テノリライオン

ルルヴァードの息吹 1

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「うーん……」
 ルカはもう何枚目とも判らないメモをびりっと破くと、くしゃくしゃと丸めてポケットに突っ込んだ。
「どう言ってもなぁ……」
 口の中で消えてしまうほどの、囁きよりも小さな呟き。 全く、何に時間を費やしているのかと、薄闇の中ふっと自嘲ぎみな笑いを漏らして彼女はテーブルに頬杖をついた。 茶色い尻尾が椅子の後ろから力なく垂れている。

 深海の底のような寄宿舎。 室内の光源は全て沈黙し、唯一窓から高く差し込む月の光が、彼女が抱えるように目を落とす小さなメモ帳をおぼろに照らし出している。 いつまでも自分の仕事が決まらない事にそろそろ不満の声を上げそうな白い紙束の上を、途切れ途切れに走るペン。

 びりっ。 また一枚メモが破り取られた。 小さい紙くずになったそれが、シーフの装束の一つである緑色のゆったりしたズボンのポケットにねじ込まれる。

 隣の部屋からは、規則正しい寝息がかすかに聞こえている。
 バルトは一度寝入ってしまえば滅多な事では目を覚まさない。 このままルカが起こさなければ、昼まで寝ていることは確実だ。
 彼女は一つ溜息をつくと、メモから顔を上げて椅子の背もたれによりかかり、BGMを聞くようにしばし彼の静かな呼吸音に耳を傾けた。 そして何とはなしに目を瞑り、自分の呼吸をそれに合わせる。

 すぅ…………すぅ…………すぅ…………

 不意に涙腺が、ぎゅぅっと痛んだ。 眉根がきつく寄り、鈍い耳鳴りが襲う。
 慌てたようにルカは背もたれから体を離すと再びメモに向かい、半分勢いに任せて何かを書き付けた。 今度はページは破られず、代わりにペンがその横にぱちんと置かれる。
 やや無表情にそのメモを数秒間じっと見つめると、ぐすっと一つ鼻を鳴らす。 そして彼女は静かに、しかしすっぱりと立ち上がった。
 傍らに準備されていた七つ道具や装備の入ったバッグをそっと持ち上げ、腰の短剣などを軽く確かめると、外に続く扉へと音もなく足を向ける。

「――――」
 ゆっくりと、その歩みが止まった。 彼女の横に、毛布にくるまった短い白髪のエルヴァーンが眠るベッド。

 無防備な寝顔。 でも眠りながらもまだ何かを考えているような寝顔。

 薄明かりの中、そんな見慣れた光景を見下ろすルカの表情は、自分の中でせめぎあう何かに苦しめられているかのように、かすかに苦く歪んでいる。

 そろりと彼女は、ベッドの枕もとに子供のようにしゃがみこんだ。
 そして膝小僧の上で組んだ腕に顎をうずめると、大切な黒魔道士の寝顔を静かに見つめ、瞳に焼き付ける――


  *  *  *


「あーっ、疲れた疲れた!!」

 ほとんどやけっぱちとも言えるドリーの声が、ジュノ上層の競売前に響いた。 背後では繋がれたチョコボ達が、うるさいなぁと言わんばかりののんびりとした声で鳴いている。

 時間は早朝。 勢いに乗って徹夜で狩りをしてきたいつもの七人が、それぞれの戦利品をそれぞれに処理すべく競売に張りついていた。 雲一つない水平線を離れたばかりの無垢な朝日が彼らを真横から暖めている。

「ルカさん、よかったらこれ、要りますか? 端数ですけど……」
 茶色いポニーテールをぴょこんと揺らして、タルタルのフォーレが数個の蜂の巣のかけらをルカの方に差し上げた。 白と赤のコントラストが印象的な、白魔道士の装束が朝の光に映える。
「あ、いいの?じゃもらっちゃうー」
 嬉々としてそれを受け取るアルカンジェロ。 茶色いおかっぱ頭の上に猫耳を隠すベレー帽、シーフの装備からひょろりと突き出る、髪と同じ色の尻尾。
「はいはい、他にもかけらが要らない親切な人はいないかね」
「しょーがないなー、じゃ俺のもあげますよ」
 おどけて競りのような声をかけるルカに、足下の黒い塊が応じて背負い袋をごそごそとかき回し始めた。 暗黒騎士の鎧の上に、灰色のくりくり頭が乗っている。 タルタルのルード。
 その間に横からまたいくつかのかけらが、無言でぽんとルカに手渡された。 同じ黒でも、こちらは朝の風を受けてそよぐローブ。 かつての戦いでその喉に敵の刃を受け声を失った黒魔道士、バルトルディの手だ。
「イーゴリさん、串焼きが値下がりしていますよ」
「お、本当だ。 少し買っておくかな」
 その横で、エルヴァーン特有の背の高い影とガルカ特有の背も高く恰幅も良い影が、競売の品揃えを見ながらあれこれと話している。
 前者は長い白髪を後ろで一つに束ねたヴォルフ。 真紅の魔装は赤魔道士の証。
 後者は真っ黒な髪と髭をたくわえたイーゴリ。 武骨でずしりと重そうな斧は、戦士でなければ扱えない代物だ。


