テノリライオン

守護者は踊る 3

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corelli

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 ウィンダス連邦、水の区。魔法国家の中核を成す「院」の一つ、目の院所属の魔導図書館は、その中に詰まっている紙の重量と密度を表すが如くにずっしりとした風采で、人気もまばらな水の区を見下ろしている。
 今、その重そうな扉を押し開け、一人のエルヴァーンが建物の中から姿を現した。全身黒ずくめ、短い髪だけが何かの目印のように白い。
 本棚の薄暗い森に長いこと埋もれていたのだろうか、明るい陽の光を受ける彼は眩しげに目を細めている。ゆっくりと一つ伸びをしながらウィンダスの町並みへと歩き出そうとするその人物の傍らに、私はふわりと降り立った。


  *  *  *


「――――?」
 非常識な方向から前触れ無く現れた(マスター)の気配に、彼は予想以上の鋭敏さで振り向いた。陽光に細めていた彼の目が、そのままの形で疑問と訝しさを宿して私を見る。
 その変化を観察しつつ、私は例によって形式的に切り出した。

 ―― 突然失礼する。 少々尋ねたい事があって来た。

「――――」
 それに対し、返ってきたのは、無言。
 何故だかエルヴァーンの男性は私を見たまま、一言もなくじっと押し黙っている。
 驚きのあまり声が出ない――のではなさそうだ。白い短髪をそよ風に預けながらまっすぐ立つその体に、怯えや焦りの気配は見られない。
 私の言葉が聞こえていない――のでもないだろう。こちらの問いかけに反応してひょいと上がった彼の眉の動きも、私は見逃してはいない。それでも彼の口は閉ざされたままだ。
 ……黙秘(だんまり)か。無駄な事を――そう思いかけた私の目の前で、彼の手が動いた。

「――…………」
 彼は少し開いた自分の口を指差すと、ひらりとその手を払う。そして軽く首を横に振り、最後に小さく頭を下げて見せた。
 このジェスチャーは……喋れない、という事か。
 私がそう訊くと、彼は一転人なつこそうな笑みを口元に浮かべ、そうですと云う風に頷いた。
 そう云えば――。
 予めざっと見てきた彼らの最近の会話記録を思い出す。その中に、この男性の発言は極端に――否、云われてみれば――ひとつも、無かったのでは?
 無口なのではなく、物理的に声を出せない事情があったという事か。それにしても、声を出せない魔術師というのは――果たして職業として、成り立つのだろうか。

「……バルト? どしたの?」

 と、不意に女性の声。
 その方向に視線をやる。と、一人の小柄なミスラが、驚きの表情を浮かべて我々の方に歩み寄ってくる姿が目に入った。
 茶色いおかっぱ頭に乗るベレー帽が、ミスラ特有の耳を隠している。丈の短い緑色のボレロ、同じく緑色のゆったりしたズボン。冒険を生業とするシーフの装束が、前回のタルタルのコンビに続きまたしても二人連れが揃ってしまった事を私に告げていた。
 人の足で移動するにはそこそこ遠い場所に居たはずだが――どうやらシーフの俊足を甘く見ていたようだ。私は密かに眉根を寄せる。

 黒魔道士が彼女に軽く視線を送る。するとミスラは心得たように小走りで彼の隣までやって来て、流れるようにその手を取った。
 『手とか繋いで、すごく仲が良さそうで――』という、ケイン青年の言葉が蘇る。
 繋いだ二人の手首には、双子のようにそっくり同じ腕輪(バングル)がはまっていた。市場に出回っている市販品ではない事が一見して判る、精緻を極めた神秘的な掘り細工が私の目を引く。加えてそこからは、静かながらも密度の高い魔力の存在を感じ取る事ができた。
 恐らく匠の手なる――いずれ能力の高い者が創った逸品であろう。一瞥でそう判断し、私は彼ら二人へと注意を戻す。

 手を繋いだほんの一瞬、彼らが目で会話を交わした――ように見えた。疑問符と句読点だけで構成されたような空気だけが、二人の間に浮かんでいる。
 しかし、その一瞬の後に私に向き直ったミスラが発したのは、そんな無音の記号のみで通じたとは到底思えない子細な答えだった。
「――あ、すいません。この人、ちょっと前に喉にケガして、声が出ないんですよ。大抵は身振り手振りでどうとでもなるんですけど、マスターの事情聴取となるとそうも行かないでしょうから、私が仲介します――だそうです。……って言うか、あの……もしかしてこの人、何かしました?」

