テノリライオン
守護者は踊る 2
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corelli
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自由落下を超える速度で厚い雲を突き抜けた私の眼下を、滴るような濃い緑の風景が一気に埋め尽くした。
サルタバルタ――ウィンダス連邦。星の大樹に護られた、緑豊かな魔法国家である。まるでクローズアップするように、みるみるとその迷路のような町並みが大きく迫る。
調査に於いて、整理された情報は何よりも重要だ。
そこで、集団による妨害行動に遭ったというあの青年が語った順をなぞって、私はその被疑者達のもとを訪れる事にした。物理限界を超えて自在に移動できるというマスターの強みは、こういった所でも効力を発揮する。運のよい事に、今日はほぼ全員がウィンダス近郊に居た。
しらばっくれるだろうか。それとも認めるか――あるいは、本当に濡れ衣か。いずれにせよ、私が赴けば自ずと判る事だ。
まずは最初の件。ホルトトの入り口に大量のカーディアンを連れて来て彼を追い払ったという、白魔道士のタルタルを目指す。
今は石の区にいるはず――――見えた。小さな白い影は、折好く人気の少ない場所にぽつんと一人で立っている。
私は体勢を整えると、音もなくその少女の傍らに降り立った。
* * *
「えっ――え? あ、あの……マ、マスター、ですか?な、何――あのっ、私――」
茶色いポニーテールの白魔道士は突然現れた深紅の鎧を見上げて泡を食い、あたふたと慌て始めた。
その様子を見つつ、兜の奥で私はつと目を細める。
狼狽している。 やはり後ろ暗い所があるのだろうか。彼女の落ち着きのない態度からそう思いかけたが――
まるで端(はな)から白魔道士に、癒し手になるべく生まれてきたような、清楚で優しげな雰囲気を湛えた小さな少女。そわそわとしてはいるが、逃げ腰になる様子はなく――それは何かが露見することを恐れてと云うよりも、ごく単純に、自分を統べる存在が前触れも無く現れた事による驚きの表情に、私の目には映った。
私の経験から言えば、身に覚えがある人間は、捕り手に対してここまで無防備におろおろして見せたりはしないものだ。むしろその逆、冷静を装ったり、もしくは意外そうに驚いた「ふり」をしてみせる。
そう、余程狡猾で計算高く、自分の外見を隠れ蓑にするほどの肝が据わっていれば話は別だが……
刹那でひとしきり相手の仕草と自分の判断を冷静に疑い終えてから、私はいつも通りの威厳を以て小さなタルタルに尋ねた。
―― 突然失礼する。 少々尋ねたい事があって来た。隠し立てする事無く、正直に答えて欲しい。
「え――? は、はい……な、何でしょう――」
今にも泣き出しそうな声と表情で、それでも彼女は生真面目にこくりと頷く。そこには戸惑う中にも協力的な姿勢が見え隠れし、逃走するような兆しはない。例えそれを試みた所で、私から逃げおおせる事など不可能であるという事実を踏まえての事か否か。さて……
―― 二日前の昼過ぎ、貴女はホルトト遺跡に居た。相違無いか。
「二日前……ですか……あ、はい……いました――けど」
――そこで貴女は大量のカーディアンを引き寄せ、それを入り口近くまで連れて来た。
「え――?」
―― 相違無いか。
「え……いえ、あの……」
消え入るような声で小さく首を横に振る彼女に、私は続ける。
