼女。
思わず下がった眉は、すぐに蟻人に向き直り誰にも見えなかった。
「・・・その子を、町へ!」
気丈に叫びながら敵の剣を剣で払うが、凛としていたその声は今や無残に割れている。


ざっと見渡した状況に、一瞬足が止まる彼。
ミスラの子供の足首は、茨に絡まっているだけでなく軽く捻挫をしてしまっているようだ。
ほどこうにも痛みで手を触れられず、パニックに陥ってにゃーにゃー泣いている。
女戦士と蟻人の戦いは見事に拮抗し、彼女は鮮血を、蟻人は体液を流し互いに満身創痍。
このままでは相打ちになりかねない勢いだ。
そしてなお悪いことに、その戦い越し、離れた位置にもう一匹の蟻人が見えた。
いつ勘付かれてもおかしくない距離をうろうろしている。
後退して間を取ろうにも、背後には座り込む子供が。
全てが一刻を争う状況。

赤魔道士の男は素早く頭の中で優先順位を決めた。
蟻人の怒りを煽らない程度に抑えた回復魔法を彼女にかけ時間を稼ぐと、続けて腰の小剣を抜き払い子供に駆け寄る。
男の荒っぽい立ち居振る舞いと自分に迫る剣に、更に怯えて大きくにゃーっと泣き出す子供。
そのふくらはぎを掴んで固定し、細心の注意を払って蔦をぶつりと切った。

「引くぞ!」
言いながら立ち上がる彼の目に、先刻見えた二匹目の蟻人がついにこの騒ぎに気付き、砂煙を上げて彼女に迫る光景が飛び込んできた。
「ちっ」
舌打ちして男は咄嗟に剣をばちりと収めると、片手を振り上げ仰ぐ精霊に加護を求めた。
彼の魔力が補強される。 一度きりだ。
(通ってくれ!)
歯を食い縛り、まさに祈るような気合いを込めて新手の蟻人に眠りの魔法を打ち込む。

間一髪。 標的の蟻人はぴたっと足を止めると、女戦士に向けて振り被った腕をだらりと下ろした。
それを見た彼はもう一度息を吸い、今度は自分のみの力を凝縮し、彼女と切り結ぶ敵に向かってバインドを放つ。

どうやら運命は彼に味方したらしい。
蟻人の足が、砂地に縫い付けられたかのようにびくとも動かなくなった。
「よし!」
「手出し無用です!!」

何を思ったか。
彼女は彼の援護を拒絶する言葉を吐き、なおも必死の形相と極限まで傷ついた体でその剣を振るい続けている。 一瞬呆気に取られる男。
「私は大丈夫ですから、その子を早く!」
「―――馬鹿野郎!!」

赤魔道士は女戦士を怒鳴りつけると、ミスラの子供を小脇に抱えて大股で彼女に近寄りその腕をがっしと掴んだ。
バランスを崩す彼女を渾身の力で引き、トンネルを逆行してラバオの町へと急ぎ引き揚げる―――


* * *


母親の姿を見て安心したのか、改めて泣き出す子供をミスラの母親に返す。
何度も礼を言いながら、足の手当てをする為にキャラバンに戻る彼らを見送り、二人はオアシスのほとりに座っていた。
ぺたりと座り込み、俯いて上半身の重い鎧をのろのろと外す彼女。
片膝を立てて座り、彼女の空いた腕に白い包帯を巻く彼。

「・・・ったく、何を無茶してるんだよ」
呆れ顔を隠しもせず男が言う。
「子供が危険に晒されていたんです。 当然でしょう」
意外にも素直に彼の手当てを受けて、しかし弱々しいながらも相変わらず毅然とした言葉を返す彼女。
「そういう事を言ってるんじゃねぇの。 バインドかけたんだから逃げればいいだろ。 無理に倒す必要なんかない、違うか」
「・・・・・」
その端正な顔に硬い表情を張りつかせたまま、頑なに口をつぐんでいる彼女。
彼はふんと一つ溜息をつく。
「全く、一匹でも危なかっただろうに。 しっかりしろよ、一応戦士だろう」
「何でそうまで言われなくちゃならないんですか!」
それまでじっと固まっていた彼女が、突然顔を上げて声を大きくした。

「子供が襲われてたから助けたんです! それでどうして―――」
「あんた一人じゃ無理だったって言ってるんだよ!」
つられて声を荒げる彼。
「だからって!!」
「俺を呼びゃいいだろう! 近くにいるのは分かってたはずだ!」