 ……エルヴァーンの男性は、私と(まみ)えてから一言も声を発していない。
 従って、影で二人が通信機(パール)を使ってあらかじめ交信していたという可能性はゼロである。あの通信機は、本人が実際に声を出す事でしか使えないのだから。
 にも関わらず、彼女がこの場に居なかった時点でのやりとりが、後から来た彼女の言葉に含まれている。これは――以心伝心のレベルではない。
 彼らは、何らかの手段を以て、通じている。

 黒魔道士は人なつこそうな笑みを残したままで、私の言葉を待っている。その表情は、大層無邪気で牧歌的な――見ようによってはどこか嬉しそうな雰囲気すら漂わせていた。
 一方シーフは――伺うような視線の下に、うっすらと警戒の色を浮かべている。そこに反抗的な空気は見えないが、どちらかと言えば無表情にも近いその視線は仮面の役割を果たしているのだろうか。
 そんな見事に雰囲気の異なる二人であるのに、寄り添い手を繋いでいる事で、まるで同じ血の通った一つの生き物のように感じられるのだ。
 私は吸い寄せられるように視線を落とす。彼らの手首に鈍く輝く、二つのバングル。……これか。
 つと意識を集中する。腕輪に込められた魔力を探り、その構造と挙動を解析する。そうして現れたロジックを、己の中に取り込み……

 ―― 失礼する。

「……うあ」
 ミスラが奇妙な声を上げて顔をしかめた。バングルの会話(ネットワーク)に突然入り込んだ私の声が、脳に不快だったのだろうか。
【ああ……流石はマスターですね。 造作もない】
 マスターの強制力による割り込みに多少は驚くかという私の予想を裏切って、黒魔道士は目の前の状況を楽しむかのようににっこりと笑っていた。その表情に似て朗らかな彼の心の声が、直接私の中に届いて響く。
 私は接続した回路を通し、思考の音で言葉を返した。

 ―― 済まないが、しばし使わせてもらいたい。こうした方が、貴殿も話が通じ易いであろう。

【ええ、助かります。それに彼女以外の人と直接話せるのも久々なんで、嬉しいですよ】
「……うー」
 私と彼が無音の会話を交わす間、ミスラは頭痛を堪えるように眉間に皺を寄せて唸っている。
 余程違和感があるのだろうか――そう考えたが、上目遣いに私を見る彼女の下唇がごく僅かに尖っている事に私は気付いた。
 余計な事を、と思っているのだろうか。それにしてはやや露骨だが……否、これは。
 成程、と私は密かに苦笑する。

 円滑な会話の為に致し方ないとは云え、私は少々無粋な真似をしてしまったようだ。
 女性の嫉妬と反感は買わぬに限る。以降は私の方は口頭で話す事としよう。

【で、マスターが直々に、一体どういったご用件で?】
 そんな彼女の視線を知ってか知らずか、黒魔道士は微笑んだまま軽く首を傾げてそう訊いた。私は即座に意識を引き戻す。 まずは反応を見る事だ。

 ―― 二日前の貴殿らの行動について尋ねる。サルタバルタのホルトト遺跡奥にて、そちらのミスラに宝箱を横取りされたとの訴えが、とある冒険者から寄せられた。まずはその件について、心当たりはあるか。

「よこどりぃ?」
 半ば予想通りに、ミスラのシーフは素っ頓狂な声を上げた。小さく首をひねるその表情は、そんな事があったかしら、とでも言いたげな空気を醸し出している。
 とぼけているのか、本当に心当たりがないのか――即座には計りかねる彼女の様子を観察していた私の視線は、横合いからのんびりと響いた声なき声に引き戻された。
【おやおや。それはまた随分と、せっかちな新人さんだったんですねぇ】

 黒いローブのエルヴァーン。対比を成すように白い短髪の下で、相変わらず微笑んでいる。
 しかし彼の目は、私が視線を逸らす前よりもほんの少しだけ細められており――たったそれだけの動作で、彼を包む雰囲気ががらりと変わっている事を私は知る。
 思わせぶりな彼の台詞は、いくつかの事実を言い当てていた。ゆっくりと私は口を開く。 やはり――

 ―― 知っているのだな。

【とんでもない】

 云って彼は肩をすくめた。 そして訊く。

【逆にお尋ねしますが、その方が指しているのは、確実にこちらの彼女の事なんでしょうか?】

 ――緑色のシーフの装束を着たミスラと、黒いローブを着たエルヴァーンが、仲睦まじく手に手を取ってその場に現れた、と彼は云っているが。

【あ、成程】

 冷やかすでもない私の言葉に、ミスラは弾かれたようにその手をほどこうとしたようだが、彼の方にその様子はなかった。彼女の手を握ったまま薄く微笑みながら、なるほどねぇ、と含みありげな心の声で呟いている。
 一貫して無邪気な彼の口調が、私の神経を巧みに逆撫でる。抑えた声にいくばくかの冷気を込め、私は云った。

