テノリライオン

灯り草 4

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corelli

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 少し、体が冷える――。

 鎧の隙間で風が鳴る。
 駆ける大地の名前がグスタベルグからコンシュタットに変わっても、混じるものが砂埃から下草に変わっても、バストゥーク近郊の風はルードを威嚇するように強く鋭く吹きすさぶ。
 どっ、どっ、どっ――木の根のようなチョコボの足が、遙かに広がる草原を太鼓のように打ち鳴らしていた。
 草原を囲む峰の上から、彼に追いついた太陽がじわりと顔を出す。しかしその空は薄い雲に覆われていて、小さなタルタルの足元に描き出された影の輪郭は鈍く弱い。

 ルードは兜を被らない。
 頭を護る重要な防具をあえて廃し、まるで的のように挑戦的にさらけ出す灰色の髪が、むせるような草いきれの混じる風に暴れている。
 そういうパフォーマンスは、群雄割拠する戦場で大将がする事だと、見る者が見れば失笑と共に言うかもしれない。しかしルードはこれまで、「大将」がいるような戦いに身を投じた事はなかった。恐らくはこれからもないのだろう。彼が武器を手にする時、全ての責を負う大将は己以外に存在しない。だから何の問題もなかった。
 そのざんばらな前髪の下で、彼は不意につと目を細めた。強い向かい風のせいではない。彼の行く手遙かに、目指す建物がゆっくりとその姿を現したのだ。
 いわくありげな大剣を隠し持っているという、草原の外れの「屋敷」――。
 幼さの残る顔に不敵な笑みを浮かべ、彼と彼のチョコボは真っ直ぐに、その建造物へと向かって行った。

「……あれ……か?」
 目的地から少し離れた所でルードは用心深く下鳥した。役目を終えてバストゥークへと踵を返すチョコボの足音を背に聞きながら彼が最初にしたのは、眉根を寄せて訝しげに呟く事だった。

 曲がりなりにも、屋敷、と言うからには、少なくともそこで人が生活を営んでいる、あるいはかつて営んでいた筈だ。 しかし今彼が目の前にしている建物からは、何と言うか――生活臭、のようなものが、ほとんどと言っていいほど感じられなかった。
 規模だけはそれなりにあった。二家族以上がゆったり暮らせそうなクリーム色の家屋には、隠れるように小さな庭もついている。しかしこの僻地で移動手段として必要であろうチョコボの気配はなく、はためく洗濯物なども見あたらない。裕福さがもたらす装飾の類はゼロに等しく、ただ特徴的なのは――正面入口から続く建物の一部だけが、他よりもいくらか天井が高く造られているという事くらいだろうか。
 予想を裏切り質素な、平屋建ての建造物。 空っ風吹く草原の片隅でどこまでも静まり返って、今は動きひとつない。留守でもしているのだろうか。
「――何だろうな」
 ルードは腰に両手を当て、ふん、と鼻を鳴らすと、距離を置いたままその建物の周囲を、ちょうどコンパスで半円を描くように迂回し始めた。 野生動物のような視力で、目指すたたずまいを遠目から物色する。

 手入れだけは行き届いている。
 風雨に耐えた証である土埃や雨水によるくすみは所々に残っているものの、生活でくたびれた箇所の修繕を怠った、というような「荒れ」は全く見あたらない。家主のまめな性格と、この家屋が長いこと放置されたりはしてはいない事が、その様子からは伺える――が、しかし。
 ルードはその屋敷に視線を注いだまま、てくてくと歩く。 急ぐでもなく周囲を一周すると、彼はぼそりと呟いた。
「――千客万来、って訳か」

「破損」と「破壊」は、違う。
 散乱する、磨き上げられた窓ガラスの欠片。
 清潔そうなクリーム色の壁に走る、太いヒビ。
 冒険者になってからこちら――いや、その以前から飽きることなく、鍛練と名の付く破壊を繰り返してきたルードの経験則に照らすまでもなく――これは、「破壊」だ。 それも複数回に渡る、もしくは複数人数によるもの。
 無垢な建物に刻まれた「破壊」は、戦場のそれとは異なる、ある種独特の痛々しさを醸し出す。あたら繰り返されたのであろう蹂躙に怯える家屋へと、小さなルードはにやりと笑みをくれた。
「もう大丈夫だ、安心しな」
 俺が最後の客になってやるからな――。