――ホルトトで貴女とすれ違ったという冒険者の青年から、直後にその方向からやって来たカーディアンの大群に襲われたとの被害報告があった。彼と同時刻にホルトトに居たタルタルの白魔道士は貴女だけであることが既に判明しており、その件について確認を取りに来たものである。何か申し開きはあるか。
「え、ええ……?あ、あのっ、申し開きなんて、私、そんな……」
いよいよ心細げに、生まれたての子馬のように身を震わせる白魔道士。しかしその不安げな瞳に、かすかに何かが閃いた。
「――あ? カーディアン、って、もしかして……」
「なぁぁあにやってんだコラァァアァァァ!!」
と。
どどどど、という小さいながらも戦車のように重い足音と叫び声が背後から響いたかと思うと、私の背にがつんと小さな衝撃が走った。眉ひとつ動かさず、私はゆるりと振り返る。
「――っ、てぇぇー!!」
果たして足下には、一人のタルタルの少年が転がっていた。
灰色のくりくり頭、緑色の町着。しかし背には大きな――と云っても、彼の背丈からすれば大きな、というサイズだが――禍々しい闇色の鎌を背負っている。
まるで少女の白と対を成すかのようなその漆黒は、明らかに暗黒騎士の得物だ。容赦のない黒。闇を吸い死を吐き出す、地上で蠢く輪廻のエンジン。タルタルにしては珍しい職業選択だ。
さて、どうやらあの足音で助走をつけた彼が、飛び上がって私の背に蹴りを食らわしたもののようだが――彼は見事に顔をしかめて情けない悲鳴を上げ、右足を抱えてぴょんぴょんと飛び跳ねている。
無理もない。 私が纏っているものは紅蓮の鎧。よしんば町ほどもあるドラゴンがその牙を剥いたとしても、傷ひとつ付ける事能わぬ神具なのだ。ヴァナ=ディールを護る者を護る鎧――ある意味で世界最強の「護り」が、タルタルの蹴り一つで揺らぐ訳もない。
故に避ける動作すら必要としなかった私は、改めてその少年を探るように見下ろした。
「っ、てて……おいっ、てめぇ!何フォーレにいちゃもんつけてんだよ、あ゙ぁっ!?」
タルタルの少年は、私と少女の間にずかずかと割って入った。兜に隠れて見えないはずの私の視線を、噛み付くような口調ではね除ける。驚いた事に、早くも足のダメージからは立ち直ったらしい。
小柄なタルタルにしてはずしりと重い、いい蹴りだった。しかしその分本人に跳ね返った衝撃も甚大だったはずだ。脚絆も着けない町着での跳び蹴りなら尚更だろう。それでこの回復の早さ――なかなかに鍛えていると見える。
好戦的な表情の少年はぎりっと私を睨みつける。相手の強大さなどを一切考慮しない、剥き出しの敵意が私を見上げていた。
凶悪そうな武器、険悪そうな表情、性悪そうな言葉。しかしそんな負の雰囲気をまき散らしながら、彼の取っている行動はまるで少女を護る誠実な騎士 そのものだ。何とも微笑ましく、頼もしい事である。
―― 決していちゃもんなどではない。二、三尋ねたい事があって来たのだ。
静かにそう云いながら、私は彼を観察する。これは確かめるまでもなく、彼女と一緒に居たという「真っ黒い鎧を着たタルタル」に違いない。
尋ねる手間が省けたと――否、この場合は間が悪いと云うべきだろうか。黒いタルタルの影に庇われて、白いタルタルはすっかり口をつぐんでしまっていた。
「尋ねたい事だぁあぁ?てめーテキトーな事言って一般人ビビらせてんじゃねーよ!この俺様ならともかくだなぁ、こいつがてめーらマスターなんぞに目ぇつけられるような事ぉする訳ねぇだろーが!マスターのくせしてそのっくらい見てわかんねーのかよ、その目ん玉はビー玉かっ!」
……この手の盲信を、私はつい先日も見たばかりのような気がする。
が、何故だろう。少女を背に庇うこの少年の方が、遙かに話が通じるような――奇妙な安堵感が、私の中にはあった。