それを聞いた瞬間、それまで一貫して毅然と張っていた彼女の表情がみるみるうちに崩れていった。
口がへの字になり、細まる目にかすかに涙が浮かぶ。
「・・・あなたなんかに・・・頼れるもんですか! 大体があなたみたいにちゃらんぽらんな人、大っきら―――」

そこからしばらくの間、彼女は全ての言葉を失うことになる。
無秩序に喚きたてる彼女の唇を、彼の唇が一瞬で完全に塞いだからだ。

「あのな」
周囲の釣り人やキャラバンからやんやと飛ぶ口笛も野次もどこ吹く風で。
前よりも更に厳しい顔になり、どっかとあぐらをかいて話し出す彼。
「あんたは人を頼らなすぎだ。 自分に起こるどんなことでも一人で切り抜けられる力がまだないんなら、まずは上手い甘え方を覚えろ。 そうでないといつかぽっきり折れる」

真っ白な表情で、呆然と彼の話を聞く彼女。 いや、聞いてはいるだろうが、聞こえているかどうかは定かではない。
彼女のオレンジ色に近い赤毛が、オアシスの水分をまとった蒼い風に柔らかくそよぐ。

「ま、俺もあんまり偉そうな事が言える程立派な人間じゃないがな。 あんたの言う通りちゃらんぽらんな奴なのは間違いない」
にやっと笑う。
「まぁでも、あんたを見てて、たまにはあんたぐらい何かに必死になるのも悪くないなと思ったよ。 だから」
すっと彼女の手をとる。
「お返しに、お前さんのその無駄なつっかい棒、俺が外してやる。 そしたらもうちょっと体にいい生き方ができるようになるぜ、それは俺が保証する。 どうだ」

表情は変わらず真っ白なままの彼女の瞳が、まっすぐ彼の目を見ていた。
何かを言いかけて口を開いた、その時。


「・・・あ、あの、お兄ちゃん、お姉ちゃん。 助けてくれて、ありがとう・・・」

手当てを終え、改めてお礼をと思いやって来たら前述の通りの彼ら二人の剣幕と顛末。
果たしてどうしたものかと、ちょっと離れておろおろしていたミスラの親子がやっと近付いてきて子供が恐る恐る声をかけた。
「ん? ああ、足は大丈夫かい?」
彼が子供の方を向いて笑いかける。 彼女もそちらに顔を向けた。
「うん、お薬塗ってもらったからもう大丈夫、です。 ・・・あの、ね、お兄ちゃんとお姉ちゃんは、仲良し、なのよね・・・?」

ミスラの子はお腹の前で組んだ手と尻尾をもじもじさせながら、首を傾げて上目遣いで二人をかわるがわる見ている。
「んー? さぁて、それはどうかなぁ?」
彼も、笑いながら彼女を見た。

ゆっくりと、エルヴァーンの彼女が彼に視線を移す。
その瞳に、色が戻っていた。

「仲良くしようかどうか、迷っているところなの」
言いながら再度ミスラの子供に向き直り、柔らかい中にも真面目な顔で彼女は言った。
「実はお兄ちゃんはちょっと意地悪だし、おいたが過ぎるから。 だから、あなたが決めてくれる? このお兄ちゃんと、仲良くしてみてもいいかしら?」
「ええっ?」

突然何やら重大な決断を任されて、泡を食ったようになるミスラの子。
どうしていいか分からず、自分の後ろに控えていた母親をおろおろと見上げる。
しかしその会話の内容から概ね状況を理解しつつあったミスラの母親は、楽しそうに微笑むと娘に頷いてみせた。

「ん・・・と、えっと。 お兄ちゃんもお姉ちゃんも、いい人だと思うから・・・一緒にいて、仲良くしてくれた方が、嬉しいかなぁ・・・?」

それを受けて、美しいエルヴァーンの女戦士はこぼれるように笑った。
「ありがとう。 じゃ、試しにそうしてみるわね」



―――その日その時。
ラバオ近辺を歩いていた者は、町の方角から大人数の「うおぉぉぉ」という歓声が湧き上がるのを聴いたという。

その中には何故か「よっしゃー!」という声と「ちぃっ」という声が少量混じっていたが、後から赤魔道士が確認した所によると、事の成り行きをずっと見守っていたお茶目な釣り人達により電光石火で「ビンタ」と「成立」の賭けが催されていたことが判明したそうな―――


end
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