 ――……云いたい事があるのなら、率直に云ってもらいたいが。

【ああ、これは失礼しました。――そうですね、では】

 飄々と。
 私の語調に感じた風もなく、黒魔道士は笑みすらたたえて――そう、この男……間違いなく、楽しんでいる。
 そして、それは始まった。

【では、僭越ながら。まずお調べ頂きたいのは、その日ホルトトにおいて冒険者の手により開かれた宝箱(チェスト)の情報ですね。これは間違いなく一件以上は見つかると、先に申し上げておきます。次に、それらの宝箱を開けた者の情報を、アルカンジェロの名で――ああ、こちらの彼女ですが】
 そう云って黒魔道士は、傍らのミスラをちらりと視線で指す。へ、と彼女の尻尾が跳ねた。
【彼女の名前で絞り込みます。一件ほど見つかるでしょう。見つかれば、その時間も自ずと判明しますね。それを踏まえまして】
 彼には要らぬ息継ぎでもするような、一拍の間。
【今度は戦闘行為の情報です。彼女が抜刀した記録を、そこで判明した時間で探してください。ほぼ直後から、ホルトトという土地柄にしては異常に突出したダメージが連続していると思います。あ、肉弾戦に限定しなくても結構ですよ。――とまあ、そういう訳なんですが】

 そう云って彼はまた、にっこりと笑った。自分の出した謎々の答えを待って輝く子供の笑顔。
 しかしその子供は、まるでマスターに奉職した経験があるかのように、不気味なほど的確な指摘をする。

 ……地上に降り立つ前に私がチェックしてきたのは、ケイン少年と彼らがホルトト遺跡に入り、そして出たという記録と、疑わしき会話のやりとりがされていなかったかという二点についてのみだった。彼が言う抜刀や、戦闘記録については――そう、後回しにしていたのだ。
 そこを彼は狙い澄ましたように突いてくる。もしや私の背後で、その挙動を覗き見ていたのかと思うほどだ。
 軽い戸惑いと不快感を感じながらも、ひとまず私は黒魔道士の言葉を吟味してみる。突出するダメージ。 宝箱。 抜刀……

 ――人喰い箱(ミミック)か。

【ご明察】
 まるで出来の良い生徒を褒める教師のような彼の声が、私の中で跳ねた。
「――え、ちょっと待って。あのミミックの事を言ってるの?」
 それまでずっと不得要領な表情で我々の様子を伺っていたミスラのシーフが、それを聞いてようやく声を上げる。
「でもあの時、周囲にあれを狙ってる人なんか……ああ、そう言えば人の気配がしてたような気はするけど……でも」
【居たんだと思うよ。ただ、そういう状況に慣れてない人だったから、殺気や気迫が全くなかった。それで二人とも――まあ俺は元々そういう気配には敏くないけど――気に留めなかったんだと思う。向こうも俺達の姿を見るなり立ち去ってしまったみたいだしね】

 ――待て。
 手を握るミスラに滔々と説明しはじめる黒魔道士の言葉を、私は遮った。
 ケイン青年の素性や行動を、私は一つとして明らかにしていない。ある冒険者から訴えがあったと、ただそれだけを云ったはずだ。
 それなのに、何故彼はあの青年の性質や行動について、ここまで的確な供述をして見せるのだ。

【……あれ、違いました?そんな事ないと思うんだけどなぁ】
 私の咎めるような声に、黒魔道士はのほほんとそんな言葉を返す。相変わらず楽しげに、小さな含み笑いすら交えて。
 それはまるで、私の推察などお見通しだ、とでも云うように――
 ゆるりと向き直る彼のその襟元から、ちらりと黒い傷跡が覗く。不意のその漆黒に目を奪われた、次の瞬間。
 私の脳を、まるで出水のような彼の音無き言葉がみるみる埋め尽くし始めた。

