テノリライオン
みんな愛のせいね 後編
最終更新:
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「――参りました」
鋭い鋼の衝突音が長く尾を引く方向に、ルカが咄嗟に目を向ける。
するとそこには、軽く両手を挙げるエルヴァーンの赤魔道士と、大きな斧を彼の首筋寸前でぴたりと止めるガルカの戦士、そして二人の間に落とされた細い剣が見えた。
双方肩で大きく息をして、ヴォルフの降参の声も苦しげだ。 彼の魔力と体力が、同時に尽きている気配がする。 これは、イーゴリの力押しの勝利だろうか。
ガルカの戦士が斧を腰に収め、軽く礼をした。 地に横たわる剣を拾いするりと鞘に戻し、その礼に倣うヴォルフ。 そして見えない闘技場のラインから退場するように数歩下がると、ゆっくりと膝を折った。
流れるような動作の中ですうっと静まる表情の横を、少し遅れた汗が伝って落ちて。
そして、天秤が傾き始める。
「邪魔するよ」
のそり。
一見のほほんとしたセリフと共に、イーゴリの巨体がゆっくりと黒魔道士に向き直った。
そのぶ厚く大きな手が、再度腰の片手斧を掴んで無造作にぶら下げている。
少なからず疲労したままフォーレからの回復呪文も途絶え、未だヴォルフの魔法の残滓が彼の体をじわじわと蝕んでいた。 が、それ故に。
バルトとルカに向けられたその親しげな薄い笑顔には、ぞっとするような迫力があった。
* * *
「――ここから先は一直線のようね」
絶え間なく飛び交っていた詠唱の声と、そして響いていたもう一つの剣戟が徐々に消えていった事に、白黒二人のタルタルも気付いていた。
間合いを取って油断なく武器を構えながら、素早く周囲に目を泳がせる二人。 傾き始めた力のバランスを見て取ったドリーが含み笑いを浮かべて言った。
ルードの表情が僅かに険しくなる。
イーゴリの斧の標的は黒魔道士に移った。 以降彼から回復の呪文を貰う事は不可能と思った方がいいだろう。
となると、もはや体力を取り戻す術はない。 対してナイトのドリーは、まだいくばくかの魔力を残している。それで傷を癒されるのを、どこまで阻止できるか。
加えて、彼女の後ろには無傷のフォーレが控えている。 今はバルトのサイレスにより沈黙を強いられているが、その封印はいつ消え失せるとも限らないのだ。
「捻じ伏せますよ」
漆黒の鎌を握り直して、ルードが低く唸るように言った。
「できるもんならね」
ドリーが口だけで嗤った。
* * *
バルトが空いている手で背の両手棍を抜き払う。 無いよりはましだ。
ガルカの戦車のような大きな体が、その印象を裏切る敏捷さで動き出す。 次なる獲物を組み伏せるべく駆け出したイーゴリを、バルトの祈るようなバインドが迎え撃った。 が、同じ手は食わんとばかりにその巨体は魔法の光を破って突き抜ける。
「――!」
唸りを上げて襲い掛かる斧をかろうじて受け流した長い杖が、その衝撃に大きく跳ね上がる。幸い手からは離れなかった。
イーゴリの斧がぐんと引かれる。 それが再度打たれるまでの僅かな間に素早く集中したバルトが、ブリンクの魔力を紡いでルカに渡そうとした。 が、その一瞬前に、大きな斧は彼の鳩尾を襲う。
「っ――」
弾かれ倒れそうになるバルトとルカの間で、繋いでいた二人の腕がびんと張る。 咄嗟に重心を落として踏み止まったルカが思い切り腕を真横に引き、よろける彼の体をイーゴリから離しながらぐいと引き起こした。 たたらを踏むように黒魔道士の体勢が戻る。
間髪を置かず魔法を組み始める。 しかし続けて飛来する片手斧の刃を大きく避けてしまい、はずみで魔力がぷつんと途切れる。
ぜぇっ、という荒い呼気が、音の出ない黒魔道士の喉から漏れた。
魔法が発動できなければどうしようもない。 集中して、見極めなければ。
ぶるんと短い白髪を振って杖を握り締め、バルトはイーゴリを睨み据えた。 斧の動きの、最も大きい合間が欲しい――
大きな打撃で打ちのめす必要はない。 いや、それでも構わないが、魔法を作るだけの集中をさせなければ十分だ。 向こうの精神力もそう残ってはいまい。
イーゴリは内心でふっと肩の力を抜いた。 体力勝負にさえなれば、黙っていても決着はつく――
片手斧が強い太陽の光に閃いた。 武骨ながらも鋭い切っ先が、バルトの胴をかすめて黒いローブに大きな鉤裂きを作る。
その瞬間を逃さず、バルトはスタンを紡いでルカに渡した。 無数にある魔法の中でも群を抜いて詠唱の短いそれがミスラから放たれ、振りかぶろうと上がりかけていたイーゴリの腕をがちりと縛る。
続けてバルトの周囲に炎色の光点が湧き上がる。 イーゴリが完全に勢いを失いペースの崩れた腕を気合の声と共に再度振り上げる。
同時だった。 漂う凶暴な蛍達がある一瞬でバルトの左手に殺到する。そしてその紅い光が吸い込まれるようにルカの右手へ退避するや、残るバルトの体に大きな片手斧が思い切り叩きつけられた。
ルカの手から乱暴にもぎ取られる彼の体が、数メートルも遠くへ吹っ飛んでいった。
「むっ――」
黒魔道士を追おうとしたイーゴリが、咄嗟に迷った。 今の呪文は――完成していた?
