テノリライオン

灯り草 8

最終更新:

corelli

- view
管理者のみ編集可
「どっちが本職だ、ええ!?」
 衝突し弾き合う剣を踊らせながら、ルードは嘲るように怒鳴った。
「チンケな竜を連れた冒険者と毒殺上等のコソドロ集団! どっちがお前の本職だ! 言ってみろ!」

 案の定、罵声を浴びせられた竜騎士は――今はその職業の象徴たる子竜を連れず、手にしているのも槍ではなく長剣であるために一見してそうとは判らぬ竜騎士は、眉を吊り上げた。
「お前の――知った事じゃない!」
 吠えるような怒声を叩き付ける。同時に振り下ろされる剣を、ルードは床を蹴って横飛びにかわした。
 倉庫の入口である階段を塞ぐようにして立っている男達が、口元にうすら笑いを浮かべながら彼らを鑑賞していた。

 刃を交える相手が何を考えていようとどんな状況にあろうと、ルードは基本的に興味を持たない。それは、これから狩ろうとしているモンスターが先程まで何を食べていたのかを気にするのと同じくらいに意味のない事だった。
 だからこれは煽り――挑発だ。どうやらこの男は、何かしら後ろ暗い背景を持っているようだ。だからそこを刺激し、平常心を崩す。頭に血を上らせる。そうして無理な手を誘う。
 背からか細く聞こえる、やめてください――という声を蹴りつけてルードは跳んだ。己の身の丈にも迫る大剣を上段にかざしてなお、ヒュームである相手の肩ほどまで一瞬で跳躍するタルタル。
 袈裟懸けを狙う形の一撃を、男の小振りな盾が受け止めた。まるで岩石の直撃を受けたように、男の腕に強烈な痺れが走る。
 相手の盾を圧する腕に更に力を込めるようにして、ルードは空中でぐいと自分の体を持ち上げた。その下を、男の刃がぶんと薙いでいく。

「何が――何が冒険者だ!」
 ルードの大剣を力の限りに押し退けて距離を取った男が、吐き捨てるように言った。
「毎日毎日、頼まれもしねぇのに鍛錬だ何だと言っちゃあ化け物を切り刻んで――てめぇら全員、馬鹿じゃねぇのか!?」
「あぁ!?」
 放たれた相手の不可解な言葉に、ルードの剣先が一瞬止まる。その隙を逃さずに一歩踏み込んだ男の剣が唸りを上げた。ほとんど脊髄反射で、ルードはその一打を刀身で受け流す。ぎゃりんという、鋼が鋼をこする耳障りな音が響く。それに負けじとルードは吠えた。
「てめぇもその一人だろうが! 何を寝言言ってやがる!」

 強さを極めるために、人に害を為す――人と敵対するモンスターを練習台にする。
 まさかその現実に疑問を呈するなぞは、せいぜいが星の大樹を見上げて詩でも書いている女子供か、さもなくばイカれた博愛主義者のする事だと思っていた。少なくとも、武具を纏ってジュノを訪れる者のセリフではあり得ない。
 その違和感と滑稽さに思わず失笑しそうになり、ルードは男に向けて剣の切っ先を突き付けると言い放った。
「てめーだって強くなりてぇんだろ? ついでに金も欲しいんだろうが! その為には毎日剣をぶん回す以外に何がある!」
「はっ!」
 男は強烈に鼻で笑った。そして何を思ったか剣を逆手に持ち替えると、がっ、と床に突き立てる。一瞬の間――

「――俺の家はな、代々竜騎士の一族だ」
 男は唐突に語り始める。己に向けられたままの剣の切っ先と、その向こうのタルタルを睨みつけるようにして。どこか大儀そうな低い声は、まるで黒い色の呪文のようだった。
「自慢じゃないが――自慢にもならないが。かつてクリスタル戦争の際、ご先祖さんがサンドリア皇室直下の騎兵隊で隊長を務め、ロンフォールの水際まで攻め込んだ邪悪なレッサードラゴンを単身食い止めたという――そんな武勲がうちの家にはある」
 剣を握る男の手に動く気配がないのを見て取り、ルードはゆっくりと大剣を鎮める。一体相手が何を言い出すのか、興味がないと言えば嘘になった。