【お言葉から察するに、その人が冒険者としてビギナーであり、かつあの場に長居しなかったことは明白でしょう。一つ、俺達が先にその宝箱にタッチしたのだから、所有権がこちらにあるという事は心得のある者なら誰でも身に染みているはず。例え言ったとしても憎まれ口が精々です。二つ、自分が手を出そうとしていたその箱が実は危険な魔物であった、そんな事実を目の当たりにしていれば、『横取りされた』などという表現が出てくる道理がない。つまり()の人は、あの箱がミミックであったという事を知らないまま去ったものと思われます。まあ、人喰い箱と戦いたくてしょうがない酔狂な方だったと言うなら話は別ですが、その場合は手練れの冒険者である可能性の方が高くなりますからね。三つ、これは前述の二つが的を射ていたとすれば少々腑に落ちないのですが、たった一度宝箱を逃しただけでマスターを喚び出したりするのは、己の首を絞める愚挙としか言いようがない。俺達を前にそそくさと退散するほどの弱腰なのに、その点だけは異常に強気で無謀だ。まあいずれにせよ、その人は冒険者のルールに極めて疎い、もしくはかなりの初心者であるものと推察されます――】

 自分の考えを述べることが、人と話せる事が、楽しくて仕方ない。
 そんな雰囲気も溢れんばかりに、ひとつ、ふたつと云う度に実際に指を立てて見せながら、愉快げに私の兜の中を射抜く視線は無音で語り続ける。
 端から見たら奇妙な光景だったろう。薄い陽炎のようにゆらめく深紅の鎧と、黒いローブをまとったエルヴァーンとが、まるでだんまり仕合いのようにじっと向かい合っているのだから。
 にしても――マスターという存在に押し黙ったまま眼前に立たれれば、大抵の人間はその威圧感に怯み竦むものだ。少なくともこれまではそうだった。
 しかしこの男は、沈黙なんぞは自分の飼い慣らした悪魔も同然と云わんばかりに、顔色一つ変えることなく私と対峙を続けるのだ。

【ま、判らないのは――その人の具体的な職業、あとは男性か女性かって事ぐらいでしょうかね。しかし、マスター。状況的に疑わしかったにせよ、これはわざわざ俺達の所に出向かれるまでもなかったんじゃあないですか?】

 流れるようにそう云った彼の微笑みが、更に深みを増したように見えた。
 傍らのミスラはと云えば、既に諦め顔で自分の腰に手を当て、彼の言葉が踊るに任せているようだ。瞳から力が抜け、傍観者の姿勢になっている。
 私の背中を、痺れにも似た悪寒が走った。

 読みを誤った。黒魔道士なら共犯で脇が甘い、などとんでもない。この二人がコンビで動いているのだとすれば、この男性の方こそが頭脳を担っていると見なければならないだろう。
 私の手によってサイレンサーを外された機関銃は、実に嬉しそうに私に言葉の照準を向けている。

【俺の記憶が確かなら、マスターの方々は冒険者の言動についてかなり子細な情報を手にする事が可能なはずです。その人が何時から何時までその場所に居たか、誰と組んでいたか、何と戦い何を手に入れたか。更には会話の一言一句はおろか、金品の流れから物品作成時の失敗っぷりまで把握しているそうじゃないですか。いやはやプライベートも何もあったものじゃ――おっと】

 黒魔道士は動いてもいなかった口をつぐんで見せる。

【まあ、今回の件に必要な情報は、俺達が先日ホルトトで手にした宝箱があのミミック一個きりだったという事です。この一点さえ洗い出してもらえれば、事は芋づる式に全て解決してしまうと俺は思うんですけどね】

 彼の言葉は、まるで部下の不手際を責める上司のように私の鎧に食い込んでくる。
 しかしその鋭さとは裏腹に、彼の晴れやかな表情には一本の棘もない。どうやら本人に、嫌味で言っているつもりは毛頭ないようだ。
 まるで我々の間を取りなすように、ミスラが居心地悪そうな表情を浮かべて私を伺っていた。

【とは言っても、どんな記録から事件に当たっていくかは、マスター毎のやり方にもよるのでしょう。差し出がましいようですが、二日前の――ええと、確か午後一時二十分前後。とりあえずは、そのあたりのホルトトの記録を洗ってみてもらえませんか?】

 マスターの具体的な職務内容そのものは、民間に対して秘匿事項とされている訳ではない。
 だがしかし、ここまで微に入り細に入り『我々』の活動状況を把握し、そこに食い込んでくる民間人など――かつてお目にかかった事がない。
 うきうきと挑む笑顔を浮かべる黒魔道士の背後には、黒々とした砦のようにそびえ立つ魔導図書館。まるで後ろ盾だ。ああ、これが彼の『弾倉』なのだろう。
 何ともはや――食えない男だ。

 私は半ば諦め、軽く目を閉じる。意識を上空に向け、遙か異界に蓄積された莫大な情報に見えない手を伸ばす。そしてその中から、彼の言う時間帯を念頭に二人の名を探った。間を置かず、いくつかの情報が降りてくる。
 ……数呼吸で終わるような一方的な交戦が、一つ……三つ、四つ……五つ目。これか……