冷たい予感に、はっと弾かれたように横を向く。
と、その顔に真正面から叩き込まれたのは、かろうじて斧の暫撃から逃れた魔力の発動でもなければ、舌足らずな呪文の声でもなく。 もっとずっと即物的で判りやすい、
「だぁっ!!」
軽々と彼の顔の高さまでジャンプしたルカの、芸術的なまでの回し蹴りだった。
「どわっ――」
あまりと言えばあまりに唐突な一撃に、その蹴りをまともに喰らってしまったイーゴリがたまらず数歩よろける。 どうにかぐっと踏み留まり、痛む鼻柱を押さえながら目を開くと。
完全な怒りの形相で、彼とバルトとの間に立ち塞がるミスラの姿がそこにあった。
「お――、いや、あのな、ル――」
これは……どうすればいいんだ。 俺が悪いのか?
受け取った魔力の炎をそっくり横取りしたようなルカの瞳に、咄嗟に手も言葉も出ないイーゴリ。
彼女の背後で、背中を土まみれにしたバルトが身を起こした。 痛みにしかめた顔で目の前の光景を見ると、慌てたような申し訳ないような諦めたような、実に微妙な表情を浮かべる。
煮えたぎる敵意を隠そうともしないミスラを挟んで、イーゴリとバルトの視線が出会った。
それまでの熾烈な攻防戦はどこへやら。 男二人がそれぞれに途方に暮れ、気配で相手に助けを求め――かけた、その時。
「うわっ!!」
再度ガルカの太い悲鳴が上がった。
イーゴリの視線が自分から後ろのバルトへ逸れたと見るや目にも止まらぬスピードで再度地を蹴ったルカが、今度はイーゴリの頭上へと踊り出たのだ。
空中で彼の頭を押さえつけるように両手をつき、もじゃもじゃの髪をむんずと掴む。 続けて跳馬を跳び越えるようにぶんと足を後ろへ跳ね上げる。 そして掴んだ手をそのままに放物線を描いて彼の向こうへ消えると、全体重を使ってその巨体を仰向けに引きずり倒した。
ずずんと重い地響きが起こる。 直後に胆の冷えるような、しゃきん、という音。
ばちっと開いたイーゴリの目に、のどかな綿雲が浮かぶ澄んだ青空と、それをバックに二本の短剣が交差して抜かれる光景が飛び込んできた。
「っ!!」
考えるより早く横ざまに転がり、跳ね起きる。 彼の首があった場所の両脇に、鞭が唸るように小振りの刃が突き立てられて引き抜かれた。 あのまま呑気に倒れていたら、首筋を短剣で封じられ身動き取れなくなっていただろう。
「ルカっ、ルカ待て、今はだな――」
既に彼に向かって低く前傾姿勢を取っているミスラ。 立ち上がりながらイーゴリは、何とか彼女をなだめるような言葉を選んで投げかける。
その目の端に、何とか起き上がったバルトがルカに駆け寄ろうとしている姿が映った。 そもそも彼女が詠唱の手助けを放棄してしまっては、戦場でバルトに出来る事はほとんどないのだ。
が、しかし手を取って引き戻そうにも、彼女の両手には鋭い短剣が光っている。 そして何より。
「フゥーーー……」
文字通り『ヒステリーを起こして暴れ回る猫』を捕まえて押さえ込むなど、どだい無理な話だ。
バルトの足が困ったように止まる。 その止まった姿を、イーゴリの目は反射的にちらりと確認してしまった。
いかん、と思った時にはもう遅い。
滑るようにシーフの姿が迫る。 イーゴリは戦士の習性で咄嗟に斧を振り抜くが、疾走する彼女がその刃の下をほとんどスライディングでくぐり抜けていったかと思うと、彼の背後でまたもざしゅっと大地を蹴る乾いた音がした。
振り向くのが間に合う訳もない。 丸太のようなイーゴリの首に、背後からルカの足がぐるりと巻きついた。
更にその首筋深くを、細くしなやかな腕が、しかし恐ろしい力で鋭く抱え込む。 両手の短剣はいつのまにか鞘に戻っていた。
(――落とされる!)
