テノリライオン

灯り草 6

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corelli

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「おーら、ここにあったぜぇ」

 まるで温泉宿に到着したならず者の団体のような横柄さで、その声と足音はルードの背を襲った。突然の異変に彼は弾かれたように振り向く。内心で舌打ちを一つ。
 抜かった。奇妙に白熱していた目の前の少女とのやりとりに気を取られて、周囲の変化に気を配る事を怠っていたようだ。己の迂闊さを呪いながら、ルードは射るような視線を階段へと飛ばした。

 3人――4人。教会から続く階段を下りてルード達の前に現れたのは4人の、揃ってヒュームの男たちだった。
 素性が判らない。基本的に軽装だが、しかしそれなりに装備は整えている。軽さを重視したタイプの動きの邪魔にならない鎧をまとっているかと思えば、妙に使い込まれた風情の無骨な剣を下げていたりする。少なくとも得物は全員が所有していた。
 烏合の衆――に見えなくもない。てんでばらばらに動いている所を見ると、取り立てて誰がリーダーという事はないようだ。それまでルードと少女だけのものだった緊迫感が踏み散らされるのを感じながら、彼は警戒の矛先を180度転換させる。
 わざわざ問答を交わすまでもなく、連中の目的だけは明確だった。一様にうすら笑いを浮かべる彼らの視線は、少女の後ろに鎮座する黒い鎌へと無遠慮に注がれている。
 獲物を狙って舌なめずりをするような男たちの目の色は、自分達の圧倒的な頭数をしっかり踏まえて嫌らしく輝いていた。

 4対1。
 厄介と言う以上に厄介だ。少女とのやりとりに無防備に時間を費やしてしまった事を、ルードは一瞬後悔する。
 箔を付けるだの何だの、そんな事で用心棒との対決に変に固執したりせず、とっととあの鎌を頂いて退散していればよかったか――いや。
 それではこの鎌の、真の価値を知ることはできなかった。何も知らずにこの妙なる鎌をぞんざいに扱っていたかもしれない自分――そんなものは到底許容の範囲外だ。
 そう。全てを知ってしまった今、ルードはこの場から退散することができない。
 4対1だろうが何だろうが。
 10対1だろうが何だろうが。
 聞こえも高いヴロクダの、その名を轟かせるに仕えた忌み鎌だ。そんな武具を手にする――暗黒騎士を目指す者として、これ以上の誉れが、喜びがあろうか。

 高揚していた心がそのまま、灼けるような戦意へとスライドする。
 退く訳には行かない。
 何がどうあっても、この漆黒の鎌は俺の――

「いよーう、お嬢ちゃん」

 と。
 ぎりぎりと緊張感を高めるルードの頭上を素通りし、うち一人が何やら妙に親しげに、彼の背後にいるタルタルの少女に声を掛けた。
「こないだは手荒い真似をしちまって、済まなかったなぁ」
 出で立ちからして魔道士らしきその男は、この場に似つかわしくない何とも朗らかな口調で、頬には笑みすら浮かべて語る。実際は何一つ済まないと思っていない事がありありと判る、軽薄な声色だった。その顔でわざとらしく周囲を見回して、男はこう続け。
「なるほど、あの坊さんはご不在、と」
 そして、いや――と口の端を吊り上げて――

「この世にご不在になっちまったかな?」

 男達の低い笑い声が響く中、思わず肩越しに振り返った、ルードの視線の先で。
 少女は凍り付いていた。
 ルードと相対していた時にはまだかろうじてあった、一縷の志気をももぎ取られ――冷たい絶望に染まった瞳が細かく震えている。どうにか頤(おとがい)を上げてはいるが、その数も身の丈も自分の数倍する新たな侵入者達に彼女が感じている恐怖は、ルードに対するそれの比ではないようだ。
 一文字に結んだ唇が、必死に何かを堪えている。先程まで乞うるようにルードに向けていた真摯な言葉も、その一文字に封じられて今は無い。