おたおたと慌てふためく白い少女を背に押しやり、拳を振り回し足を踏み鳴らして狂犬のようにがなり立てるタルタルの少年を見下ろす私は、兜の奥の口だけを動かしてゆっくりとなだめすかすように云う。
――そう逸 る事は無い。差し当たりはその是非を確認に来たのだから。
「だぁら! 是も非もないっつってんだよ!大体どこをどう叩いたらこいつからホコリが出るんだ、バカがつくぐらい正直でお人好しで臆病な奴だぞ!あのなよく聞け、こいつの行動に非なんてもんがあるってんならなぁ、俺はとっくにブタ箱と娑婆を余裕で百往復はしてるっつんだよ!」
息継ぎもそこそこにまくし立てる彼は、全く聞く耳というものを持たない。
しかしまさかこのタルタル、自分の方が先にお縄になりたくて仕方ない――という訳ではあるまいな。
ともあれ、私が少女に声を掛けた事ですっかり頭に血が上ってしまっている彼を差し置いて、少女の方に質疑をすることはもはや不可能のようだ。致し方ない、順序を変えるとしよう。
―― では代わって貴殿に聴こう。 二日前だ。貴殿ら二人が居たホルトトの出入り口近くで、押し寄せるカーディアンの大群に呑まれかけた冒険者が居た。この事に覚えは無いか。
「なに……?」
自分の専門分野について質問された職人のように、暗黒騎士の少年はようやく口を閉じると訝しげな表情で考え込んだ。と、その機を逃すまいとするかのように、「ルード、ルード」と遠慮がちに囁きながら、白魔道士の少女が彼の袖を引いた。少年は肩越しに少女を振り返る。
「……ね、あの子の事じゃないかしら?ほらあの時、帰りがけにすれ違った、あのヒュームの……」
その言葉を聞いて、彼はふと視線を宙にさまよわせた。何かを思い出そうとしているらしい――と、次の瞬間。彼はみるみる眉を吊り上げたかと思うとぐるりと私に向き直り、以前に倍する剣幕で爆発するように叫んだ。
「てんめぇ、あれをフォーレの仕業だと思ってやって来たってのかよ!!ふっざけんじゃねぇぞあのバカヒューム!恩を仇で返すたぁいい度胸だ!おいっ、あの脳味噌メルトダウンした野郎ぉここに連れてきやがれ!ってーかどこにいるか教えろ、今すぐ教えろ!行ってボコボコにセッキョーしてやらぁ!」
まるで癇癪を起こした活火山だ。彼の怒鳴り声に驚かされ、星の大樹を囲む水辺で憩っていた水鳥が空へと逃げていく。
その羽音を聞きながら、私は更に冷静に尋ねた。
―― ふむ。つまりあれは、彼女のした事ではない、と?
「ったりめーだろうがぁ!むしろ俺らは奴の後始末をしてやったんだぞ!それを感謝されこそすれ犯罪者扱い――だーっムカつく!ったくああいう奴は一生町から出すんじゃねぇよ、ボンクラ保護法でも作って一生座敷に閉じ込めとけってんだ!」
今にも背中の大鎌を抜いてあさっての方角に走り出しそうな少年に、一体何があったのかを詳しく説明する冷静さはもはや残っていない。そう見て取った私は、かっかと憤る彼からすっと視線を白魔道士のタルタルに転じた。すると彼女はそれを敏感に察して、横目で少年を気にしながらも訥々と話し始める。
「……はい、あの、私、確かにその人とすれ違ったと思います。ホルトトの地下で確かに――でも、カーディアンを連れて来たのは、私じゃないんです」
―― と云うと。
「えっと、その時ホルトトで、私はルードと――あ、この人の事です――別行動をしていたんですけど。予定していた用事が終わったので、合流しようと思って出口に向かいました。その時に、その男の人とすれ違って……で、出口近くでこの人と合流したら、背後から魔法詠唱の声が聞こえたんです」
魔法詠唱――?
