テノリライオン

灯り草 7

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corelli

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 実家は小さな町医者だった。

 ウィンダスの片隅で水と緑に囲まれるように建つ診療所には、彼女の両親を頼って毎日のように人がやってくる。
 決して大きくはない自宅を改装して開いている診療所だったので、幼い彼女が家に帰るといつも患者と鉢合わせたものだった。

「フォーレ、待合室のゴミをね、裏に持って行って捨ててくれるかしら。患者さんのお邪魔にならないようにお願いね」
 四季を通じて朗らかな風土、食物も豊富で自由闊達。そんなウィンダスにも、当然ながら怪我や病はある。
 年を取っても愛嬌の塊のようなタルタル達が、この待合室では痛そうに顔を歪めていたり、暗澹とした表情でじっと椅子に座っていた。暖かい風合いで揃えられた家具や母の手作りの造花に囲まれて自分の名が呼ばれるのを待つ彼らは、巣の中で母鳥の帰りを待つ大人しい雛のようにも見える。
 ささやかな話し声。魔法仕掛けの鳩時計が、ぽっぽうと鳴いて小さく羽ばたいた。

「ああフォーレちゃんや、こんにちは。今日も元気そうだねぇ、いいことだ、いいことだ」
 待合室に姿を見せたフォーレが、精一杯「邪魔にならないように」くずかごに歩み寄ると、その側に座っていた年老いたタルタルが彼女にそう声を掛けた。老婆はこぼれそうな笑みと共に、立ち止まった小さなフォーレの頭を撫でる。
 週に3回は顔を見せるこのお婆ちゃんは、足が痛い。フォーレは思い出して、足の具合はどうですか、と訊いた。すると小さな老婆は更に嬉しそうに顔をほころばせて答える。
「おやおや、ありがとうね。ええ、フォーレちゃんのお父さんとお母さんのおかげでねぇ、ずいぶん楽になったんだよ。ここに来て、あたしゃ本当に助かった。お父さんとお母さんは名医だねぇ。名医って、わかるかい?」
 はい、と頷いてフォーレはにっこり笑った。それはいつでも、大好きな両親を褒めてくれる言葉だったからだ。

 不安そうな、または気怠そうな面持ちで待合室に集う人達が、いっとき暖かい笑顔を浮かべて二人のやりとりを見守っている。
 そんな彼らが待ち遠しそうに見やる扉の向こうには、彼女の父と母がいた。時折声が漏れ聞こえて来る。きっとくるくると忙しく働いているのだろう。こうして訪れる、自分達を頼って来る人々の為に。

 まだ幼く、医療の何であるかもよく判らないフォーレにも、両親がここでどんな役割を果たしているのか、それだけはよく判っていた。
 毎日を忙殺されている父と母に思う存分甘えられない寂しさよりも、その誇らしさの方が勝っていた。
 たかがゴミ捨て一つの協力でも、それを嬉しく思ってしまう程には。
「みんなが怪我や病気をしなくてお父さんがヒマになれば、こんないい事はないんだけどなぁ」
 夕食時、笑いながらそう言う父親の言葉に、少し複雑な感情を覚えてしまう程には。


  *  *  *


 ある日の事。
 フォーレはいつものように、近所の友達と森に入って遊んでいた。特別仲の良い女の子とその子の弟、そしてその友達が数人。年上の女の子二人にとっては遊びが半分、お守りが半分の野遊びだ。
 元気に遊び回る弟連中を視界に収めながら、座って花冠を作り始めるフォーレと友達の女の子。季節は春の終わりで、力強く茎を伸ばした草花は冠を編むのにぴったりだった。
 腕白どもの遊ぶ声と、時折ぷうんとかすめる虫の羽音。見上げる緑の梢と梢の間を、太陽がどれくらい進んだ頃だったろうか。
 木々の伐採の残骸――誰かが落としていったらしき丈夫な木の枝を見つけた腕白坊主達が、やにわにチャンバラを始めた。
 ある子はお伽噺の英雄を名乗ったり、またある子は悪役を気取ったりしながら、騒々しい歓声を上げて棒きれを振り回し、丁々発止と打ち合う。
 しかし最初はそれなりに敵味方に分かれて尋常だった勝負も、時間が経つともはや相手かまわず、木の葉やら下草を蹴散らしての単なる大騒ぎとなってしまった。
 彼らの頭上に憩っていた鳥たちが、これはたまらないとばかりに飛び去っていく。

「危ないよ、やめなさーい」
 フォーレとふたりで花冠を作っていた子が眉をひそめて声を掛けたが、すっかり盛り上がってしまっている小僧っ子達にそんなものは届かない。それどころか徐々に戦域は拡大し、ばたばたと彼女らの花畑にまで乱入して来るありさまだ。
 慌ててフォーレはその場から逃げ出す。花冠の一番いい所に使おうと思っていた花が、男の子の一人に踏まれてしまった。
「もう! ちょっと、何するのよう!」
 腰に手を当てて抗議と制止の声を上げたのは、同じように立ち上がった友達の方だ。フォーレは目の前で益々ヒートアップする打ち合いをどう止めていいか判らず、花を握ったままおろおろと視線をさまよわせていた――と。