 血なまぐさい確信を胸に、彼は自分が描いた円の内側へと足を踏み出した。


  *  *  *


 この地に暮らす「人」の多くは、アルタナという名の白い女神を崇めている。
 いや、真っ当な精神を持った者が日常的に何かを信仰するならば、その対象はこの女神を置いて外にはない、というのが実情だ。
 とは言え、それは決して消去法的な選択ではない。 悲しみにこぼした五つの涙から、ヒューム、エルヴァーン、ミスラ、タルタル、ガルカの五種族を生み出したと言われる偉大な暁の女神は、彼ら全種族の誕生、命を司る母そのものであると言えるのだ。
 生命を司る者はすなわち癒しを司る。 故にこの慈愛溢れる女神を最も直接的に、そして強く信仰すべく定められた者――それが、白魔道士だ。

「…………」
 短い足を右、左と動かし、背の大剣を揺らしながら目指す建物に近づくにつれ、ルードの頬に浮かんでいた薄笑みは徐々に姿を消していった。
 まるで彼をそこから遠ざけようとするかのように吹き払う冷たい風の中、彼は開け放たれたままの大きな扉をゆっくりとくぐる。 重厚なオーク材の扉に、大きなひっかき傷が刻まれていた。 通り過ぎながらも無意識にそこから何かを読み取ろうと注いでいた目をつと逸らし、室内に視線を戻して――ルードは軽く息を呑んだ。歩みが止まる。
 しかしそれは一瞬のこと。 彼はすぐさま苦虫を噛み潰したような表情を浮かべると、忌々しげに呟いた。
「……ジョーイの奴、適当こきやがって――」

 金。 銀。 空色、草色、茜色。 縁取る黒、そして埋め尽くす圧倒的な、白――
 正面に淡く輝く荘厳なステンドグラスが、仰ぎ見るルードの目と意識を、吸い付けるように奪っていた。
 それは女神。純白を纏う暁の女神が見守る室内は、不思議な明るさに包まれて。
「ふざけんな、何が屋敷だ――ここは――」
 教会じゃねーか、と彼は吐き捨てるように言った。

 鳥のように天使のように、幾重もの白い翼を無尽に象ったアルタナの姿。 放射状に広がる豊かな羽毛に埋もれるあまり人に似せる事を放棄されたかのような、それは美しき象徴だった。
 陽の光を透かして輝く、白を基調としたその天然の照明が、静かに彼を見下ろしている。

 この家屋の素性が正しく伝えられなかったのは、かつて戸口に掲げられていたであろう「聖印」をも暴徒に破壊されてしまっていた為であろう。叩き出されたコソ泥の腹いせとしては上等と言えたが、もはや今となってはそんな事はどうでもよかった。
 礼拝堂と言うには手狭な、しかし慎ましやかな人々が集うには十分な室内。その空間を覆いつくす無惨な破壊の痕跡を、ルードはゆっくりと見渡した。
「ふん、えらく派手にやらかしてやがんな……俺の分が残ってねぇぞ」
 不敵にそうごちる彼の足の裏で、何かの破片がじゃりっと音を立てた。かつては整然と並んでいたであろう長椅子と長椅子の間を通り、彼はまっすぐ奥へと歩き出す。

 破壊されてなお高潔な抵抗を試みるかのように、しんと静謐な空間。ステンドグラスからの光は、進むタルタルの低い身長よりも少しだけ長く薄い影をその背後に作り出す。
 座れない丸椅子を、ルードは軽く迂回した。足が三本と座面が壊れている。もう修理も不可能だろう。
 悦楽的または強迫的に行われたのでなければ、物品の破壊はそこで行われた争いの激しさをそのまま映し出すものだ。 そして激しい戦いとは、力ある者同士でなければ基本的に成立しない。 つまり――

「防衛している側にも、そこそこ腕に覚えがあるって事だ……へっ、面白ぇじゃねぇか。 教会なんつー辛気臭ぇ所に、どんな気の利いた用心棒が待ってくれてんのかね」
 鼻歌のように呟きながら、ルードは祭壇の前で足を止める。 首を反らし、まるで手も足も出ない囚人をあざ笑うように神の姿を見上げる彼の視線には、微塵の信仰心も含まれてはいなかった。
 ゆっくりと警戒心のレベルを上げ直しつつ、タルタルの戦士はその場から改めて周囲を見回した。
 祭壇のすぐ左に、扉が一つ。閉まっている。右手の壁にもう一つ扉。こちらは開け放たれたままだ。
 原始的な勘に従って、ルードは右手の扉へとつま先を向けた。


  *  *  *


 こつ、こつ、こつ。
 鉄靴の響きが、木の床に和らげられる。
 硬質な鎧兜や、ちゃりちゃりと音をたてる鎖帷子に代表される戦士の装備を身にまとう者に、隠密行動はほぼ不可能だ。
 無遠慮な音で己の存在を邸内に知らしめながら、ルードは廊下を歩く。その行動を不利とも思わず、むしろそれによって相手を呼び出し、そこから全てを始めようとするかのように、実に不遜に、大胆に。
 こつ、こつ、こつ。
 しかし、粗暴な予感に胸躍らす彼を、この教会は再度見事に裏切って――