初耳だった。 白魔道士の言葉は続く。
「軽い回復魔法でしたけど――びっくりしました。だって、私の来た方向……彼の向かう先の部屋には、魔法に反応して襲ってくるカーディアンが沢山棲んでいましたから」
「そういう事だよ!要はあいつはなぁ、何の注意もなしに垂れ流したてめーの魔法でご丁寧にカーディアンの団体さんをご招待しておきながら、被害者ヅラしてどたどた逃げて来やがったんだ!」
…………意外な展開――否、経験の浅い冒険者ならばあり得る話だ。
だからと云って彼らの供述を丸呑みにしてはならないが、少なくとももう一度情報を洗い直す必要がある。
そう思考を巡らす私の足下で、タルタルの暗黒騎士は苛立たしげに歯ぎしりしながら、右の拳を左の掌にばちんと打ち付けて云った。
「あんにゃろー、アホみてーに泡食ったツラして逃げてやがると思ったが、自分があそこでマヌケに魔法を唱えたって事もカーディアンが魔法に食らいついてくる魔物だって事も、マジでその空っぽな頭には入ってなかったってぇ訳か!?ったくはた迷惑なヤローだな!いいか、あの後ホルトトの奥から出てきた奴らが、そのピクニック帰りみてーなカーディアン達のせいでがっちり立ち往生しちまったんだ!しょーがねーからその大群を始末したのが誰だと思ってる、俺らだぞ!」
ぐいと胸を反らすようにして吠え立てる黒い少年をなだめるように、白い少女は柔らかく私に云う。
「あ、あの、私達の事ならいいんです、特に危ない目に遭ったって訳でもありませんから……ただ、私達がカーディアンを集めたんじゃあない、っていう事と……できればその人に、これからは危なくないように気をつけてくださいと、伝言を……」
―― 成程。では、貴殿ら二人とも、あの青年に対し含む所はない、と、そう主張するのであるな。
白魔道士は小さく頷いた。
「くどい!」
暗黒騎士は吐き捨てるように云った。
……予想していたものとは、いささか異なる方向に話が進んでいるようだ。
もし彼らの主張する所が、この事の真相であるならば――被害者と加害者が逆転する事になってしまう。
これは、厄介だ。内心でそう呟きながら、私はこの場を引き揚げるべく冷静に二人に告げる。
―― 承知した。貴君らの証言を参考として、更に調査を進める事としよう。協力、感謝する。
「参考じゃねぇよ!単にそいつがだせーポカしたってだけの話だっつーの!」
少女に嫌疑がかけられた事が余程腹に据えかねたのだろうか。まるで私がそのならず者であるかのように刺々しく、少年は当の少女がなだめるのも聞かずに不満の丈をぶつけてくる。
明らかに八つ当たりでも、そのひたむきな様はどこか微笑ましかった。私が彼の父親なり教師なりであれば、ここは敢えてその癇癪を受け止めてやるにやぶさかではないのだろう――が、私は――マスターだ。
彼らと同じ生活圏内に降りる事は永遠に無い、高みの存在。公正なる裁きを叶える為に常に一線を画し、俗離れした別次元の存在として認識される――
「なぁ、おっさんよぅ!マスターっつーのはあれだ、オーオカサバキってやつが得意技じゃねーのかよ!そのたっかそーな鎧の下にはお花畑の模様が入ってるって聞いたことがあるぜ?でなきゃ家来が二人いて、チンケな薬入れを見せられたらそいつが犯人だって言うじゃねーか!そいつを見せびらかすんなら、そりゃこっちじゃなくてそのトンチキ野郎に見せてやるのが筋ってもんだろうがよ、あぁっ!?」
……止め処なく地べたに引きずり下ろされて行くような、この感覚は何だ。
どこか危機感にも似たそれに促され、私は一言、ではこれにて、と言い残すと、急き立てられるように虚空に向かった。少女のなだめる声を引きずる少年の罵声が、そんな私を丁寧に見送る。
「逃げんのかコラァ! けっ、おととい来やがれってんだ!っていうか二度と来んじゃねー!」