 ―― 確かに。

 私は微かな溜息とともに頷く。確かに一つだけ、他と比べて規模の違う戦闘が繰り広げられている記録があった。
 目の前の二人が、ホルトトにて人食い箱(ミミック)を打ち倒している記録だ――

【ああ、良かった】
 それを聞いて黒魔道士は、また無邪気に笑う。そして云った。
【いやまぁ、実際その人の方が、目視では先にあの宝箱を発見されていたのかもしれませんけれど――ここは一つ結果オーライ、お咎めはなしという事で手を打ちませんか?何しろ俺達がそこを通りかからず、その人が先に手を出していたとしたら――その記録、ほんの数行の死亡報告になっていたに違いないですよ】

 ……何故にこの男は、表情と発言に恐ろしいまでのギャップがあるのだろうか。まるで好奇心旺盛な学徒のような調子でいて、云うことは実に冷静で辛辣だ。
 そんな思いに囚われながら、私はつらつらと彼らの戦闘記録に目を通す。情報だけ見ると、黒魔道士の方は一切戦闘に参加せず、シーフの方がその打撃に加えて攻撃魔法までをも唱えている事が判るが――予め腕輪(バングル)の機能を解析していた事で、私は直感的に悟る。
 これは、バングルを通して彼女が黒魔道士の魔術を受け取り、肩代わりをしているのだろう。黒魔道士の声が出ないという致命傷をカバーした、実に風変わりな――否、反則レベルかつ難易度の高い戦法だ。
 しかしそんな独特のハンデを背負ってなお、戦いが終わるまでにそう長い時間は要していない。冒険者としても熟練者の部類に入る、彼らの手腕が成せる技だろうか。
 にしても……よくよく見ればこの戦闘、何が最も突出しているかと云えば……

 ――この記録を見るに……そちらのシーフよりも、貴殿の黒魔法の方が盛大に暴れているように見受けられるが。

【いやあ、照れますねぇ】

 照れている。
 首の後ろをさすりながらにへらと笑う黒魔道士の、ふくらはぎを蹴飛ばしたのはミスラのシーフだ。

「いつもの事なんです」
 照れ笑いのまま足をさする黒魔道士の横で、彼女はそう云って大袈裟に溜息をつく。まるでいたずらが過ぎる息子を見るような目つきが、彼女の心中を表しているようだった。

 そう……この戦術は、彼女の側からすれば相当に危険な行為なのではないだろうか。
 メカニズムはさておき、実質的には彼女が攻撃を一手に担わされるのだ。それは同時にこのシーフが、相手とする敵の憎悪と反撃を一身に受けるという理屈になる。
 私は改めて交戦の記録を頭の中に浮かべる。さぞや手痛い目に遭っているのでは――と思ったが、その彼女の食らっている打撃の「数」が、驚くほどに少ない事に私は気が付いた。
 当たっていないのだ。 その敵の攻撃が。

 少々の感嘆を含めて視線を目の前のミスラに移せば、その小柄な体躯から漂って来るのは――木の葉のように軽やかで、雷光のように質量のない――己を捕らえようとする手の全てをかわしすり抜ける鋭い力の気配。世に居るシーフが日夜研鑽しているであろうその身のこなしの、極みを感じさせる。
 天性のものか――それとも、鍛えられたものか。

 ―― 苦労しているようだな。

 私がぽつりとそう云うと、彼女はようやく目だけで笑って大袈裟に答えた。

「ええ、そりゃあもう。この暴君に日々付き従っているお陰で、いつの間にか身のこなしにだけは自信がつきました」
【とんでもない。俺こそはこの女性(ひと)の忠実なる(しもべ)ですよ――いてっ】

 今度は思い切り頭をはたかれている。
 はたいたミスラの顔は怒っていても、頬は心なし赤い。その様子で、私は最後の毒気を抜かれた。

 ―― 了解した。 協力、感謝する。

 私の切り上げる言葉を聞いて、黒魔道士はいえいえと首を横に振った。
【こちらこそ、お話が出来て大変楽しかったですよ。何かあったら、ぜひまたおいで下さい】
「何バカ言ってるの」
 それを聞いたミスラは呆れ顔だ。しかし敢えて言おう、私も彼女と同感であると――

 バングルの交信を切り、奇妙な消耗と共にその場を後にする。
 ようやく静かになった黒魔道士は、溜息をつくミスラの隣でにこにこと私に手を振っていた。


to be continued





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