「いってぇ!」

 不意に、歓声とは違う声が上がった。
 驚いてそちらを振り向くと。男の子の一人が、棒きれを取り落として二の腕を抱えていた。
 凍り付くように時が止まる。じわり、と彼の腕に赤い色がにじんで、それがみるみる大きくなっていった。
「――あ……ど……」
 どうしよう、と彼の相手をしていた子がつぶやく。と同時に、腕を抱えた男の子がゆっくりと泣き出した。顔をくしゃくしゃにしてしゃがみ込み、いたいようー、と叫ぶ。打ち合いでささくれ立ってしまった木の枝が、その子の服に大きな鉤裂きを作っていた。
 すでに手のひらの面積よりも大きくなっている赤いシミに、フォーレは息を呑む。これはポーチに入っている傷薬や絆創膏で済む話ではないと、子供達にも一目で判った。
 焦りと恐怖に、手足が痺れて固まってしまう。思考が白く停止する。どうしよう。どうしよう。
 楽しかったはずの森遊びを一転、体の芯が冷えるような恐慌が覆っていく。
「フォ……フォーレちゃん!」
 あわやパニックになりかける場を制したのは、一緒に花冠を作っていた女の子だった。
「フォーレちゃんのおうち、お医者さんだよねっ?」
 その声に、フォーレははたと我に返る。
 そうだ、ぼけっとしてちゃだめだ。お父さんに看てもらわなきゃ。慌ててこくこくと頷くと、行こう、と怪我をした子の無事な方の腕を取った。


  *  *  *


「――よーし、もう大丈夫だ。でもしばらくは大人しくしてるんだよ、また痛くなっちゃうから。チャンバラごっこは禁止だね」

 手早く処置を終え、男の子の腕に白い包帯を巻き終わると、そう言ってフォーレの父は微笑んだ。
 まだ目を赤く腫らしている男の子は、神妙な顔で、あい、と頷く。
 診療室に差し込む陽の光が、明るく眩しかった。

 一緒についてきた友達が、フォーレの後ろ、診察室の隅っこに固まるようにして控えていた。病院というものにあまり安らかな印象を抱いていない元気な幼な子達は、部屋に漂う消毒薬の匂いに、怯えていいものか安心していいものか判らずにいるようだ。
 治療が終わったのを見て取った男の子の一人が、恐る恐る前に進み出る。医師の前で丸椅子に座る友達を覗き込むようにすると、ごめんね、と彼は言った。
「おや、君が相手だったのかい?」
 フォーレの父が、机の上に載せたカルテに文字を書き込みながら笑顔で言った。うん、とその子は済まなそうに答える。
「そうか。いいかい、今回は武器が良くなかったからね、勝敗はなしだ。少し待ってこの子の腕がちゃんと治ったら、その時に改めて勝負をするんだよ――勿論次は、危なくない棒を使ってね」
 どんなのならいいのー? と、別の男の子がフォーレの肩越しに尋ねた。そうだなぁ、とタルタルの医師は唸る。
「うーん、紙を丸めたものとか、でなきゃ長い草かなんかを束ねて――」
「おじちゃーん、それじゃすぐに折れちゃって勝負がつかないよー」

 診察室から漏れてきた笑い声に、待合室に座る――あわを食って転がり込んできた子供達を、すぐ診察室に送り込んだ――患者達からも、安堵の笑みがこぼれた。
 フォーレの母が朗らかに、次に待つ患者の名前を呼ぶ。

 フォーレの目に、男の子の腕に巻かれた白い包帯が映る。
 上着を脱ぎ、肩まで捲られた袖の下で、それは暖かく柔らかい羽毛のようでもあり、またこの上なく堅固な防具のようでもあった。
 あれはきっと魔法。フォーレはそう思う。
 だってここはウィンダスだもの。怪我や病気で笑顔を失ってしまった人に、それを取り戻してあげる事のできる魔法を、お父さんとお母さんは使えるんだわ。
 私は――私は、竦んでしまった。目の前で友達が怪我をしたのに、一瞬どうしていいか判らなくなって――何もできなかった。

「あの男の子をすぐに連れて来たのは良かったね。木の破片が少し残っていたから、急いで取らないと傷の治りが遅くなるところだった。怪我人を助けるにはね、速くて正しい判断が大切なんだよ。困っている人を見たときに、今一番しなきゃいけないことは何か。それをちゃんと考える事ができれば、フォーレも立派なお医者さんさ」

 その日の夜、一緒にお風呂に入ったお父さんは、フォーレの髪を洗いながらそんな事を言った。
 確かに、あの子を診療室まで急いで連れて来たのはフォーレだ。でも。
 怪我人を前にした時、一番最初に我に返ったのは、自分ではなかった――