* * *
…………嫌な予感がする。
これまでこのヴァナ=ディールにおける様々なトラブルを扱ってきたマスターとしての勘のようなものが、密かにそう告げていた。
あの青年は、一体どんな行動をしていたのだろうか。まだ巣立って日の浅い冒険者である事は承知していたが、もしや想像以上に――しかし、妨害者と目されている彼ら七人に繋がりがあるというのもまた事実で――
否。
まだ結論を出す段階ではない。私は軽くかぶりを振る。
先ずはケイン青年の主張を前提にして、残る面々――彼の話に上がった者達全てを、訪れて回ってからだ。
私は改めてそう心に刻み、深紅の鎧を包む陽炎を奮い立たせる。
次は……宝箱を掠めたという――また男女の二人組か。
私は厚い雲の上から緑色の地上を眇 める。かなり離れているが、彼ら二人もまた同じウィンダスに居るようだった。
……男性――黒魔道士の方から攻めよう。
事が宝箱となれば、主犯格はシーフである可能性が高い。彼女が居ないうちに、比較して警戒の甘そうな共犯側を先に叩けば、何か口を滑らせるかもしれない――
to be continued
サルタバルタ――ウィンダス連邦。星の大樹に護られた、緑豊かな魔法国家である。まるでクローズアップするように、みるみるとその迷路のような町並みが大きく迫る。
調査に於いて、整理された情報は何よりも重要だ。
そこで、集団による妨害行動に遭ったというあの青年が語った順をなぞって、私はその被疑者達のもとを訪れる事にした。物理限界を超えて自在に移動できるというマスターの強みは、こういった所でも効力を発揮する。運のよい事に、今日はほぼ全員がウィンダス近郊に居た。
しらばっくれるだろうか。それとも認めるか――あるいは、本当に濡れ衣か。いずれにせよ、私が赴けば自ずと判る事だ。
まずは最初の件。ホルトトの入り口に大量のカーディアンを連れて来て彼を追い払ったという、白魔道士のタルタルを目指す。
今は石の区にいるはず――――見えた。小さな白い影は、折好く人気の少ない場所にぽつんと一人で立っている。
私は体勢を整えると、音もなくその少女の傍らに降り立った。
* * *
「えっ――え? あ、あの……マ、マスター、ですか?な、何――あのっ、私――」
茶色いポニーテールの白魔道士は突然現れた深紅の鎧を見上げて泡を食い、あたふたと慌て始めた。
その様子を見つつ、兜の奥で私はつと目を細める。
狼狽している。 やはり後ろ暗い所があるのだろうか。彼女の落ち着きのない態度からそう思いかけたが――
まるで端(はな)から白魔道士に、癒し手になるべく生まれてきたような、清楚で優しげな雰囲気を湛えた小さな少女。そわそわとしてはいるが、逃げ腰になる様子はなく――それは何かが露見することを恐れてと云うよりも、ごく単純に、自分を統べる存在が前触れも無く現れた事による驚きの表情に、私の目には映った。
私の経験から言えば、身に覚えがある人間は、捕り手に対してここまで無防備におろおろして見せたりはしないものだ。むしろその逆、冷静を装ったり、もしくは意外そうに驚いた「ふり」をしてみせる。
そう、余程狡猾で計算高く、自分の外見を隠れ蓑にするほどの肝が据わっていれば話は別だが……
刹那でひとしきり相手の仕草と自分の判断を冷静に疑い終えてから、私はいつも通りの威厳を以て小さなタルタルに尋ねた。
―― 突然失礼する。 少々尋ねたい事があって来た。隠し立てする事無く、正直に答えて欲しい。
「え――? は、はい……な、何でしょう――」
今にも泣き出しそうな声と表情で、それでも彼女は生真面目にこくりと頷く。そこには戸惑う中にも協力的な姿勢が見え隠れし、逃走するような兆しはない。例えそれを試みた所で、私から逃げおおせる事など不可能であるという事実を踏まえての事か否か。さて……