咄嗟に悟ったイーゴリが左手で彼女の腕を剥がそうとする。 が、巻きつく足が手の進入を阻み、深く締め付ける細い腕にガルカの武骨な指はひっかからない。
力任せに右手の斧を頭上に振り上げた。 柄がルカの頭を強く打って鈍い音を立てる。
しかし彼女は全く怯まず、却ってその衝撃がイーゴリの頚動脈を締めつける結果となる。
「うぉ……!」
まずい。 息苦しさよりも先にすぅっと視界が暗くなるのを感じた彼の腕が、本能的に動いた。片手斧をぱっと手離すと、ルカの体を直接掴もうと両腕を振り上げる。
その瞬間、小柄なシーフの腕がするりと首筋から離れた。 大きくのけぞってガルカの腕に空を切らせると続けて足も解き、バク転の要領で沈むように地面に降り立つ。 そして素早く彼の周囲に目を走らせ、地に落ちた片手斧を見つけるとそれに飛び付こうとした。
しかしその目論見は叶わない。 一瞬朦朧としながらも武器の不在という危機感だけは保っていたイーゴリの足が、その片手斧をがっと踏んで確保したのだ。
武器を奪い損ねたルカが真横に跳んで距離を取る。 その隙に素早く斧を拾うイーゴリ。 まだ少し苦しげな顔で獣のような荒い息を吐き、ようよう武器を構え直した。
また地を蹴る音がする――
* * *
小さな白い煙が、ぷかーと湧き上がって空気に熔けていった。
岩場に腰掛け煙草をふかすヘラルドが、すっかり遠くなった目で彼らの「試合」を眺めている。
彼の仕事の結果を記す記録用紙はとっくに脇に追いやられて、少し丸まった背は何やら社会からリタイア済みのお爺さんが縁側でお茶を飲んでいる風情だ。
そんなのんびりと座る彼の方に、やはりのんびりとした足音が近付いてきた。
ふとそちらに目をやると、歩いて来るのは長い白髪のエルヴァーン。 迎えるヘラルドの視線に、彼は軽く会釈を返す。
「申し訳ありません、勝手をさせて頂いて」
「いえいえ、時々ある事ですので。 構いませんよ」
ヴォルフの詫びる言葉に、バリスタを司るヘラルドは人のよさそうな笑顔で応えた。 二人の元に、遥か頭上を滑っていくトンビのぴーよろろという高い鳴き声が、風に乗って届いた。
その和やかな音色にヘラルドはうーんと背を伸ばすと、傍らで足を止める背の高いエルヴァーンと共に視線を正面に戻した。
「なかなか風変わりな試合ですねぇ。 何かルールでも決めていらしたんですか?」
「そんなところです――すみませんが、そろそろ終了の準備をお願いできますか」
「おや。 もうよろしいので?」
「ええ、近く蹴りがつくと思います」
そう言ってヴォルフは、細めた目を三人のタルタルに向ける。
すると、彼の言葉が聞こえたかのように、一人しゃがんでいた白いタルタルが身を起こした。
* * *
「――ああ、もう!!」
一体何度目になるのか。 ぜいぜいと息を荒げながら、ドリーは忌々しげに吐き捨てた。
「おらおら、きっちり盛り上げていかねーと――叩き潰しちまうぜ」
挑発的なのは、彼女のケアルをスタンで阻止したルードのセリフ。 その成功率は八割超、見事なものだ。
だがその小生意気な声音には、明らかにドリーよりも数段濃い疲労の色が見て取れる。
どう足掻いても片道切符なのだ。 フォーレにかけられたサイレスの効果はとうに消えていたが、どのみちバルトの後ろ盾がなければ暗黒騎士の彼に体力を回復する術はない。 ドリーはと言えば、残り二割の成功したケアルである程度体力を繋ぎ止めていた。
どうにか回復しながらも、それを上回る暗黒騎士の強烈な打撃に追い詰められるナイト。
少しずつ積み重なるナイトのダメージに、着実にゴールへと引きずられていく暗黒騎士。
「はっ――!」
ルードが動いた。 一蹴りで間合いを詰めると、真正面から黒い鎌を打ち下ろす。
頭上にかざしたドリーの白い盾がそれをがきんと受け止める。 重い衝撃で体が沈みそうになるのにかろうじて耐えると、盾を持った左手をぶんと振って鎌を押し返した。 二歩下がって立ち直る。
銀色の剣と漆黒の鎌が吸い寄せられる。 水平に斬り込んだドリーの剣と、唸りを上げて迎え打つ鎌の刀身とが激突した。
重量で圧倒的に勝る鎌がナイトの剣をぎんと跳ね返す。 と、その剣がルードの視界からふっと消えたかと思うと、予期せぬ衝撃が背後から彼を襲った。
弾かれざま踵を軸にぶんと回転したドリー。 その勢いと遠心力を乗せた剣が、見事な弧を描いて
無防備な彼の肩口へと叩きつけられたのだ。
ぐっと唸ってぐらつくルードが飛びすさる。 鎌と共に振り向きながら、再度体勢を立て直すドリーに向かって大きく武器を振り抜いた。 同じくばっと振り向いたドリーの白い盾がかろうじて彼の打撃を阻んだ、その時。
彼女の視線がつと逸れ、普段から大きな瞳が驚きに更に大きく見開かれて止まった。
「ちょっ――あの子!!」
大きくアングルの変わったドリーの目に飛び込んできたのは、あろうことか彼女の黒魔道士を放ったらかしに、イーゴリに向かって猛然と飛びかかるルカの姿だった。
何だあの、ルールなど知った事かという顔は!?