 成程。こいつらが始末――いや。こいつらに、始末されていたのか。
「司祭」がついに姿を現さなかった本当の理由を、ルードはようやく知った。

「ま、そこんとこ今日は穏便に行くつもりなんだがよ――」
 自分の言葉が彼女に与えた脅威に満足したのか。
 少女からひょいと目を逸らし、そう言った男が改めて視線を向けたのは、位置関係として彼女の前に立ちはだかる形になっているもう一人のタルタル、ルード。
 正面に戻される小さくも不機嫌そうな顔と、その手にしっかりと握られている抜き身の両手剣を眇めながら、男は問うた。
「で、お前さんは何だ。同業か? だったら――」
「うるせえ」

 それは、簡潔にして最高の拒絶だった。へらへらと流れていた男の言葉が止まる。
 しかもそう言い放ったきり、ルードは不機嫌そうにぴしゃりと口を閉ざし。
 この瞬間、両者の間の空気にきしっとヒビが入る音を、少女は聞いたような気がした。

 背後にいる仲間の一人が、何だてめぇ、と気色ばんだ声を上げるのを制し、今度は傍らにいた金髪のヒュームが口を開いた。
「おい、何だか知らねぇがお前さんよ、どう見ても新しい用心棒とかじゃあねぇよな? その得物をお嬢さんにちらつかせていたのを俺らに見られていないと、まさかそんな間抜けな事は思っちゃいまい? ん?」
 じっとりと自分達を睥睨するタルタルの戦士が放つ「気配」を指して、男は牽制するように油断なく言う。
 言われたルードは、大剣の切っ先を下げたまま微動だにしない。ただその眼だけが、居並ぶヒュームたちを冷ややかに威嚇している。
 小さな子犬の反抗に遭った。そんな不快げな表情を露わにした金髪のヒュームは、子犬たるルードに片方の手の平を開いて見せる。5。
「5分の1。等分でどうだ」
 簡潔に取り引きの数字を示し、男はなだめるように言葉を続ける。
「悪い話じゃあるまい? ここはお互い最低限の――」
「10だ」
「――あん?」
 ようやく口を開いたルードの言う意味を、男は咄嗟に理解できなかった。そして続いたルードの台詞に、彼らは怒るよりも先に呆れ返る。
「俺が10。お前らはゼロだ」
 横着してんじゃねぇよ――と、恐れる様子も見せずに毒づくルードの声は不機嫌そのもので、傲岸とも言える自分の言葉に一片の疑いも浮かべてはいない。
 一瞬の自失から最初に我に返った魔道士の男が、一転唾を吐き捨てるように言った。
「おいチビ、調子こいてんじゃねーぞ。見えてんのかよこの状況が、ああ? 力ずくで追っ払っちまってもいい所を、こうして交渉してやってるだけでお前には御の字のはずだ。自分の立場ってもんを判ってんのか?」

 けっ、と。
 小馬鹿にしたような音を吐いたのはルードの方だった。
 改めて男達を睨み据え、僅かに体重を後ろにそらし、一人タルタルの戦士は傲然と言い放った。
「ほざくなってーの。立場とやらが判ってねーのはてめーらの方だよ。わざわざ説明してやる気はねぇがな、こいつを」
 くい、と顎をしゃくって背後の鎌を指す。今や事の流れから完全に外されてしまった白い少女が、その側でびくりと身を竦ませた。
「売っ払おうとしてるなんざ、その時点で『失格』だ。なーんもわかっちゃいねぇし、んなこたぁ俺が許さねぇ。おいそれと市場に流れていいシロモンじゃねぇんだよ、こいつは」
 ルードの言葉に、へえ――と、魔道士の男が鼻白む。

 深く――深く呼吸をしながら、ルードは一人の男の腰に提がる短剣に目を留めていた。
 鈍い銀色の刀身に、幾本もの細い溝が葉脈のように走っている。それが単なる装飾などでないことをルードは知っていた。あれは、とある液体の留まりを良くする為の細工だ。
 正面切っての勝負などとは程遠い、一体どんな陰湿な液体がそこに潜んでいたことやら。ルードの中で、また一つ彼らの格が下がる。

「そうかいそうかい。要はあれか、お前はそんなにもそいつが欲しいと、そういう訳だな」
 4人の中で最も体格のいい男が、業を煮やしたように大声で言った。行間も紙背も読まないその反応に、短絡的で助かるぜ――とルードは内心でほくそ笑む。
「じゃあな、そんなお前の為にもう一度だけ言ってやろう。ここは一つだな、おとなしく俺らからそいつを買い取るってのはどうよ。何が何でも欲しいんだろ。金に糸目、つけるか?」
「冗談」
 交渉じみた言葉とは裏腹に、ゆるゆると扇状に広がり出す男達。ついに相互理解が叶ったかのような、敵意を剥き出しにした笑みが双方に浮かぶ。