「……当時は吟遊詩人にもその勲を歌われたそうだから、さぞかし名誉な事だったんだろう。その時に有り難くも国王から賜った盾は、常に手入れされて家の暖炉の上に飾られてる。皆から褒め称えられ感謝され――以来代を重ね――爺さんも婆さんも、親父もお袋も。俺の家族は見事に全員、一家を挙げて竜騎士として生きているのさ」
 ふっと、ルードの背後で息を呑む気配がした。「家族」という語句はルードをすり抜け、彼女を襲ったのだろうか。
「それがどうしたよ、めでたい事じゃねーか。だからお前も竜騎士になった――そうなんだろ」
 ルードは顎を上げて言う。目の前の男が一体自分に何を言おうとしているのか……ははあ。
「さてはこうか。武力ってえのは大義のために振るわれるもんで、一個人の願望だの趣味だのを満足させるために誇示するもんじゃない――とか言いたい訳だな、お家柄のよろしい騎士様としては」
 皮肉げに口の端を吊り上げるルード。だが男は暗い瞳のまま、ぴしゃりとそれを否定した。
「ふん、そんな立派な思想は持ってねぇよ。この体たらくを見りゃ判るだろ。そもそも俺は――」

 自分の家族を、誇りになんか思っちゃいない。
 男はそう言った。
 そしてその一言で、男は己の舌を解き放つ。

「やればやるほど気に入らなかった――気に入らねぇんだよ! 生まれたときからそうやって教え込まれて来た、だから従って来た! だがな、気がつきゃ毎日毎日武器を手にして鍛えろだの、自分の誇りに値する強さを持てだの――そんな言葉を免罪符にした、実際はただの血なまぐさい切った張ったじゃないか! そんなものが一体何になる! こんな意味のない殺伐とした生活はな、俺はもうまっぴらなんだ!」

 がん、と男の剣先が床を穿つ。
 その耳障りな音を聞きながら――ルードの眉根が寄っていた。
「……へえ――そうかい。だったら、とっとと辞めりゃあいいじゃねぇか」
 言いながらもルードは理解できない。彼の頭の中に、クエスチョンマークが湧いては消える。
 一度は剣を握った者が――強さの求道に疑問を抱くなど。ルードにとってそれは、まるでロランベリー耕地の木立を前に餓死していくような不条理だった。理解に苦しむ――と言うよりは、意味が判らず思考が停止してしまう。為す術を無くしてルードは、相手の言葉を待った。

「――俺一人の、問題ならな」
 返ってくる男の声は深く暗い。
「それならとっとと家を出て、そこらで働き口でも見つけて平穏に暮らしてたさ。実際、今でもそうしたくてしょうがない。けど――」
 けど。
 男の表情が苦渋に満ちる。
「――ソウライが、いるんだ」

 その4文字が、男が従えていた子竜の名である事を、ルードは思い出す。
 竜騎士の分身とも言える、共に戦う事を宿命づけられた小さな飛竜。男の頭上で悠然と羽ばたくその姿は、クフィムの空には望めなかった深い青色をしていた――

「契約は親たちの手で、幼い頃に済ませた。まだ俺が、戦いの何であるかも判らないうちにさ。あの時は大きなペットをもらったようで、嬉しかったな――」
 そう語る男の目に、過ぎし日を懐かしむような色が不意に溢れる。
 ああ、殺気や敵意を排した穏やかな表情が、この人には似合う――と思ったのは、ルードの背後に佇み、二人のやりとりに耳を傾けるフォーレだった。
 男が剣を手にしていることが、彼女の目におそろしく不自然に見えてくる。思わず飛び出していってその刃物を攫いたい衝動に駆られるが、張り詰めた空気に気圧されて相変わらず足が動かない。己の不甲斐なさにじわりと涙が滲む。

 お父さん――お母さん。アルタナの女神よ。
 心の中でフォーレは祈る。
 ここで、今この場で、私に何が出来るでしょうか。
 出来ることならばもう、血を見たくはないんです。悲鳴も聞きたくはないんです。
 どうかお願い、このまま話し合いで――とフォーレがひたすらに祈る中、男の言葉は続く。

「俺が竜騎士である事を辞めるため、あいつとの契約を解除する事は簡単だ。だが、そうしたらあいつは――ソウライは、この世から消えるしかない。竜騎士というよりしろを失った子竜がどうなるかは、お前も知ってるだろう」

 男の問いを、ルードは冷ややかな無言を以て肯定する。
 子竜はただ単に、竜騎士に従属している訳ではない。例えるならば母親と乳飲み子のような関係で、親たる竜騎士さえ健在であれば幾度でも蘇るが、反面ひとたび親に棄てられてしまえば――その存在はエネルギーの供給を失い、世界の塵と化し拡散してしまうのだ。
 その事が果たして良いのか悪いのか、子竜にとって苦しい事なのかそうでないのか、そこまではルードの知る所ではなかったが――しかし目の前の竜騎士は顔を歪める。

「あいつには、あいつにだけは何の責任もないんだ。むしろこんな人間に従うハメになって、申し訳ないとすら思う。けど、俺だってあいつと別れたくなんかない。小さい頃からずっと一緒に暮らして来たんだ。だから――俺という呪縛からあいつを解き放って、戦うための眷属や使い魔なんかじゃない、友達として――この世界に、存在するようにしてやりたいんだよ」