「うらぁっ!!」
そんな光景に一瞬唖然とするドリーの注意を、ルードの怒号が乱暴に引き戻す。
こちらは窮鼠の顔だ。 やられる前にやれ、その事だけに集中した黒い鎌が手負いの猛獣と化している。
薙ぎ払った三日月がドリーの鎧をががっと引っ掻いた。 荒々しい振動に彼女の体が一瞬ぐらりと揺らぐ。
と、その隙に喰らいつくかのような見事な手さばきで鋭い刃がUターンし、再び彼女に襲い掛かろうとした。
「……っ!」
衝撃でぼやける彼女の目に、その軌道は見えない。 だからこそ体が勝手に動いた。
ドリーはふっと身を沈め盾を構えると、それに全体重をかけて思い切りルードに体当たりを食らわしたのだ。
がつんと相手の芯を捉えた鈍い手応え、ルードの呻き声。 同時に頭上で鎌が空を切る。
間を置かず顔を上げるドリーが、思わぬ襲撃に歯を食い縛ってよろけるルードめがけて渾身の力とスピードで剣を振り上げた。
しかしその直前、バランスを崩されたルードの膝ががくんと折れる。 ドリーの剣は狙いから逸れ、暗黒騎士の兜を飾る大きな角にがんと当たって、その黒い防具を宙へと大きく弾き飛ばした。
金具がかすりでもしたのだろうか、顕わになったルードの頬からぱっと鮮血が走る。
「ぐっ――」
そのまま背後の岩塊に叩き付けられるルード。 頬の傷と立て続けの衝撃に歪む顔は、もう目も開いていない。
その時。 サイレスの効果からようやく開放されたのか、その向こうで小さな白魔道士がすっと立ち上がった。
再起動するチームメイトのフォーレが回復呪文を唱え出すのを目にして、勝利を確信するドリー。
「もらったぁっ!!」
高らかに叫ぶ。 剣の柄を両手で握って引き絞る。 その切っ先が王手の首筋をまっすぐに狙う。
が、彼女に見えていないものが、一つあった。
それは、今にも涙をこぼしそうに真っ赤な、フォーレの顔。
彼女から放たれる真白く清冽な癒しの光が、二人のタルタルの上に滝のように降り注いだ。
その力の流れ込む先は――ルード。
「えぇっ!?」
思わず叫んで固まるドリーの目の前で、暗黒騎士の目がかっと開いた。
黒いバネ仕掛けの人形が跳んだ。 疾風のようにドリーの脇をかすめ、視界から消える。
彼がいた所で、鋭く輝く三日月の刃がこちらを向いていた。 その柄をドリーの後ろで握っているルード。
次の瞬間。 ギロチンさながらの恐ろしい勢いで、その刃がドリーの鎧に噛み付いた。
「だらぁぁっ!!」
そして鎌の内側にドリーの胴体をひっかけたまま、背負い投げのような砲丸投げのような見事なフルスイングで、ルードは気合いの声と共に彼女の体をぶうんと空中へ打ち上げた。
「きゃぁぁーーーっ!!」
K.O。
細く弧を描いてたなびくナイトの悲鳴と、ヘラルドが吹き鳴らすぴぴーーっという笛の音に、
メリファトのそよ風が小さく溜息をついて去っていった――
* * *
「正座っ!! ルカとフォーレ、そこに正座っ!!」
ずずずず、と音を立てて、最初から最後まできれいに無視されていたミニチュアのお城のようなペトラの姿が地面に沈んで行く。
その光景を後に、皆がやーれやれといった風情で三々五々集まるアウトポストの簡素な小屋の前、ドリーが一人きーきーと喚き立てていた。
ルカはこれ以上ないというくらいの仏頂面でどっかとあぐらをかき、思い切り頬を膨らませてつーんとそっぽを向いている。
フォーレはルードの顔の傷にバンソウコウを貼ってから、こちらは素直にしゅんとしおれて正座していた。
「ルカあんたね、あんたは手ぇ出しちゃダメって言ったでしょ!? 何を力一杯参加してるの!! フォーレも最後の最後でルードにケアルってどういう事よ!? ああもうあれさえなかったら絶対に勝ってたのにー!!」
勝ちかけていた勝負に水をさしたのが一番乗り気でなかったはずの女子二人の暴走と離反とあって、ドリーの虫の居所は最悪だ。
「まあまあ、思い切りやって気は済んだだろう。 結構面白かったしな」
意外に上機嫌なイーゴリが、頭から湯気の上がっている彼女を笑いながらなだめる。 こんな場合はいつも茶化しに入るはずのルードやバルトはと言えば、彼女らから少し離れてこっそりと気配を消していた。
指示を出した訳ではないとはいえ、彼女達にピンチを救われ庇わせてしまった身としては、ここで口を出しては火に油を注ぐようなものだ。 兜を手に提げたルードは頬のバンソウコウのあたりをぽりぽりと掻きながら、バルトは微妙に首をすくめながら、二人してあさっての方向を向いて嵐が過ぎるのを待っている。
「大体がよ、戦いに私情を挟んじゃダメでしょう!!そんな事じゃいざって時に判断を誤るわよ!」
勢いに任せてどんどんと話を大きくするドリーに、口を尖らせながら駄々っ子のように体を揺するルカが切り返す。
「今の判断自体は間違いじゃないもん。 魔道士をガードしただけだもん。 つーかー、私情がどうとかって言うんならー、このバリスタ自体が何で始まったんでしたっけー」
ぐっと詰まるドリー。 イーゴリが愉快そうに笑いながら、そんな彼女の頭をぼふぼふと叩いて言った。
「ま、そういうこった。 諦めろ諦めろ」
「うーー……」
ぶつぶつぶつ。
荒涼とした岩山の頂を離れ、そろそろ高くなってくる鮮やかな日差しの下。