 が、そんな中で一人だけ、石像のように動かない男がいた。ここまでのやりとりにも参加せず、まるで仲間達の影に隠れるようにして息を潜めていたその男の存在に、ルードは既に気付いていた。
 今、他の男達が立ち位置を変える事で、動こうとしないその男の影が際立つ。ルードは口の端を嗤いの形に歪め、不意にその影へと呼びかけた。
「精が出るこったなぁ、おい! 冒険者と盗賊の二足のわらじってか?」

 嘲るようにそう問われた男は、何とも形容しがたい顔をしていた。
 万引きの現場を大人に――それもひどく屈強な大人に見つかったような、苦々しい表情を浮かべている。
 が、次の瞬間には体勢を立て直したのか、その男はかろうじて居直った視線をルードにぶつける。男が何事かを言い返す前に、魔道士風の一人が振り向いて男に尋ねた。
「おい、知り合いかよ」
「いや――」
 男はわずかに口ごもる。ルードが更に言った。
「何だ、今日はあの可愛い子竜ちゃんは呼ばねぇのか? こないだみたく、ちったぁお前さんの打撃の足しになってくれるはずだぜ?」

 ルードの茶化すような口調に逆撫でされて男は、ぎろりと睨み返し反発する。
「余計なお世話だ。こんな仕事に――あいつは必要ねぇんだよ。俺だけで十分だ」
「へーえ。まるでミルク代でも稼いでるみてぇな言いぐさだな」
 苦虫を噛み潰したような表情を深めながら、敵であるルードと知ったような会話をする男。仲間達は視線で説明を求め、男は渋々といった風情で口を開いた。
「――少し前に――クフィムの狩りで肩を並べた」
 それだけか。
 仲間の無言の問いかけに、男は小さなタルタルを見据えたまま、声と表情をひそめて付け加える。
「…………厄介な奴だ」

 雪と海に囲まれたクフィムの寒気が一片蘇り、男の背筋をぞわりと這い上がる。
 あの時、他の奴らがどうだったかは知らない。が、しつこいぼた雪を降らせる厚い雲、いつでも鬱々とした空模様、そこに溶け込むようなあの灰色の髪が跳躍し、薙ぎ払い、剣を唸らせるたびに男は――子竜を従えていたこの男は、静かな歯痛のような戦慄を覚えていたのだ。

 全力、というものは見ていて判る。挙動や表情から余裕が消し飛び、切羽詰まった雰囲気を引きずり出すからだ。
 だからあの時、このタルタルは「全力」ではなかった。
 手を抜いていたという事ではない。団体戦のバランスを崩さぬよう、まるで伴奏する楽器のボリュームを絞るが如く、巧みに自分の力をセーブしていたのだ。
 勿論それは戦術だ。あの状況で戦士である彼が必要以上に大暴れしていたならば、守りの要であるナイトは盾としての役目を果たす事が難しくなり、時を置かずして戦況は総崩れとなっていただろう。
 そう思っていても。そう理解していても。いや、そう理解できたからこそ――

 水底深くに蠢く影。鉄色のタルタルの隙のない挙動は、まるで共に戦う仲間にすら手の内を見せまいとしているかのような、薄ら寒い警戒心を呼び起こした。
 男は思い出す。己の活躍を秘しつつも、彼が敵にとどめを刺すその異常なまでの頻度と、その瞬間だけに覗く、細い針のような殺気――

「へっ」
 大柄な仲間の嘲るような声に、竜騎士の男はびくりと肩を震わせ、雪に彩られた想念から引き戻される。
「何をビビってやがんだ。装備も得物も大した事無ぇ、ただのチビじゃねーか」
 手入れの甘い曲刀と共に放たれるそのだみ声に、ルードの嘲笑が重なった。
「おめーらの図体が無駄にでけーだけだよ、馬鹿」

 大剣の切っ先が、ゆっくりと床を離れる。

to be continued




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