テノリライオン
07-02-03
最終更新:
corelli
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#blognavi
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森 博嗣「四季」読了。
よく「心に残る一冊」とか「人生を変えた一冊」とかいう評価があるが、そういった一言で表すならばこれは「帰って来られなくなる一冊」である。
例えば、電車の中でこの本を読んでいて、降りる駅に着く。本を閉じて立ち上がり、人の合間を抜けながらドアをくぐってホームに降りて、出口に向かって歩き出す。
そうしながら、周囲の風景が頭に入ってこないのだ。物語が五感を支配する、その時間と強度が異様に強く、長い。
そうしながら、周囲の風景が頭に入ってこないのだ。物語が五感を支配する、その時間と強度が異様に強く、長い。
現実でも虚構でも、しばしば「天才」という表現、モチーフが使われる。音楽にずば抜けたセンスを持っていたり、人よりも勉強ができたり、誰も描けない絵を描いたりする人達のことだ。
この物語の主人公の「四季」という少女は、それら天才の、まさに最終形のような存在として描かれる。
一般の人間が家庭用ノートパソコンなら、彼女は巨大なビルを埋め尽くすスーパーコンピュータ。
彼女は物事を字で記録しない。脳の外にわざわざ記録する意味がないからだ。
彼女がその情報蓄積速度を最大限に発揮できずにいるのは、一度に一カ所以上を見られない人間の目の機能のためだ。
この物語の主人公の「四季」という少女は、それら天才の、まさに最終形のような存在として描かれる。
一般の人間が家庭用ノートパソコンなら、彼女は巨大なビルを埋め尽くすスーパーコンピュータ。
彼女は物事を字で記録しない。脳の外にわざわざ記録する意味がないからだ。
彼女がその情報蓄積速度を最大限に発揮できずにいるのは、一度に一カ所以上を見られない人間の目の機能のためだ。
森博嗣の描く「天才」は、私たち人間という生物の備える「矛盾」を洗い出して、容赦なく剥がし落としてしまう。
剥がし落とされたそれが「矛盾」だと判るから、本から目を上げた時に、それをすぐにはまとい直せない。
だからため息が出る。少し寒い。そして駅のホームでぼんやりしてしまう。
剥がし落とされたそれが「矛盾」だと判るから、本から目を上げた時に、それをすぐにはまとい直せない。
だからため息が出る。少し寒い。そして駅のホームでぼんやりしてしまう。
しばらく帰って来られない。
森博嗣の作品にはいくつかシリーズがあって、簡単に言えばそれらのストーリーや登場人物、設定を互いにリンクさせ交錯させるのがこの「四季」となっている。
そのシリーズを読破し頭に入れてからこの「四季」を読めば、要所要所で「ニヤリ」とできて更に面白いのだけれど、それがなくてもこの本の魅力と魔力は衰えない。
そのシリーズを読破し頭に入れてからこの「四季」を読めば、要所要所で「ニヤリ」とできて更に面白いのだけれど、それがなくてもこの本の魅力と魔力は衰えない。
「いいえ」四季はにっこりと微笑む。「先生……。私、最近、いろいろな矛盾を受け入れていますのよ。不思議なくらい、これが素敵なのです。宇宙の起源のように、これが綺麗なの」
「よくわかりません」
「そう……、それが、最後の言葉に相応しいわ」
「最後の言葉?」
「その言葉こそ、人類の墓標に刻まれるべき一言です。神様、よくわかりませんでした……ってね」
最も神に近い人間が、愛した相手に向かって語った言葉である。
カテゴリ: [読書] - &trackback() - 2007年02月03日 18:58:09