「……んだよ、人っ子一人いねぇじゃんか」

 どれだけ扉を蹴破ってみても続く静寂に鼻白んで、ついにルードは唸った。
 殺気のあるなしに関わらず、彼を迎え出る者は誰もいなかった。 探し求める武具らしきものの姿も気配も、いっかな感じられない。彼は小さく舌打ちをする。

 噂の「お宝」を頂く事だけが目的なら、このまま家捜しに移行すればよい。 むしろ無人であることは好都合、願ったり叶ったりだ。しかし彼は不満げにひとりごちる。
「ったく、張り合いがねぇなぁ……このまんまじゃあただのコソドロだぜ。先客の奴らと同じ歓迎をしてもらえないってのは納得いかねぇ……っつーか、あいつらへの土産話が、聖書みたいにお上品なもんになっちまう」
 眉根を寄せてぶつぶつと呟くルード。 左手がこつこつと両手剣の鞘を叩いている。
 何のことはない。ありていに言えば、暴れ足りないのだった。

 特別な武器には「物語」がつきものである。艱難辛苦を乗り越え、立ちはだかる障壁を打ち倒した末に手に入れた、という逸話も、その武器の価値であり性能の一つに数える事ができる。
 つまりその剣をなるべく「高価い」ものにしたいならば、その付加価値はまさに今、ここでしか与える事が出来ないのだ。
 また一つ、扉を蹴り開ける。やはり誰もいない。気配もない。
 いよいよつまらなそうな顔をしてルードはその部屋に踏み込んだ。一応、目当ての物がないかどうかチェックしておかなくてはならない。
 きれいに整頓された室内を見回す。不審な所など何もない、平和な生活空間だ。が、彼はすぐさまあることに気付いた。
「――ふうん……こいつか」

 ルードがいちいち扉を蹴り開けていたのは、何も威嚇やストレス解消の為ではない。いや、半分ほどはその目的もあったが、そもそもそういう動作が癖になっているのだ。
 タルタルがその故郷たるウィンダスから出ると、あらゆるドアについているノブの位置は突如として高くなる。生活する人間のサイズが変わるのだから当然の事ではあるが、背伸びしないと届かない位置にあるノブをいかにも子供がするように苦労して掴んだり、近くにいる者に頼んで開けてもらったりするのは、彼のプライドをいたく傷つける所行だったのだ。
 故に彼は蹴り開ける。使えない道具を設置しているそっちが悪い、とでも言うように。
 根城をバストゥークに、活動拠点をジュノに移してからは、もはやそれが習慣になってしまっていた。

 ところがこの建物には、聖堂の大扉を除く全てのドアに、二つのノブがついていたのだ。一つは上に、もう一つは下に。二つは連動し、どちらかを操作すればドアは開くようになっている。滅多に見ない仕掛けだった。
 ルードの肘の高さで輝くノブ。それはとりもなおさず、この建物に彼の「同族」が住んでいる証拠に他ならなかった。
 しかしそれでも、彼は扉を蹴り開けた。むしろいつもよりも強く。
「いい生活してやがんな」
 今、そう毒づく彼の前には、少し小さなベッド、少し小さな鏡台、少し小さな――いや、言い換えよう。
 その部屋には、ルードの身長にぴったり合うサイズの小綺麗な調度が、静かなぬくもりと共に揃っていたのだった。
 鎧の腰に親指をかけ、彼はゆっくりと室内を睥睨する。

 全てに手が届く。よじ登らなくてもよい椅子にはピンク色のクッション。簡単に中が覗ける引き出し、大きすぎない掛け布団。何の苦もなく生活できそうな、目線の低い空間だ。
 窓の位置だけはさすがに高いままで、半開きのカーテンの間からは薄曇りの空しか見えなかったが、そのカーテンの下には木で出来た踏み台が置かれていた。
 その部屋にあるあらゆるものが彼の存在を優しく肯定しているような、甘い空気。遠い昔、故郷にいる頃は当たり前だった情景。
 ふと、吸い込まれそうな感覚にルードは襲われて――

「――けっ」

 その錯覚を振り払うように、彼は踵を返す。

 扉を閉めもせず廊下へと出たルード。その視界に、一つの光景が飛び込んできた。
「……」
 それは、ヒュームの尺度で計っても比較的小さな扉だった。廊下の片隅に、いかにも物置ですよと言いたげに質素な、木の扉がある。
 てくてくと近づく。 その前に立ち、ルードはすっと目を細めた。

 薄く――人の気配。

 ここまで来て、今更遠慮する意味などない。 鍵がかかっているかどうかも確かめず、彼はその扉に向けて片足を振り上げた。


to be continued




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