仲間達がそれぞれに装備を緩めくつろぎながら試合の感想や意見に花を咲かせる中、一人赤毛のタルタルだけが未練がましく、自分の勝負を見事にご破算にしてくれた強く美しいものに向けて、ぶつぶつと恨めしげな言葉を呟いていた。
End
鋭い鋼の衝突音が長く尾を引く方向に、ルカが咄嗟に目を向ける。
するとそこには、軽く両手を挙げるエルヴァーンの赤魔道士と、大きな斧を彼の首筋寸前でぴたりと止めるガルカの戦士、そして二人の間に落とされた細い剣が見えた。
双方肩で大きく息をして、ヴォルフの降参の声も苦しげだ。 彼の魔力と体力が、同時に尽きている気配がする。 これは、イーゴリの力押しの勝利だろうか。
ガルカの戦士が斧を腰に収め、軽く礼をした。 地に横たわる剣を拾いするりと鞘に戻し、その礼に倣うヴォルフ。 そして見えない闘技場のラインから退場するように数歩下がると、ゆっくりと膝を折った。
流れるような動作の中ですうっと静まる表情の横を、少し遅れた汗が伝って落ちて。
そして、天秤が傾き始める。
「邪魔するよ」
のそり。
一見のほほんとしたセリフと共に、イーゴリの巨体がゆっくりと黒魔道士に向き直った。
そのぶ厚く大きな手が、再度腰の片手斧を掴んで無造作にぶら下げている。
少なからず疲労したままフォーレからの回復呪文も途絶え、未だヴォルフの魔法の残滓が彼の体をじわじわと蝕んでいた。 が、それ故に。
バルトとルカに向けられたその親しげな薄い笑顔には、ぞっとするような迫力があった。
* * *
「――ここから先は一直線のようね」
絶え間なく飛び交っていた詠唱の声と、そして響いていたもう一つの剣戟が徐々に消えていった事に、白黒二人のタルタルも気付いていた。
間合いを取って油断なく武器を構えながら、素早く周囲に目を泳がせる二人。 傾き始めた力のバランスを見て取ったドリーが含み笑いを浮かべて言った。
ルードの表情が僅かに険しくなる。
イーゴリの斧の標的は黒魔道士に移った。 以降彼から回復の呪文を貰う事は不可能と思った方がいいだろう。
となると、もはや体力を取り戻す術はない。 対してナイトのドリーは、まだいくばくかの魔力を残している。それで傷を癒されるのを、どこまで阻止できるか。
加えて、彼女の後ろには無傷のフォーレが控えている。 今はバルトのサイレスにより沈黙を強いられているが、その封印はいつ消え失せるとも限らないのだ。
「捻じ伏せますよ」
漆黒の鎌を握り直して、ルードが低く唸るように言った。
「できるもんならね」
ドリーが口だけで嗤った。
* * *
バルトが空いている手で背の両手棍を抜き払う。 無いよりはましだ。
ガルカの戦車のような大きな体が、その印象を裏切る敏捷さで動き出す。 次なる獲物を組み伏せるべく駆け出したイーゴリを、バルトの祈るようなバインドが迎え撃った。 が、同じ手は食わんとばかりにその巨体は魔法の光を破って突き抜ける。
「――!」
唸りを上げて襲い掛かる斧をかろうじて受け流した長い杖が、その衝撃に大きく跳ね上がる。幸い手からは離れなかった。
イーゴリの斧がぐんと引かれる。 それが再度打たれるまでの僅かな間に素早く集中したバルトが、ブリンクの魔力を紡いでルカに渡そうとした。 が、その一瞬前に、大きな斧は彼の鳩尾を襲う。
「っ――」
弾かれ倒れそうになるバルトとルカの間で、繋いでいた二人の腕がびんと張る。 咄嗟に重心を落として踏み止まったルカが思い切り腕を真横に引き、よろける彼の体をイーゴリから離しながらぐいと引き起こした。 たたらを踏むように黒魔道士の体勢が戻る。
間髪を置かず魔法を組み始める。 しかし続けて飛来する片手斧の刃を大きく避けてしまい、はずみで魔力がぷつんと途切れる。
ぜぇっ、という荒い呼気が、音の出ない黒魔道士の喉から漏れた。
魔法が発動できなければどうしようもない。 集中して、見極めなければ。
ぶるんと短い白髪を振って杖を握り締め、バルトはイーゴリを睨み据えた。 斧の動きの、最も大きい合間が欲しい――
大きな打撃で打ちのめす必要はない。 いや、それでも構わないが、魔法を作るだけの集中をさせなければ十分だ。 向こうの精神力もそう残ってはいまい。
イーゴリは内心でふっと肩の力を抜いた。 体力勝負にさえなれば、黙っていても決着はつく――
片手斧が強い太陽の光に閃いた。 武骨ながらも鋭い切っ先が、バルトの胴をかすめて黒いローブに大きな鉤裂きを作る。
その瞬間を逃さず、バルトはスタンを紡いでルカに渡した。 無数にある魔法の中でも群を抜いて詠唱の短いそれがミスラから放たれ、振りかぶろうと上がりかけていたイーゴリの腕をがちりと縛る。
続けてバルトの周囲に炎色の光点が湧き上がる。 イーゴリが完全に勢いを失いペースの崩れた腕を気合の声と共に再度振り上げる。
同時だった。 漂う凶暴な蛍達がある一瞬でバルトの左手に殺到する。そしてその紅い光が吸い込まれるようにルカの右手へ退避するや、残るバルトの体に大きな片手斧が思い切り叩きつけられた。
ルカの手から乱暴にもぎ取られる彼の体が、数メートルも遠くへ吹っ飛んでいった。
「むっ――」
黒魔道士を追おうとしたイーゴリが、咄嗟に迷った。 今の呪文は――完成していた?