  *  *  *


「ねーねー、思い出しちゃったー」
 皆にもらった蜂の巣のかけらをほくほく顔で鞄にしまうルカの尻尾を、宅配サービスから戻ってきたドリーがぎゅっと掴んだ。 彼女が振り向き見下ろすと、赤茶色のお下げがトレードマークの小さなナイトが、一枚の紙を持って親友のミスラを見上げている。
「なんね」
「あのねー、サンドリアの騎士団からお呼びがかかってるんだったのー」
「は。 なぁに、おいたでもしたの?」
「違いますーう。 騎士資格保持うんちゃらと言ってですねー、要はちゃんとナイトしてますよーって定期的に報告に行かなきゃいけないのよ。 あーもうめんどくさーい」
 言いながらドリーは、不満げにルカの茶色い尻尾をぶんぶんと振り回す。
「ふーん、お堅い職業はたいへんねぇ」
「ああ、そう言えばそんな時期だったな。 今年はちゃんと早めに行くんだぞ」
 競売を離れたイーゴリが、子供に言い聞かせるような口調で弟子のナイトに歩み寄りながら言った。
「わーかってるわよーぅ。 じゃーもう今回はとっとと行っちゃうか……」
 いかにも渋々といった感じで口を尖らすドリー。
「よし、じゃ善は急げで明日な」
「えー……はぁーい」
「うん?イーゴリさんも行くんですか?」
 二人のやりとりから察したルードが、横合いから口を挟む。
「ああ、まぁ保護者みたいなもんだからな。 形ばかりの付き添いさ」

「あ、あの、あの」
 競売所の喧騒の中、往生際悪く愚痴を呟いているドリーの後ろから、フォーレが何か言いたげに小さな手と声を上げた。
「あの、実は私もちょっと明日、実家に里帰りしてこようかと思いまして……」
「へ、実家?ウィンダスだっけ?」
「うん」
 里帰り、という、冒険者の中にあってはどちらかと言えば耳に珍しい単語に、ドリーが真っ先に反応する。 と、頷き返すフォーレの笑顔には、何故かしら何処かしらくすぐったそうな雰囲気が見え隠れしている。
「ふーん……フォーレのお家って、何屋さん?」
「そんな質問あるか」
 ドリーのやや抜けた問いにルカがすかさず突っ込むと、くすくす笑いながらフォーレが答えた。
「両親は、医者をやってるの。 あ、って言っても町医者みたいな、小さい診療所だけど……」
「ほほう、それは初耳だわ――あっ」
 控えめで優しい白魔道士のフォーレに、町医者の両親。 ぴったりだな――と思いながらルカはふと、何やら必要以上に話の輪から離れているルードに気付いた。 と同時に脳裏にぴかっと閃く豆電球に、彼女は思わず小さな声をあげる。
「ん?」
 その声に、何事かと見上げるドリーの声と視線。 ルカは強烈に湧き上がるにやにや笑いをどうにか普通の笑顔に押さえ込みながら、いかにも単なる確認ですよという風にさらっと言った。
「ルードもついてくのかな?」
「へ、そうなの? ――あっ」
 その言葉に、ドリーの頭にも同じ豆電球がぺかっと光り、同じ声をあげる。
「うん、あの、ついでだから、ちょっとみんなでゴハンでもどうかなって――」
 案の定、照れたような笑顔を抑えられないフォーレ。 これはもう、ついででもちょっとでもゴハンでもあるまい。
「そうかそうか。 そうかそうかそうか。 いや、ゆっくりして来るといいよ、うん」
 ルカはもはや抑えられなくなったにやにや笑いからそんなセリフを搾り出し、同じように野次馬根性でクリスマスの朝の子供のように表情を輝かせ始めたドリーをげしげしと蹴って、ルードから自分たちの姿が見えなくなる物陰まで退避する。

 彼らとて、決して短い付き合いではない。 ここから全力で話を掘り下げたり質問責めにしたりまたはひやかしたりからかったりしようものなら、間違いなくあのへそ曲がりで意地っ張りな暗黒騎士の少年はあっという間に極限までご機嫌を損ね、最悪怒ってふいとどこかに姿を消してしまいかねない事はもはや火を見るよりも明らかなのだ。
 故に彼の目を避けて座り込み猛然と始まるのは、女子二人のバラ色ラメ入りのひそひそ話。

(すごいよすごいよ、ゴリョーシンにゴアイサツってやつだ!!)
(大丈夫か、あのわんぱくなだけの小僧にそんな大役が務まるのか!?)
(務まるって言うか不可能でしょう! 宇宙一途方にくれている姿が目に浮かぶようだよ!)
(代わりに闇の王と百回戦えそして死ねって言われたらあいつは喜んでそっちに行くね、間違いない!!)
(いやはやお気の毒なのかおめでとうなのか……)