 お父さんやお母さんみたいに。
 誰もが笑って暮らせるように、痛みや恐怖に囚われずにいられるように。
 そんな魔法がいつか私にも、使えるようになるだろうか。
 そんな勇気を、手に入れられるだろうか――――


  *  *  *


 ゆるゆると。

 大きな男達は弧を描くように、フォーレの目の前に立ちはだかる小さな背中を囲っていく。
 しゃりん――鋼が鳴る音。男の一人が、鋭い銀色に光る刃を抜き放っていた。
 細い窓から射し込む陽光がぎらりと刃渡りを走り、矢のように彼女の目を射る。

「降参するなら今のうちだぜ」
 男の一人がルードに向け、極めつきに陳腐な台詞を吐いた。言われた灰色の髪のタルタルは、それを高らかに笑い飛ばす。子供のように甲高い自分の笑い声を彼は常々疎んじていたが、めったに上げないそれが今はきっと挑発の役目を果たすだろう。
「知ってるか? そいつは古今東西どこでも通用する、てめぇの負けを約束する呪文だってな」
 いかにも愉快そうに。案の定、ヒュームの男達はぴくりと顔色を動かした。

 ――斧。細身の片手剣。長剣。短剣。
 ルードは目だけを素早く動かして、自分と相対する4人の男達の手元を改めて確認していく。
 この半地下の倉庫は、左右にあまり広くはない。小柄なタルタルならばいざ知らず、彼ら上背のあるヒューム達が一杯に広がっても、全員が存分に得物を振るう事は難しいだろう。
 斧と長剣の性能を活かすにはある程度のスペースが必須だ。特に斧は、長剣ならば可能な「突き」の攻撃が不得手な分、この場では更に不利である。
 よほどの間抜け揃いでなければ、一斉に飛びかかって来て自滅などという愚挙は犯さないはず――まっすぐに構える大剣のグリップの感触を確かめながら、ルードは考える。
 目的はこの鎌を――まだ自分の背後に静かに立っている、この三日月型の刃を――死守する事だけだ。鎌に近づいて来ない奴は、騒ごうが逃げようがどうでもいい。かかって来る奴だけを、迎え撃つ。その為には――

「――おい」
 ルードは声を低くし、ほんの僅か顔を背後へと向けながら言った。何が邪魔と言って、戦場の非戦闘員ほど目障りなものはない。
「邪魔だ。どいてろ」
 鎌の前で、石像のように固まっていた白いタルタル。自分に言われたのだという事が判らなかったのだろうか、一瞬と言うにはやや長い間を置いた後、弾かれたようにフォーレは――

 ぶんぶんと、首を左右に振った。

「ど――どきません……!」
 強張った表情の向こうで、何を考えているのか。蚊帳の外へと追い出されるのを拒むかのように、彼の背後からは頑なな返事が返ってきた。相手がルード一人だった先程までと、毛ほども変わらない姿勢。
「っ……てめえ――!」
「おーおー、健気だなぁ」
 そこに、男達の冷やかすような声が響く。
「こりゃぁ同じおちびさん同士、きっちり守ってやらなきゃ男がすたるってもんだぜ、ええ?」
 ルードの頭に、かっと血が上りかける。実際は彼らの茶々よりも、この期に及んでまだ言うことを聞かない彼女に腹が立っていた――が、今は押し問答をしている余裕はない。苦った顔を正面に戻すと、魔道士風の男が竜騎士に向けて顎をしゃくって言った。
「おい。お前、相手してやれよ」
「――な」
 その言葉に、戸惑ったような声を上げたのは竜騎士だった。魔道士風の男は続ける。
「お前、こいつの手筋を見たことがあるんだろ? 好都合じゃねぇか。侮れないタルタル様とやらの、お手並み拝見といこうぜ。ショータイムだ。俺らは大人しくギャラリーしてっからよ、急先鋒って事で、いっちょ頼むぜ」
 そう言うと男は細身の片手剣の切っ先を下げ、階段のある部屋の隅まで後退した。ギャラリーなどと言いながら、ここにいる全員の退路を塞ぐ構えだ。
 残る二人の男達が含み笑いと共にそれに倣うのを見て諦めたのか、竜騎士はその忌々しげな瞳をルードの方に向ける。
 まるで闘技場のように、空間が閉鎖される。仲間達が退いた事で開けたスペースに、竜騎士の男はゆっくりと進み出て来た。
 彼の得物は長剣。場が広くなった今ならば、存分にとまでは行かずとも、無理なく振るう事が出来るだろう。
 その剣の長さを、ルードは頭に叩き込む――

 細長い窓の向こうで、陽は天頂を目指す。
 光源が高くなるにつれ、硬い床に細く引かれた光のボーダーラインは壁へと――鎌と、その前に立つフォーレの方へと、ゆっくりと這っていく。

「タイマンか。望む所だぜ」
 嘘偽りのない言葉と共に不敵に笑うルードと、
「――――」
 応えずに、重たい表情で長剣を抜き放つ男。

 一瞬の後、フォーレの小さな悲鳴が、鋭い剣戟にかき消された。


to be continued


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