冷たい予感に、はっと弾かれたように横を向く。
と、その顔に真正面から叩き込まれたのは、かろうじて斧の暫撃から逃れた魔力の発動でもなければ、舌足らずな呪文の声でもなく。 もっとずっと即物的で判りやすい、
「だぁっ!!」
軽々と彼の顔の高さまでジャンプしたルカの、芸術的なまでの回し蹴りだった。
「どわっ――」
あまりと言えばあまりに唐突な一撃に、その蹴りをまともに喰らってしまったイーゴリがたまらず数歩よろける。 どうにかぐっと踏み留まり、痛む鼻柱を押さえながら目を開くと。
完全な怒りの形相で、彼とバルトとの間に立ち塞がるミスラの姿がそこにあった。
「お――、いや、あのな、ル――」
これは……どうすればいいんだ。 俺が悪いのか?
受け取った魔力の炎をそっくり横取りしたようなルカの瞳に、咄嗟に手も言葉も出ないイーゴリ。
彼女の背後で、背中を土まみれにしたバルトが身を起こした。 痛みにしかめた顔で目の前の光景を見ると、慌てたような申し訳ないような諦めたような、実に微妙な表情を浮かべる。
煮えたぎる敵意を隠そうともしないミスラを挟んで、イーゴリとバルトの視線が出会った。
それまでの熾烈な攻防戦はどこへやら。 男二人がそれぞれに途方に暮れ、気配で相手に助けを求め――かけた、その時。
「うわっ!!」
再度ガルカの太い悲鳴が上がった。
イーゴリの視線が自分から後ろのバルトへ逸れたと見るや目にも止まらぬスピードで再度地を蹴ったルカが、今度はイーゴリの頭上へと踊り出たのだ。
空中で彼の頭を押さえつけるように両手をつき、もじゃもじゃの髪をむんずと掴む。 続けて跳馬を跳び越えるようにぶんと足を後ろへ跳ね上げる。 そして掴んだ手をそのままに放物線を描いて彼の向こうへ消えると、全体重を使ってその巨体を仰向けに引きずり倒した。
ずずんと重い地響きが起こる。 直後に胆の冷えるような、しゃきん、という音。
ばちっと開いたイーゴリの目に、のどかな綿雲が浮かぶ澄んだ青空と、それをバックに二本の短剣が交差して抜かれる光景が飛び込んできた。
「っ!!」
考えるより早く横ざまに転がり、跳ね起きる。 彼の首があった場所の両脇に、鞭が唸るように小振りの刃が突き立てられて引き抜かれた。 あのまま呑気に倒れていたら、首筋を短剣で封じられ身動き取れなくなっていただろう。
「ルカっ、ルカ待て、今はだな――」
既に彼に向かって低く前傾姿勢を取っているミスラ。 立ち上がりながらイーゴリは、何とか彼女をなだめるような言葉を選んで投げかける。
その目の端に、何とか起き上がったバルトがルカに駆け寄ろうとしている姿が映った。 そもそも彼女が詠唱の手助けを放棄してしまっては、戦場でバルトに出来る事はほとんどないのだ。
が、しかし手を取って引き戻そうにも、彼女の両手には鋭い短剣が光っている。 そして何より。
「フゥーーー……」
文字通り『ヒステリーを起こして暴れ回る猫』を捕まえて押さえ込むなど、どだい無理な話だ。
バルトの足が困ったように止まる。 その止まった姿を、イーゴリの目は反射的にちらりと確認してしまった。
いかん、と思った時にはもう遅い。
滑るようにシーフの姿が迫る。 イーゴリは戦士の習性で咄嗟に斧を振り抜くが、疾走する彼女がその刃の下をほとんどスライディングでくぐり抜けていったかと思うと、彼の背後でまたもざしゅっと大地を蹴る乾いた音がした。
振り向くのが間に合う訳もない。 丸太のようなイーゴリの首に、背後からルカの足がぐるりと巻きついた。
更にその首筋深くを、細くしなやかな腕が、しかし恐ろしい力で鋭く抱え込む。 両手の短剣はいつのまにか鞘に戻っていた。
(――落とされる!)