 子竜の存在意義は、従う竜騎士と共に戦い続ける事である。
 それを満たせない竜ほどみじめな存在はないのだと、男は親から教わり続けて来た。
 そして何よりも、他ならぬ子竜から、それを感じ続けて来たのだ。
 それは見事なほどの――二律背反。

「俺がどんなにこの生活を軽蔑しても、戦う力なんかいらないと思っても――それは『戦う力』そのものであるあいつに対する裏切りにしかならないんだ。それだけは耐えられない。家からは逃げられても、あいつをないがしろにする事だけは――」
「じゃあどうしようってんだよ」
 苛々とルードは口を挟んだ。泣き言繰り言に興味はない。現状に不満を垂れ流すばかりで、あれも嫌だ、これも嫌だと駄々をこねるのは、ルードが最も嫌う態度の一つだった。すると――
「方法を、見つけたのさ」
 不遇の竜騎士はぽつりと言った。どこか挑み掛かるような口調で。
「主従の契約を解除し、なおかつ子竜がこの世界に存在できる方法をな。詳細は伏せさせてもらうが、それを施せば、ソウライは普通の――と言うのもおかしなもんだが――竜になる事ができる」
「へえ」
 ルードは素直に驚いた。そんな術がある事も、そんな事を考え、実行しようとする竜騎士がいる事にも。だが――と男は続ける。
「それにはな、かなりの金がかかるんだよ。勿論その方法が成功した後ソウライを養っていく為にも、一定の金が必要になる」
 そう言って。
 男は逆手に柄を握っていた手を、順手に持ち替え。
「判っただろう」
 僅かに床に食い込んでいた剣の切っ先を、ゆっくりと持ち上げる。白い服を着たタルタルの少女が、絶望に息を呑む気配。
「俺には、大きな金が必要なんだよ。勿論家の援助は望めない。あくまで自力で、できるだけとっとと、金を用意して剣を棄てて――ソウライと一緒に引退したいのさ」
「……なるほどな」
 男の動きに応じるように、ルードは大剣を構え直しながら言った。
「その為には、なりふりなんぞ構っちゃいられない、って訳か」
 ちらりと横目で、階段の前にたむろする盗賊達を捉える。男のそんな事情なぞ先刻承知なのだろう、彼らのにやけた表情は先程までと変わらなかった。

 両の手に力を戻し、大剣を目の高さに引き上げる。小さな体なりに隙のない、攻守を併せた構え。
 しかしその手には、男と剣を交えていた時にすらなかった汗がうっすらとにじんでいた。あまつさえ、何か毒でも回ったかのような違和感がせり上がってくる。
「……お前」
 ほとんど無意識に、ルードの唇が動いた。どうしても聞かずにはいられない言葉が口を突く。
「お前、本当にいらねーのかよ。そこまで身につけた剣技も、子竜のブレスも、竜騎士としての経歴も――」
「いらないね」
 短くそう答えると同時に、フォーレの祈りを裏切って男は床を蹴った。ルードの構えを崩すべく、手元をめがけて斬りかかる。
 一瞬で手首を返し、ルードはその一撃を払った。そのまま体を低くして男の右脇をすり抜け、振り向く勢いで相手のアキレスを狙う。
 が、男は大剣の動作の重厚さに助けられた。間一髪でひらりと宙に逃げ、その斬撃をかわす。そして跳躍を得意とする竜騎士の身のこなしで、そのままルードに後ろ向きに蹴りを叩き込んだ。
 下卑た観衆からやんやの口笛が上がる。
 咄嗟に頭への直撃はかわしたものの、右の肩口をしたたか蹴りつけられたルードは大きく宙を飛んだ。下手に踏ん張っては骨にダメージが行ってしまう。
 空中で反り返って左手で床を掴み、ぐるんと回転して着地する。剣は死んでも放さない。
 男の姿を捉えるルードの目に、鈍い鋸の刃のような光がぎらりと宿る。彼の頭の中に、戦いの中にあってはならない怒濤が渦巻いていた。
 気合いの声が乱れる。まるで言葉にならない言葉のように。

 ――いらないだと。
 何の障害もなく、皆にお膳立てされ歓迎され、
 あつらえの服を着るように身につけたその力を、
 こともあろうに迷いもなしに、
 いらないだと――――いらない、だと――――!!