―― 二日前の昼過ぎ、貴女はホルトト遺跡に居た。相違無いか。
「二日前……ですか……あ、はい……いました――けど」
――そこで貴女は大量のカーディアンを引き寄せ、それを入り口近くまで連れて来た。
「え――?」
―― 相違無いか。
「え……いえ、あの……」
消え入るような声で小さく首を横に振る彼女に、私は続ける。
――ホルトトで貴女とすれ違ったという冒険者の青年から、直後にその方向からやって来たカーディアンの大群に襲われたとの被害報告があった。彼と同時刻にホルトトに居たタルタルの白魔道士は貴女だけであることが既に判明しており、その件について確認を取りに来たものである。何か申し開きはあるか。
「え、ええ……?あ、あのっ、申し開きなんて、私、そんな……」
いよいよ心細げに、生まれたての子馬のように身を震わせる白魔道士。しかしその不安げな瞳に、かすかに何かが閃いた。
「――あ? カーディアン、って、もしかして……」
「なぁぁあにやってんだコラァァアァァァ!!」
と。
どどどど、という小さいながらも戦車のように重い足音と叫び声が背後から響いたかと思うと、私の背にがつんと小さな衝撃が走った。眉ひとつ動かさず、私はゆるりと振り返る。
「――っ、てぇぇー!!」
果たして足下には、一人のタルタルの少年が転がっていた。
灰色のくりくり頭、緑色の町着。しかし背には大きな――と云っても、彼の背丈からすれば大きな、というサイズだが――禍々しい闇色の鎌を背負っている。
まるで少女の白と対を成すかのようなその漆黒は、明らかに暗黒騎士の得物だ。容赦のない黒。闇を吸い死を吐き出す、地上で蠢く輪廻のエンジン。タルタルにしては珍しい職業選択だ。
さて、どうやらあの足音で助走をつけた彼が、飛び上がって私の背に蹴りを食らわしたもののようだが――彼は見事に顔をしかめて情けない悲鳴を上げ、右足を抱えてぴょんぴょんと飛び跳ねている。
無理もない。 私が纏っているものは紅蓮の鎧。よしんば町ほどもあるドラゴンがその牙を剥いたとしても、傷ひとつ付ける事能わぬ神具なのだ。ヴァナ=ディールを護る者を護る鎧――ある意味で世界最強の「護り」が、タルタルの蹴り一つで揺らぐ訳もない。
故に避ける動作すら必要としなかった私は、改めてその少年を探るように見下ろした。
「っ、てて……おいっ、てめぇ!何フォーレにいちゃもんつけてんだよ、あ゙ぁっ!?」
タルタルの少年は、私と少女の間にずかずかと割って入った。兜に隠れて見えないはずの私の視線を、噛み付くような口調ではね除ける。驚いた事に、早くも足のダメージからは立ち直ったらしい。
小柄なタルタルにしてはずしりと重い、いい蹴りだった。しかしその分本人に跳ね返った衝撃も甚大だったはずだ。脚絆も着けない町着での跳び蹴りなら尚更だろう。それでこの回復の早さ――なかなかに鍛えていると見える。
好戦的な表情の少年はぎりっと私を睨みつける。相手の強大さなどを一切考慮しない、剥き出しの敵意が私を見上げていた。
凶悪そうな武器、険悪そうな表情、性悪そうな言葉。しかしそんな負の雰囲気をまき散らしながら、彼の取っている行動はまるで少女を護る誠実な
―― 決していちゃもんなどではない。二、三尋ねたい事があって来たのだ。
静かにそう云いながら、私は彼を観察する。これは確かめるまでもなく、彼女と一緒に居たという「真っ黒い鎧を着たタルタル」に違いない。
尋ねる手間が省けたと――否、この場合は間が悪いと云うべきだろうか。黒いタルタルの影に庇われて、白いタルタルはすっかり口をつぐんでしまっていた。
「尋ねたい事だぁあぁ?てめーテキトーな事言って一般人ビビらせてんじゃねーよ!この俺様ならともかくだなぁ、こいつがてめーらマスターなんぞに目ぇつけられるような事ぉする訳ねぇだろーが!マスターのくせしてそのっくらい見てわかんねーのかよ、その目ん玉はビー玉かっ!」
