テノリライオン

07-04-11

最終更新:

corelli

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児玉 清「寝ても覚めても本の虫」読了。

なぜ原書で読むことになったか、それは実に単純な理由で、僕の大好きな作家達の翻訳本が突然といっていいくらいに目の前から消えてしまったからに他ならない。(中略)原因は翻訳を読み尽し、原作に追いついてしまったためである。(中略)
手持ち無沙汰に茫然としているうちに、ある日一つのことに気付いた。あちらでは原書の新刊が出ていることを。さあそれからは居ても立ってもいられない状態で、ええぃもう我慢できない、分からなくてもいいから原書を買って読んでしまえ、となるまでには大した時間はかからなかった。

筋金モンの「本の虫」っぷりがひしひしと伝わってくる一節である。
著者の児玉清氏は大の本好き。特にイギリス・アメリカのエンタメ作品に造詣が深く、そこに焦点を絞ったコラムを集めたのが本書である。

私はあまり海外の作品を読まない。
本を読むことの目的の半分が「日本語を味わうこと」なので、翻訳者の手によりどうしても「他国語の表現を元に持つ日本語」となってしまいがちな翻訳ものは敬遠する傾向にあるのだ。
日本語として自然にするために、原語からどんな「表現の置き換え」が行われているのか分からないのがどうにも落ち着かない。よほど巧みな翻訳やとんでもなく面白いストーリーであれば幾分それは軽減されるけれど、少しでも「他国語」を感じさせる日本語を見てしまうともうアウトである。この表現の原文はどんなだったんだ、と気になって、どこか騙されているような気分になってしまう。
しかし児玉氏は、日本語だろうが翻訳だろうが英語だろうがおかまいなしに、すがすがしいまでの貪欲さでとことん「読書」を楽しんでいる。M・クライトン、T・ハリス、D・フランシスなど、私でも聞き覚えのあるような有名作家からマイナーな作家まで、縦横無尽に読んではひたすら前向きに面白がっている。
そしてレビューが上手い。物語のサワリを興味が出るギリギリの線までさらりと紹介し、著者の風貌やエピソードなどをからめたりしながら、巧みにその本の世界に読者を誘うのである。
氏が紹介する本紹介する本、どれも面白そうに思えてならない。これは何よりもまず本人が、本当にその読書を楽しんでいるからこその魔力であろう。
いずれ遠からず海外ものを買い漁る日が来ることはこれで確定したが、とりあえず「羊たちの沈黙」と「ハンニバル」は真っ先に読まなきゃな、と思った。


カテゴリ: [読書] - &trackback() - 2007年04月11日 19:57:50
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