テノリライオン

06-09-29

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corelli

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拍手なのか何なのか。


いつの頃からか、テレビの音量をものすごく下げるようになりました。
本を読むにしてもネットをするにしても、テレビから聞こえる言葉が集中を妨げる、でも部屋で自分以外に何も動いていないのは寂しいし時間の経過が判らない、という至極理不尽な要求により、一部の「見ている」番組を覗き、テレビの音量を聞こえるか聞こえないかまでに下げるという妙な手段に出たわけです。
まあ言わば逆ラジオと言えるかもしれない。 音だけ、ではなく、映像だけ。
その映像も、できればスポーツ番組など自分の興味を惹かれないものがいい。 ただ動いていてほしいだけなので、凝視する気にならないものがいい。
ま、見たい聞きたいと思えるような面白い番組が昨今ほとんどない、というのもこの奇行の一因ではありますが。
胸くそ悪くならないだけCMの方がまだマシという、BGV(BackGroundVideo)にすら値しない番組がおおすぐる。

でまぁ、そんなふうにテレビ番組を見て(流して)いるとですね、たまーに妙な違和感を覚ることがあります。
あるバラエティ番組で見た光景で、ひな壇に並んだ芸能人さんたちが、みんな笑顔で一斉に手を打ち鳴らしているんです。
誰かの登場か、と思うとどうやらそうではないらしい。 じゃー何をしているのか。
そう、彼らはただ笑っているだけなのでした。

いつからでしょうね、笑う時にやたらとバチンバチン手を打つようになったのは。
私は笑ってるんですよー! というアピールアクションなんでしょうか。 笑い声だけじゃ足りなくなったんでしょうか。 お笑いにつけられちゃったテロップみたいなもんでしょうか。 少なくとも自分を笑わせてくれた相手を讃えているのでないことは判るんですが。
いやまあ単なる流行と言いますか、文化にまで昇華しない一過性のムーブメントですから。 特に目くじらとか繰り言とかを垂れ流しても仕方も意味もないんですけど。
一つ気にかかるのは、これ、日本文化圏外の人から見たら一体どう映るんだろう、という事。

 かなり昔に何かで読んだ文章を思い出します。
ある女の子が海外に留学した時の事。 明るい彼女はすぐに周囲に打ち解け、現地でできた沢山の友達と楽しい日々を送っていました。
ところがいつからか、皆が徐々に彼女を避けるような雰囲気を見せ始めたのです。 彼女が楽しそうにしていても、皆どこか余所余所しいというか、そこはかとなく肩が引けている気配がある。
特に思い当たる原因もなく、彼女は途方に暮れました。 何が悪いのか判りません。 笑顔は万国共通だと思っていたのに、彼女がどんなに笑っていても友達は離れていってしまうのです。
一体どうしてこんな事になったのでしょうか。

彼女が気づけなかったその原因は、彼女の「笑い方」にありました。
口を大きく開けるのはみっともないという日本文化的教育により、彼女は笑う時、必ず手で口を隠していたのです。
そんな彼女を見てその国の人達が思ったのは、「もしやこの人は、口に何か病気を持っているんだろうか」という事でした――

ま、このエピソードがフィクションかノンフィクションかは別として。
ジェスチャー、パントマイムというのは、時にその文化圏の中でしか正しく通用しない事があります。 「おいでおいで」の仕草しかり(手の平が上か下かで意味が逆)、OKの仕草しかり(指で作る円が、マルの意か硬貨の意か)。
なればこの「拍手笑い」も、そろそろ我々の知らない所で思いも寄らぬ誤解や曲解を招いていたりするのかなーなどと、音抜き音楽番組の壮絶な間抜けさを噛み締めながら思ったりするのであります。
オチなし。


カテゴリ: [雑記] - &trackback() - 2006年09月29日 21:00:49
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