……この手の盲信を、私はつい先日も見たばかりのような気がする。
が、何故だろう。少女を背に庇うこの少年の方が、遙かに話が通じるような――奇妙な安堵感が、私の中にはあった。
おたおたと慌てふためく白い少女を背に押しやり、拳を振り回し足を踏み鳴らして狂犬のようにがなり立てるタルタルの少年を見下ろす私は、兜の奥の口だけを動かしてゆっくりとなだめすかすように云う。
――そう
「だぁら! 是も非もないっつってんだよ!大体どこをどう叩いたらこいつからホコリが出るんだ、バカがつくぐらい正直でお人好しで臆病な奴だぞ!あのなよく聞け、こいつの行動に非なんてもんがあるってんならなぁ、俺はとっくにブタ箱と娑婆を余裕で百往復はしてるっつんだよ!」
息継ぎもそこそこにまくし立てる彼は、全く聞く耳というものを持たない。
しかしまさかこのタルタル、自分の方が先にお縄になりたくて仕方ない――という訳ではあるまいな。
ともあれ、私が少女に声を掛けた事ですっかり頭に血が上ってしまっている彼を差し置いて、少女の方に質疑をすることはもはや不可能のようだ。致し方ない、順序を変えるとしよう。
―― では代わって貴殿に聴こう。 二日前だ。貴殿ら二人が居たホルトトの出入り口近くで、押し寄せるカーディアンの大群に呑まれかけた冒険者が居た。この事に覚えは無いか。
「なに……?」
自分の専門分野について質問された職人のように、暗黒騎士の少年はようやく口を閉じると訝しげな表情で考え込んだ。と、その機を逃すまいとするかのように、「ルード、ルード」と遠慮がちに囁きながら、白魔道士の少女が彼の袖を引いた。少年は肩越しに少女を振り返る。
「……ね、あの子の事じゃないかしら?ほらあの時、帰りがけにすれ違った、あのヒュームの……」
その言葉を聞いて、彼はふと視線を宙にさまよわせた。何かを思い出そうとしているらしい――と、次の瞬間。彼はみるみる眉を吊り上げたかと思うとぐるりと私に向き直り、以前に倍する剣幕で爆発するように叫んだ。
「てんめぇ、あれをフォーレの仕業だと思ってやって来たってのかよ!!ふっざけんじゃねぇぞあのバカヒューム!恩を仇で返すたぁいい度胸だ!おいっ、あの脳味噌メルトダウンした野郎ぉここに連れてきやがれ!ってーかどこにいるか教えろ、今すぐ教えろ!行ってボコボコにセッキョーしてやらぁ!」
まるで癇癪を起こした活火山だ。彼の怒鳴り声に驚かされ、星の大樹を囲む水辺で憩っていた水鳥が空へと逃げていく。
その羽音を聞きながら、私は更に冷静に尋ねた。
―― ふむ。つまりあれは、彼女のした事ではない、と?
「ったりめーだろうがぁ!むしろ俺らは奴の後始末をしてやったんだぞ!それを感謝されこそすれ犯罪者扱い――だーっムカつく!ったくああいう奴は一生町から出すんじゃねぇよ、ボンクラ保護法でも作って一生座敷に閉じ込めとけってんだ!」
今にも背中の大鎌を抜いてあさっての方角に走り出しそうな少年に、一体何があったのかを詳しく説明する冷静さはもはや残っていない。そう見て取った私は、かっかと憤る彼からすっと視線を白魔道士のタルタルに転じた。すると彼女はそれを敏感に察して、横目で少年を気にしながらも訥々と話し始める。
「……はい、あの、私、確かにその人とすれ違ったと思います。ホルトトの地下で確かに――でも、カーディアンを連れて来たのは、私じゃないんです」
―― と云うと。
「えっと、その時ホルトトで、私はルードと――あ、この人の事です――別行動をしていたんですけど。予定していた用事が終わったので、合流しようと思って出口に向かいました。その時に、その男の人とすれ違って……で、出口近くでこの人と合流したら、背後から魔法詠唱の声が聞こえたんです」
魔法詠唱――?