 どこか均衡の崩れた掛け声と共に飛びかかってくるそのタルタルを迎え撃ちながら、竜騎士の男は叫んだ。
「なら聞かせてみろ! お前は何のために、冒険者なんかやってるんだ!」
 ぎぃん、と刃と刃がぶつかる。両者の踵が床を削る。
「お前が強くなって、それで一体何になる! 何の為だ、誰の為だ! そら、言えるものなら言ってみろ――!」

 そこからは、まるで演舞のような激しい打ち合いだった。
 剣を盾とし盾を剣とし、持てる技術と力を駆使して互いに一歩も引く事をしない烈戦。しかし誰の目にも、ルードの優勢は明らかであった。
 技量とセンスの――何よりも戦いに対する「執着」の差に加え、今は本筋とする槍も空も手放している竜騎士の男にとっては、いわば不利な他流試合をしているようなものだ。小さなタルタル相手に苦戦を強いられ、男はあっという間に息を切らせ始める。
 が――

「――お前の、方が――滑稽だ」

 がきりと噛み合った鍔と鍔の向こうで。
 乱れた息の下から、竜騎士はルードにそう吐き捨てた。

「お前は――強いよ、確かにな。どっかおかしいんじゃないかと思うくらいだ。だが――それが。その結果が、お前を――どこに、連れて行くって言うんだ」
「――――」


 強く、なりたかった。
 ただ強くなりたかった。

 生来のものとしか思えなかった。
 誰に教えられるでもなく導かれるでもなく、まるでパズルの解き手が最善の一手を追求するが如く、気が付けば「強さ」の極みというものに自然と心が向かっていた。それがルードというタルタルだった。

 が、その思いに従うためにウィンダスを出た途端にぶち当たった、「種族」という壁。条理にして不条理な壁。
 それを乗り越えるべくして出会ったのが、暗黒騎士という一本の道だったのだ。
 どうしようもない体格差に憤る自分に相応しい職業(ジョブ)――震え上がるような歓喜と共に、そう確信したのだ。
 だからがむしゃらに鍛えた。命を吸い取る三日月を携えるに相応しい力をと、誰におもねるでもなくひたすらに剣を振るい、血を吐くような努力を繰り返し、あらゆる技を磨いて来た。
 やればやるだけ手応えが返って来る、その日々に疑いを抱く余地などなかった。価値の有無など考えた事もなかった。
 何故――など。他人からも、そして自分からも、ついぞ問われた事などなかったのだ――

 ずる、と足の裏が滑る。
 ルードの視界の隅に、黒い鎌がちらりと映った。伝説を纏ったヴロクダの忌み鎌だ。彼の瞳は知らずその影に縋りつく。
 が。憧れを乗せた宵闇さながらのその姿は――今まさに揺るぎない答えをルードに与えてくれるはずの、その姿は。
 どうしたことだろう。まるで彼を見捨てたかのように、ただ静かに黙していた――

 ルードの心を冷たい戦慄が突き抜ける。
 その一つ一つがルードの「存在」に対する否定そのものだった男の打撃、それをひたすらに弾き返し続けてきた手足から、力が抜け落ちそうになった。
 彼の頭は一気に混乱に飲み込まれる。軽い目眩に襲われ、視界がぐらりと回る――と、その視界の端に、ふわりと小さな霧のようなものが流れ込んだ。

「――――」

 茶色いポニーテールの下の、質素で柔らかい布地。優しく目を射る白い色。
 それは黒と対を成す、しかし「色」であって「色」でない存在だった。
 邪魔だ――と強烈に思った。そして同時に、「無」という属性には種類が二つあるのだと、彼が知ったのはこの時だったかもしれない――が。
 もう長いことその片方、闇色ばかりを見つめてきた彼の目に今、その存在は奇妙な不安を抱かせるばかりで。

 ――そうだ、あいつのせいだ。
 黒い鎌に、震えながらもずっとへばりついている、小さなタルタル。
 今にも泣き出しそうな面持ちで、もうやめてくれと瞳で訴え続けている少女が。
 あいつと話しすぎたのが良くなかった。
 あいつを見すぎたのが良くなかった。
 ここに居ることが、私の勤めなんです――と叫んだ、鈴のような彼女の声が蘇る。
 あいつの白い色が、俺とあの鎌を隔てやがる――
 あいつのせいだ――!!

「う……らぁあっ!!」
 腹の底から絞り出すような雄叫びと共に、ルードは男の剣を力の限りに押し返した。
 力負けした男はたたらを踏んで距離を取る。何故強くなりたいのか、という自分の問いに、言葉ではなく獣のような唸りと腕力で答えたタルタルへ、男は嘲るように言った。
「ははっ、行く末はバーサーカーか! 哀れなもんだな!」
「――――っ!!」

 言われてぎりっと歯噛みする口から漏れるのは、男の言う通り、言葉にならない荒い唸り声ばかりだ。瞬間、目の前が暗くなる。
 何かが崩れていく。何かが遠ざかっていく。
 答えられれば――答えられない――答えられない!


 その時――ふっと空気が動いた事に、ルードは気付く事ができなかった。


to be continued



記事メニュー
ウィキ募集バナー