咄嗟に悟ったイーゴリが左手で彼女の腕を剥がそうとする。 が、巻きつく足が手の進入を阻み、深く締め付ける細い腕にガルカの武骨な指はひっかからない。
力任せに右手の斧を頭上に振り上げた。 柄がルカの頭を強く打って鈍い音を立てる。
しかし彼女は全く怯まず、却ってその衝撃がイーゴリの頚動脈を締めつける結果となる。
「うぉ……!」
まずい。 息苦しさよりも先にすぅっと視界が暗くなるのを感じた彼の腕が、本能的に動いた。片手斧をぱっと手離すと、ルカの体を直接掴もうと両腕を振り上げる。
その瞬間、小柄なシーフの腕がするりと首筋から離れた。 大きくのけぞってガルカの腕に空を切らせると続けて足も解き、バク転の要領で沈むように地面に降り立つ。 そして素早く彼の周囲に目を走らせ、地に落ちた片手斧を見つけるとそれに飛び付こうとした。
しかしその目論見は叶わない。 一瞬朦朧としながらも武器の不在という危機感だけは保っていたイーゴリの足が、その片手斧をがっと踏んで確保したのだ。
武器を奪い損ねたルカが真横に跳んで距離を取る。 その隙に素早く斧を拾うイーゴリ。 まだ少し苦しげな顔で獣のような荒い息を吐き、ようよう武器を構え直した。
また地を蹴る音がする――
* * *
小さな白い煙が、ぷかーと湧き上がって空気に熔けていった。
岩場に腰掛け煙草をふかすヘラルドが、すっかり遠くなった目で彼らの「試合」を眺めている。
彼の仕事の結果を記す記録用紙はとっくに脇に追いやられて、少し丸まった背は何やら社会からリタイア済みのお爺さんが縁側でお茶を飲んでいる風情だ。
そんなのんびりと座る彼の方に、やはりのんびりとした足音が近付いてきた。
ふとそちらに目をやると、歩いて来るのは長い白髪のエルヴァーン。 迎えるヘラルドの視線に、彼は軽く会釈を返す。
「申し訳ありません、勝手をさせて頂いて」
「いえいえ、時々ある事ですので。 構いませんよ」
ヴォルフの詫びる言葉に、バリスタを司るヘラルドは人のよさそうな笑顔で応えた。 二人の元に、遥か頭上を滑っていくトンビのぴーよろろという高い鳴き声が、風に乗って届いた。
その和やかな音色にヘラルドはうーんと背を伸ばすと、傍らで足を止める背の高いエルヴァーンと共に視線を正面に戻した。
「なかなか風変わりな試合ですねぇ。 何かルールでも決めていらしたんですか?」
「そんなところです――すみませんが、そろそろ終了の準備をお願いできますか」
「おや。 もうよろしいので?」
「ええ、近く蹴りがつくと思います」
そう言ってヴォルフは、細めた目を三人のタルタルに向ける。
すると、彼の言葉が聞こえたかのように、一人しゃがんでいた白いタルタルが身を起こした。
* * *
「――ああ、もう!!」
一体何度目になるのか。 ぜいぜいと息を荒げながら、ドリーは忌々しげに吐き捨てた。
「おらおら、きっちり盛り上げていかねーと――叩き潰しちまうぜ」
挑発的なのは、彼女のケアルをスタンで阻止したルードのセリフ。 その成功率は八割超、見事なものだ。
だがその小生意気な声音には、明らかにドリーよりも数段濃い疲労の色が見て取れる。
どう足掻いても片道切符なのだ。 フォーレにかけられたサイレスの効果はとうに消えていたが、どのみちバルトの後ろ盾がなければ暗黒騎士の彼に体力を回復する術はない。 ドリーはと言えば、残り二割の成功したケアルである程度体力を繋ぎ止めていた。
どうにか回復しながらも、それを上回る暗黒騎士の強烈な打撃に追い詰められるナイト。
少しずつ積み重なるナイトのダメージに、着実にゴールへと引きずられていく暗黒騎士。
「はっ――!」
ルードが動いた。 一蹴りで間合いを詰めると、真正面から黒い鎌を打ち下ろす。
頭上にかざしたドリーの白い盾がそれをがきんと受け止める。 重い衝撃で体が沈みそうになるのにかろうじて耐えると、盾を持った左手をぶんと振って鎌を押し返した。 二歩下がって立ち直る。
銀色の剣と漆黒の鎌が吸い寄せられる。 水平に斬り込んだドリーの剣と、唸りを上げて迎え打つ鎌の刀身とが激突した。
重量で圧倒的に勝る鎌がナイトの剣をぎんと跳ね返す。 と、その剣がルードの視界からふっと消えたかと思うと、予期せぬ衝撃が背後から彼を襲った。
弾かれざま踵を軸にぶんと回転したドリー。 その勢いと遠心力を乗せた剣が、見事な弧を描いて
無防備な彼の肩口へと叩きつけられたのだ。
ぐっと唸ってぐらつくルードが飛びすさる。 鎌と共に振り向きながら、再度体勢を立て直すドリーに向かって大きく武器を振り抜いた。 同じくばっと振り向いたドリーの白い盾がかろうじて彼の打撃を阻んだ、その時。
彼女の視線がつと逸れ、普段から大きな瞳が驚きに更に大きく見開かれて止まった。
「ちょっ――あの子!!」
大きくアングルの変わったドリーの目に飛び込んできたのは、あろうことか彼女の黒魔道士を放ったらかしに、イーゴリに向かって猛然と飛びかかるルカの姿だった。
何だあの、ルールなど知った事かという顔は!?