 男子一生の大難関に、もはや好き放題の言われようである。
 満面のにやにや顔でうずくまってぼそぼそと話す不審なミスラとタルタルに、通行人の訝しげな視線がいくつも突き刺さっていた。


  *  *  *


「ふむ、とすると四人が用事でジュノを離れるわけか」
「そっすね。 ちょっとしたお休みって所ですか」
 そんな女子二人のミーハーなはしゃぎっぷりなど気にも留めないイーゴリが誰にともなく呟くと、同じくそれに対して完全に素知らぬ風を決め込んだルードが、さも他人事のように応じた。
「バルト達はどうだ、特に用事とかは――ないのか。 ヴォルフは?」
「俺も特に何も無いので。 たまっている本でも消化します」
 首をめぐらせて問うイーゴリに声を持たない黒魔道士は小さく首を振ってみせ、ヴォルフはやや眠たげにそう答える。
 そこに俗談を満喫してつやつやした表情のルカとドリーが戻って来た。 知らんぷりをしながらもそこはかとなく仏頂面のルードと比べ、実に対照的だ。

「じゃ、しばらく別行動という事にするか。 またジュノに集まった頃に、適当に連絡しようや」
「はーい」
 ドリーとイーゴリはサンドリア。 ルードとフォーレはウィンダス。 残りはジュノ。 そんなイーゴリのまとめに女性陣が園児のような返事をした所で、彼らは七人は一旦解散とあいなったのだった。
 ルカとドリーの二人だけは、最新の美味しい話題をより深く楽しく料理する為に、ひと寝入りしたら昼食を一緒に食べようとこっそり約束しながら。


  *  *  *


「――さてと。 あと何かご用事は?」
 皆が三々五々ばらけた所で、ふうと腰に手を当ててルカはバルトに尋ねた。 二人を照らす朝日が、少しずつ高くなっていく。
 彼はちょっと考えると、時間に係わらず冒険者で賑わう競売を顎で指して頷いて見せた。 もうちょっと見ていくつもりらしい。
「ん、じゃぁ私は先に――いや、ちょっと天晶堂覗いてくるわ。 何か面白いもん入ってるかもしれないし」
 そう言って歩き出すルカに、バルトは笑って再び頷くと(後から行くよ)という身振りを返した。


Was gleicht wohl auf Erden dem Jagervergnugen 風にいななく 声勇ましく……」
 たったった、と弾むように、ルカは上層から下層に繋がる緩い螺旋階段を降りていく。
wem sprudelt der Becher des Lebens so reich 駒のひづめの音高し……」
 最近覚えた歌を何となく口ずさむその顔は、先程の一幕を反芻しているのか、ちょっと目尻が笑っている。
Beim Klange der Horner im Grunen zu liegen あしたの露を払いて行けば……」
 階段を降り切り、右に折れる。 軽く壁を迂回する通路を抜けると、目の前に一気に人の海が広がった。 まっすぐに伸びて遥か消失点すら見えない街道に溢れる人いきれ、人を呼ぶ声、商売をする声、せわしない話し声。
 ジュノで最も、すなわち世界で最も人の集まる場所。 ジュノ下層の雑踏に、ルカは軽やかに足を踏み入れる。
 天晶堂はすぐそこだ。 密に交錯する人影をひょいひょいと身軽にかわしながら通路左手の奥まった扉に向かうと、丁度中から人が出てきて開いたそこに彼女はするりと滑り込んだ。


「んー……特に、目新しいもんはないかー……」

 天晶堂。 外とを隔てる扉から更に奥の重厚な扉を二つほど抜けると、そこは下層の賑わいなどひとかけらも届かない、しんと静かで少し重たい空間だ。
 エキゾチックな、あるいは怪しげな、または正体不明な商品がずらりと乱雑に並ぶ棚の間を、一癖も二癖もありそうな店員が時折り影のように通り過ぎる。 まばらな客の聞き取れない話し声だけが、店内の空気をかすかに掻き回していた。

 そんな中、ルカはつらつらと棚から棚へ移動しながら、半分眠たい頭で商品を物色していた。
 散歩でもしているように後ろに手を組んで歩く。 部屋の隅の棚まで辿り着いた時、彼女はその片隅に可愛いイヤリングがいくつか陳列されているのを見つけた。 ちょっと目を輝かせて、紅い石とシルバーの細工が洒落ている一つを手に取る。


 いつの間にその者が、自分の斜め後ろに位置していたのか。 彼女は気付けなかった。
 その人影が含み笑いに乗せて、彼女にだけ聞こえる低い声を発するまで。


 死神が囁くようなその声に、ルカの心と体が一瞬で凍りつく。



 ――よう、死に損ない。



to be continued
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