初耳だった。 白魔道士の言葉は続く。
「軽い回復魔法でしたけど――びっくりしました。だって、私の来た方向……彼の向かう先の部屋には、魔法に反応して襲ってくるカーディアンが沢山棲んでいましたから」
「そういう事だよ!要はあいつはなぁ、何の注意もなしに垂れ流したてめーの魔法でご丁寧にカーディアンの団体さんをご招待しておきながら、被害者ヅラしてどたどた逃げて来やがったんだ!」
…………意外な展開――否、経験の浅い冒険者ならばあり得る話だ。
だからと云って彼らの供述を丸呑みにしてはならないが、少なくとももう一度情報を洗い直す必要がある。
そう思考を巡らす私の足下で、タルタルの暗黒騎士は苛立たしげに歯ぎしりしながら、右の拳を左の掌にばちんと打ち付けて云った。
「あんにゃろー、アホみてーに泡食ったツラして逃げてやがると思ったが、自分があそこでマヌケに魔法を唱えたって事もカーディアンが魔法に食らいついてくる魔物だって事も、マジでその空っぽな頭には入ってなかったってぇ訳か!?ったくはた迷惑なヤローだな!いいか、あの後ホルトトの奥から出てきた奴らが、そのピクニック帰りみてーなカーディアン達のせいでがっちり立ち往生しちまったんだ!しょーがねーからその大群を始末したのが誰だと思ってる、俺らだぞ!」
ぐいと胸を反らすようにして吠え立てる黒い少年をなだめるように、白い少女は柔らかく私に云う。
「あ、あの、私達の事ならいいんです、特に危ない目に遭ったって訳でもありませんから……ただ、私達がカーディアンを集めたんじゃあない、っていう事と……できればその人に、これからは危なくないように気をつけてくださいと、伝言を……」
―― 成程。では、貴殿ら二人とも、あの青年に対し含む所はない、と、そう主張するのであるな。
白魔道士は小さく頷いた。
「くどい!」
暗黒騎士は吐き捨てるように云った。
……予想していたものとは、いささか異なる方向に話が進んでいるようだ。
もし彼らの主張する所が、この事の真相であるならば――被害者と加害者が逆転する事になってしまう。
これは、厄介だ。内心でそう呟きながら、私はこの場を引き揚げるべく冷静に二人に告げる。
―― 承知した。貴君らの証言を参考として、更に調査を進める事としよう。協力、感謝する。
「参考じゃねぇよ!単にそいつがだせーポカしたってだけの話だっつーの!」
少女に嫌疑がかけられた事が余程腹に据えかねたのだろうか。まるで私がそのならず者であるかのように刺々しく、少年は当の少女がなだめるのも聞かずに不満の丈をぶつけてくる。
明らかに八つ当たりでも、そのひたむきな様はどこか微笑ましかった。私が彼の父親なり教師なりであれば、ここは敢えてその癇癪を受け止めてやるにやぶさかではないのだろう――が、私は――マスターだ。
彼らと同じ生活圏内に降りる事は永遠に無い、高みの存在。公正なる裁きを叶える為に常に一線を画し、俗離れした別次元の存在として認識される――
「なぁ、おっさんよぅ!マスターっつーのはあれだ、オーオカサバキってやつが得意技じゃねーのかよ!そのたっかそーな鎧の下にはお花畑の模様が入ってるって聞いたことがあるぜ?でなきゃ家来が二人いて、チンケな薬入れを見せられたらそいつが犯人だって言うじゃねーか!そいつを見せびらかすんなら、そりゃこっちじゃなくてそのトンチキ野郎に見せてやるのが筋ってもんだろうがよ、あぁっ!?」
……止め処なく地べたに引きずり下ろされて行くような、この感覚は何だ。
どこか危機感にも似たそれに促され、私は一言、ではこれにて、と言い残すと、急き立てられるように虚空に向かった。少女のなだめる声を引きずる少年の罵声が、そんな私を丁寧に見送る。
「逃げんのかコラァ! けっ、おととい来やがれってんだ!っていうか二度と来んじゃねー!」
* * *
…………嫌な予感がする。
これまでこのヴァナ=ディールにおける様々なトラブルを扱ってきたマスターとしての勘のようなものが、密かにそう告げていた。
あの青年は、一体どんな行動をしていたのだろうか。まだ巣立って日の浅い冒険者である事は承知していたが、もしや想像以上に――しかし、妨害者と目されている彼ら七人に繋がりがあるというのもまた事実で――
否。
まだ結論を出す段階ではない。私は軽くかぶりを振る。
先ずはケイン青年の主張を前提にして、残る面々――彼の話に上がった者達全てを、訪れて回ってからだ。
私は改めてそう心に刻み、深紅の鎧を包む陽炎を奮い立たせる。
次は……宝箱を掠めたという――また男女の二人組か。
私は厚い雲の上から緑色の地上を
……男性――黒魔道士の方から攻めよう。
事が宝箱となれば、主犯格はシーフである可能性が高い。彼女が居ないうちに、比較して警戒の甘そうな共犯側を先に叩けば、何か口を滑らせるかもしれない――
to be continued