「うらぁっ!!」
そんな光景に一瞬唖然とするドリーの注意を、ルードの怒号が乱暴に引き戻す。
こちらは窮鼠の顔だ。 やられる前にやれ、その事だけに集中した黒い鎌が手負いの猛獣と化している。
薙ぎ払った三日月がドリーの鎧をががっと引っ掻いた。 荒々しい振動に彼女の体が一瞬ぐらりと揺らぐ。
と、その隙に喰らいつくかのような見事な手さばきで鋭い刃がUターンし、再び彼女に襲い掛かろうとした。
「……っ!」
衝撃でぼやける彼女の目に、その軌道は見えない。 だからこそ体が勝手に動いた。
ドリーはふっと身を沈め盾を構えると、それに全体重をかけて思い切りルードに体当たりを食らわしたのだ。
がつんと相手の芯を捉えた鈍い手応え、ルードの呻き声。 同時に頭上で鎌が空を切る。
間を置かず顔を上げるドリーが、思わぬ襲撃に歯を食い縛ってよろけるルードめがけて渾身の力とスピードで剣を振り上げた。
しかしその直前、バランスを崩されたルードの膝ががくんと折れる。 ドリーの剣は狙いから逸れ、暗黒騎士の兜を飾る大きな角にがんと当たって、その黒い防具を宙へと大きく弾き飛ばした。
金具がかすりでもしたのだろうか、顕わになったルードの頬からぱっと鮮血が走る。
「ぐっ――」
そのまま背後の岩塊に叩き付けられるルード。 頬の傷と立て続けの衝撃に歪む顔は、もう目も開いていない。
その時。 サイレスの効果からようやく開放されたのか、その向こうで小さな白魔道士がすっと立ち上がった。
再起動するチームメイトのフォーレが回復呪文を唱え出すのを目にして、勝利を確信するドリー。
「もらったぁっ!!」
高らかに叫ぶ。 剣の柄を両手で握って引き絞る。 その切っ先が王手の首筋をまっすぐに狙う。
が、彼女に見えていないものが、一つあった。
それは、今にも涙をこぼしそうに真っ赤な、フォーレの顔。
彼女から放たれる真白く清冽な癒しの光が、二人のタルタルの上に滝のように降り注いだ。
その力の流れ込む先は――ルード。
「えぇっ!?」
思わず叫んで固まるドリーの目の前で、暗黒騎士の目がかっと開いた。
黒いバネ仕掛けの人形が跳んだ。 疾風のようにドリーの脇をかすめ、視界から消える。
彼がいた所で、鋭く輝く三日月の刃がこちらを向いていた。 その柄をドリーの後ろで握っているルード。
次の瞬間。 ギロチンさながらの恐ろしい勢いで、その刃がドリーの鎧に噛み付いた。
「だらぁぁっ!!」
そして鎌の内側にドリーの胴体をひっかけたまま、背負い投げのような砲丸投げのような見事なフルスイングで、ルードは気合いの声と共に彼女の体をぶうんと空中へ打ち上げた。
「きゃぁぁーーーっ!!」
K.O。
細く弧を描いてたなびくナイトの悲鳴と、ヘラルドが吹き鳴らすぴぴーーっという笛の音に、
メリファトのそよ風が小さく溜息をついて去っていった――
* * *
「正座っ!! ルカとフォーレ、そこに正座っ!!」
ずずずず、と音を立てて、最初から最後まできれいに無視されていたミニチュアのお城のようなペトラの姿が地面に沈んで行く。
その光景を後に、皆がやーれやれといった風情で三々五々集まるアウトポストの簡素な小屋の前、ドリーが一人きーきーと喚き立てていた。
ルカはこれ以上ないというくらいの仏頂面でどっかとあぐらをかき、思い切り頬を膨らませてつーんとそっぽを向いている。
フォーレはルードの顔の傷にバンソウコウを貼ってから、こちらは素直にしゅんとしおれて正座していた。
「ルカあんたね、あんたは手ぇ出しちゃダメって言ったでしょ!? 何を力一杯参加してるの!! フォーレも最後の最後でルードにケアルってどういう事よ!? ああもうあれさえなかったら絶対に勝ってたのにー!!」
勝ちかけていた勝負に水をさしたのが一番乗り気でなかったはずの女子二人の暴走と離反とあって、ドリーの虫の居所は最悪だ。
「まあまあ、思い切りやって気は済んだだろう。 結構面白かったしな」
意外に上機嫌なイーゴリが、頭から湯気の上がっている彼女を笑いながらなだめる。 こんな場合はいつも茶化しに入るはずのルードやバルトはと言えば、彼女らから少し離れてこっそりと気配を消していた。
指示を出した訳ではないとはいえ、彼女達にピンチを救われ庇わせてしまった身としては、ここで口を出しては火に油を注ぐようなものだ。 兜を手に提げたルードは頬のバンソウコウのあたりをぽりぽりと掻きながら、バルトは微妙に首をすくめながら、二人してあさっての方向を向いて嵐が過ぎるのを待っている。
「大体がよ、戦いに私情を挟んじゃダメでしょう!!そんな事じゃいざって時に判断を誤るわよ!」
勢いに任せてどんどんと話を大きくするドリーに、口を尖らせながら駄々っ子のように体を揺するルカが切り返す。
「今の判断自体は間違いじゃないもん。 魔道士をガードしただけだもん。 つーかー、私情がどうとかって言うんならー、このバリスタ自体が何で始まったんでしたっけー」
ぐっと詰まるドリー。 イーゴリが愉快そうに笑いながら、そんな彼女の頭をぼふぼふと叩いて言った。
「ま、そういうこった。 諦めろ諦めろ」
「うーー……」
ぶつぶつぶつ。
荒涼とした岩山の頂を離れ、そろそろ高くなってくる鮮やかな日差しの下。
仲間達がそれぞれに装備を緩めくつろぎながら試合の感想や意見に花を咲かせる中、一人赤毛のタルタルだけが未練がましく、自分の勝負を見事にご破算にしてくれた強く美しいものに向けて、ぶつぶつと恨めしげな言葉を呟いていた。
End